山遊塾With You

ハイキングやウォーキングの紀行、感想など。
気の向くままに歩いています。

どこへ行ってもコロナ、コロナで人混みを避けて近所の小さな公園を歩いてみました。

2020年02月26日 | 日記
 高崎線宮原駅の東、鴨川の東岸に聖学院大学がありまして、ここまでは駅から20分ほどで着きました。暖冬のお蔭で早咲きの桜も満開で、桜の向こうのグランドでは若い女性(学生)たちが元気に走り回っていました。


 のんびりと長閑な田舎道を歩いていると、関東の富士見百景なる看板が立っていました。どうやら昔からこの辺りからは富士山が良く見えていたようです。この日は生憎霞がかかっていて富士山を拝観することはできませんでした。


 上尾から川越に向かって延びる秋葉通りを西に向かうと、上尾、さいたま市の市境に戸崎の浅間塚を見つけました。所謂富士山信仰の名残りのミニ富士山で、ここの塚は標高約7mくらい。山頂には立派な社が乗っかっていました。周囲はこんもりとした杉林になっています。現在もなお大事に守られているミニ富士山です。なお秋葉通りとは指扇秋葉神社に通じる昔の参詣道で、火伏、盗難避けを祈って人々が参拝に歩いた道です。


 浅間塚の隣が農林公園の入り口で、道を挟んで花の丘公園があります。この日は冬とは言え風も無く暖かで、近隣の家族連れが散策や、お弁当持参で昼食を楽しんでいました。さらに消防署の地震体験装置を積んだ車も来ていて、結構皆さん親子で楽しんでいました。


 農林公園の中を北口まではほぼ30分ほどで、川に沿った細長い公園です。川にはどこかの跳ね橋を模した橋も架かっています。


 公園を出て左に上尾南高等学校を見て、間もなく以前は日産ディーゼル工場と呼んでいた、UDトラックスの長い塀に沿った道を歩いて、正面門の前に出ました。現在ボルボの資本が入っていて、工場に出入りする外国人を多く見かけるようになりました。


 UDトラックスから西に向かい大きな西上尾第二団地を半周するような形で丸山公園に到着。ここまで宮原駅から約3時間かかりました。梅も見ごろで結構な人出で賑わっていました。


 ここは長い池が名物ですが、今は水を抜いていて池の底が剥き出しになっています。水連やアヤメの咲くころには池も水が入っているでしょう。


 そして最後に秋葉神社に立ち寄って帰宅しました。ここは関東総社秋葉神社となっており、関東秋葉神社の総まとめなので、春と冬の例祭には多くの出店が並び、方々から沢山の参拝客が集まって来ます。

第4回目の鎌倉古道山の道歩きです。

2020年02月10日 | ウォーキング
 先月は名栗車庫から青梅線の軍畑を経由して、吉野梅郷一丁目まで歩きましたので、今回(2月9日)はその一丁目から五日市線武蔵増戸を経てJR高尾駅まで歩いて来ました。スタート駅は青梅線宮ノ平駅です。いつも奥多摩登山で通る青梅街道のすぐ脇にある無人駅ですが、今回の鎌倉古道歩きをやるまで、まったく縁のなかった駅です。その駅を午前8時40分にスタート。一旦青梅街道から多摩川に架かる和田橋まで下り、そこから今度は急な坂道を登り、やっと先月の到達点である梅郷一丁目に戻って、午前9時8分に本当のスタートを切りました。


 吉野街道まちやばし交差点から梅郷入口方面を見た写真です。


 梅郷一丁目から鎌倉古道を少し行くと、大久野青梅線に合流して梅ケ谷峠を越します。ここを越えると日の出町です。


 北大久野川に沿って下る青梅大久野線は、東京にもこんな穏やかな山里があるんだ、と初めて知りました。途中長井の大きな茅葺き屋根の家が立派で印象的でした。


 大久野には卒塔婆を作っている工場があると聞いていましたが、本当に沢山の卒塔婆がありました。写真はほんの一部です。


 この卒塔婆工場の所から古道が右に分れますが、上の写真はその古道の一部です。本当に長閑でこれでも東京なんだと、ちょっと東京の見方が変りました。


 平井川に沿って狩宿まで下り県道185号に入り、五日市線武蔵増戸駅を過ぎて行くのですが、今はすっかり新興住宅地となってしまい、新しい家々が軒を連ねて山田大橋まで続いています。山田大橋からは奥多摩の大岳山が良く見えます。この大橋は駒繫石峠の下を貫通する、網代トンネルのすぐ手前まである大きな橋です。古道はそのトンネルの手前から右に上がっています。


  鎌倉古道は峠に至るまで両側がゴルフ場になっていまして、途中から振り返ると北の方には増戸町が、北西方向には奥多摩の山々が連なっているのが見えます。この辺りが峠と思しき所に、畠山重忠の駒繫石と称される三角形の汚い石が藪の中にありました。昼飯時だったのですが、眺望も利かない薄暗い場所でもあり、腰を下ろして休む気も起らず、丁度送電鉄塔が建っている峠の頂上まで上がって昼飯にしました。周囲を林に囲まれて風も無く、温かい陽が差し込む草っ原になっており、一人だけの静かな時間を満喫できました。


 峠を越えて網代トンネルの出口近くに、上のような駒繫石峠への案内がありました。駒繫石峠へはこちらの八王子側から登る人が多いようです。



 トンネル出口からすぐのところに上川霊園があります。そこには私より年齢の高い人なら誰でも知っている、例のラジオドラマでやっていた「君の名は」の原作者である菊田一夫の墓があるので寄ってみました。墓碑にあの有名な「忘却とは忘れ去ることなり」の文句が刻んでありました。



 秋川街道に出てすぐ今度は戸沢峠を越える道に入ると、小さな観音堂の前に鎌倉古道の石柱が立っていました。
まずここまでは間違えずに古道を辿って来たことになり一安心。
 戸沢峠から美山町を通り圏央道を横切ることになりますが、美山跨道橋への入口が判り難く少々苦労しました。跨道橋のすぐ右手に圏央道八王子西ICが見えます。


 下恩方町で浅川に架かる深沢橋(上の写真)を渡り、古道を歩き右にモダンな造りの本妙寺を見て重忠橋に着いたら
広大な八王子霊園で、道の両側は石屋さんがズラリと並んでいました。


 八王子霊園に続き東京霊園、南多摩霊園と中央高速にぶっかるまで続きます。中央高速のガード手前から右に行けば八王子城址です。但し山城なので登るのが大変です。


 左に多摩陵、右に霞ヶ丘団地の切通しを抜けて今回のゴールである高尾駅に午後4時16分に着きました。せっせと歩いたつもりですが、今の自分にはこれが精いっぱい。次は3月にこの高尾駅からスタートです。

さいたま市と川越市、富士見市の境にある荒川右岸の堰堤上からの眺めは最高です。

2020年02月02日 | ウォーキング
2月1日は山遊荒川倶楽部197回目の定例ウォークで、治水橋と羽根倉橋を結んで、びん沼川から荒川右岸堰堤を歩いてきました。当日は風なし雲なしの最高のウォーキング日和となり、18名の会員とでブラブラと老人歩きを楽しんできました。治水橋を渡るとき正面に純白の富士山を仰ぎながらの30分は実に楽しいもので、左の大山に始まる丹沢の山々から始まり、正面に奥多摩の峰々と大菩薩の連稜が続き、さらに遠く白く輝く雪を載せた雲取山をぼやけた視線の先に捕え、さらに目を右に移していくと奥武蔵の盟主武甲山の三角ピークを確認。白い浅間山も負けずに頭をもたげて自己主張していて、もっと首を右にねじると、榛名山や赤城山まで見えるという、本当に冬の澄んだ空気の有難さを知りました。時間があればもっとゆっくり山座同定といきたいところだったのですが、一人遅れる訳にもいかず、後ろから皆の後を追いかけました。


 荒川の流れは今すごく穏やかで、水面は鏡のように滑らかです。


 治水橋を川越側へ渡ったところに斉藤荒川治水翁の碑が建っています。荒川が大雨の度に氾濫して大きな被害を被ってきた、埼玉県中部から南部の住民の苦労に心を痛め、明治政府に長年県民の窮状を訴え続け、ついに荒川の治水事業を国策として認めさせたのです。この事業は明治後半に始まって、太平洋戦争を挟んで昭和21年までかかって完成したといわれます。大変な難事業だったと思います。お蔭で私達など荒川の傍に住んでいる者にとっても、安心して生活が出来ている訳です。


 萱沼びん沼公園と言って治水橋西詰にある小さな公園です。訪れる人も少なく芝生を敷き詰めた気持ちの良い所です。


 新河岸川放水路とびん沼川の合流点近くから見た富士山ですが、さらに大きくなって見えます。


 船渡橋を過ぎると釣り人が多くなります。びん沼川はヘラブナ釣りの名所になっています。


 ここはびん沼公園です。自然観察のための公園なので遊具などはありません。ただ静かに林間の散策を楽しむ人のための公園です。


 びん沼川が荒川に合流する所です。びん沼川は上流も荒川堤防で断ち切られており水源のない川です。末端も写真の通り荒川堤防のために流れは仕切られています。しかし新河岸川の水を受け入れているため、それを荒川本流に流すために水門が設けられています。


 荒川の右岸堤防に上がって羽根倉橋に向かいます。堤防上に上がるのにちょっとした山登り気分になります。


 堤防上からの眺めは抜群です。ここからの眺めは埼玉県の眺望番付でも上位に入るでしょう。東方にさいたま市の中心街、ソニックビルを筆頭に新都心までのビル群が建ち並びます。振り返ると富士山がクッキリと聳え立ち、丹沢から秩父連峰の山々の連なり。北方を見れば浅間山から日光の山々まで白い峰が続いています。南にはスカイツリーから新宿の高層ビル群まで林立するビルが良く見えます。幅広い堰堤上は立派に舗装されていて、ジョギングや自転車を楽しむ人たちがいます。現在は車が入って来ないため歩きには最高の環境です。



 既に草むらにはイヌフグリやカラシナの花が咲いていました。もうここには春が来ています。