papalion - 航海日誌

東京で活動するライブバンド papalion(パパライオン)のブログです。

papalionJapanTour2007~後書き~20

2008年06月29日 | キャンプでライブツアー'07・後記
>> 2007TOUR~後書き19~の続き

7月27日(金)、朝から日差しはギンギンだった。
キャンプ場での虫刺されは日常茶飯事で、特に晩飯を作ってる最中にやられることが多い。ただ、ここのかずら橋キャンプ場では日中も夜も虫に刺されるという事は無かった。
昨夜の晩ごはん後、ビール片手に山と山の間から見えるクリアな夜空に感動したんだけど、その間、蚊は全然いなかった。気温や水温が低いせいなのか、その理由はよくわからない。

朝食後、夜露を避けて取り込んでた生乾きの洗濯物をもう一度岸壁に並べてから、テントを畳んで荷物をまとめる。そうしてる間、昨日僕らより後にキャンプ場に来たバイカーさんが、キャンプ場を後にする所だったので、駆け寄って少し話をした。
バイカーさんは愛知の人で、PSPのゼンリンの「みんなの地図」をナビ代わりにバイクに装着してた。
「みんなの地図」は以前、仕事で多少関わりがあって、ミズキが悪戦苦闘してコンテンツを作った事がある。仕事で関わっていた時、SONYはバイクとか自転車に付けるオプション器材とか作らないのかね?なんて話してたんだけど、実際に自作の装着用具を付けてるバイカーがいて、考える事はみんなおんなじだと思った。
ちなみに、PSP「みんなの地図」は今回持ってきてて、かなり役立ってる。

バイカーおじさんが去った後、川で遊んだ。ウォータースライダーみたいに水の流れに身を滑らして川を下ってゆく。水流の穏やかな水の溜まり場ではイワナ?のような大きな魚も見かけた。
もう無理ってくらい体の芯から冷たくなり、上がって着替え、キャンプ場を後にした。
祖谷渓は緑豊かで本当にいいとこだった。

高知に向けて谷沿いに車を走らせている途中、道の駅「大杉」の近くに、天然記念物「杉の大杉」というプチ観光地があり立ち寄った。
大杉は身長60mあり樹齢は約3000歳で日本一の大杉だとか。一緒に美空ひばりの記念碑もあった。美空ひばりが若い頃にこの大杉に命を助けてもらい、大成の願を掛けたというエピソードがあるらしい。
しかし、3000年も生きている大杉が発する「気」というのはなんだろう。確かに見た目が大きいし、大らかなパワーを持っている感じがする。年齢差が2桁もあるおじいちゃんおばあちゃんなんだから当然といえば当然かもしれない。

高知平野に入り、道の駅「南国風良里」でお昼の休憩を取った。アイスを食べる。毎度の事ながら、朝飯を大量に量食べて昼食は抜き。時間も少し遅かったし、腹も減ってなかったし、実家に帰ると恐らくカツオをいっぱい用意してくれてるだろうし。
午後3時前、道の駅を出発して、観光がてら昨年お遍路で行った29番国分寺に行く。ついで32番禅師峰寺に向かった。
そして桂浜行って竜馬像と「そいつ豪気だね」で知られる豪気節の歌碑を見て、若宮神社に移動。日が暮れるまで一通り高知観光をした後、実家に帰った。
>>続く

豪気節の歌詞(※クリックで拡大)

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papalionJapanTour2007~後書き~19

2008年06月23日 | キャンプでライブツアー'07・後記
>> 2007TOUR~後書き18~の続き

7月26日(木)、高松のインターネットカフェで朝を迎えて、うどん食べて、車を高知に向けて走り、徳島県の山村観光地・祖谷のかずら橋に着き、かずら橋を渡る。
前回も書いたが、細部まで作り込んだ素晴らしい橋。細部にこだわった造形物は見て考えさせられる。

かずら橋を渡った後、キャンプ場に一旦戻った。キャンプ場にはいつのまにか管理人さんが来ていたみたいで、早速キャンプの手続きをして、テントを張った。そして、山村の日暮れが早いのを見越して、晩飯の買出しに出かけた。
来る途中、大歩危小歩危辺りにスーパーを見かけたけど、その後は皆無。スーパーまで車で戻るのは一苦労なので、近場で商店を探した。
この集落の生活を支えている売店があるはずと、かずら橋付近の売店まで行き、売店のおばちゃんに聞くと、少し上った所に商店があるとの話。

坂道を上っていると、ひなびた売店発見!店の外見は見るからに昭和のおもむき。店の奥から現れたのはやっぱり年配のおばちゃんーー!
品揃えは、魚も売ってたけど基本は調味料等の生活必需品が主流で、恐らくここ10年くらい品物の配置は変ってないだろうと思える内容。
商品値段は、都市から離れた山村の僻地のせいか少々割高だった。晩飯とアルコール類、そして明日の朝ごはん用の食材を購入した。

帰りしな、河原沿いに歩いてキャンプ場に帰った。岩がゴロゴロいっぱいあって歩きづらいけど、遊びながら帰った。
キャンプ場に戻って、まだ日があったので炊事場で溜まった衣類を洗濯。そしてキャンプ場と川を隔てる岸壁に沢山衣類を広げた。

それでもまだ日があったので、川に入った。川の流れは速く、透きとおっていてきれい。水温は冷たく、長々浸かっていると甚だしく体温を奪われていく。
ゴーグルを付けて潜ると魚がいた。鮎だと思う。こんな上流の大きな岩場の渓谷にいるのかと不思議に思えたけど、あれは絶対鮎だったと今でも思っている。

ひとしきり遊んだ後、薄暗くなってきたので岸に上がる。
キャンプ場に戻ると、新規にバイカーのおじさん独り客が来ていた。おじさんは僕らとは逆側のエリアにテントを張ってた。

夕暮れ時、ご飯を炊いて夕食を食べた。おかずは何だったか記憶が薄れてるけど、肉類の味噌炒めをプレート皿で食べたんじゃないかと思う。もしくは大量のそうめん。それとトマトかキュウリを添えて。
>>続く

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papalionJapanTour2007~後書き~18

2008年06月11日 | キャンプでライブツアー'07・後記
>> 2007TOUR~後書き17~の続き

7月26日(木)、朝、9時前。インターネットカフェで仮眠を取ってから、仕事的なデータの修正等もして(この段階でツアーに持ち込んでいた仕事の方は一区切りついた)、インターネットカフェを出た。

朝の日差しは既に強い。朝、昨日の昼に食べたうどん屋に行った。2日連続食べても全然OK!さすが本場のさぬきうどん!というよりは、日本人にとって、うどんは毎日食べてもOK!と言う事かな。

本日の予定は、次のライブ場所の高知に向かって走って、その途中にある徳島の山間部でキャンプ。
午前10持くらい、ゆっくりと国道を南に向かって走った。高松~高知間の高速が出来てから、下の国道を走ったことはなかったので、山を縫うように走る片道1車線の登坂国道は、なかなか大変だった。
途中、道の駅で休憩したりしながら国道を走って、ようやく山間部の最高地点辺りまで上りきったところに、仕事の電話が携帯に入った。電話で話している途中で電波が届かなくなったりして、近くの観光地用の駐車場に停めて、電話をかけなおした。
緑の山に囲まれた大自然の中で、仕事の話をするギャップに気付いて、可笑しかった。

四国に入ってからは、ガソリンは1リットル140円代が多く、GSを見つけるたび「高いな~、次にしよう」と給油を躊躇していた。
山道の国道を走っていて、「そろそろ給油しないとやばいなー」という状況になり、看板に値段表示もしていないGSにやむを得ず入った。すると、なんと今まで給油した中での最安更新の135円!

そしてさらに走り、大歩危小歩危を過ぎて、祖谷渓のかずら橋に向かって折れた。正午過ぎ、随分と山深い場所に入って、大きな谷川もあり、今まで見た事がないような景色が広がった。
山が川とひと続きの斜面にそびえ立っていて、V字型のその山の大きさは中くらい。
山の対岸には、同じような山がそびえて、その斜面に張り付くように集落があり、目で確認できる。でも、その集落に行く為には、途中で断念せざるを得ない急斜面の山と谷川が遮っている。こんな所によく人が居付けるな、と思える。この地域には平家の落人伝説が残っていて、人里離れた、人を拒む地形に住む以外、生きるための場所が無かった事がわかる。
伊豆の中伊豆地域の地形と多少似ているかも。中伊豆のそれぞれの谷をもっと大きく、もっと広く、もっと急斜面に切り分けるようなイメージの地形。


キャンプ場は祖谷のかずら橋近くにあり、地図ではすぐ近くなのだが、道が斜面ずたいにうねうねまがり、長~い間何度も上り下りを繰り返した。
ようやくかずら橋近くに着き、細い道を突き進んで、最終的に車1台分の藪の中の林道をそろそろ進んで、かずら橋キャンプ場に到着した。

早速、かずら橋キャンプ場の管理施設に行ったら、誰も居なかった。しょうがないので、かずら橋に観光に出かけた。

作り物?とも思えるようなきれいに一直線の「びわの滝」を見てから、かずら橋へ。
四国に住んでた人なら一度ならず聞いたことがあるテレビCM「祖谷のぉ~かずらぁ~ばぁしゃぁ・・・・」と歌に歌われるかずら橋。入場口で500円払って、初めて渡った。
かずら橋は一応金属で一部補強しているが、基本的には木やかずらで編んで作ってある。その細やかさはビューティフル。
ただ、予想以上に揺れて、下は、遠くから見てた時よりも危険領域のように見えた。他の人が動くとさらにその振動が伝わってきて揺れて、絶えず及び腰で渡った。1年前に日本一のバンジージャンプを飛んだけど、こんなに怖くはなかった。バンジーは一瞬の恐怖だったけど、かずら橋は本能的な恐怖が持続し、増幅していった。
こんな不安定な橋でも、生活を考えると掛けないよりはあった方が良いということなんだろう、昔の人達の生活って周りの環境と常に隣り合わせで、ある意味うらやましい。
>>続く

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papalionJapanTour2007~後書き~17

2008年06月05日 | キャンプでライブツアー'07・後記
>> 2007TOUR~後書き16~の続き

7月25日(水)、朝、高松市郊外のスーパー銭湯で汗を流した後、さぬきうどんを食べて、まだちょうど昼過ぎ。ライブハウスのリハ入りまで小一時間程度あったので、うどん屋のすぐ側にあったインターネットカフェに行った。メールチェックや休憩も兼ねて。
この時期のこの時間帯の日差しは猛烈で、車から一歩降りると、体温急上昇、皮膚をじりじり焼き焦がす光線が降り注いでいた。そんな日差しから避難するようにインターネットカフェに入って休憩。

リハ入り1時間前に出発し、ライブハウス高松DIMEに向かう。高松DIMEは高松市街、中心のアーケード街の南のはずれ辺りにある。アーケード内は、シャッターが下りた店舗もちらほら、若干寂しげだ。少し北に歩くとわんさか人はいるのだけど。
車をライブハウスの裏手のコイン駐車場に停めて、リハ入り時間の30分前にライブハウスに入った。

高松DIMEでは、その前のバンドがリハを行っていた。そしてホールを見てまず驚いた。ライブハウスにしてはかなり大きなホールで、天井も高く2階席もある。渋谷クワトロの半分以上はあると思う。後で聞いた話だが、元々映画館だったそうで、なるほどと頷ける広さだった。

そして僕らの番になり、立ってみるとこれまた広いステージで、余裕を持てるセッティングで楽器を配置し、リハ開始。PAさんとのコミュニケーションは毎回大切にしていたが、DIMEでは一味違っていて面白かった。
PAさんは結構年配のおじさんで、これ一筋で30年やってますって感じの陽気なおじさん。空間の作り方も一言添えてくれたりして、非常にわかりやすい。
普通、僕らがいつもやっている手順では、まず前もって、セッティング図と外に伝わる音響の要望を出した上で、楽器の音出しをして、ステージで演奏しやすい環境を整える。その後、ステージから降りて観客席の聞き応えをチェックして、必要だったらその上で要望を追加する、という流れだ。普通だったらPAさんは僕らの要望に対応してくれるだけで、ライブハウスの環境的に難しいことは、それを話してくれて、こちらが断念するだけだ。
DIMEのPAさんは、楽しくコミュニケーションをとりながら、そういう音ならホールに合わせて空間系の音をもっと強くしたほうが生きるかもね、等とアドバイスをしてくれた上で、自分のPAとしての音響作りにマッチさせていくというスタイルだった。
つまり相互に干渉しやすい雰囲気を構築して、ともに納得できるように作り上げる感じ。うーんプロだ、とても参考になった。
僕らの次のリハのバンドは地元のバンドで、何度もここでやっているらしく、PAさんとの会話もはなからスムーズだった。そして、最後の方になって、PAさんに、自分を後ろから支えてくれるようなギターノイズサウンドをモニターから出して欲しい、という要望を出した。普通ならば、自分のギターかアンプのセッティングで何とかしろよ!と思うような内容なのだが、PAさんはよっしゃぁ!やってみる、と何パターンか出して、これでどう?等と何回もやり取りしていた。
本当に好きなんだなーと思えた。

リハも終わり、本番までしばし散策と休憩。近くに老夫婦がやっているカレー屋があり、昔食べた時、スパイスの効いたカレーが美味しかった事を思い出した。ライブ前なのでさすがに店には入らなかったが、是非また食べたい。ドトールで軽く休憩する。

高松DIMEでのライブは、お客さんが少なかった。ホールが広すぎるというのもあるけど、なかなかこればっかりは難しい。

ライブはというと、僕らの演奏もツアー始めてから5回目、さすがに少しはレベルアップした感じはした。他のバンドは、鳥取県米子のいろんなものをごちゃ混ぜにしたパンク?ミクスチャー?系の力任せなバンドと、徳島から来たオーソドックスな技術の高いロックバンド、鹿児島と言いつつ実は東京から来たツアーバンド、この日唯一の地元のノイズ系ギターバンド(バンドが解散してしまい、ボーカルギター1人だったが・・)等、かなりな多ジャンルで催されたライブだった。
その他、高松DIMEでのライブはこちらで。

ライブ後、片付けを終えて挨拶をすると、打ち上げに行こうよと店長さんに誘われた。すぐにでも車で移動するつもりだったが、せっかくの縁なので参加する事にした。
そうそう、米子のバンドはライブハウスに挨拶もなしに、自分達の出番が終わると勝手に帰ってしまったとか。リハもライブも破天荒だったが、話題に事欠かないゆかいな破天荒バンドだ。

その後、打ち上げの飲み屋さんで、四国のライブハウス事情やらツアーバンドの内情やら色々話したり聞いたりして盛り上がっているうちに、サッカーのアジア杯準決勝日本代表戦がテレビで始まり、盛り上がりはそっちに移った。しかし、最終的に日本が負けてしまったので、DIME店長さんのテンションがた落ち、皆さん帰途に着いた。

打ち上げメンバーと別れた後、僕らは、お昼に休憩したインターネットカフェで朝まで過ごす事にした。最後のひと踏ん張りでミズキが運転し(もちろんノンアルコールで通した)インターネットカフェに到着。
インターネットカフェは夢のような場所。静かな上にマンガもジュースも飲み放題。ただ寝るだけだけど。
>>続く

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papalionJapanTour2007~後書き~16

2008年06月04日 | キャンプでライブツアー'07・後記
>> 2007TOUR~後書き15~の続き

7月24日(火)、神戸のライブハウスHELLUVA LOUNGEでのライブ後四国に向かって出発し、淡路島の緑PAで一夜を過ごした。そして日が変り、7月25日(水)朝、早々に四国に向かった。と、僕が目を覚ました頃には、徳島県を香川県高松に向かって高速を北上中だった。朝日を受けて目覚めて7時くらいだった。

そろそろ下の国道を走ることにして、白鳥大内ICを下りて国道11号に入った。まだ朝の渋滞時間前、田舎の国道で片道1車線だったが、スムーズに走れた。
今日午前中することとしては、おとといに海水浴した後温泉に入ったっきり汗を流していなかったので、ライブ前に一度スーパー銭湯でも何でもいいから汗を流したかった。

国道11号を高松方面に走っていると、津田の松原という観光地(白砂青松100選の砂浜)があり、その近くにクアタラソさぬき津田という温泉施設があるとのナビゲーションがあったので、寄った。
観光地・津田の松原はカーキー色の小振りな砂粒が広がった景色のいい砂浜で、浜のひたいは横に長く、太平洋岸の砂浜のような雄大さはないが、小振りながら美観な砂浜。松林はこんもりと整備されていて、瀬戸内海特有の穏やかな波と、向こうの方に小島も見えて、静かで柔らかい感じの観光地だった。
観光もそこそこに、温泉施設クアタラソさぬき津田に行ったのだが、あいにくオープン前だった。しかも待つにしても、オープンまで結構な時間があったので、ここでの入浴はやめて、高松まで行く事にした。

車で走ること1時間くらい、ここまでブログで話題にはしなかったけど、ガソリンの給油には毎回悩まされた。行く先々で、少しでも安い所で給油しようと、ガソリンが切れるギリギリまで踏ん張っていたが、日に日にガソリンは値上がり始め、ついに150円代に突入していた。今はもう170円代に入っているから、1年前のその当時の料金は安く感じるけど、1年前はまだそんな料金だった。
で、高松までの道中で給油すべきか、悩みつつも、結局安いGSが無く、高松市内に着く。
通勤時間帯にちょうど高松市郊外について、軽い渋滞に巻き込まれた。横を見ると、夏休みなのにクラブ活動で学校に向かう自転車通学の学生の多い。時期的にはまだ夏休み始まったばっかりで、気分的にうきうきしてる頃だろうか。

高松の中心部に尽きJR高松駅に向かう。もちろん銭湯を探すため。高松駅周辺は昔仕事で色々歩き回ったので、地理感も情報入手場所もだいたいわかる。で、色々調べてみた結果、特に銭湯に関する事はわからなかった。
どうするんだ!もうすぐお昼だぞ!という怒声を二人で交わしながら、地図を頼りとして、少し市街から離れた国道11号バイパス(高速の下の国道)に行ってみる事にした。
これまでの経験から、都市近郊のバイパス沿いにはスーパー銭湯がが必ずあるという信念で。しかも地図にもお湯記号が載ってるし。

国道11号バイパス少し走っていると、ありました!
う~ん、経験って信頼できる。バイパスを走ってたらすぐに見つかった。
早速、スーパー銭湯に入って汗を流す。しかも平日の午前中という、施設にとってはオフタイムの時間帯。人も少なくて静かな施設内でのんびり汗を流した。湯船もたくさんあって、これじゃあ安すぎるよ、ってくらいゆっくり満喫した。

スーパー銭湯で汗を流した後、その近くにあったうどん屋でうどんを食べた。蛇口から出すだし汁も初体験。地元のお客さんに混じりながら恐る恐るうどんに盛り付けて、食べた。特に有名店でもないだろうけど、美味しかった、安いし。はなまるが東京進出してから、さぬきうどんを食べる機会も増えたけど、この、麺がバツンバツン切れる歯ごたえにはびっくりする。さすが本場!だんぜん美味しかった。
>>続く

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