マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

メタボ診断と国債債務の関係

2011年09月19日 09時46分19秒 | ひとりごと
今日は祝日であります。つまり時間がたっぷりある。そこで、日頃から書きたくても書けなかったことを書きましょう。
それは韓流大河ドラマについてです。現在DVDで見ているのは「王と妃」、全186話というとんでもなく長い話だ。この歴史ドラマを見たかったのは今まで李王朝についての知識がまったくなかったためで、相当長い期間の歴史を書物で勉強する時間が私にはなく、とりあえず概略でいいから知ろうとすると、ドラマ形式の方がわかりやすい。ってことで、一番最初に見たのが「龍の涙」で、これは初代李王朝の誕生から、いわゆる聖君と言われる太宗(3代)までを描いたもので、少しかぶるけど、その次に見たのが「大王世宗」である。世宗はハングル文字を開発したり、今問題のウルルン島の測量をしたり、さらに長子相続の原則を決めた人でもある。もっとも、本人は長男ではなかったのだが・・・。
面白いのはその二つのドラマで重複する部分の解釈が結構違うところだ。ほとんど同じ時代を描いた歴史ドラマはNHKの大河ドラマでもよくあることで、信長、秀吉、家康などはすでに飽き飽きするほど描かれている。しかし、NHKの政策方針かどうかはわからないが、各武将の性格なり位置づけはほとんど同一で、単に切り口を変えているにすぎない。つまり、現在やっている「お江」でも変わり映えはせず、退屈この上ない。ところが、韓流は違うのだ。、「龍の涙」ではとても残酷で無実の身内をじゃんじゃん殺して行った太宗なのだがでは、「大王世宗」では殺される人たちにもそれなりに殺される理由があり、それなりに大義名分はある。もちろん真実はわからない、が事実関係は曲げることはできない。
でもである、歴史の描き方として、違った解釈でドラマをかくというのは実に健康的ではないか。例えば、坂本竜馬が最悪の武器商人で日本を外国に売り渡した人間だという描き方のドラマがあってもいいじゃないか。どうして秀吉がどん百姓の息子なのに文字が読め、軍略に優れていたのか?なぜ朝鮮征伐のころはもはや正常な判断が出来ないと決めつけるのだ?利休がサンカの親分で、秀吉に反逆しようとして殺されたと考えてもいいじゃないか。
義経がジンギスカンでモンゴルを統一したというドラマがどうしてつくれないのだ?
あー、私の企画を採用してくれないかな…。

一番はっきりしているのは、日本の場合、徳川時代から現代にいたるまで支配者の構造はほとんど変わっておらないが、韓国の場合、支配者である李家が歴史上消えているため、韓国のテレビ局もそのあたりまったく遠慮なくフリーハンドでドラマが作れるのだろう。うらやましいと言っていいのかは判断できないが…。
日本の歴史ドラマがいわゆる支配者の作った歴史書の範囲から逸脱できない原因は、まさに日本の支配構造が太古からほとんど変わっていないってことを証明していることをよくよく認識してほしい。

さて、李王朝のドラマで非常に興味深いのは、すべてが王権と朝庭との権力争いとして描かれていることで、日本で言えば、藤原家らの公家対皇室の権力闘争みたいなものである。しかし、日本の場合、朝廷自体が平安時代以降その姿をかくし、歴史のほとんどが武家同士の争いとなっている。しかし、現実はどうだったのだろう。私は思うのである。つまり、日本の朝廷も天皇制の裏側に頑として存在し、今でも十分に機能していると。
現在、政府はたくさんの税収を得ながら「財源がない」として国民からさらなる税金を搾取しようとしているが、その根本には既得権としての各種補助金があまりにも重いと考えられる。つまり、税金は予算を決める前に既にほとんど決まっていて、誰もその領域に踏み込めないということである。
言うまでもないことだが、補助金を食べている人とは、朝廷貴族であり、ほかには明治維新の廃藩置県で領地を失った大名たちであり、さらには皇室の人たちである。公共事業に群がる人たちはおそらくアリバイ工作みたいなもので、見えないところに仕組みがあるのだ。
昨年は事業仕訳という目新しいパーフォマンスで国民を欺いたわけだが、結局税金の使い道のなかのほんの1%ぐらいを論議したにすぎない。つまり、肝心な国民の税金で食べている人たちの存在にはまったく言及できていないのだ。当たり前だ、財務省主導だったのだから。

テレビタックルやたかじんなどの番組で活躍する三宅なんたらという老人が河村たかしと論議し、「名古屋は一兆何千億の借金があるのに、どうやって減税するんだ?」みたいなことを言っている。まったく、彼は子供でも分かることを理解できないのか?
例題を出しましょう。「借金1000万円の八百屋と、借金のない八百屋とどちらが健全でしょう」。さて、一見すると借金のないほうが健全のようだ。しかし、一般的に企業で働く人はそんな判断はしない。例えば、借金のある八百屋は積極的に投資しており、借金に見合う資産と販売力があり、片方の無借金の八百屋は売り上げも伸びず、もはや廃業寸前かもしれないではないか。つまり、八百屋を評価するにしてもその資産内容、売り上げ、利益、すなわち、企業で言うなら貸借対照表と損益計算書を見なければ何も判断できないのである。ましてや借金の額だけで判断できるものではあるまいに。
三宅なんたらはそんなこともわからないのかな。はっきり言って老人性痴呆だろう。
日本経済新聞という財界の社内新聞みたいな新聞でも、「日本の借金は1000兆で、もはや破たん寸前である」と書いている。子供新聞じゃあるまいし、日本国家の貸借対照表を見たことはあるのか?国民に国家の貸借対照表を公表し、いかに日本の状況が厳しいのかを説明してみろ。日本は世界一の債権国であり、外貨準備も万全である。国債残高のGDP比だけで論議するのはメタボ診断で、ウェスト88以上はすべて病人であると決めつけるようなものである。当然、体重や身長も考慮すべきだろ?ばっかじゃないの?
おやおや、話がそれてしまった。何が言いたいかと言えば、韓流の歴史ドラマは日本では絶対にお目にかかれない陰謀だらけの権力闘争なのだが、日本でも実は日常茶飯事に起きている現実ではないかと感じるのだ。特に愛子さんの女帝問題などは国民の気づかないところで相当の駆け引きがなされたのではないかと思う。見えないからと言って存在しないわけではなく、見えている問題は国民に見せてもいいことだけである。
原子力問題に関しても、国民を分割して統治する原則を思い出すべきで、景気回復には公共投資が欠かせないという国家の弱みに付け込み、企業をして罪悪な方向へ誘導してゆく朝廷の汚さ、原子力の平和利用という美名のもとでの核兵器開発・・・、我々は見えていることだけで問題を考えてはいけない。見えない意図を見抜いてから自分の立場を明らかにすべきであろう。

結局なにが言いたいのかわからなくなってしまった。もう韓流ドラマを見る時間である。ごめん。