山遊塾With You

ハイキングやウォーキングの紀行、感想など。
気の向くままに歩いています。

旧青梅街道大菩薩峠越えをやっと済ませてきました。

2023年09月19日 | 登山
 一昨年春に新宿御苑前からスタートした旧青梅街道歩きは、秋に小菅まで到達以来ずっと休止状態でした。今年3月以来膝の痛みが酷くなり、小さな山は愚かウォーキングすらままならず、せいぜい朝夕の犬の散歩が精一杯の毎日でした。
 最近いくらか具合も良くなり、中断していた青梅街道歩きを再開せねばと、内心不安を抱えながらこの3連休を利用して16日の午後から家を出て奥多摩駅に向かいました。奥多摩駅に午後5時過ぎに着き、5分ほど歩いた先の民宿和尚にお世話になりました。
 宿は日原川に架かる氷川大橋からも見える奥の白い建物です。


 奥多摩駅を午前7時25分のバスに乗って小菅村役場で下車。ここでバスを降りたのは私一人だけ。駅から乗った人たちはみんな深山橋までで降りてしまいました。役場前に人影はなし。ただ一人役場前のベンチで準備をして午前8時半スタートしました。


 少し行けば右に丹波山村への分岐です。一昨年秋にこの道を歩いて丹波山村まで行き、のめこい湯に入って帰りました。


 もうここは秋の気配。彼岸花が満開です。


 白糸の滝までの道はずっと緩やかな登りが続き、歩き易い道ですが単調で飽きがきます。バイクの若者が数人先へ行きましたが、何をしに行くのだろうと不思議に思いましたが、彼らは途中にあった通行止めの看板が目に入ってなかったようです。案の定引き返して
帰って行きました。白糸の滝駐車場の先で道は塞がれていて車は通れません。


 右の崖が崩落して修復工事が行われていますが、現在大きな石は取り除かれて、崖にはネットが張られています。人の通行には支障ありませんが、実際は人も通行は禁止ということになっています。休日には作業をする人はいませんから、自己責任ということで私は通り抜けました。


 白糸の滝にちょい寄りしました。結構な落差があり垂直に落下する滝はなかなか見事です。


 最近ここを訪れる人が少ないと見えて、小菅川に架かるアーチ橋には落ち葉が乗って滑りやすくなっていました。おまけに熊に注意などと看板もあっては少々ビビッてしまいます。


林道が左にカーブしている所の橋の手前の大菩薩峠入り口に11時少し前に到着。峠への道はこの林道を更に行った先からもありますが、私は手前の白糸の滝登山口から登り始めました。登り出してすぐに下山してくる中年女性二人組と出会いました。今日初めて出会う登山者です。こちらへ降りてくる人で、しかも女性とは珍しいなと思いました。






 登山道とはいえ古くから人馬が登降した峠道なので、今も良く整備されていて緩い登りの歩き易い道です。良く手入れされた杉、ヒノキの森が続き、残暑厳しいこの時期も涼しい木陰を提供してくれています。


 この峠道で唯一楽に水が手に入る、小さな流れに丁度12時に着きました。もうこの先水は手に入らないのでここで補給しておきました。この先1時間ほど登った所で、今回2回目の下山中の登山者に会いました。結構お年を召した方二人で私を見て、峠を越えてから初めて人に会ったと喜んでいました。そして心配そうに崩落個所は通れるのかと聞かれたので、大丈夫ですと答えたらすっかり安心した様子でした。


 道々沢山の栃の実が落ちていました。熊の好物と聞いているので、もしかして近くに熊が潜んでいるのかもと、周囲を気にしながら歩きました。栃の実は山間部の人たちは近年まで食べていたものです。私も若いころ飛騨の山で山小屋暮らしをしていたころ、用足しに麓に降りると栃餅を良く食べました。結構美味かったことを覚えています。


 重荷を背負った牛馬が少しでも楽が出来るよう、平坦な道造りが行われた証拠に今も苔むした石垣が健在です。




 丹波山村からの道が合流する、フルコンバの手前に通行止めの札が下がっています。白糸の滝近くの崩落地が危険だと書いてあります。だけど私は通って来ました。確信犯です。フルコンバは明るい尾根上で、丁度良い所にベンチもあって休憩にはもってこいの場所です。ここからは峠まで緩やかな登りが続きますが、疲れから峠まで嫌に長く感じました。




 午後4時丁度に大菩薩峠に到着。随分長い時間かかりましたが、私自身は良く登って来れたと満足気分でした。峠の小屋に泊まる人たちでしょうか、のんびりと風景を楽しんでいました。小屋で15ケ入ったマスカットを買っているとき、この小屋に泊まる客でしょうか、3人の女性が店先で小屋の主人に、「ここには何でこんなに石がゴロゴロしているの」と聞いているので、思わず笑ってしまいました。そこで主人が一生懸命説明をしておりました。




 峠を越えて甲州側に出ると植生がガラリと変わり、斜面を覆う笹原とダケカンバの明るい山様に気分も明るくなりました。何んといっても大菩薩峠は西側から登るのが普通。道は広く歩き易いし傾斜も緩い。子供でも登れるファミリー向きのコースなんだから。


 懐かしい福ちゃん荘の前を通過。私の子供が小さかったころ、ここまで車で上がって来て峠経由で大菩薩嶺に登りました。現在小屋の周りはキャンプをする人が多く、沢山のテントがありました。


 午後5時10分に今夜の泊りとなる上日川峠のロッヂ長兵衛に着きました。足の不調とトレーニング不足で、やっとやっとの峠越でした。しかし良くここまで登って来れたもんだと、自分自身の頑張りにちょいと感動です。ロッヂは大きな丸太を組み上げた立派なログハウスです。風呂もあって2階の客室内には大きなベッドが二つ。夕食は豪華、松茸まで出ました。トイレが一階の奥にしかなくて、膝痛の足で階段の登降はきついです。やっぱりトイレは2階にも欲しいです。


 18日朝食を終えて午前7時にロッヂを出ました。何んとか塩山駅まで無事に歩けるように、祈る気持ちで登山道に足を踏み入れました。上日川峠から裂石までは立派な自動車道もありますが、私は昔からの登山道を下りました。膝痛には下りが大変なので、なだらかな自動車道を歩くべきなのですが、ここは年は取っても山ヤの意地で山道を選びました。


 昔から大変な数の人や牛馬が往来した道なので、道は完全にV字型の大きな溝になってしまっており、雨でも降ったらとても歩けないだろうと気になりました。右上を見れば峠へ向かう車列が木々の間から見えるのです。ロッヂを出てから1時間と50分かけてやっと千石茶屋の前まで降りてきました。これで今日の最悪部分は終了で、この後は普通の道を塩山まで歩くだけです。


 千石茶屋から10分で丸川峠分岐に着きました。こちらから大菩薩嶺に向かう人も結構いると見えて、車が沢山並んでいます。


 裂石の手前,雲峰寺入り口で持参のスニーカーに履き替えました。底の堅い登山靴で舗装路を長く歩くのは膝に悪いです。履き替えて歩き始めたらなんと、膝への当たりも殆どなく、重い靴を引きずって歩いて来たことが馬鹿みたいに思えました。
 大菩薩峠への石の道しるべの所で、私は411号国道(柳沢峠と塩山を結ぶ現在の青梅街道)へは出ずに、この位置から直接塩山駅に向かう一葉の道(県道201号)と呼ばれている道を選びました。国道は車が多く疲れるから嫌です。


 一葉の道は最初の部分が少し登りになりますが、それを越せば後は塩山市街を目がけてただ一直線に下って行くだけです。道幅も広く車の往来も殆どないという、もったいないと思うほどの道です。ただ標高が下がるにつれて強烈な太陽に照らされるので、その熱気には些か疲れました。




 塩山駅北口に向かうのに、町の中で道を間違えて余計な遠回りをしてしまいました。それでも午後1時35分には無事に着くことが出来て、二年越しの目的を達成できました。青梅街道は塩山が終わりではなく、石和温泉の先,酒折が終点なのであと一回塩山まで来る必要があります。それは今年の内に済ませることが出来るでしょう。











山遊荒川倶楽部久しぶりの軽いウォーキングを楽しみました。

2023年09月04日 | ウォーキング
 本当に暑い夏です。80歳にもなると今年の猛暑は本当にきついです。この3月に一人で小川町駅からバスも使わず、徒歩で笠山に登り、その足で都幾山を経て再び小川町駅に戻るという少し長めの歩きをやって来ました。それが原因なのか、その後左足膝の痛みが強くなり、医者にも通ったり色々と手当てを尽くしましたが、なかなか痛みが取れず今に至っています。幸いこのところ平地歩きであれば1,2時間は歩けるようになったため、思い切って9月2日に倶楽部仲間と飯能の宮沢湖周辺を歩いて来ました。
 猛暑続きで例え3~4時間の歩きではあっても、高齢者ばかりのチームですからやはり心配はありました。この日8名の参加者がありましたが、幸い一人の落後者も無く予定コースを歩くことができました。
 私は自宅から車を使って西武線高麗駅まで行き、そこから集合場所の東飯能駅へ行きました。高麗駅は日和田山の岩場に行くため良く利用した駅です。駅前には二本の大きなトーテンポールが立っています。今から1200年も昔に朝鮮半島から渡って来た、高麗人たちの子孫がここに住み着いたと言われています。


 私たちは午前9時45分に東飯能駅を出ると、強い日差しの下を北に向かって八高通りと呼ばれる道を進み、中山陸橋の下を潜り中居の寳蔵寺前に着きました。とても長い歴史のある立派な寺です。この先が登坂になり森の中に入って行くと、トイレのある分岐点に着きました。


 ここまでは車も入っており、暑い中を歩くのが嫌なら車利用も良いと思います。


 これより山道に変わり、気持ちの良い木陰の中を歩いているうちに、いつの間にか道の両側に高いフェンスが続くようになり、なんだか刑務所の中に放り込まれたような気分になってしまいました。






 森の中の道はいくつかの登りと下りがあって、もし木陰が無かったらこの暑さの中で相当つらい歩きになっていたと思います。もうそろそろ宮沢湖と思っていたころ、急に広い舗装道路に出てそこがメッツア・ムーミンテーマパークの正面入り口でした。私にとっては50年も昔、まだ小さかった息子を連れて来ただけの宮沢湖で、当時はただのため池でしかなかったところが、大きく変わっていることに驚いてしまいました。




 池にはボートで遊ぶ人も、またメッツァビレッジにはレストランや土産物なども売る大きな建物もあって、若いアベックに親子連れが沢山来ていました。ここで暑さで喉が渇いていたため、缶ビールを一本買って、しばらく休ませてもらいました。


宮沢湖堰堤を歩いて対岸に移り今度は高麗峠を目指しました。


 途中写真のようなアーチの下を何度か潜りましたが、これは道の両側にゴルフ場があるために、歩行者の安全を考慮して造られた防護ネットです。コースを外れたゴルフボールがいくつも両側の林の中に転がっていました。今ではゴルフが贅沢な遊びとは誰も思ってはいませんが、このような所を歩いているとあまり良い気分にはなれません。


 3時間ほど歩いて高麗峠に到着。全然峠らしくない峠です。ここは2017年11月に「高麗王若光の道」として大磯の高麗神社から日高市の高麗神社まで歩いた折に立ち寄った場所です。現在の日高、飯能市にまたがる一帯は716年、東国七カ国から集まった高麗人1799人が武蔵国に移住して高麗郡を建郡したと「続日本紀」にあるそうです。由緒正しい古道の一部です。




 高麗峠から南下すること僅かで森の中にポッカリ開けた草原に出ました。しっかりと「ほほえみの丘」と書いてあります。ここでやっと昼飯にありつきました。涼しい木陰に陣取って、冷たい飲み物やみずみずしい梨を頬張ったりと、楽しいひと時を過ごしました。


 草原の先の森を抜け、相変わらずのゴルフボール避けのフェンスに沿った道を歩いて住宅地に出ると、再び強烈な真夏の太陽に晒されて東飯能駅まで戻りました。駅に戻ったのは午後2時10分でした。自分はここで同行の皆さんと別れて、名栗湖へ向かう道筋の小瀬戸にある、野口種苗研究所まで行き、ライ麦と三浦大根とクローバーの種を仕入れてから帰宅しました。

埼玉県さいたま市鴨川の桜は今が一番の見頃です

2023年03月29日 | ウォーキング
 このところ雨の多い日が続き、せっかくの桜もこのまま散ってしまうのではないかと、かみさんと我が家のワン公も一緒に、近所の鴨川縁の桜を見に出かけました。久しぶりに晴れ上がった青空のもと、満開の桜を十分楽しんで来ました。江戸時代に築造された備前堀の土手に咲く桜は老木が多く、その枝ぶりが素晴らしく、鴨川の流れに向かって枝を伸ばして花を散らしていました。ウィークデーのせいか、人の姿も少なくて静かな良い一日でした。隠れた桜の名所とでも言えばいいのか、ここに鴨川の桜を少し皆さんにも鑑賞して頂きましょう。












 所々に休憩するベンチもあって、ゆっくりと散策が楽しめます。


 関沼の湿地には木道もあって、これからは小鳥たちの姿や鳴き声が楽しめます。


 探鳥を楽しむために設備もあります。


 近くの農家の庭先の芝桜がなかなか綺麗です。ワン公まで覗き込んでいます。


 関沼の近くにはこんな立派な古墳もあります。桜の名所は沢山ありますが、こんな人にあまり知られていない桜の奇麗な所もあります。一度足を運んでみてはどうですか。
 




東武小川町駅から笠山~都幾山~東武小川町駅と回遊してきました。

2023年03月14日 | 登山
 3月12日の日曜日は穏やかな春の一日となったため、急に思い立って一人で笠山へ行ってきました。笠山登山と言えば白石車庫までバスを利用し、七重峠経由で笠山山頂へ、というのが一般的ですが、今回はちょいと長めのコースにしました。小川町駅から歩き出して越中の切通橋を渡り、槻川の支流である館川に沿って上流に向かい、赤木で舘川ダムへの道と別れて山上集落の栗山から笠山への道をとりました。下山ルートは慈光寺方向へ複雑な尾根道を辿り、都幾山を経由して小門に下り、長い車道を上古寺~下古寺と歩き再び小川町駅に戻るという周回コースです。駅をスタートしたのが午前9時30分という、やたら遅い時間だったので、最初から陽のあるうちに、再び駅に戻って来ることは出来ないだろうと、覚悟を決めての出発でした。


 駅南口から旧川越、児玉街道に出るまでの駅前通りには、20m間隔程度に万葉歌集から抜粋した詩を紹介し、その現代表記と内容説明がなされた小看板が立ててあり、立ち止まって読んでいるとなかなか面白く、足が前に進まなくなってしまいました。


 これはいかんと正気に戻り、古い町並みの続く旧街道に出ると、通る車の数の多いのに閉口しましたが、道の先を見るとこれから目指す笠山が遠くに見えていました。




 腰越郵便局を過ぎ、パトリア小川町健康増進センターまで来ると、視界は大きく開け眼前に笠山と隣の堂平山が良く見えてきました。そして道路脇には早くも春の花が春を告げています。


 矢岸橋と笠山です。橋はとても古い鉄橋ですが、車は通れませんが人の渡橋はOKです。


 切通しの手前に古い茅葺の家があります。車だと見過ごしてしまうでしょうが、徒歩であればまず見逃すことはないでしょう。今でも人は住んでいるようです。


 舘川に架かる切通橋から見た笠山です。なかなかいい感じの眺めです。


 橋を渡った所に東屋とトイレがありました。笠山を眺めながら一服です。




館集落で見た白梅が今最高潮です。又見渡す集落風景が何とも穏やかで平和そのもの。移住するならここがいいなと思いました。


 路傍の古い馬頭観音や石仏が古の山村を思い起させます。なかなかいい感じの道です。


 赤木で左の七重峠と右栗山への分岐ですが、栗山への表示があまりにも古すぎる標識のために、文字が消えかかっており解読に時間がかかりました。ここからきつい坂道に変わりました。こちらがゼイゼイ息を切らして歩いているのに、脇を車がスイスイ抜けて行くのに腹が立ちます。


 白梅も美しいのですが、ピンクの紅梅も負けていません。




 路傍にはスイセンが思いっきり花弁を広げていました。又見上げると早咲きの桜も咲いています。標高は300mほどの所なのですが、温暖な所のようです。


 栗山から見上げる笠山はもうすぐそこに見えますが、登山口に着く前に正午になり、道脇に座り込んで弁当にしました。結構気温も上がり、上に着ているものを2枚脱いでもまだ暑いと感じました。


 栗山の道路脇の福島家のマキと呼ばれている大木です。本来ならば温暖な地方に生育する種類のものが、関東の山の上に大木として元気に育っているのは珍しい事のようです。


 マキの大木のすぐ上手に新しい公衆トイレが出来ています。車であればここまで楽に登って来れます。


 笠山登山栗山口です。ここに着いたのが12時50分。5~6台分の駐車スペースがあります。登山道は良く手入れがされています。


 しかしこのような落ち葉に埋もれた部分もあります。




 山頂の神社には午後1時42分に着きました。周囲が木に囲まれているため眺望は良くありません。頂稜を西に少し行くと三角点のある笠山頂上で、着いたのは午後1時52分。登山口から山頂までの間で4名の登山者に会いました。いずれも単独で来た人たちでした。


 笠山を午後2時に出発して、南に急な山道を七重峠に向かって下り、林道に出ると七重峠に向い、峠から堂平山に向かう山道を右に見送り、写真のガードレール終点から、左に主稜線を離れ慈光寺に向かう道に入りました。


 鬱蒼とした杉山の中の急坂を下ると、舗装された林道に出ました。これが七重峠~赤木林道で、午後3時丁度に白石峠や堂平山への分岐(上の写真)に着きました。さてこれからが今回一番の面白コースになりました。


舗装された林道から外れて東に向かう道は今までとは一転。杉や雑木の薄暗い森の中を、ただひたすら踏み跡を追って30分進むと再び林道に出て、そこには右に行けば天文台、左は赤木とあり、都機山方向へはまたまた森の中へと入って行きます。しかしここからの道は意外に良く、ハイキングコースとして整備されています。


 極端な上り下りも無い道の途中には、木の根元に食い込んだ馬頭観音碑がありびっくりしました。






 尾根上に林道が並行して走り、その道が尾根を跨いで左に変わった所から、尾根上を行く緩い登りの山道を行くと都幾山の広い山頂でした。時刻は丁度午後4時になっていました。さてここから先の道が不鮮明で、西方向へ明瞭な道が下っていますが、これは慈光寺への道と判断し、そのまま尾根上を北に進むと踏み跡が現れました。ほとんど獣道状の踏み跡ですが方向的には間違っていないので、その踏み跡を見失わないように下って行くと又林道に出ました。


林道を横切り深い溝状になった古い山道を小門に向かって下るのですが、鬱蒼とした杉林の中は間伐された杉の丸太や枝打ちされた枝が足元に重なり合って歩き難いことこの上なし。九十九折の嫌な道ですが、恐らく自動車が無かった時代に慈光寺詣での参詣道として多くの人が通ったのでしょう。




 水の音がして小さな流れが現れると荷馬車が通れるほどの道が出て来て、ほどなく今にも壊れそうな橋が現れ、未舗装の車道に出ました。今は無人の小さな荒れた民家の前に古い道案内があって、ほとんど消えかかった慈光寺の文字がありました。


 しかしそこからが長かった。上古寺、下古寺と過ぎて今朝別れた腰越の分岐の郵便局が見えたとき、やっと戻って来れたと安堵したとたん足元がふらつき、膝が痛み出して急に空腹を覚えました。具合よく現れたコンビニでハムサンドと缶コーヒーを買って、歩きながらそれを食べ、午後6時16分に小川町駅に帰り着きました。いい年こいたジジイがまだこうした山と歩きが楽しめることに感謝です。





山遊荒川俱楽部の第231回定例ウォークは荒川左岸の堤防歩きでした。

2023年03月08日 | ウォーキング
 コロナ騒ぎで中断もあった定例ウォークも231回目になりました。例え月1回の定例と言えども、続けていればこれだけの回数になってしまうのですね。発足から既に20年の歳月が過ぎました。残って頑張っている会員も、皆後期高齢者と言われる年になってしまいました。
 この倶楽部のそもそもの始まりが「荒川を歩く」でしたから、今回昔を懐かしむのもいいかと、荒川の一部を歩いてみようとなった訳です。
スタートは埼京線指扇駅。ほんの2、3日前には指扇駅と南古谷駅の間で正面衝突の大事故が起こりそうな事件がありました。なんせ古くて今もって単線のままなのですから怖い話です。
 さて今回は参加者がたったの6名。少ないであろうとは予測していたものの、やはりこの人数はガッカリです。でも気を取り直して平均年齢80歳は頑張ります。上江橋のすぐ下手の荒川堤防上の埼京線踏切が今回の本当のスタート地点です。


 この踏切から川越市方向を見ると一本の線路が荒川に向かって一直線に延びています。この線路が通るこの位置は堤防の高さが現在も旧来のままなので、川の水かさが増した時のことを想像するととても心配です。


 我々は荒川左岸を東京湾に向かって歩いているので、出て来た標識には東京湾から現在地までの距離が書いてあります。


 荒川堤防の右手、河川敷には武蔵野高校と埼玉栄高校のグランドが並んでいます。土曜日とはいえ沢山の学生たちが汗を流していました。




 西遊馬運動公園の傍には「荒川防災ステーション工事」が5年前から行われています。どこからこれだけの土を運んで来るのか。まるで城塞のようなものを造っています。


 前方には新都心ビルが並んでいます。この日は快晴だったのですが、空気がどんよりと霞んでおり、いつもは良く見える富士山も見えませんでした。


 治水橋近くまで来ると県警機動隊があり、パトカーが売るほど並んでいました。一台くらい貰えないかしら。




 治水橋の堰堤工事は今も進行中で、ここは堤防を切通しのように切り抜いて、そこに水門のような可動関を設けて、非常の際にはその水門を閉じることで水の流入を防ぐというやり方のようです。




 堤防が高くなったことで堤防沿いの住宅の屋根を越えてしまいました。これでは今まで見えていた富士山も見えなくなってしまいました。
悔しがっているでしょうね。ただこの堤防上は立派に舗装されており、それも車が2台並んで走れるだけの幅があるのに、車の通行は禁止されています。正にウォーキングとサイクリングには天国のようなところです。360度の展望が楽しめる別天地です。


広大な河川敷内にある健保組合運動場。メタセコイヤの並木がもうすぐ芽吹きます。夏は緑、秋は黄葉が見事です。


 荒川総合運動公園事務所に立ち寄ってトイレ休憩。現在はむしろチャリダー達の休憩所になってしまいました。なんたって土、日の堤防はロードレーサーのオンパレードですから。


 指扇駅を出てから約6km程の所に水道タンクが現れました。我々さいたま市民の生活用水を供給してくれる大事な施設です。


 そしてすぐ次に出てくるのが大久保浄水場です。こちらは我々の生活排水を処理してきれいな水にしてくれる所です。


 羽根倉橋を過ぎてすぐ右下の河川敷にある、レッヅランドの駐車場脇の芝生をお借りして昼の弁当にしましたが、夏のような日差しを浴びて汗をかきながらの昼食でした。食後に堤防上に上がると、12月に歩いた鴨川大囲堤のNHK放送所鉄塔が見えていました。


 左に鴨川が並行して流れ、その向こうにさくら区クリーンセンターの大きな建物が見えます。埼玉県においては最も最新式の焼却炉をもっていると聞いています。


 とうとう秋ヶ瀬橋が見えてきました。ゴールのさくら草水門はもうすぐです。


 ゴールのさくら草水門と武蔵野線鉄橋が近いです。


 ゴールに着いたメンバーたち。到着は午後1時20分でした。指扇駅からほぼ12km。スタートが午前9時10分でしたから4時間以上かけて歩いて来た訳です。これでは亀にも笑われます。でも楽しいコースでした。