私感・雑感

平和、平穏。

安全、安心。

でもそれらを脅かすものは許さない。

……閑話休題……たまには、ね。

2009年05月22日 | 日記

えっと……この間ずっと、感覚のことについて書いていたんだけどさ、考えれば後の残ってるんは……味覚と触覚か。

色々と下書きはしてはいるんだけどね、なかなか上手にまとめられていないんだよな。
ん??いつもまとまってへん、ってか??うん、せやな、いっつも長いな、俺の書く文章。

ちょっと……今後少しの間バタバタしそう、っていうか、力を集中したい課題があって、感覚シリーズは少しお休みします。

そりゃそうと、こっちはインフルで月曜から学校園閉鎖だけど、子どもたちが……なんだか、ストレスたまりまくりちゃうかなぁ……。

最初の頃だけやろな、休みでラッキーなんて思ってたん。
だんだん限界に近づいてるんちゃうかな。
さっきも近所から家の中でドタンバタンと暴れる音聞こえてきたで。そらエネルギーも発散したなるわな。

週明けの授業とか成立するんかいな、ホンマに。平穏無事とは……いかんのやろなぁ、きっと。
大人も大人で結構ストレスたまってるで。
慣れんマスクせんならんしなぁ……。だいいち顔に何か触れるんが嫌や。
おまけに暑いし眼鏡くもるしいやや~思ってたら、さっきコンビニ行くときうっかり忘れてしもたわ……。

あらら~!!でも、明日から気をつけます*(チョキ)*

ほな、また♪


見るということ……

2009年05月15日 | 日記

私の好きなものは……微妙にキラキラしたもの。子ども向けおもちゃの眼にはめられているようなダイヤのような細工。磨かれた貝細工(象眼細工みたいなもの、あるいはインレイ)。星や月の光。金属光沢。電球色。ブラウン管の画素。印刷物の点(ドット)、艶のあるもの(リンゴの表面に白い粉があるけど、ついつい磨きたくなってしまう)。
。シャボン玉の表面の虹のような色変化。タマムシなどのような、見る角度によって色が変わるもの。万華鏡。磨かれた鏡やガラス……。
初代の眼鏡はガラスレンズだったが、私がいつも拭いていたためか、微細なキズが多々入ってしまい、それがために表面の加工が剥離したかのように見えた。

嫌いなものは……太陽光線の眩しさ、反射光、蛍光灯でも青味のある光、対向車のライト…たとえダウンビームであっても。強烈な閃光。

上に書いた得手不得手に関連があるかどうかは定かではないが、私の色の見え方は他の多くの人とは少し異なる。
小3か小4の頃に初めて知った。

どうやら、他の人よりも若干青系統や緑系統のような、寒色系の色を感じやすいようだ。そのかわり、暖色系つまり赤やピンク、橙……などには少し鈍い様子。

でも信号の色もちゃんと分かるし、日常生活で不便を感じたことは殆どない。

少しだけ感じたことで覚えているのは……社会科の副教材(歴史地図や歴史年表)なんかに、例えばゲルマン民族の大移動時の各国の領土が色分けされているとしようか、その色合いがパステルカラーでしかも微妙な中間色のときに、少し判別にまごついた。
あるいは例えば折れ線グラフが何本もあって、それらが薄い色でしかも中間色を多用していると……見分けがつきにくかったな。

今、新緑の時期が、つまり山々が新しい芽吹きを迎えて色が変わるころが一番好きなのはおそらくそのせいかも知れない。
昔競馬場によく行ったけど、芝の緑の鮮やかさに驚いていたが、おそらく他の多くの人よりも敏感だったんだろう。

10年ほど前かな、たまたま出張先で滞在していた宿の近くに「色覚補正眼鏡」の無料体験コーナーなるものがあり、夕食前にフラッと立寄ってみた。
数十分かけて微妙な調整を行なって、それで実際の、他の多くの人と同じ色合いの世界を……まだ明るい時間帯、日没前、初体験してみた。

「え~??何これ!!」

それまで私が感じていた世界が一瞬にして……そう、赤とかピンクが強くなって……気分が高揚、というか、興奮……いやいや、官能的に感じた。はっきり言って……Hな気分になってしまうんだよな……。
興奮と戸惑いと、そしてまごつきと……それらが混ざり合ったような、不思議な感覚に襲われた。

結局その眼鏡は私に使用されることはなかった。当時かなり高価なものだったというのもあるが、それよりもむしろ、それまで生きてきた色味の世界を捨て去って、超官能的な世界に引っ越すということが、逆の意味での勃起障害を、つまり「常にビンビン」状態を招くことになりはしないかという心配が大きかったためでもある。
それでなくても短気でイラチでせっかちな面もある私が、常に性的昂奮状態に置かれることが心身の健康上良くないと判断して、従来通りの色味の世界で生きていくことを選択した。

最近は色々な印刷物でもあるいはウェブサイトでも、ユニバーサルデザインというか、ユニバーサルカラーということで、私のような見え方でも分かりやすい色のものが増えてきたように思う。喜ばしいことだ。

ここで私は、他の多くの人と色の感じ方が違う、と書いた。しかし、よく考えてみると、本当は人の数だけ色の見え方ってあるようにも思う。ある友だちと話していてそういう流れになったというのもあるけれども、……「同じ見え方」と「違う見え方」の間の境界だってはっきりしないし、スペクトラム(連続体)あるいは程度の問題、PC用語で言えばグラデーションみたいなものなんじゃないか、って思う。他の人に乗り移ることなんてできっこないんで、確めようがないけど。

色の感覚で思い出した。視たものを表現すること。
なんで思い出したかというと、色を見る→色の豊かなものを見る→絵画を見る→絵を描くのが好きだったこと、というリンクで飛んできた次第だ。

色味においては他の多くの人とは違う世界に住んでいるのだが、描写においても若干クセがあって、かなり細部にまでこだわってしまう質だった。

視た感覚と表現は別物かもしれない。
絵画表現において、色合いに対する関心は形の正確さに対する関心より低かったのかもしれない。

子どものとき、小1のときに、アサガオを学校で育てていたんだが、夏休み期間中には各々持ち帰り、その観察絵日記を描く(書く)のが宿題の1つになった。
ツルの巻き方や葉の形、つぼみの巻き方や開花した様子、これらはまあよしとしよう。
さすがに植木鉢内の土の砂や泥、礫(れき)、そういった粒子の一つひとつまでは描くことができなかったが、観察対象であるアサガオのつぼみが何重巻きか、あるいは葉の葉脈の分岐の様子、開花した花の雄しべの花粉が雌しべに乗っかっている様子、花弁の根元、がくの部分から花弁の先端に向けて放射状に伸びる筋(呼び方は分からない)まで描こうとしていた。
しかしその一方で、結構面倒くさがりなのも事実で、翌年はヒマワリだったが、単一の花ではなく、多くの花が集まっていて、一つひとつをリアルに描こうとすると……とてつもない労力を要することに気付いて、やんぴ。この頃には性格の白黒がはっきりしていたんだな、きっと。

細かいところに眼が行くと、えてして大きなところを見落としやすいもので、私の描く絵はいつも不恰好だった。そう、ちょっとアンバランス。全体像になると形が少し崩れてしまうのだ。

よく、「木を見て森を見ず」って言うよね。まさにそれ……って言うか、むしろ「葉っぱを見て森を見ず」みたいな面もあったように思う。自分が木を見て森を見ないものだから、近年は「木も見て森も見て」にしようと心がけてはいるんだけど、なかなかそう簡単なことではないな。

話を戻すと、実物にどこまで近づけることができるか、それが私にとって「絵を描く」ことの目標だったし、鉛筆デッサンでも細部の陰影なんかの質感をかなり近づける技法の初歩に気付いたときには嬉しかった。

全体のバランス、恰好良さまで注意して描くテクニックの初歩は……小学校高学年か中学生の頃にようやくできたような気がする。おそらくその頃、日本の地理や地域の産業を学ぶなかで、白地図に様々な……山地や山脈、平野、河川、あるいは分布(人口や産業、高速道路、鉄道路線など)を自らの手で記入するときに、都道府県の形や位置関係、あるいは大きさや長さ、といった、飽くまでも私にとってだが、どちらかといえば巨視的に視ないといけない箇所が多く出てきて、それで位置関係に少しは気をつけるようになったのかもしれない。
まあ、これは私が方向感覚が薄いのと関係しているな。図形的認識が弱いんだよね。だから今でも大まかな図とか絵、イラスト、略画っていうのは……そんなに得意ではない。サラッと描けと言われたら描けるけど、細密描写の方が得意だし好きだ(文が長いのもそのあたりと関係しているのかもね)。
おそらく当時の社会科のその訓練のためか、南西諸島と伊豆・小笠原諸島を除けば日本列島と47都道府県の形は今でも伊能図と同じくらい……かな、何も見ないでスラスラッと線描できる。でも実はこれ、みんなできると思っていたんだよね、10年位前まで。その頃勤めていた塾でサササっとホワイトボードにそれを書いたらみんなビックリしていたから、「え??なんで??」と思っていた。ちょっとした自慢の1つにしたろ、思ったのはその頃かな。

小さい部分に注意を払いがちだったからか、結構いい加減な姿勢で……寝そべって、本、漫画本、雑誌や新聞を読むことも多かったかな。宿題は机を使っていたけど。
そのせいなのか、視力が良かったのは小2くらいまでで、その後は近視がどんどん進んで行き、高学年時には仮性近視が本当の近視になってしまい、中学校入学と同時に眼鏡をかけ始めた。斜視だから片一方の眼が極端に悪く、もう片一方はさほどでもないんだが、空間認識が少し苦手なのは、あまり両眼視して来なかったせいかもしれない。
その後も近視は一層進行し、高校卒業の頃にはコンタクトレンズの世話になった。
大学卒業時に1度レンズの度を強くし、さらに数年後にももっと強くしたが……近視の度が強すぎて、コンタクトレンズですらモノが小さく見えてしまうようになり……一瞬老眼の始まりかと思ったけど……コンタクトは使われなくなった。電話帳とか郵便番号簿とかを見るのに著しく不便だったから、今では専ら眼鏡をかけ、小さな活字などを読むときには必要に応じて外し、版画家の棟方志功みたいな至近距離で見ている。ちなみにPCで色んなページを見るときの文字の大きさは最大。

しかし初めて眼鏡をかけたときは……レンズの辺縁部では微妙にモノの形が歪むんだよな、それに戸惑っていて、モノの輪郭がシャープに見えるのはいいんだけど、なんかこう……足もとがおぼつかないような……ふわふわしたような感じだった。モノが小さく見えることで距離感を把握するのに若干困っていたのかもしれないけれど。

大学卒業時のコンタクトレンズの調整では……長年放置していたからか、随分と視界がクリアになったのに驚いていた。その直後の桜の季節に、10m以上遠くからでもその花弁の一片ひとひらまでがくっきりと見えて、大変嬉しかった。足もとのふわふわ感はなかった。

眼が良いとは決して言えない、またかつては今で言うところの「花粉症」で眼のことではいつも苦しんでいた私でも、不思議なことに記憶を再生するときは大抵が画面で出てくるように思う。頭の中にパッ!パッ!と、そのシーンが浮かび、後に会話や音、匂いなどが引き出される、という感じのことが多いような気がする。美味しかったり不味かったりして思い出したり、良い香りや芳ばしい香り、あるいは素晴らしいメロディ、不快音や悪臭……よりも、見たシーンがファイル名になっている割合が少し高いのかも知れない。

視力が悪いから夜寝るときには豆球を点けないと落ち着かない。だからグループ旅行や合宿などで相部屋すると、はっきり言って室内を歩くのが恐い。誰かを踏んだり蹴飛ばしたりしそうだから。

小さいものに対する興味は、小学校高学年だったか、顕微鏡を親に買ってもらったことで、ますます高まった。最初に私のプレパラートに乗ったのは……多分何かの植物の花粉だったと思う。いや、ジャガイモのデンプンだったかも知れない。それとも玉葱の薄皮か……これははっきりとは覚えてはいない。それ以外では……身近なもの、例えばティッシュペーパー、チューインガムの包装紙、毛髪、木屑、ホコリ、食塩水の乾いた跡、……。
肉眼でどこまで小さなものが見えるのだろうか、ということに関心を持ち、かなりの至近距離でモノを見つめるクセがついていたのも近眼と無関係ではあるまい。いっとき、学校に拡大鏡を持参して良い期間があったんだけども、その時期以外でも持って行っていた時期があって、色んなものを拡大して見た記憶もある。壁のヒビ、セーターの編目、硯(すずり)の上で摺られた墨液、黒板消しの表面、チョークの粉、栽培している植物(確かジャガイモかサツマイモだったと思うが)の芽、ヒマワリの葉の裏、ブロンズ粘土の磨かれた表面、牛乳パックの端の紙の圧着部、教科書に載っている写真やグラフの色版の重なり具合……。

小さいものへの関心は今でも続いている。昔ほど強くはないように思うが。
大きくものを捉えるのがあまり得意ではないのも今も続いている。

これらの私の特性は、他の色んなところと関連しているのもまた事実だろう。
詳細はまた後日に……。


天晴れな子どもたち……

2009年05月15日 | 日記

知っている人も多いと思いますが、昨夜報ステを視ていて思ったんですけど……
仙台の方で、小5の4人の児童が踏み切り事故を阻止して感謝状ってニュース。

仮に児童A、B、C、Dの4人とします。

ときは先週土曜のこと。
遊ぶ約束をしていた4人が、全員踏み切りを通過した後に、女性が自転車で通過しようとして遮断機が下りてしまい、その女性は転倒して荷物も散乱してしまったそうです。

で、A君は自転車を線路外に引っ張り出し、続いてBさんは女性を救出、Cさんは荷物を片付け、Dさんは踏み切りの非常ボタンを押した、とのことです。

この4人の抜群のチームプレーと判断力、そして俊敏な行動に天晴れですね*(チョキ)*

自分で書いていてこういうのもなんですが……こういうことが明るいニュースになってしまわないように、つまり、こういうことが当たり前であるような、そんな社会であるようにと願わざるを得ませんね。
古舘さんも、そのような感想を述べておられましたが、まことにその通りです。



……音……

2009年05月10日 | 日記

先に嗅覚のことについて書いたけど、聴覚はどうなんだろう。

突然の物音にビックリすることがしばしばある。
あるいは、突然の振動、何らかの軽い衝撃でもそうだ。
また、ときどき、他の人には聞こえない音や声が自分には聞こえたりして不思議に思うことが何度かあった。振動も音も仲間だからきっとそうなんだろうな。

えっと……昔は、トラックやダンプが近くを通ったりしても、なんとも思わなかった。うるさいなあ、ってくらいで。
だけれども、ここ最近はどうも……低い音のうなりに過敏に反応するようになったような気がする。

人はどうやら年齢とともに、高音部が聞こえにくくなっていき、つまり可聴音域が狭まっていくようだ。一般に、ヒトの可聴域は約20Hzから2万Hzと言われるが、年齢や置かれた音環境などによって若干差があり、より高音部が聞こえる人もいれば、より低音部が聞こえる人もいる。
試しに自分の可聴域がどのくらいか、無料ソフトがあるんでDLしてテストしてみた。

どうやら約60Hzからおよそ14,000Hzくらいのようだ。

本当はもう少し私の可聴音域は広いものと思っていたけれども……実際やってみないと分からないもんだな。
若者がたむろして困っている店用に、若い世代にしか聞こえない高い音を出して追い払うモスキートなんてスピーカーがあるけど……俺にはどうやら平気のようだな。

低音域が嫌いになったのは……阪神淡路大震災以来だ。トラウマといえばトラウマかもしれない。
その約1ヶ月くらい前、たしか年末に、小さな地震が相次いでいた(猪名川群発地震)。ゴ~っていう、地面の底から小さな振動とともに聞こえてくる音。何か大きな地震が来るんじゃないか、と予感させるものだった。
しかし何度も小さな揺れがあっても、本当の大きな揺れは来なかったんで、とりあえずは……少し、ホッとしていた。

久し振りにその、良く似た地のうなるような音を聞いたと思えば、またその類か、と思っていたら……冗談じゃない、その数秒後には……

ババババーン、ドガドガドカーン……

文に表せないような、激しい音と振動に襲われた。
当時住んでいた公団の建物は築40年だったが結構堅牢な造りで、建っていた場所は洪積層に近い沖積層だったが倒壊はしなかった。だがしかし恐らく建物壁面内部に小さな見えないクラックが多数発生しただろうことは推測に難くない。外から見ても分かるヒビもあったからね……。

その後すぐ隣の社宅の建て替え工事のため、ダンプやトラック、工事用車両が頻繁に行き来したが、その度に建物が共振するような気がしたのは、強いトラウマかそれとも本当にかすかに揺れていたのかは今となっては定かではないが……。
だがしかし震災前に比べて大型車の走行音や振動が気になるようになったのは確かだ。でかいバイクもそうだ。

ブルンブルンブルン……

っていうやつ。
14年経っているからか、大分軽減しているが、若干のトラウマとして残っているといえば残っているんだろうな、きっと。

震災後に今の所に引っ越して来た。数年後にテレビがおかしくなって、画面が真っ白け、その次に今度は中央部に白線が横に走る映り方になり、あっという間に音声しか聞こえないという状態になった(メーカーさんに来てもらって直ったので今は健在だけどね)。その初期段階、真っ白けのとき、

キ~ン、キルキルキル~……

っていう、異様に高い変な音が聞こえてきた覚えがある。おそらく私の可聴域ギリギリの、推測14,000Hz以上の音だったろう、でも家族の誰もその音は聴こえないと言ってた。
もし今テレビが同じ状態になっても、その音は私に聞こえるかどうかは疑問だ。

駅に着いて電車に乗るときに、以前は上り下りが聞き分けられなかったが、最近は電車の走る音で方向がかなり分かるようになった。なぜかは分からないけど。

晩秋から春先の間だけなんだけど、季節風の向きとかにも依るのかも知れないが、グワ~ン、というか、ブオ~ンというか、どう形容しようか……金属製のパイプの中を風が抜けるような、不思議な共鳴音、とでも言おうか、が聴こえるときがあって、電線のうなる音という説もあるけど、正直、その正体はわからない。その音、あまり好きじゃないんだよな。

誰だってそうかも知れないが、大きな音はどんなのでも苦手。
学生時代には空前のバブル経済のときだったんで、いわゆるディスコなんかにも行ってみたりしたけど、あの大音量ははっきり言ってストレス以外の何ものでもない。1度しかよう行かんかったわ。因みに祇園マハラジャ。
工場のラインのバイトに行ったときは、常に一定のリズムで鳴り響く金属音の大きさに耐えられなかった。

音全般が嫌いなわけじゃない。好きなジャンルだってちゃんとある。
けれども、どうも好き嫌いが激しいのかな、音を聴きながら、っていうか音楽を聴きながら本を読むとか勉強するってのは苦手だったな。日本語の歌なんか、聞き入ってしまったりするもんな。
小中学生の頃、ヤンタンとかヤンリクとかFMとかを聞きながら勉強するのが流行った時期があったけど、そんな器用な真似はできんかった。ラジオに集中すると勉強がお留守になるし、勉強に集中しようとするとラジオは邪魔。
なんでみんなあんな器用なことが出来るんだろう、って不思議で仕方なかった。
「ながら勉強」「ながら読書」って、上手く時間を活用していることになるのかな。私にとってはそうはならないな。
あ、でも歌詞が入っていない音楽なら大丈夫だろうと思う。ジャズやイージー・リスニングなどをそれも軽めの曲を音量下げて聞きながらならはかどるかもね。
クラシックでもいいんだけど、古典派以降やロマン派以降よりバロックの方が好み。

最近はカセットテープとかはあんまり聴くことがないけど、学生時代はレコードやCDをテープにダビングしてよく聴いていた。上から被せて録音すると、ときどきかすかに元の音が残っていたり、あるいはモノによってはテープの音がテープに移ったり(接している面で磁気情報が少し移ってしまうんだろう)したのが気になるときもあった。

どんな音が好きなんだろう。というか、どんな音に神経質で、どんな音にアバウトなんだろう。

重低音が苦手だから敏感なのは前述の通り。
高音域で、苦手なものってあったかな。

黒板を爪で引っ掻く、ってよく言うよね、あれ、俺も駄目だ。思い出しただけでウギャーっとなる。
蜂の羽音、蚊の羽音も駄目だな。ゴキブリらしきカサコソ音も駄目。
虫の音全般が駄目なわけじゃない。好きな虫の音も沢山ある。

初夏の頃になると、丁度今頃かな、ジージー虫っていうのかな、その声が聞こえると、妹の誕生を思い出す。と同時に、これから暑くなるぞ、ってサインにも聞こえる。
夏の終わりに、ツクツクホーシやカナカナが鳴くのを聞くと、秋が待ち遠しくなる。
秋の虫の大合唱より少し前に、カネタタキの声を聞くとなぜか気分がホッとする。
ミンミンゼミの声を聞くと、田舎に来たなぁ、と実感する(注;都会にミンミンゼミがいないのは近畿以西の現象らしい。以前ニュースを視ていて、東京では六本木ヒルズでもミンミンゼミが鳴いていてビックリした)。
スズムシとかもいいよね。

最近は季節がずれてしまっているんで、少し感覚が狂うときもあるけどね。

ハトとかカラスはそれ自体が嫌いだからその声も少し嫌だ。
でもウグイスの鳴く声、スズメの鳴く声、トンビの鳴く声も好き。

小川のせせらぎ、滝の水音、寄せてはかえす波の音、これらは好きだ。
なんだろう、水の音が全般的に好きなのかな、かつてよく山歩きしてたけど、沢の音や渓流の音、滝の音を聞くとホッとしたものだ。

カミナリの音は駄目。屋外にいて、2km以上離れていても3kmより近いと逃げ出したくなる。元々苦手だったけど、数十mのところで落雷をまともに見ていて、それ以降一層苦手になったようだから、これもそのトラウマかもしれない。

カミナリ音って、真空を空気が押しつぶすようなもんだから、そりゃあ大きいよね、まぢかで聞くと。
で、そんなときは振動も凄い。

振動で思い出した。中学時代の修学旅行で信州に行ったときのこと。
富士山麓にオウムなく……じゃないや、富士山麓の確か三島って駅から、遠鉄バスで河口湖、蓼科、野辺山高原、浅間山、志賀高原……確か長野駅まで、ずっと4日間ほどバスで移動した。長野からは夜行列車で車中泊。途中、塩尻でスイッチバック(列車の前後が入れ替わる)したと思う。
当時はもうとっくに乗り物酔いは卒業していたが……帰阪してから数日間は、体が常に揺れているような、なんていうんだろうな、歩いていても、地に足着かない、っていうか……いつでもグラグラしているかのような錯覚に悩まされた。授業中座っていても乗車中のような揺れがあるような気がしてしょうがなかった。

あ、感覚を引きずったといえば他にもある。
大学1回生のとき、私はE・S・S(英語学研究会)に所属していた。春と夏の長期休暇を使って、5泊6日の合宿(サマキャン、ハルキャン、と言ってた)があった。
合宿期間中、最初の昼食開始から最後の昼食開始までは、英語しか話してはいけない、というルールがあった。サークル内ではこれをKeep English Onlyと言ってたな。

で、もしうっかり日本語を喋ったりすれば、なんと罰金。まあ、可愛いもんだけどね。
英語訳1語につき10円。だからもし誰かがうっかり……例えば「お早う!」なんて日本語言おうものなら Good morning! だから、たちまち Wahahaha!!Pay20yen!!(しかもごていねいに指2本立てて……)の合唱。
……私は最初の合宿、確か十津川村(当時)だったと思うけど、そこで280円をサークルにペナルティとして支払った。これはこの合宿での最高額(笑)!ちなみに最少罰金者の支払額は確か同回生の0円だったと思う。まあ、やたらよく喋ろうとしたから……これは言いわけかも……。
そんな私も春キャンでは……雪の琵琶湖畔、近江八幡(当時)で、どうにか100円以下に抑えることができた。みんなは驚いて You improved!!って言ってたけど……ちょっとだけズルをした。喋るのを少し抑えたんだよな……ハハハ。

いかんいかん、感覚の話だよな。

日本人の日本語の、大阪人の大阪弁の会話が英語に聞こえたんだよな~!
そう、夏キャンの後、近鉄で八木から上本町まで帰ってくる途中、関西人の会話……特急に乗ったせいか、乗客はそんなに多くなかったし、従って会話自体もさほど気にならなかったんだけど、そのときから「あれ、何かおかしいぞ??」ってのはあったんだけど……
御堂筋線に乗り換えてからが……ラッシュ時に差し掛かる直前だったこともあって、結構人が多くてさ、で、関西人同士の会話が……こんなことありえへんと分かってはいるんやけど……みんな、ホンマにみ~んな、英語で話しているように聞こえるんだよ~(@@)

たとえ日本人同士の英語とはいえ、ずっと英語漬けの生活してたからだと思ったけど、これにはビックリしたな。まあ、これは数日以内で直ったけどね。
で、春キャンのときは……それはなかった。

他にももっと色々あるのかもしれないが……これもまた延々続けていくとエンドレスになりそうな気がするんで、もう大分長いし、この辺で一旦終るね。
視覚と触覚はまた後日に……。


感謝してます……

2009年05月09日 | 日記


あ・い・し・て・ま・す

あ・り・が・と・う


あなたがなくなっても、あなたは眠ってなんかいません。

なぜなら、あなたの精神は私たちの中で生き続けているからです。

青山でのあなたのショーに訪れた多くのファンのみなさんの熱気が、ここ大阪まで伝わってくるせいか、こんな時間帯になっても涼しくありません。

*(涙)* *(涙)* *(涙)* *(涙)* *(涙)*