晴れたらいいね…。

人生をゆったり、のんびり暮らしたい人のためのブログ。

人生を開く強い意志.4

2006年04月26日 | ポジティブシンキング
~前号から続く~

できないといって無為な時間を過ごすより、もうダメだと悩むより、
どうすればできるのがを考えるほうは有益です。不可能でも
それに向かって歩を進めてほうが意味があります。可能性も出てきます。
可能か不可能かなんて「環境」は関係ありません。
人生は自分の強い意志で開くのです。そこからしか不可能を可能に、
苦境を成功に導く因もないのです。因がなければ結果はありません。
人生はそんなに甘いものじゃない。偶然は起こり得ないのです。

多くの人は、まわりの人が「絶対に無理」とも「キミには不可能」とも
いってないのに、道の半ばで「そうはいっても」「とはいっても」と、
自分のほうから身を引いてしまします。それでは苦労もない変わりに
楽しみは少なく、本当の意味での人生の醍醐味は味わえません。
環境ではなく、アナタがどうしたいかなのです。そのためにアナタが
何をするかなのです。

人には無限の可能性がある。
人生は自分の意志次第で変えられえる。
この世は生きるに値する。
人は人生を自在に楽しむために生きている

このブログで紹介した言葉の数々はすべて同じことをいっています。
これから紹介していく言葉もおそらく……。
これが僕の5年で得た闘病の、そして人生の大確信であり、その核心です。

「この世は生きるに値するものにする」のも、「値しない世の中にする」のも
すべて自分次第だったのです。このことを理解した瞬間に、
社会からはずてしまい、白いベッドのうえで苦しみ、もがき、
のたうちまわった5年間が、ゴールドに光り輝き、
かけがえのないのない宝の5年となったのです。 
                   ~完結~



人生を開く強い意志.3

2006年04月25日 | ポジティブシンキング
~前号からつづく~

ここからさらなる僕の反転攻勢がはじまりました!
右手のマヒは治りましたが下半身はマヒしたまま白血病の治療を受けました。
放射線の照射で顏が真っ黒にやけても、すべてのツメが抜けても、
免疫がなくなると虫歯の菌で死ぬことがあると、虫歯の可能性というだけで
歯を3本も一気に抜かれてもあきらめまず、生き抜くと思い続けました。
何種類かの抗がん剤を入って意識が朦朧としても生きると思いきりました。
どうせ苦しいならすべての状況を笑って力強く明るく見事に鮮やかに
乗り越えてやろうと決意して実践しました。

「わかればいいのよ、わかれば。私は忙しいのよ」
元理事長Y.Kさんはそういってハイヤーで颯爽と去っていきました。

僕には何人か尊敬する人が何人かいますが、師匠と定めている人には、
人生の意味と生き方、その肝心を教えて頂きました。そしてこのY.Kさんには
それらを支える最も大切な『強い意志』を身をもって教えて頂きました。
そうだったのです。環境の問題じゃなかったのです。その状況に
おかれている人の心次第だったのです。意志次第だったのです。

楽観主義を貫くには強い意志と「自分は絶対に勝つのだ」という
強い確信が必要です。確信のことはまたおいおい話をするとして、
僕はこの時、物事を切り開く強い意志を手に入れたのです。
そしてそれは闘病だけでなく、その後の人生を貫く大きな
確信と指針になったのです。それは今でもまったく変わりません。
アナタも何か夢がある時、
「夢を実現してやる!」と叫んでみてはどうでしょうか。
悩みがある時、「乗り越えてやる!」と叫んでみてはどうでしょうか。
越えられない壁がある時、「私には不可能はない!」と、
声を出して叫んでみてはどうでしょうか。腹が座るまで何度も何度も。
なんでもない僕が叫んで勝ち越えたように。

~やはり長いので結論は明日アップします。乞うご期待!~

人生を開く強い意志.2

2006年04月24日 | ポジティブシンキング
~前号より続く~

泣きじゃくりながらしどろもどろに説明する妻。しばらく聞いていた
元理事Y.K先生は事情を察したようで妻に向かっていいました。
「大変な事情はわかったわ。それで、あなたはどうしたいの?」
「……」
「あなたはどうしたいと思っているの?」
「……」
「これからどうしたいの?」
「……」
「どうしたいのか聞いているの。アナタがどうしたいかいいなさい!」
「し、死なせたくないです……」
「そうそれでいいの。それが正しいの。医者が治せるのは病気だけです。
生死まで決めらてたまるもんですか。アナタが『私が死なせない』
といってみなさい! まずはアナタは腹を決めることよ」
「私が夫を死なせません!」「もっと大きな声で!」
「私が夫を死なせません!」「もっと大きな声で!」 
「私が救います! 私が夫を守ってみせませす!」
妻が電話口で叫びました。その瞬間、妻の中で何かが変わりました。
パニックになることがなくなりました。看病の姿勢が変わりました。
思いを1点に定め、すべてを目標に向かって考えて
取り組むようになったのです。

翌朝、元理事長はハイヤーで僕の病室に現れました。そして
絶対安静の僕をつかまえていいました。
「思ったより元気そうね。アナタも自分の口で
『自分は死なない』『自分は生き延びる』といいなさい!
今のアナタの使命は病気を治すことよ。さあいいなさい!」
「僕は絶対に死にません!」「もっと大きな声でいいなさい」
「僕は絶対に治します。絶対に生き抜きます!」
死の淵から僕は叫びました。僕もまたこの時にもう1段腹が座ったのです。

~2回のつもりが長くなったので、結論は次回とします。乞ご期待!~

人生を開く強い意志1

2006年04月22日 | ポジティブシンキング
今日から数回にわけて、僕が5年に及ぶ闘病でつかんだ
「核心」の部分を話たいと思います。

何度も書いている通り、僕は1998年~2002年までの5年間、
急性骨髄性白血病の治療で、多少の出たり入ったりはありましたが
ほぼ病院で過ごしました。その模様は、僕の白血病闘病記
「血液型が変わっちゃった!」でも書きましたが、その間、僕は、
3回も死の宣告を受けました。その2回目のときにそれはおきました。

初発時に闘病意欲が湧かなかった僕は「願兼於業」という言葉で
意識改革し、超ポジティブになることで闘病を乗り越えたつもりでした。
ところがその約1年後に、今度は下半身マヒという最悪のカタチで再発。
ガン化した白血球が脊椎の中に腫瘍をつくりマヒしてしまったのです。
一時は腫瘍が腦にまで転移し、右手までもがマヒしました。そしてそのすぐ後、
抗がん剤治療がはじまってしばらくして肺炎にかかってしまったのです。
このときはかなり厳しい状態で蘇生方法まで話あわれました。

「ご主人はかなり厳しい状態です。ここ1~2日がヤマです。
もしもの場合は電気ショックを使いますか? 使うと肋骨が
数本折れることがあります。了承してくれますか」
主治医は無情にも妻に向かってそういいました。死の宣告だけでも厳しいのに、
そんな話まで……。東京に知りあいがいなくひとりで看護していた妻は、
当然、パニックになりました。「夫が死んじゃう」「夫が死んでしまう」……。
そして深夜、泣きじゃくりながら1本の電話をかけたのです。それは彼女が
尊敬する、確か当時は86歳だった、彼女の短大の元理事長、Y.Kさんでした。

※結論まで書きかあっているのですが、長いので、以降は明日に。
 この元理事長Y.Kさんとの会話がもとで僕たちの人生は大きく変わるのです。
 どんな会話が交わされたか。乞次号ご期待!




楽観主義で行こうぜ!

2006年04月18日 | 折れない心の処方箋
楽観主義は自分を変える! 
いい言葉ですね。去年、僕に心理学の基礎を教えてくれた
鈎 治雄(まがり・はるお)教授が本を出しました。
そのタイトルです。サブタイトルは「長所を伸ばす心理学」。
帯には「混迷の時代だからこそ明るく生きよう」
「『悲観主義』は気分、『楽観主義』は意志」
「弱音や諦め、悲観からはなにも生まれない。心理学の基礎から
と解いた『楽観主義』の生き方。幸せへの『強い意志力』」
と書いています。いいですねえ。さすが鈎教授!
まだ買ったばかりで読んでいないけど、読み終わったら
このブログで内容を紹介していきたいと思います。

人生は、環境じゃない。意志である。意志ですべは変えられる。
これこそ我らの生き方です。

本は第三文明社から1000円です!(安い!)。








教科書がどどっと届く!

2006年04月13日 | 人生のらりくらり
いくつになっても学ぶのいいことだ! なんて悠長なことをいってたら
新年度になって新学年の教科書がどどっと届いた!

「理論経済学」「社会学」「日本史」……。う~ん。
昨年から通信教育の大学をはじめたのだが、まだ去年に購入した
20冊弱の教科書が残っている。半分も終わっていない。
いや本当のところをいうとまだ数冊しか終わっていない。
ううっ、早くも落ちこぼれだ! なんとかせねば。
人間、追い込まれないとなんでも真剣になれないものだが、
この教科書の山をみると、あきらめるか、腹をくくるかどちらかしかない。
となると僕の辞書にはあきらめの文字がないので前に進むしかない。
チクショウ! やりますとも。ええやらせていただきます! 
こんな追い込まれ感も久しぶりだな。これも学ぶということ、
成長するということなのか。小さな葛藤をひとつひとつ勝ち越えて、
本当の意味での第2の人生の勝利の因にしてやる!
人生あきらめたら何もない。だからこそ何もない人生に
最高のドラマを作るのが僕の生き方。ええぇ、やりますとも!

38歳にしてまだ成長意欲満々のパパヘミングウエイ。
 



阪神・岡田監督の勝利の意味するもの

2006年04月08日 | 執筆格闘記
4月5日に発売になった総合雑誌「潮5月号」の巻頭カラーグラビアで
阪神タイガースの岡田彰布監督の記事を書きました。

僕は地元・兵庫出身で、阪神タイガースが日本一になった1985年は、高校生で
バース、掛布、岡田に大フィーバー(この言葉も古い!)しました。
ところが18歳で東京に出てきてからというのもの、ファンというより
そもそも野球から遠ざかってしまい、すっかり阪神は意識外の存在となっていました。
だから出版社から「岡田監督の記事を」との依頼を受けた時点で、正直いって、
テレビで報じられるぐらいの情報と、掛布や岡田監督=サンガリアコーヒーの
人ってぐらい、愛情のない状態でした。
ところが調べてみると岡田監督、すごい人だったんですね(って今頃いっていると、
僕の友人の5割以上を占めるに阪神ファンの友人に吊るし上げられそうだけど)。

野村監督下で岡田監督は二軍監督として辛酸を舐めた。しかし、それに腐らず、
「短所を指摘するより良いところを見て伸ばそう」と2軍の選手を育てた。
関本には「得意の長打力をもっと伸ばせ」と激励。濱中には、「いずれは
一軍のクリーンアップを打てる」とバンド練習をさせなかったそうです。
関本、井川、藤川、濱中…。その時の選手たちが今の阪神を支え、
去年のリーグ一の原動力となったのですね。
また、去年は、今岡を一番から五番三塁にコンバート。藤川にこだわり、
ジェフ・ウィリアムス、久保田と並び「JFK」と呼ばれるリリーフ陣を確立。
金本、下柳らベテラン選手も大活躍しました。
自身が苦労した分、選手の心もわかり、時間を共有した分、選手の特性も見える。
しっかりした信頼関係も築かれていたのですね。「チームのためなら」
「岡田監督のためなら」という選手がたくさんいたそうです。
「勝利の因は勝った時にあるのではない。負けた時にある。
厳しい時に何をしたかである」。まさにそのことを地で行く勝利です。
かといって岡田監督は、「良いところは選手やコーチが持っていけばいい」と
自分は前面に出ない。陰の闘いに徹していたんですね。渋い! 

今年は濱中も戻ってきました。果たして、リーグ2連覇なるのか。
悲願の21年ぶりの日本一になるのか。毎年、選手を育てるより
お金で派手な選手補強するどこかの球団に勝って、「組織は金ではない」
「選手は長所を誉めて育てるべき」で「組織は信頼と団結である」という
ことを身をもって証明して欲しいですね。
アナタも苦しい時にこそ勝利の因を築いて下さい。

あきらめかけた時に読む言葉。

2006年04月06日 | 折れない心の処方箋
今日は私が師匠と決めている人のグッと来る言葉を紹介しましょう。

人生には自分の力ではどうしようもないと思える時が何度が来ます。
その時にかみしめてください。

『人間は苦境に負けるのではない。自分自身に負けるんです。
自らあきらめ、信念を捨て去り、敗れていくんです。』

また、こんな言葉もあります。
『「成長」の時だからこそ、「悩み」があるんです。
走れば「風」が起こる。山に登れば息が切れる。
それと同じで「成長」しているからこそ「悩み」があるんです。
「希望」と「悩み」、自分の中でどっちが勝つか、その競争です』

ともに高校生にあてたメッセージです。
いずれも同じ状況をいっています。すべては環境じゃない。
それをどう捉えるかが問題なのだと。
実は、どうしようもない苦境を乗り越えた時が、人生の上では
かけがえのない大成長の時なんですね。
乗り越えられない壁はありません。壁が高ければ高い分、
大きな精神闘争、長い葛藤の期間が必要となりますが、
その悩んだ分、その人は大きく成長しているのです。

あきれめない。それが何よりものアナタの心の処方せんです。

南極と北極どっちが寒いか?

2006年04月03日 | 人生のらりくらり
国立科学博物館つながりでもうひとつ、ココの気になる夏の
イベントを紹介してみましょう。

今年は、1956年11月08日に南極観測船「宗谷」が日本を出発、
翌1月に南極に到着して50年。南極観測50周年の記念イベントが、
各地で行われています。
上野の国立科学博物館でも、7月15日から9月3日まで
『ふしぎ大陸南極展2006』が開催されます。
昭和基地と会場を通信衛星で結び、越冬隊員らと話ができたり、
南極から持ち帰った氷を触れたり、日本が誇る世界最大、約1万7千個の
南極で採取された隕石コレクションから火星や月が起源とされる隕石の公開、
さらには映画「南極物語」でおなじみのタロとジロのはく製の展示
などがあるそうです。←ちょっとコワイすぎるけど。
子供連れのファミリーにはいいかもしれませんね。
昨年11月に南極に行った朝日新聞の記者さんの話をきいてから、
南極だけでなく極地に興味を持ちはじめたパパヘミングです。

ちなみに、このイベントの共催先である昭和基地などを運営する
国立極地研究所のHPを見ると、過去の観測隊員の日記や
「南極観測隊員募集情報」なども掲載さています。
公募しているんだなあ。ちょっとびっくり。
HPは、http://www.nipr.ac.jp/japan/index.html です。

ネタに困った時のイベント紹介でした。
※表題の答=南極。北極は海上に浮かぶ氷の上にあり、
マイナス25度ぐらい。南極は大陸の平均2450メートルの
氷上にあり、マイナス50~60度だそうです。