TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

折々の写真&雑感 76

2016年08月29日 | エッセイ
 現役時代には海外への出張を多く繰り返したが、二つのこと以外にあまり感動したことはなかった。神経が鈍くなっていたと云われればその通りだが、大騒ぎするほどの感動は覚えなかった。そのうちの一つは南十字星を見たことである。最初はパプアニューギニアの孤島で、その次はマダガスカルで凄く感動した。此の事についてはTDYのパプアニューギニア編の「7」及びマダガスカル編の「6」をご参照願いたい。

 もう一つはミネソタ州の州都のミネアポリスでミシシッピー川の源流を見たときである。然もその源流を一跨ぎにして対岸に渡ったのである。

 ミネアポリスはアメリカの中では黒人の居住者が極端に少ない。そして清潔できれいな街であった。此処の住人が黒人を特に嫌っているわけではないだろうが、当時(1982年)は全住民の2パーセントぐらいしか黒人が住んでいないと聞いていた。落着いた住宅街はまるでヨーロッパを旅しているのではないかとの錯覚さえ覚えさせる。ケバケバしさがない。樹木に囲まれた家々は落着いた外壁の色で、住みよさそうだった。
 空港で拾ったタクシーの運転手は数少ない黒人であった。「旦那、日本の旦那、何処まで行きますか?」。運転手が私の荷物をトランクに入れ終るとすぐに行先を聞いてきた。聞かれても、すぐには返事が出来なかった。ポケットを探り、住所を書きとめておいたメモを出した。行き先を告げると、タクシーは北へ向い、ミネアポリスの中心地に入る前に右に曲った。直ぐそこだと云っていたが、かなり走った。前方に銀色に輝く建物がミネソタ・ツインズのドーム球場だと説明された。十字路を右折し、住宅街に向かった。そして湖の縁で停まった。「ミネアポリスに来るなら、必ず俺の家に泊れよ」と米空軍に勤めていた時の上官に云われていた。彼は除隊してこの新興住宅街に居を決めたのである。彼の話によると、ここに住宅街を建設するときに人工湖も一緒に作ったのだそうだ。奥多摩湖程もあるように大きく見えた。

 車を貸してくれたお陰で仕事は2日ほどで片付いた。元上官はゆっくりしていけと、ミシシッピー川の源流まで私を連れて行ってくれた。「ここが源流だ」と指さされた時、にわかには信じられなかった。下流では川幅が最大で2キロメートルもある。私が見たのは20センチもないようなものだった。私は何度も川を跨いだ。巨人になった気分だった。

 以下の写真はレタッチのソフトで油絵のようにしたのではなく、小石川後楽園の池と鯉がそのように描いてくれたのである。このような写真は太陽が容赦なく照りつける8月にしか撮れない。


EOS5DにEF17-40mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/20秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


EOS5DにEF17-40mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/15秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


EOS5DにEF17-40mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/15秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


EOS5DにEF17-40mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/20秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


EOS5DにEF17-40mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/20秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


EOS5DにEF17-40mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/15秒、 露出補正:-1、 WB:オート。

折々の写真&雑感 75

2016年08月22日 | エッセイ
 よく行くコンビニエンス・ストアーの店長は非常に人柄がよく、客たちとも仲良くやっている。私も彼女のおおらかな性格が好きである。ある日、近くの公園に写真を撮りに行った帰りに冷たい飲み物を買いに寄った。近くだったので、カメラをむき出しで肩にかけていた。彼女は興味深そうに私のカメラを見ていた。「お見合い写真を撮ってやろうか?」と聞くと、「それより、誰かいい人はいませんか?紹介して下さい」と云われた。「写真は撮ってあげるけど、そこまでは面倒みられない」と云うと、レジにいたアルバイトの女子高校生が下を向いて必死に笑いを堪えていた。私が女子高生の方を見てニヤッと笑うと、彼女は我慢しきれずに笑いだしてしまった。店長は気にする風もなかった。彼女はかなり大柄で、よほど背の高い相手でなければ釣り合わないだろう。決して美人ではないが、十人並みと云うには惜しいほどである。スタイルだって悪くない。足りないのは色気だけだと常々思っている。20代後半で、30歳にはなっていないだろう。結婚に焦りを感じ始める年ごろなのかもしれない。人が良さそうなだけに、悪い男に騙されなければいいと願っている。

 私が店に行くと、よくそばに寄ってくる。「いい人」の情報でも持ってきてくれたのかとの期待だろうと考えていたのだが、そうではなかった。単に私の買い物の面倒を見てくれているだけのようだ。「いい人探し」は諦めたのだろうか。それとも、もう見つけたのか?彼女はいつも明るい。この世の中に悪いことなど何一つ存在しないような明るさである。コンビニエンス・ストアーの店長にはピッタリである。長男の嫁に欲しいぐらいだ。残念だが、彼には既に大きな子供がいる。

 話は変るが、明日は写真仲間と奥多摩に「レンゲショウマ」を撮りに行くことになっている。暑いから8月は写真撮影は止そうと決めていたが、8月の初めにもサギソウを撮りに昭和記念公園に行った。写真好きの集まりなので、そんな話になると直ぐに仲間が集まる。奥多摩まで行くため、明日は朝早く起きなければならない。而し、写真を撮りに行くとなれば苦にならない。「レンゲショウマ」は初めて撮る花なので、どんなレンズを使い、どのように撮ればいいか、それを考えるだけでも楽しい。
 二、三日前の天気予報によると「雨のち曇り」になっている。写真撮影は原則として「雨天決行」である。誰が決めたか知らぬが、慣習としてそうなっている。「雨の日にしか撮れない写真がある」と云われていることからきているのかもしれない。だが、我々のグループは、そのようなことに拘らず、雨の程度に依っては中止したり他の日に変更したりしている。

 以下は江戸川競艇場で撮った写真である。写真を撮るのは禁止ではないが、申告して許可を貰わなければいけない。現在、東京近辺で自由に写真の撮れるのはこの江戸川競艇場だけである。炎天下の中で撮影していると、冷房の効いている場所にすぐ行きたくなる。それでは意味がない。初めてこの競艇場に来たときは、許可を取ってからでなければ写真を撮れないことを知らなかった。お客さんに教えて頂いた。非常に友好的な人が多くいる。ご婦人が一人で写真を撮りに来ても、安心して撮れる場所である。


EOS7DにEF100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/500秒、 WB:色温度K4,400。


EOS7DにEF100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/400秒、 WB:色温度K4,400。


EOS7DにEF100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/400秒、 WB:色温度K4,400。


EOS7DにEF100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/400秒、 WB:色温度K4,400。


EOS7DにEF100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/400秒、 WB:色温度K4,400。


EOS7DにEF100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/500秒、 WB:色温度K4,400。



折々の写真&雑感 74

2016年08月15日 | エッセイ
 今日が終戦記念日であることを忘れていました。いや、意識の外にあったと思われます。新聞の一面に「71年」と大きく出ていました。皆様お一人お一人に夫々の想い出をお持ちでしょう。

 アメリカの空軍に勤めていたころ、私はNCOクラブか将校クラブで昼食をとっていた。軍人は、将校であれば将校クラブに、そうでなければNCOクラブにしか入れなかった。私は軍人ではなかったので、好きな方に入れた。NCOとは Non Commissioned Officer のことであり、直訳すれば「任命されていない将校」、即ち下士官のことである。下士官とはご存知のように軍曹を云う。下士官以下の兵士のクラブはないので、新兵も下士官クラブに入ることを許されていた。軍曹にもかなりの階級があり、一番上が特務曹長である。この特務曹長になると、年齢もかなり上だが、豊富な軍隊経験を積んでおり、尉官クラスの将校では歯が立たないこともある。特務曹長の上は少尉の下に位置する准尉であり、所謂将校である。だが、特務曹長の多くは准尉である将校になりたがらない。特務曹長の給料は非常に高い。階級による給与体系と入隊してからの年月も加味された給料は相当なものである。勿論将校の基本給は下士官より高いが、年月の浅い尉官クラスなどではとても敵わない。それに、将校になると軍服、軍帽、軍靴等々身につけるものは全て自腹で購入しなければならない。下士官以下は下着を含めて全て軍から支給される。「GI」(ジーアイ)と呼ばれるのはこのことからきている。即ち、Government IssueのGIで、直訳すれば官給品野郎である。その上、軍事基地内に住んでいる限り、住居も只である。特務曹長は准尉になるとこの特権が全て失われ、実質賃金が下がることになる。

 当時は少尉や中尉と友達づきあいをしており、時には仕事の上での口論もしていた。並みの軍曹は適当にあしらえたが、特務曹長は苦手であった。話していて、つい「サー」をつけてしまうこともあった。軍隊では将校以外には「サー」をつける必要はなかったが、特務曹長の貫禄は佐官級の将校にも匹敵した。この特務曹長にも二つの階級がある。通常は「マスター・サージャント」であるが、「チーフ・マスター・サージャント」(「サージャント」と書いているが、通常は「サージャン」と発音し、「ト」は発音しない)となると大佐ほどの貫禄がある。基地の司令官がチーフ・マスター・サージャントを頼りにしているのはごく普通のことである。

 ある時、日本人の同僚から「俺たちの処に新しい准尉が来るぞ」と云われた。私は食料品をはじめとした軍人軍属及び病院や各部隊の生活必需品の手配の責任者をしていた。アメリカの軍隊では食料品の検査は獣医が担当することになっている。私は准尉と獣医を聞き間違えていた。新任の獣医が私の処に挨拶に来るのだと勘違いしていた。それがチーフ・マスター・サージャントから准尉になった数少ない将校だったのである。それも私の仕事を全面的に考査しに来たのである。軍隊では「インスペクション」(検査、特に会計検査を指す場合が多い、inspection)は非常に恐れられている。私の仕事に非はなかったが、検査官はそれを最初から「非」はあるものだと決めつけて検査、考査を始める。好意的なものではなく、悪意に満ちた仕事だとしか理解出来ない。何も落ち度がなかったので、彼は悔しい顔をして帰って行った。インスペクションの期間中、彼は一度も笑顔を見せず、コーヒーさえ一緒に飲もうとしなかった。私の直接の上司は少佐だったが、彼は気の毒そうに私を見るだけで、その准尉に圧力をかけてくれなかった。だが、無事に検査が終わった後で、私と私のスタッフ全員にステーキディナーをご馳走してくれた。チーフ・マスター・サージャント上りの准尉にどれほどの力があるかを実証してくれたようなものだった。階級が上でも遠慮しなければならない相手がいるとは、自由である筈のアメリカ空軍も住み辛いとつくづく思った。

 先週に写真仲間と昭和記念公園にサギソウを撮りに行った。今回掲載する写真は全てその時に撮ったものを考えていたが、生憎と、全てを満たすほどのいい写真が撮れなかった。花の写真が苦手な上に、私にとってサギソウは花の中でも非常に撮りにくい花である。昨年と一昨年に撮ったものも含めて掲載した。


EOS7DにEF24-105mm、4Lを装着。 エクステンションチューブEF12II使用。 ISO:200、 f11、 1/125秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


EOS7DにEF24-105mm、4Lを装着。 エクステンションチューブEF12II使用。 ISO:200、 f11、 1/125秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


EOS7DにEF24-105mm、4Lを装着。 エクステンションチューブEF12II使用。 ISO:200、 f11、 1/25秒、 露出補正:+1、 WB:オート。


EOS7DにEF24-105mm、4Lを装着。 エクステンションチューブEF12II使用。 ISO:400、 f11、 1/50秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


EOS7DにEF24-105mm、4Lを装着。 エクステンションチューブEF12II使用。 ISO:400、 f11、 1/200秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


EOS5DにEF100mmマクロ、2.8Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/250秒、 露出補正:-1、 WB:オート。 焦点はマニュアルフォーカス。


EOS7DにEF100mmマクロ、2.8Lを装着。 ISO:800、 f5.6、 1/400秒、 露出補正:±0、 WB:オート。 焦点はマニュアルフォーカス。


EOS5DにEF100mmマクロ、2.8Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/100秒、 露出補正:-1、 WB:オート。

 撮影データをご覧頂ければお分かりのように、サギソウを撮るのに毎年苦労している。何年か前には70-200mmの望遠レンズを使用したこともあった。サギソウをどのように撮ればいいかでレンズは決まるが、私の場合、どのように撮ればいいか全く自信がない。色々と反省してみて、サギソウを撮るのにマクロレンズは向いていないのではないかと感じる。だが、周囲を見廻すと殆どの方々がマクロレンズを使っていらっしゃる。



折々の写真&雑感 73

2016年08月08日 | エッセイ
 中学の頃は教室と廊下の掃除が我々生徒に課せられていた。実に嫌だった。その中学には高校、大学と自動的に上に行かれたが、私は学校の雰囲気が嫌だった。それで「折々の写真&雑感68」に記したような学校に移った。入試には苦労したが、なんとか高等部に合格した。この学校は渋谷にあり、初等部、中等部、高等部、大学、それに女子の短大と備わっており、当時から合格するには成績が余程よくなければ無理であった。私が合格出来たのはマグレなのか学校側の採点ミスに違いない。入学して一番良かったことは中学時代に強制的にやらされていた掃除から解放されたことだった。後で聞いた話だが、最初は生徒が掃除をしていた。だが、我々の先輩が「掃除など時間の無駄である」と生徒会で決め、掃除のオジさんを雇った。その費用は我々生徒が平等に払った。即ち月謝に100円を上乗せしたのである。制服の件は我々が卒業すると学校側に押し切られて制服が復活したが、この掃除の件は今でも続いている。

 我が家の一軒置いた隣に私より一つ下の女の子がいた。所謂幼馴染だ。制服を着ている他の学校の生徒は新鮮に見えていたのだが、その幼馴染は実にやぼったく見えた。その娘が短大を卒業し、東急不動産に入社し、その年の、全東急グループで行われる「ミス東急」に選ばれた。美人だったのである。その上スタイルもよかったのである。あまり近くにいたせいか、全くそれに気づかなかったらしい。我々二人は物心がつくころから兄妹のような存在であった。私はその娘の母親に可愛がられ、その娘は私の母親と仲が良かった。だが、我々の母親同士の仲は最悪であった。よく喧嘩の種が尽きないものだと呆れかえるほどであった。二人の祖先は敵同士であったに違いない。我々子供同士は今回の喧嘩の原因はこれこれだと話し合い、笑いが絶えなかった。

 その娘の結婚が決まると、非常に寂しさを感じた。妹を嫁にやるとなると、このような気持ちになるのかと感じた。その後私が結婚し、だんだんと疎遠になった。だが、今でも妹が別の場所に住んでいるような気がしてならない。

 時節がら、以前に荒川の土手で撮った花火を掲載したい。ご存知のように、花火はオートフォーカスでは撮れない。花火の始まる前の夕暮れに、打ち上げ場所にピントを合わせておき、全ての写真を「置きピン」で撮った。また、シャッターはバルブを選んだ。


EOS5DにEF24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 6秒、 シャッターをバルブにしたため露出補正は無し、 焦点はマニュアルフォーカス、 三脚使用。


EOS5DにEF24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 4秒、 シャッターをバルブにしたため露出補正は無し、 焦点はマニュアルフォーカス、 三脚使用。


EOS5DにEF24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 2秒、 シャッターをバルブにしたため露出補正は無し、 焦点はマニュアルフォーカス、 三脚使用。


EOS5DにEF24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 3秒、 シャッターをバルブにしたため露出補正は無し、 焦点はマニュアルフォーカス、 三脚使用。


EOS5DにEF24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 4秒、 シャッターをバルブにしたため露出補正は無し、 焦点はマニュアルフォーカス、 三脚使用。


EOS5DにEF24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 3秒、 シャッターをバルブにしたため露出補正は無し、 焦点はマニュアルフォーカス、 三脚使用。


EOS5DにEF24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 2秒、 シャッターをバルブにしたため露出補正は無し、 焦点はマニュアルフォーカス、 三脚使用。


EOS5DにEF24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1秒、 シャッターをバルブにしたため露出補正は無し、 焦点はマニュアルフォーカス、 三脚使用。





折々の写真&雑感 72

2016年08月01日 | エッセイ
 選挙があるたびに思い出すことがある。私の双子の娘たちは小学校の低学年の時から選挙オタクだった。我が家の前の道路は多少下り坂になっている。その坂を降り切ったあたりが四つ角である。選挙運動が始まると、決まって候補者がその四つ角に立って選挙演説を始める。始まると娘たちは何を置いても駆け出していく。ある土曜日に、娘たちが何に興味を持っているのかと思い、そっと跡をつけてみた。物陰から娘たちの様子を見ていると、四つ角での候補者の演説を熱心に聞いていた。聴衆は二人の娘だけだった。黙って聞いていればいいものを、娘たちは「ふーん、それからどうするの?」とか「ほんとなの?」と候補者に聞く。そのうちに候補者はたまらず、「ご清聴ありがとうございました」と云って店じまいしてしまった。次の安全な場所を探しての移動だ。娘たちは満足そうな顔で引き揚げてきた。私も急いで家の中に入った。この娘たちの行為は選挙違反だったのであろうか。確実に演説の邪魔をしていた。だが、娘たちにとってはこの上なく楽しいことのようだった。お祭りに浮かれているようなものであろう。

 当時は今のように選挙カーなどはよほどの大物候補しか使っていなかった。持ち運べる演台とハンドマイクを自転車の荷台に乗せて住宅地の辻々を廻っていた。私の中学の同級生だった元衆議院議員も、最初のうちの選挙運動はこのような形だった。暑い時期は必ず我が家に寄り、「少し涼ませろ」と云ってはウインド型のクーラー(当時はエア・コンなどなく、全てがクーラーだった)の前から離れず、家内の差し出す冷たい飲み物で冷を取っていた。運動員はおそらく地域の有力者宅を廻っているのだろう。当時はこのような行為が日常的に行われていた。

 現在の選挙運動は例外なく人の集まる繁華街や駅の前で、大音量での演説だ。聞いていると、当選してからの政策などは非常に少なく、他候補を誹謗したり、「〇〇をよろしく!」とか「〇〇最後のお願いです」と云っているのだけが印象に残る。
 いくら選挙オタクの娘たちであっても、こんな状態では駆け出して行って熱心に演説を聞きはしないだろう。あの頃の選挙運動が懐かしい。

 今回の都知事選の泡沫候補と云われる人たちの中で、昔ながらの手作りの選挙運動をやっている人たちを何人もみかけた。訴えている内容も、上位三人よりしっかりしていた。第一、「〇〇をよろしく!」とか「〇〇最後のお願いです」などとは云わなかった。

 以下は懲りずに日本民家園の写真である。何度も云うようだが、古民家を撮っていると心が穏やかになる。この民家園には何十回と通っているが、その度に新しい発見がある。同じ被写体を角度を変え、時間を変え、季節を変えて撮ることで全く別の写真が出来上がる。それが楽しい。


EOS5DにEF24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/100秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


EOS5DにEF24-105mm、4Lを装着。 ISO:800、 f8、 1/30秒、 露出補正:-2、 WB:オート。


EOS5DにEF24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/80秒、 露出補正:-2、 WB:オート。


EOS5DにEF24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/30秒、 露出補正:-2、 WB:オート。


EOS5DにEF24-105mm、4Lを装着。 ISO:200、 f11、 1/30秒、 露出補正:-2、 WB:オート。


EOS5DにEF24-105mm、4Lを装着。 ISO:800、 f8、 1/15秒、 露出補正:-2、 WB:オート。
 
 私はレタッチソフトでモノクロにするのではなく、最初からモノクロで撮る。大部分のプロの写真家は、カラーで撮ってレタッチソフトでモノクロにした方がいいと云っている。多くの色が、その色の特色に依って白黒の微妙な階層を表現出来るからと云うのがその理由である。だが、私は最初からモノクロで撮る事に拘る。同じ画面をカラーで撮り、それをレタッチソフトでモノクロにしたものと、最初からモノクロで撮ったものと比べてみて、最初からモノクロで撮った方が、モノクロの写真に深みが出ると感じたからである。カメラの撮像素子の性質や能力に差はあるであろうが、私はそのように感じている。また、モノクロのフィルム時代に長く馴染んでいたせいでもあろうか。