■依存者と主体者
山登りは自己責任と言われます。単独で登っていると自己責任も何も、自分しかいないので問題にはならないのですが、パーティで登るとなると、
・主体者が集まったパーティ
・依存者で成り立つパーティ
があります。 以前、「山は自己責任」と言っているリーダー自身が「俺に全部任せておけば大丈夫なんだよ」と言っていて「???」となったことがありました(笑) 任せていたらどこが自己責任(笑)?
一般に 依存者の集団と主体者の集団の特徴は、以下のようになるそうです。
≪依存者の集団の特徴≫
・仲間づくりが上手
・一致団結し、何かやらないための言い訳や正当化の根拠を考えることに意識とエネルギーを集中する
・抜け駆けを極端に嫌う
・仲間が主体者への道を選び始めるとその人を裏切り者とみなす
・敵意、あせり、嫉妬というマイナスのモチベーションから、その人を徹底的にたたき始める
・陰口、誹謗中傷、意地悪、無視などを通じて足を引っ張る
≪主体者の集団の特徴≫
・仲間が高いレベルへと上がっていくと、さらに頑張ろう!という意識に上がっていく
・意識とモチベーションがアップする好循環となる
この特徴を見る限り、日本のいわゆる”世間”は依存者の集団かもしれないですねぇ…(^^;)
■ 自信のつけ方
私はよく「自信に溢れている」と言われますが…別に何か特別優れた部分があるわけではないような?
山登りだってそんなにすごい実績ないよな~ まぁよく山ネタでこれだけブログ書けますね、とは自分でも思いますが…(^^;)
私が思うには、私の自信の根拠は、つまり自分との約束を守ってきたところにあるのかな?と思います。立てた目標は達成しています。
私は山登り、自分なりの自信がありますが、それは、初心者の頃からステップを省かず、下からコツコツ積み上げたからなのではないかと思います。
登山道でさえない遊歩道からスタート(笑)マイペースを守る。
ですから、自信がない方には、自分で自分の目標を決め、それを急がず、焦らず、達成する、という体験を積みあげるのをおススメします。
■ 正しいプロセスで成果を上げる体験をする
私が思うには、「依存者」を「主体者」に変えるには、
正しいプロセスで成果を作り出す体験
の重要です。正しいプロセスとは
・楽して得するというタナボタ的な偶然による成果ではない(不正なプロセスでの成果)
・偶然ではなく、自らの努力により手にした必然の成果であること
指導者と言われる人たちは、指導される側に自らの努力によって手にした必然の成果を得る、という体験を培うことを常に心にとめておいてもらいたいものかもしれませんね。
■ 成果を生み出す10のコツ
1)まず何をしたいのか決める
2)自分にふさわしい目標を持つ
3)積極的な自己開示
4)援助者を得る
5)恐れを克服する
6)今に集中する
7)変化に柔軟に対応する
8)自分との約束を守る
9)いい人を辞める
10)強い意思で決めたことを貫く
■ 1)まず何をしたいのか決める
何かを達成するには、”〇〇できない言い訳”ばかりを探すのではなく、”〇〇するにはどうしたらよいか?”という”手段を模索する発想”が不可欠です。
その発想をするには、自分が心から何をしたいのか?まず決めなくてはなりません。決めること=選択すること、です。
たとえば、誰もに分かりやすい例ですと、今の成績から考えて受かりそうな大学に行く発想ではダメです。そうではなく、〇〇大学に行くには、どう勉強したらよいか?と考える。そうすると、手段が見つかります。手段があれば、達成もできます。
その根底にあるのは、まず行くと”決める”ということです。
私は高校生の頃、大学に行く資金もないのに、大学に行きました。大学に行くことはすでに決定事項でしたので、そのためにはどうしたらよいか?ということを現実的に考えて、高校生活で自分が何をしなくてはならないか?を決めました。答えはバイトでした。(それも校則で禁止でしたけど!笑) 一般常識で”高校生である自分が何をしなくてはならないか”(それも進学校で!笑)を計っていたら、お金がなければ、塾にも行けないし、模試も受けれないし、ないないづくしで、大学に行くことができない理由以外は見つけられなかったでしょう。
道が開けるのは、”まず決めて”、”そのために何をしなくてはならないか?”とWhatを考えたときです。できない理由を考えているときではありません。
逆の生き方が、”開ける道を歩いているだけ”の生き方です。
If you don't know where your going, any road will taky you there.
開けた道を歩くという生き方をしていると、気が付いたらとんでもないところにいます。行き当たりばったりということですね。
親が選んだ大学に行き、親が選んだ結婚をし、親が出してくれたお金で家を建てる…と言えば、自分は違うと思う人が多いと思いますが、自分が主体的に選んだことではなく、「頼まれればやる」という”来る者拒まず去る者追わず”の生き方も、主体性の無さと言う意味では同じで、成り行き任せ。これを続けていくと、あきらめや妥協の人生を送ることになります。
たとえば、私は夫の転勤で不本意ながら今の土地に引っ越してきたのですが、今の生活の中心を山に据える、と”決めて”います。
決めた瞬間から、主体的な生活となります。このように”決める”ことで他の不本意なことを無視することができるようになり、それは自信につながります。
まずは、何かを選び(選択し)、そして意識をそれに集中する(選択と集中)。そうしないとあてがいぶちの人生になります。あてがわれたものがなんであれ、不平不満がでるのは主体性がないことの裏返しです。
人生に主体性を失うと、人生をコントロールしているという感覚が無くなり、あれもこれも、あれのせいでできなかった、と不利な点やできないことばかり(言い訳や愚痴)を数える生き方に陥ります。
これはハーフエンプティのグラスの不足した半分を嘆く生き方であり、ハーフフル、満たされた半分に感謝して生きる生き方ではありません。無い物ねだりの生き方をしたい人がいるでしょうか、いませんよね。
■ 2)自分にふさわしい目標を持つ
決めたら、次は目標を持つのが大切です。
自分の背丈に会った目標を持つ。自分とあまりにかけ離れた目標を持つのは、自分を痛めつけることです。たとえば、漠然と有名人になりたいなどという目標ですね。多くの人は自分の愛し方を知りません。手段がない目標はストレス源になります。逆にいうと、目標がストレスになっていたら、その目標はふさわしくないということです。目標の方を調整すべし。
自分が本心から望む、自分らしい目標であれば苦になりません。たとえば、私はブログを毎日書くのをしばらく前は目標にしていました。今は第二の天性と言うくらいラクラク達成です。
他の目標として、山梨では山をする、というのがありますが、だからと言って、エベレストなんて目標は持っていません(笑)
山登り⇒成功⇒エベレストみたいな発想は、とても愛らしいと言うか、子供っぽく感じます(笑)が、そうではなくて、たとえば、冬の滝谷を登りたいだとか、冬の黒部横断を・・・みたいな玄人チックな目標を仮に私が持ったとしても、それは自分を不幸に陥れる目標となるでしょう。
それは私が心から望む山ではないからです。ここは自分に見栄を張らず素直になることが大事です。
私は夫との生活を心から楽しむ生活をしたいので、同じ登山であっても、
・高所恐怖症の夫を安全に赤岳に連れていってあげることができるスキルを持つ、
というのは私の一つの目標です。その道はまだまだ長そうではありますが、大体の道筋は見えてきました。
身の丈に合った目標であれば、目標達成のプロセス自体も私自身の人生の喜びに直接直結し、そして到底実現不可能な目標とは言えないので、この目標を持つことは私にとって健全でヘルシーなことです。
悪い目標は持っていることで、愚痴、後悔、出来ない言い訳、妬み、嫉妬などのマイナスの感情を呼び起こし、ストレスの源になります。
■ 3)積極的な自己開示
自分が何を実現しようと頑張っているのか、表現して伝えることは重要です。
そうすると、その点において協力や助言をしてくれる人が見つかるものですし、また目標から逸れたときも分かります。
もちろん、誰にでも彼にでも体重を今より10キロ減らしたいと言って回る必要はありません(笑)そうではなくて、周囲に理解者を増やしておくのです。
助けてあげたいという人は世の中にいっぱいいます。私だってそうです。自分の持っているスキルが埋もれるよりも、誰かに生かしてもらえたほうがいい、というのは誰しもが考えることです。が、助けられる側の本人が、何をしたいのか分かっていなければ、助ける側もどうしようもありません。
ちなみに、助けてほしいことを言葉ではなく、態度で表す人がいます。言わないでもわかってほしいというものですね。言葉ではなく、大げさに困っているフリをしてみたりなどで周囲の気を引こうとする人です。こういう人の多くは、ウジウジしていれば誰かが助けてくれた、という体験を持っています。親が手を差し伸べてくれたり、大人になってからは女性や妻が手をさしのべてくれたりです。しかし、このような援助で当面が切り抜けられても、最終的に物事がうまく行くことはまずありません。当座しのぎだからです。
また、自分の欠点や弱みも隠さず開示するのが重要です。たとえば、私は山登りでは、岩が弱みです。分からないことは分からないと率直に開示するのが重要ですね。指導する側も相手がどんな段階にいるのか分からなければ発想のしようがありません。
■ 4)援助者を得る
私は短いですが、営業経験があります。どこに行っても可愛がってもらえる人とそうでない人がいます。
可愛がってもらえない人は返事が可愛くない(笑)。
こないだ、山友達と下山後、温泉に入っていました。下山すると筋肉痛で足が痛いと彼女が言うので、「筋肉痛には温冷交代浴が良く効くよ。乳酸が取れるから」と教えてあげました。返事は「私、冷たいのキライ」。あっそう…私はちゃんと山仲間としての義理は果たしたもんね~と心の中で思いました。
こういう人には次回から助言する人はいなくなりそうですね。
逆に、餌をくれる人間ならば誰でも構わないという犬のように、損得勘定で計算し八方美人を繰り返している人も、最終的には誰からも信頼されなくなります。自分を応援している人を敵に回すだけならまだしも、自分自身の墓穴を掘ることになり、墓穴を掘る人を助けようとしても、堂々巡りになるだけで、どこへもたどり着きません。こういう人には助力をしても徒労に終わることは明らかですので、援助者がいなくなります。
こういう人を見ていると、自分を認めない人には媚びを売って取り入ろうとし、自分を認めてくれる人には自分を高く売りつけようとしています。やるべきことは逆です。
私が観察した、いわゆる「できる人」たちは、意外に地味で単純なことを大切にしている人たちでした。
今自分にできること、しなくてはならないことを粛々とこなす。
これにはタイムマネジメントのスキルが不可欠です。また物事に優先順位をつけ、人生において大切なこと、短期的利益をとって長期的利益を犠牲にしてしまわない、という視野の広さも重要です。
■ 5)恐れを克服する
誰だって失敗したくないし、恥はかきたくない。
成功を望んでも、その成功には、努力や痛みや犠牲が伴います。そしてつい惰性で痛みがないほうを選んでしまいがちになります。
楽な方、楽な方と流れていくと、その終着点に成功があるはずがないのは当然のことですよね。
多くの人は、チャンスが来たら、時期が来たら、もう少し経験を積んでから、と条件を付けたがる人がいます。これを繰り返すと、成果は1)と同じく”環境次第”となってしまい、主体性が失われます。
短期の苦は長期の楽を意味することは誰もが知っています。出来ない言い訳を並べ、目の前に事に追われるだけの生活を続けているとき、その人は逃避しています。これでは精神的自立は無理です。
逃避の代表的なものは、正当化、被害者妄想、責任転嫁、アルコール、タバコ、過食、仮病、病気、同情を求める、すり替えなど・・・。
勉強や仕事など一見ポジティブに見える事柄が逃避の対象であることもあります。
人はおそらく、20年後には何かをして失敗したことよりも、行動を起こさなかったことを悔やむことになります。
失敗よりも、もっと恐ろしいのはしなかったことを悔やんで過ごす20年後の後悔の日々です。
■ 6)今に集中する
今自分がすべきことをする。それだけですね。
何をすべきか分からない、というのは、本当に分からない場合とそうでない場合の二つがあります。本当に分からない場合は解決案を考え出す創造性の欠如が問題です。
後者の場合は、甘えの問題です。まだ誰かが自分の代わりにやってくれるだろうという甘えがある場合の言い訳です。どちらなのかたいていの人は分かっていると思います。
今やるべきことをやらないと、出来上がるべき未来(自分が設定した目標、ゴール)は出来上がりません。
撒かない種に芽は生えない。
種を撒き、水をやり、草を刈り、というプロセスを経ないと収穫はやってきません。収穫を望む人は等しく、タネを撒かなくてはいけません。
登山であれば、行きたい山を考え、計画し、仲間を募らなくては、山に行くことはできません。
■ 7)変化に柔軟に対応する
変化に柔軟に対応すること。機転と機知を働かせること。やり方に固執するのではなく、やり方を変えていくことが必要になる。
過去に正しかったやり方が、今も正しいやり方とは限らない。過去に間違っていたやり方が、今も間違っているとは限らない。
ロープワークなどの山の技術と一緒ですね(笑)
■ 8)自分との約束を守る
自分が何をやっていて何をやっていないのか…一番よく知っているのは自分ですね。
人の目は欺けても自分の目は欺けません。自分との約束は、人との約束より重要です。自分との約束を守らないと自信は一生つかないです。
自分との約束を破り続けると、低い自己評価、自信の無い自分を作り出します。
この点で完璧主義は弊害です。完璧なんて絶対無理なんですから、完璧な自分を求めるのはやめましょう。自分との約束は、6~7割を達成を合格ラインとするのがコツです。高すぎる自己目標で自分を痛めつけている人を時々見かけますが、優秀な人に多いと思います。
■ 9)いい人を辞める
いい人や、いい人を演じている人は、自分との約束を軽視します。
自分が後回しになる人は、そうしていれば、いつか誰かが自分の世話を自分の代わりに焼いてくれることを期待していますが、それは本人だけがもつ幻想です。人生において、自己責任に反することはまず起こりません。
こういう人たちは、人のよさに付け込まれ、ただ便利屋のように利用されてしまい、成果を作り出せません。
本当に自分の人生に大切なことは何か?を考えて優先順位を付け直す必要があります。
さらに問題なのは、付け込まれることに自己愛を見出している場合です。人の好さに付け込まれ、利用されることが自己愛の源となりますから、ますます、自分自身との約束からは遠ざかり、何かを達成する、ということはできなくなります。
たとえば、子供のために自己実現できなかったと嘆く親は多いです。親になるという道は自分が選んだものなのに、子供がいなければ〇〇になれた、と考えることで自分自身が努力をしなかったこと、あるいは成功そのものを恐れていたことを子供の存在に責任転嫁するものです。
敗北は潔く受け入れましょう。なれたかもしれない自分を悔やんで過ごすのは人生の無駄です。それよりもセカンドベターであっても、自分の夢を実現する人生の方が何倍も輝かしいものです。
■ 10)成功するまで続ければ、失敗は存在しない
人は失敗することを恐れて行動を起こさない生き物です。
「何でもやる、何度でもやる、出来るまでやる」
そういう意思が自然と生まれない場合、その目標はその人の真の願いを反映したものではないのかもしれません。
まず決める。決めなくては、何も始まることができません。
決めてしまえば、そのために何をしなくてはいけないのか?出来ることを一つ一つつぶしていくだけです。
そういう時には、逆境も大した挫折には感じられないものです。逆境が必要以上の大きさでのしかかってくるなら、それは逆に言えば、正しい道を歩いていない、自分らしい生き方を選んでいない、という傍証かもしれません。
たとえば私が身の程知らずな目標を持つと、たとえば、名アルパインクライマーと自分を並べようとするなど…その目標は私をみじめにさせ、自分をちっぽけな存在に思わせるでしょう。そして乗り越えるべき課題が、一つのルートがありえないほど大きな壁に感じられ、立ちすくんでしまうでしょう。それはすべて自分に対する期待が大きすぎるからです。
そしてもしかしたら、立ちすくんでしまうほどの大きな期待をしているのは、自分ではなく、他の人の期待に応えようとしているからかもしれません。たとえば親が与えた期待に応えようとしてしまう人は多いです。
二世の議員や二世の医者、二世の社長などには成功者は少ないものです。それは自ら課した課題ではなく、他の人の期待に応える人生を選んでしまうからです。
人生は一度限りのもの、自分らしい課題を生きることこそが人生の喜びの源泉です。幸せは、”になる”ものでなく、幸せ”でいる”ものです。
幸せでいれないとき、それはなんらかのふさわしくない自己への期待がそこにあるからかもしれません。