風邪菌の研究

2015-09-01 12:40:36 | Diary

ライノウイルス 大人の風邪の二分の1~三分の1の風邪菌。鼻かぜ原因菌。喘息の引き金。

コロナウイルス Saasなど。 高熱、激しい咳、息切れ、呼吸困難、下痢、腎不全。

パラインフルエンザウイルス 乳幼児に多い

RSウイルス 冬に多い。RSウイルス感染症には特効薬はなく、治療は基本的には対症療法

アデノウイルス 夏に多い。咽頭結膜熱(プール熱) 結膜炎


2015年の風邪

2015-09-01 12:00:58 | Diary

なんだか今年の夏は、終わるのが唐突のようだ。私は風邪から喘息併発中で、夫は風邪を私からもらってしまった。

記録:

25日 朝はなんともなく、10:30頃風邪を引く。喉が痛い。イソジンうがい。あらよと言う間に悪くなり、翌日のヒルの仕事をキャンセル

26日 喉にイソジンが効く~という感じ。夜の仕事をしたら、声が出ないで大変

27日 夜 37.5℃

28日 安静 横になるとせき込む 寝汗。 

29日 安静 同じ 寝朝 気温も低く湿度が高いので、寒いのか、湿度なのか不明。夜仕事

30日 安静 山キャンセル 病状悪化。 昼にピザ屋に行った。

31日 朝好転。 病院受診。

1日 好転中・・・いがらっぽい。耳鼻科を受信後、呼吸器科受診。どの医者に行くかも調べてからでないと受診もままならない。

普段健康体であまり風邪を引かないので、医療機関にかかることも少なく、こうなるとまず医者探しが問題になる…風邪では会社員時代は会社の医務室くらいにしか行っていないし、甲府に来てからは、土地の人でないので、あまり医療機関自体を知らない。近所の評判というのも、現代生活では聞く機会がない。

というわけで、珍しくお医者にかかったので、その備忘録。

■私の内科呼吸器科

前回の風邪で内科で喘息があると言われた経験を生かして、呼吸器が得意な内科を受診。もらった薬。

1)クラリス錠 マイコプラズマ用の抗生物質。マクロライド系の抗生物質
2)ムコダイン錠 痰きり

3)濃厚プロチンコデイン配合シロップ 咳止め。
4)シムビコートタービュヘイラー 吸入薬 喘息用。これはとても効いた。
5)シングレア錠 気管支の収縮抑制

■夫の内科。

夫は不整脈があるので、循環器系併設の内科。

1)クラリス錠
2)スピロペント錠 気管支拡張
3)メジコン錠 せき止め

4)ムコダイン錠 痰きり

5)濃厚プロチンコデイン配合シロップ 咳止め

■耳鼻科

私は咽頭を見てもらいたかったので、耳鼻咽喉科に行ったら、失敗だった。

1)チステン錠 痰キリ、鼻水を出しやすくする
2)アスベリン錠 中枢性鎮咳薬
3)レバミピド錠 胃薬
4)ゼスラン錠 抗アレルギー薬。メキタジン
5)クラビット錠 抗生物質。ニューキノロン系
6)トラマゾリン点鼻薬 鼻の充血を取る
7)塩化ナトリウム

 というわけで、今回の感冒症の原因菌は、マイコプラズマ。

■マイコプラズマ感染症

http://www.sped.jp/disease_mycoplasma.htm

家族一人がかかると皆かかってしまうそうだ。

・よくある病原菌

・肺炎の原因菌

ペニシリン系やセフェム系などの抗生剤が無効で、マクロライド系やテトラサイクリン系の抗生剤が有効

■ 風邪の原因菌

ライノウイルス、コロナウイルス、パラインフルエンザウイルス、RSウイルス、インフルエンザウイルス、アデノウイルス。

http://www.jrs.or.jp/modules/citizen/index.php?content_id=2

治療

 ウイルス性のかぜ症候群であれば、安静、水分・栄養補給により、自然に治癒します。抗菌薬も一般的には不要なことが多く、解熱剤も適宜に使用する程度でよいと思われます。ただ、原因がウイルス以外の細菌もしくは非定型病原体によると思われる場合には、それぞれに適した抗菌薬を診断後からでもいいので投与します。

マイコプラズマだったのかなぁ・・・ 念のための投与のような気がしないでもない。

このような素晴らしい診断ガイドを見つけた。上記サイトより引用。つまり熱が出ても、色のついた痰や鼻汁が出ない限り、医療機関は受信しなくて良い。



主婦らしい一日

2014-03-27 17:14:52 | Diary

■ 春色

春は一年でモノが一番売れる季節と言われています。私も例にもれず、インテリアを春らしくしたくなり… 具体的にはトイレマットを新しいものに更新したかったのですが・・・ 結局、ニトリと東京インテリアに出かけてきましたが、どちらにも気にいるものはなく、結局何も買わず帰ってきました(^^;)。 せっかく出かけたのに残念。

■ 欲しいものはないのに、要らないモノであふれかえっている

甲府の商店街などを歩いていて、やっぱり思うのは、「モノが売れない」のではなくて、「消費者が買いたいものを打っていない」んだろうな~ということです。

北海道物産展をやっていたのですが、全然売れていそうではなく、「試食どうぞ~」もあまりに客が少ない中なので、にぎわい演出と言うよりは、押し売りを恐れて「結構です・・・」ですし、売っているものも”いつもの”もの・・・今では冷蔵技術が発達したので、物産展でいくらを食べなくても満たされるようになってしまいました。

かわいそうになったのでコロッケを買って帰りましたが、お味は普通でした・・・。まぁコロッケだもんね~。

登山でも、欲しいものは店に売っておらず、探し回らなくては必要なものは買えませんが、要らないモノは、「買って買って」の大合唱が聞こえてくる・・・というのはどこでも同じ話のようです。

私は リジンのサプリと、口唇ヘルペスの塗り薬を買いたかったのですが、基本的に売っていません(笑)。

というわけで、ますます出かけて買うことはなくなり、ネット通販に傾いていくわけですが・・・これは消費者のせいではアリマセンよねぇ・・・?

■ デザイナーズフード

私は長らく”なるべくベジタリアン”な生活をしているわけですが・・・今回、夫が2度も風邪を引き、私も風邪を引いたので、栄養的に欠落がなかったか振り返り中です。

免疫力が下がった・・・? 口唇ヘルペスは別名、熱の華。私は子供のころから体力が落ちると出ます。なので体力が落ちたよ、というサインです。でも、特に何かしたっけな~・・・

夫も、ということで疑うべきは食。 このところ、肉全然食していませんが・・・まぁたぶん関係ない。肉より、このところ野菜が乏しかったのが良くないのかも・・・。冬はキノコ以外食せるものがないんですよね・・・特に夫に。冬は狩猟で食いつなぐ季節でもあるので、夫に関しては肉を許容してもいいかもしれません・・・がちゃんとした肉は高いんだな・・・。

厳格でない人には当てはまりませんが、厳格なヴィーガンの人はB12不足が知られています。

私が食生活を振り返って思うのは、むしろ、加工食品が我が家に忍び寄っているってことです!! 登山をし始めて、インスタンドフードが身近になりました・・・これは良くない!

夫は見るとついカップヌードルを食べてしまうみたいですし・・・。登山のときはいいですが、それ以外の時に食べるのはNGです。隠しておかねば。

またチョコや体にあまり良くないだろう袋菓子、清涼飲料水も身近になってしまいました・・・追い払うのは何十年もかかるのになぁ。

多くの人は知らないと思いますが、加工食品はビタミンを消費します。ので、食べないより食べた方がビタミン欠乏症になります。むろん、登山は非日常ですので、非日常でやっている分には体内に蓄積されたビタミンでなんとかなります。

気分も盛り上がっていますしね・・・でも、登山で食べるものを日常でも食べるようになるとダメです。

昨今、日本人の野菜消費量はアメリカ人に抜かれています。(昨今っていっても、もう5、6年前から有名な話です)

特にスーパーを見ていると手を掛けない中食が増えています。御惣菜も出来上がったのが一杯で、高齢者の買い物籠をみていると、ほとんど中食だったりします。家で料理しない人が増えていますよね。個食が増えると料理しなくなりますし。

しかし、それでは、免疫力を弱め、ガンなどの病気にかかりやすくなります。

今は デザイナーズフードと言うことが言われている時代です。病気にならない食べ方をする。

画像はすべて、http://www.nissui.co.jp/academy/market/01/02.html より転記。 

このピラミッドを見ていると、甘草なんていう見慣れないモノもありますね。甘草はリコリスです。よくハーブティに配合されています。

十字架植物と言うのはアブラナ科のことです。たくさん食べるほど乳がん発生率が低いと言われているそうです。

これは今日の私のランチ・・・ホウレンソウのカレーです。ポテトサラダはナッツとレンズマメ入り。

サラダのドレッシングは、玉ねぎと人参のピューレ、ワインビネガー、レモン汁、オリーブオイル。

やっぱり白米がダメですかねぇ・・・

一応これには、ハトムギが入っているのですが・・・(日焼けしたから)

玄米食は、胃に負担が重いので、胃の負担を考えると、雑穀を混ぜる案が一番良いのかしら、という気がします。

柔らかく炊けたご飯のおいしさは、手放す気になれないモノの一つですよね・・・

乳製品を手放す方が、卵を手放すより楽なのですが・・・

今回はヴィーです。


20年来のアメリカの友人とのお別れ

2013-09-26 21:14:15 | Diary

■ 静かな別れ

最近、ちょっとしたお別れがありました。

付き合った期間より、友人だった期間が長かったデイビッド…サンフランシスコに私がいたのはもう20年も前ですから、その当時からの付き合いといえば長い付き合いです。

男性にとってパワフルすぎる父親というのは人生の破滅なんだなぁ…そう思えたデイビッド事件…

デイビッドとは20年来の付き合いでした。少し前にインターネットで出会った中国人と結婚し、相手がグリーンカードを取得したところで、破局…。気の毒ですけど、なんだか傍目にはそれは予定調和のような話でした… 私は山に居て相手はできなかったんですけど。

■ すごすぎる父親

彼の父親は超がつくエリートでした。軍隊上がりの叩きあげで大企業の幹部。誰もが知るアメリカの巨大企業でした。退職後もジュネーブ行っていましたから、かなり会社では上の方の役職にいたようです。4人の子供をもうけた最初の妻を生涯養いつつ、再婚し4男1女。住まいは誰もが知る高級住宅地。引っ越すたびに大きくなる家。

そんな父親のもとで、デイブは長男。実際、病弱に生まれてしまったようなのですが、私が出会ったころ、ぜんそくがあるも、それは誰しも付き合っていく持病のようなもので、そのために人生を狂わせるようなものではありませんでした。文学的・芸術的才能がそうさせるのか、常に自分を悲劇的に見る癖がある人でした。でもそれも人としてありがちなことで、特別大きな欠陥になるわけではありません。

手に職があり、本業はキャビネットメーカー。家具職人と訳されますが、あちらでキャビネットメーカーと言うと、作り付けの家具を作る人で日本では建具屋さんに近いです。精密なウッドワークが必要で、繊細さが必要な仕事です。実際、彼が作った家具は結構高価格でした。ウッドワーク好きを生かして、手作りのボートを作ったり、伝説のギタリストが使用したギターを作ったことで有名なギター職人に友人がいて、一緒に工房でギターを作っていたこともありました。

敬虔なクリスチャンで教会で仕事し、音楽を愛し、ジャズ奏者でした。ドラムスとギター。自然を愛し、というか、貴族的で男性的な趣味を持っていて、猟を趣味とし、ハンティングに時々出かけていく人でした。コレクションはアンティークガン。私が出会った時はひと財産築き終えた後で、成した財で大学に戻り、大学院で哲学を専攻中でした。

これだけの才能がありながら…彼は生涯、偉大なる父親の影響を免れ得ないのではないかしら…

私はと言えば、当時は学生。ベビーシッターをして英語を身に着けようとしていました。子供を抱く私は取り立てて家庭的に見えたのかもしれません…東洋の女性は受動的。そこがそもそもの大誤解の発端じゃないか?と思わないでもないですが…西洋人の男性が東洋の女性に魅かれるのは、男女同権が進んだ西洋で女性が今でいうところの肉食化しすぎ、一緒にやっていく相手ではないからかもしれません。もちろん、それは思い込みなので、大概が裏切られて終わりなのですが(笑)、東洋の女性の方が我慢強いというのは言えそうです。終るのも時間がかかる。

私とデイブは気楽な仲でした。というのは、私が日本人にしては、例外的に英文学に詳しかったのと、バレエやクラシック音楽を愛していて、シーズンともなれば、食事代をケチってまでも、シーズンチケットを買っては毎晩、劇場に出かけていくと価値観だったから。私はベビーシッターで働いていない日は、本で英語を勉強してカフェで過ごし、その辺の人たちと友人になって英会話を練習、というボヘミアン的ライフスタイルでしたが、彼も似たような生活でしたから。私は彼の授業にこっそり参加したりして、学生のような顔ができ、大学は庭でした。あちらは外国人留学生が多いので一人くらい混じっていても全然目立たないのです。

私にとっては、彼との暮らしはどこも無理に合わせる必要がなく、単純に楽だったのです。彼の方もそうだったようで帰国することになった時は、膝まづいてアメリカにとどまるように哀願されたくらいです。このせいで私は大阪行きの飛行機を5分も遅らせる羽目になり、乗客みんなに睨まれました。

当時デイブはまだ30代で、すでに悠々自適生活に入っていたので、それだけでも上出来なのではないかと今にして思いますが、彼にとって、上出来の人生は、彼の父親に認められる人生だったらしく、それは、当然のことながら、父親のジョージがたどった人生航路でした。ジョージが同じような道を息子に期待したとは私は思えませんが、息子の目にはそう見えたようです…

つまり家庭を持って子供を大勢と言わずも持つような生活ですね。

そう、今に話を戻すと、中国人の妻と離婚が成立した後、彼はひどい鬱を発病し、その精神の病は、医者が病名を発見できないくらいレアなモノだったそうです。 (ああ、でも前にも聞いたことがあるような話・・・)それゆえ、適切な処方もされず、日常生活が送れない。もう死にそうだ、というメールをもらいました。体重が10kgも減ってしまったそうで。

それは気の毒なので、色々相談に乗っていたわけなのですが、彼の論調には、常に父親から病気を無視するように躾けられたから、病弱な自分を受け入れられないんだ、という趣旨がありました。でも彼ももう50を超えているはずなんですよね。もう親のしつけ云々の年齢ではない。 

たしかに頑強で強い男性でした、ジョージは…。私は結構ジョージとも気が合ったので、デイブと別れてからも、ジョージは妻のジュディを伴って私がいる大阪に遊びに来たくらいです。でも退職してすっかり丸くなっていましたけど。私は父親を知らずにそだったのでジョージはちょっと父みたいでしたし、向こうもそもそも息子の彼女というのは、義理の娘候補なので私を娘のように扱ってくれました。

デイブはやっぱり父親への恨みつらみを父親の死後も手放すことができないんだなぁと思い、もうジョージのことは忘れて健康回復に専念したら、と言う私に彼の批判の矛先は、診断もできない医者に。

でも医者を責めたところで自分が良くなるか?というと、ならない。大体、精神的な病って、鬱などの重篤な状況に陥っている人には決して言うべきではありませんが、自分で自分を病気にしている面があります。この彼の場合、相当長いメールを書いてきましたから、実際に体力も精神力も衰えていない。本当に死にかけている人は、自分は死にかけているんだぞという恫喝に近いようなことさえできないです。これは周囲も相当手を焼いているんだろうな、と傍目には伺えるのでした。

実際、20年前に私が彼とお別れすることになった、直接の原因も、彼がアル中になったから、でした。それも、たった3か月で。日本に来てくれたんですよね、頼んでいないのに。私は学生が生活2年残っていたので、それを終えてから、またアメリカに戻る予定にしていました。ところがその2年が待てないというので、彼が日本に来てしまったのです。ところが、彼は環境の変化に適応できず、アル中になって、緊急帰国したのでした。たった3か月で、だよ?残ったのは大量のスミノフの空きボトル・・・

そのことがあり、私には、デイビッドの粘着質な性格が、精神の病を自ら招いているように思えたのです。繊細な精神って大変ですね。

でも一般に女性はそんな繊細な精神ではなく、生きるたくましさみたいなものに魅かれると思うんですよね…

そして、そうやって自分で自分を病気にしている男性なんて…母性に訴えかけるかしら?うーん。私には少なくともダメですね。
そういう女性もいるかもしれませんが。

妻が離れていったことに、私が離れていったことを重ねたようで、彼は「今回もうまく行かなかった。俺はダメ人間だ」と…

でもなぁ・・・うまく行かなかった過去に固執しても、今にも未来にも何にも役に立たないからなぁ・・。

それはAAAで立ち直った時に学ばなかったみたい。めんどくさいと思ったものの、父親のことも分かれた妻のことも忘れるべきだとアドバイス。でも、聞き入れないのです。いや正確には聞き入れるふりをして、また、父親や前の妻のことを書いてくるのです。文面の8割が過去の話の回想。

というわけで、それを指摘すると、今度は逆切れしてしまうし…。じゃ分かったから非生産的なやり取りはやめようと提案すると、今度は哀願…そして自分には友人は必要ないと強気がる。本当は孤独が恐ろしく堪らないのに…

男性は女性がいないと自分が生きる意味を見いだせない動物なのかも知れません。彼にとって欲しいのは一人の女性のために生きる、昔の騎士みたいな人生なんだなぁ…と思うのは、かれが一番幸せそうなのは、未来の花嫁を迎え入れるために、家の中に棚を作ったり、バスルームを作ったりしていた時だからです。

その頃は楽しくメール交換できたのですが、彼が作ったそれらのしつらえは、ちょっと花嫁自身の好みとは違ったようです…。(だから言ったのに…)

実際、彼と別かれた妻は何の文化的共通点がなく、趣味も全く違うのです。当然の帰結として、あっという間に離婚してしまい、相手の女性はグリーンカードをきっちりと取り中国脱出を果たし、今は別の中国人男性と暮らしているそうです。それでも、その女性に財を残そうとするなんて…バカ?

男性としての本能が何かおかしくなっているような気がします…が、単純に昔の彼女の気を引きたいだけかもしれず、私の結婚生活が円満で幸せであることをそれとなく伝えてみると、途端に、誰からも愛されないのだ、老後は一人だけで死ぬのだ、と自己憐憫に走るのでした…やっぱり孤独が怖いんじゃん。

でも、老後のために結婚するんじゃないしなぁ…。老後なんて今から心配しても仕方ない。そもそも老後なんて、あるほうが怖いものです。老後がないくらい真摯に生きることができれば、そのほうが長い老後を持つより現代では幸せです。

なんだか長年の友人の相談に乗ってあげようとしていたメールもエンドレスループになってきたので、私の方からメールをしなくなってしまいました…

大の日本好きと吹聴し卒論は日米論だったのになぁ。結局、彼にとっての日本好きは、おそらく西洋人より御しやすく自分なしでは生きられない(ビザその他の都合で)はずの東洋人の妻を得る手段だったのかもしれません… 

これで20年来の友人とのやり取りは終わりでしょう… 私にとっては、見ずに済むなら見ないで済ませた方が良かったなと思える別れでした。

 


集団登校が嫌いで知りたがりでビビり

2013-02-06 08:11:18 | Diary

■ 集団登校が嫌いだったこと

小学校1年生で初めて小学校に登校するってとき…5Fに住む大家族の4人兄弟の、6年生のお姉さんが私の同い年の妹のカナちゃんと一緒に学校に連れて行ってくれました。 集団登校。

でも…連れて行かれる本人のわたしったら仏頂面… というのは、入学式でも行ったから道くらい知ってる、って思っていたのです。

当時の実績… 3つのとき一人で近所のパン屋さんまで行き、警察に保護されました(笑)
          5つのとき、半年しか通っていない幼稚園から勝手に一人で帰ってきていました。

それ以降、私はカナちゃんと一緒に登校する羽目になるのですが… 一緒に行くのが嫌で、わざと寝坊したことにして、「先に行っておいて~」。 で、ホントにちょっと遅刻しそうに!

学校への近道に、今ではもうちょっと見ないような巨大な材木置き場がありました。ネットを乗り越えて、そこを通ると近道で線路も踏切を渡らずにすみ、学校に直行できる。その入り口に、大きくて、とてもきれいな・・・何の木だったでしょう…ミズナラかな…木があり、その木を眺めるのも、とても好きでしたが…

材木置き場…子供がちょこまかすると危ないので… 後々そこは通行禁止になったのですが…結構無視していたような…いや、すみません… 。

最初のころは、材木置き場通過は遅刻を避ける手としてデフォルトでした。

3年生になって弟を連れていかなければならなくなるまでは…。実は材木置き場を通らないとすれば、長屋が並ぶ通りを通ってたくさんの交通量がある車道を恐る恐る通らなくてはならず、私はその長屋を見るのがいやなのでした。洗濯物がだらしなく並んでいて、みっともないんです…あまり見た目にきれいな眺めではありませんでした。

それに熊本は雨が多いのに、小さな子供には配慮がなく、車がしぶきをあげて通り過ぎてびしょ濡れにされることは一度や二度ではなく…ホント子供って受難続きですよね。

思えば、子供のころは毎日が発見続きでした。野犬に追いかけられたり、どぶに落ちたり。車にずぶぬれにされるくらいはマシなほうですね。毎日がサバイバルですよ。とはいえ、下校では毎日同じ道を通るということはないのでした…(笑)退屈なんだもん。

■ あるときちょっと冒険しました

心に残っているのは、製材所のおじさん。

材木置き場を通れなくなり、仕方なく車道を行くのですが、しばらくすると小さな製材所が出てきます。
朝早くから働くおじさんたちが見れる。その製材所は掘立小屋でした。中は暗くて、大きな機械類が一杯置いてあり、そして超うるさい!! 木を機械で挽く音は木の悲鳴のようでした。 なのでダッシュで通り抜けるんですが…目の前に踏切があって、引っかかると騒音に耐えねばならない。

製材所にはひときわ小柄なおじさんがいて、めっちゃよく動いているんです。ほかの人よりうんと働き者風…でも、おじさんが来ている長袖シャツの右袖はいつもからっぽでブラブラしているのでした。

なんだろう、あれ?

たぶん、私は子供だったのでおじさんを遠慮なくジロジロ見ていたんだと思います。

おじさんの腕がどうなっているのか理解したいと思い、その製材所を通る不快な車道ルートは、とりあえず、定番として許容されたのでした…(笑)。 今思えばきっと仕事中に腕を切り落としてしまった気の毒な方なのですが、子供のころだったのでよくわかっていなかったんです。 

ずっと後になってですが、製材所の脇にあるお地蔵さんのそばに、グミの木があって、その実が食べれるとおじさんが教えてくれました。そのせいでお地蔵さんの家に登ってしまうのですが…良かったんだろうか…(笑)

もう一つの思い出は、その製材所の前にある長屋のあばら家。そのあばら家は登校の時はガーブの外側にあるのであんまり目につかないのですが、下校時にそこを通るとかなり目につく位置にありました。

最初は人が住んでいる風だったのですが、見る間にどんどん廃れて行って…5年生のころ、なんだか幽霊でも出そうな雰囲気になりました。

で、あるとき、何を思ったか、その家に入ることにしたんですよね。幽霊がいるかどうか?みたいな感じで。

ブロック塀に登り、二階の窓を開けたらあいちゃった。 そいで入ってみたら…食卓にご飯があった(汗)。風化してたけど。布団まで敷いてあり…まるでベスビアス火山が噴火した後のポンペイ?な感じでした。

おそるおそる一階まで降りてみる… タンスの中も開けてみる…すると子供の死亡通知が出てきました。押入れにはちゃんと布団もあった。けど、ものすごーく、幽霊が出そうな感じで、すぐに逃げ帰ったのでした。あれって今思えば夜逃げあと? 

■ 実はビビりです

そのあばら家は実は通学とは関係ない道の分岐点にあったのですが…この気味のわるい家があるせいでそこを通らなくて済むように、長らくその道を避けていました…中学校になってそのルートを使うようになるまで。私の中では鬼門って位置づけでした、この探検のせいで(笑) 

思い返すと、通学で誰かと一緒に歩いて楽しかったっていうのがない… そのあばら家探検はたぶん、だれかもう一人いたような気がするんですが記憶も定かではない・・・たぶん、たまたまその辺にいた下校途中のだれか男の子だったと思います。

■ 集団が嫌いで、先がどうなっているか知りたがりで、ビビりなんです・・・

今思うと、年に一回か二回ある集団下校…最悪だといつも思っていました。大体先頭を歩かされるんですが、何がいやって、旗もってるとこ。 

基本、徒党を組んで歩くこと自体が嫌いなのかも…

甲府の我が家の裏側には車は通れない細い小道があって、よく高校生が自転車で通ります。

きれいに横一列にならんで通る人たちが多い。私ってあれ学生のころやったかな?って振り返ると決してやっていない・・・(汗)。

高校のころは例にもれず自転車通学でしたが…たまたま登下校の時間が一緒になってバッタリ会ってしまった中学時代のクラスメートと途中区間、競争するように走ることはあっても…ドアツードアで一緒に登校なんて一切思考の範疇外でした。「最近○○で米ちゃんによく会うなぁ」程度。

毎日一緒に走っているので米ちゃん側は向こうの学校で「どうも○高に彼女がいるらしい」という憶測?うわさが立ったらしいですが、そのせいで米ちゃんはわざわざもっと美人のクラスメートと並走できるルートにリルートしてしまったような(笑)?

ちょっと話がそれましたが、集団登校嫌いで、探検することもあるけど怖がりです、って話でした(笑)。


 


Greensleeves

2012-12-07 22:54:59 | Diary
一週間が終わりました。今日はすごく大きな地震があってビックリしました。
大きな被害が無いことを祈ります。

ヨガを教えて帰宅したら、地震があったので珍しくTVをつけたのですが、やっているのは政治の話ばかりでした…あまりたいしたことはなかったのかな・・・

すぐに夫がご機嫌で帰ってきました。飲み会で飲んだ後です。ので今日はご飯無し。



いつものようにまたCPRのネットラジオに変更すると12月に入ってからずっとクリスマスソングです。私の好きなグリーンスリーブスです。ケルトの伝統的な音楽です。基本、振られた男性の音楽のようなのですが・・・(^^;)

Olivia Newton John - "Greensleeves"


Alas, my love, you do me wrong,
To cast me off discourteously.
For I have loved you well and long,
Delighting in your company.

Chorus:
Greensleeves was all my joy
Greensleeves was my delight,
Greensleeves was my heart of gold,
And who but my lady greensleeves.

Your vows you've broken, like my heart,
Oh, why did you so enrapture me?
Now I remain in a world apart
But my heart remains in captivity.

chorus

I have been ready at your hand,
To grant whatever you would crave,
I have both wagered life and land,
Your love and good-will for to have.

chorus

If you intend thus to disdain,
It does the more enrapture me,
And even so, I still remain
A lover in captivity.

chorus

My men were clothed all in green,
And they did ever wait on thee;
All this was gallant to be seen,
And yet thou wouldst not love me.

chorus

Thou couldst desire no earthly thing,
but still thou hadst it readily.
Thy music still to play and sing;
And yet thou wouldst not love me.

chorus

Well, I will pray to God on high,
that thou my constancy mayst see,
And that yet once before I die,
Thou wilt vouchsafe to love me.

chorus

Ah, Greensleeves, now farewell, adieu,
To God I pray to prosper thee,
For I am still thy lover true,
Come once again and love me.



A Home in the Meadow - Debbie Reynolds


Lyrics:

Away, away, come away with me
Where the grass grows wild where the winds blow free
Away, away, come away with me
And I'll build you a home in the meadow

Come, come, there's a wondrous land
For the hopeful heart for the willing hand
Come, come, there's a wondrous land
Where I'll build you a home in the meadow

The stars, the stars, oh how bright they'll shine
On a world the lord astill his designed
The stars, the stars, oh how bright they'll shine
On the home we will build in the meadow

Come, come, there's a wondrous land
For the hopeful heart for the willing hand
Come, come, there's a wondrous land
Where I'll build you a home in the meadow


あなたなしでは生きられない?

2012-04-24 11:20:23 | Diary
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■ 今日のお天気

今日は山梨は穏やかに晴れて素晴らしいお天気です。

4月はあっという間ですね。花みずきが満開になり、ベランダの寄席植えは2段目のチューリップが
咲きました。気温がこのところずっと低いので1週間も前に咲いた白いチューリップのほうも健在です♪


ベランダを何とかする計画があるのですが、120cmのルーバーラティスがどこのホームセンターにも見当たらず挫折中…。ちょっとしたものが手に入りづらい。


昨日は夜のレッスンを代行で担当しました。やっぱりヨガすると良く眠れます。春ってのも
ありますが…今日は少し寝坊してしまいました。やっぱり疲れてたんですかね?自宅マンションでの
避難小屋生活(笑)

■ あなたなしで生きられないと言われたい?

最近、知人が「あなたなしでは生きられない」という告白(?)を受けたそうです。

私はついお世辞で「まぁ言われてみたいですね~」なんて言ってしまいました。

夫は「え~?”言われてみたい”ではなくて、”言ってみたい”んじゃないの~???」

自分がそんなことを言うなんて考えてもみなかったわ(笑)。

よく考えてみると、夫は、私からそう言われたかったのですね…。ごめーん、自立した女で。

とりあえず私の愛情最上級表現は 「あなたが一番好き」です。これで我慢してね☆

■ 愛のセリフ

でもさ~「○○なしでは生きられない」 って そもそも愛のセリフ? 

私は私なりの方法で彼に愛を伝えているつもりですが…うーん? 

女性と男性では愛情の表現の仕方がたぶんぜんぜん違うのですね。 

ズバリ私は西洋式です。彼が家を出る前はハグします。帰ってきてからもハグします。
寝るときは一緒のベッドで寝ます(喧嘩したら追い出します…笑) 

でも 夫なしでも生きられます。 依存はしていない。

「○○なしでは生きられない」 って 究極的には愛ではなく、依存の告白。

男性にとっては(依存されること)=(愛されること)なのでしょうか。

私だったら依存されたらウザい・・・とか考えていたら昔の恋人のことを思い出しました。

すっかり忘れていたのですが(「言われてみたい」とお世辞を返したくらい…)実際言われた経験があった(汗) 

そして言われてみた感想はぜんぜん嬉しくなかったのでした・・・考えてみると重荷というのが結論でした。10年くらいはずっと心配していました。

■ 一人でも生きれるけど2人ならより楽しい

誰かのために生きるのは、とても素晴らしい生き方だと思います。

ただ考えてみると、

 あなたなしでは生きれない

という場合に、生きる手段にその相手がされてしまうのは、単なる精神的依存関係にあり、それは
愛とは少し違うのではないか?と思ったりします(まだ良く分かりません)

中毒症状と似ている。つまりギャンブルや酒の地位に愛が入る。 

でも人間恋をすれば、相手が世界の中心みたいになるのは誰だって経験があることです。

依存ではない、愛の形の傍証は…互いの自己成長ではないでしょうか? 

アップスケール的か?ダウンスケール的か?そこが依存なのか、相互の協力関係なのかの分かれ目。

あなたなしでは生きられないってうそっぽい。

誰だって一人でちゃんと生きられます!! …ただ一人より2人が楽しいだけ。

一緒にいたほうが双方にメリットがあれば(お互いに一緒のほうが嬉しければ)人は自然と
一緒にいるようになるのではないでしょうか…

結局一緒にいる時間が少ないのであれば、それは結局惹かれあっていないということなんだろうな。

んまぁだから仕事をやめて夫の転勤先に妻がついてくることになるのですが…愛ってコスト高(笑)

でも、「あなたなしで生きられない」って言われたら…ダッシュで逃げちゃうな(笑)

安心

2012-04-23 11:44:17 | Diary
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■ 山梨は雨です

今日は甲府は朝からしとしとと悲しい雨です。

大阪に行ってやるべきことが見えました。

■ シンクロニシティ

街はどんどん「変わる」。変わる街を見ると”浦島太郎”になってしまうのではないか?という不安になる。

私の仕事の知識は陳腐化するのではないか? バレエはみんなより下手になってしまうのではないか?
子供もなく、仕事もなく、人生の置いてきぼりを食ってしまうのではないか?エトセトラ、エトセトラ…

…でも大丈夫だ。実は何も心配は要らない。心配が要らないどころか、見事にすべてがスケジューリングをされている。

すべてはちょうどよいときにちょうどよいタイミングで起こるんだ。

私が大阪にいた頃はバレエ三昧&仕事三昧で、ビジネススクールに行ったりして驀進中であり、クライミングなんて
まったく興味がなかった。

ところが私が大阪を出たちょうどその頃、そのジムは出来て、そして私の興味がちょうど熟した頃、「あらご近所に」
なんていう風に出会えたわけです。山梨に来なければこの出会いはなかったわけだ。

私が大阪を出た頃に開業をはじめたヨガスタジオは、ちょうど私がマイソールをやりたいなというころあいで出会えた
わけで、バレエ三昧中の当時の私なら、そのスタジオのよさが分からなかったでしょう。

シンクロニシティ…すべてはちょうど良いときにちょうど良い分だけ用意されている。

今、そのときをめいっぱい生きる。 それだけでいい。

■ 山

山梨に来たときは「さて、どうしたものか」と頭を抱えました。 

 することがない…。

キャリアを追求しようにもビジネス砂漠だし、バレエを追及しようにもバレエ砂漠です。

たた暇をつぶすには人生は貴重すぎる… というわけです。東京にいったり、メルボルンに
いったり、あれこれ試行錯誤の末、可能性をつぶすと山梨にいることが消極的選択ながらもベター・・・・

 今山梨にいる。 

そのことを最大限に生かすとしたら?と考えると、どれだけ考えても山に行くことしか浮かびません(笑)

結果、「山梨では山にさえ行けたら後は問わない」(笑)。 

特に山登りが好きだったわけじゃありませんが、私は山梨生活の成否は山で計ることにしました(^^v)。

だってそれ以外で何がいいのか分からないんですもん。

■ ただ一緒にいるだけでいい関係

帰ったら夫が風邪引きさんになっていました。免疫力さがっちゃったかな?

大阪にいるときは彼はほとんど出張で自宅におらず、私自身も出張が多かったので、
「やっと会えたね」って言って会っている場所がお互いの出張先、なんてこともありました。

彼にはたぶん私の支えが必要だったから転勤が起こったのです。

と言っても別に一緒にいるだけで「あなた、お風呂が先?お食事が先?」なんて甲斐甲斐しく
世話を焼くなんてことはないのですが。(それっていつの時代の幻想でしょう・・・笑)

ただ一緒にいるだけで、免疫力がアップする関係なのではないか? そんな風に思います。
何しろ、夫といると私はよく眠れます。彼もぐっすり寝ているようです。

ただ私は平日ずっと家に一人でいるわけで、もともとお勤めをしていたようなタイプの女性には、
買い物と家事しかない生活なんて、それだけで息がつまる…。

・・・が、編み物もやってみたけど退屈でしたし…やっぱり山(笑)?

夫と私

2012-03-07 13:54:23 | Diary
■ カモ

近所のドブ川に鴨のカップルが住んでいます。

人間が鴨カップルに目を向けると…

 メス → ちょっとのことで警戒 & 目を一時も離さずアラート状態
 オス → のんびり伸びなんかしちゃって 警戒心ゼロ。オヤジ化中? 鴨鍋にされてもしらないぞ~

「ああ~ 私と夫だな~」(笑)

私は登山道を間違った時も「間違ったのでは?」と気がつくのが早く、「ちょっと待って」

コースタイムが遅いときも「ちょっと遅いな」と認識するのが早い。
夫は「やけに早く歩くな~。もっと楽しんだらいいのに」

トレースが無い尾根…夫は「ちょっと見てくる~」と歩いて行っちゃう。私は最初に赤布を探す。

さらには運転していても、5~6台前方が停車すれば、すぐに左ミラー見て車線を変更します。
夫はといえば、自分の車が減速してから、「あれ~止まっちゃったねぇ~」っていう感じ。

定番はコレで 「イラっ」と来るわたし… 「何が”あれ~”だ 未来は予見できたぞ」とか思ってしまうんですね~(--;) だから夫が運転中は寝るに限ります。知らなければ平和。

カモのカップルもメスが危機に敏感で、オスがのんびりしているんだし・・・

まぁわたしたち夫婦もちょうど良いってことですかね~。

Us


■ 逆ウラシマ太郎現象?

山梨に来て感じるのは特殊相対性理論(?笑)都会で流れる時間とココで流れる時間は確実に密度が違う。

同じ1時間でも、東京は数倍の密度。 ということは、山梨は20~30年位前みたいです。いや
もっとかもしれない…

なので人々もその当時の価値観で生活しています。あまり価値観自体が更新されない。

人々の常識のペースにあるのはたぶん、”男が養って”やって”女が仕える。”
いや女性は自立できますから…フツーに。ただその現実はこちらにはまだ到来してきていないみたいです。

夫の仕事は地方に来ても都会時間。帰りが遅く帰宅は11時になることも多い。

でもね、「ったくもう、今日は何して遊んでたの?」って聞いたら図星だったらしく

「ツール作ってた~」

まぁそんな感じです…

まぁ 心配しなくていいですよ、って話でした(^^/)

この時世に3億円の無駄遣いという無神経

2012-02-23 07:53:40 | Diary
今日は朝から冷たい雨の甲府です。

しかし、今日はなんとも驚きのニュースから一日がスタートしました。

なんと、3億円で建てた木造校舎の火災実験。

つまり燃やしてポイです。 

どうせ燃やすんなら、3億円もの金をかけて作らないでどこかの老朽化して使わなくなったボロ屋でも燃やしてくれたほうがまだマシです。

なんという無駄遣い!! というか国民を馬鹿にするにもほどがある

これは、「国民が木造校舎を望んでいる」というアンケートを実験正当化の根拠にしているらしいですが
我田引水もいいところです。

国民が望んでいるのは、Woodyな内装、であって、燃えやすくて壊れやすい危険な建物で子供たちが勉強することではありません。

なにも国産材が売れないからって 弱者の代表=子供たちを危険に晒さなくても。

そんなに国産材が使いたいのならば、市役所とか○○省の省庁を国産材にしたら?

そして震災で復興資金が必要、増税が必要、さいたまでは餓死者が出る、という時世に

ただ作って燃やすために3億円(汗)。 

いいですか、3億円って一般のサラリーマンの生涯年収の約3倍ですよ? 
ちょっと生活に困った、って人を何人救えるか?

生涯を面倒なので約50年で見積もって見ましょう。 50年働かないで食わせたって
6人が救えます。 その期間が10年ならば、30人。1年ならば300人。半年ならば
600人。1ヶ月ならば3600人。

木造が燃えやすいかどうか、なんてわざわざ校舎を建てて実験しなくても、江戸の大火災の
時代から分かりきっているわけですから、そんなヒマな実験を思いつくこと自体が、
よほど金の使い道に困っているということを意味していますよねぇ?

そして、その無神経さときたら。ふつーの神経がある人なら、こんなときにそんな実験を
するような厚顔はありえません。 神経逆なで間違いなし!

お役人と言うものは…(汗) 人の心を失っています。

下記は、NHKニュースのコピーです。(ニュースサイトはネットからよく消えてしまうので。)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーNHKニュースのコピーーーーーーーーーー
防火上の問題などから建築が規制されている木造3階建ての学校について、設計などを工夫することで建築できるようにしようという研究が進められ、22日、実物大の3階建ての学校を燃やす大規模な火災実験が行われました。
この実験は、国の研究機関や大学、それに住宅メーカーの研究グループが行ったもので、茨城県つくば市の研究機関の敷地には、幅50メートル、奥行き16メートル、高さ15メートルの3階建ての学校に見立てた木造の建物を3億円かけて作りました。
木造の学校は、防火上の問題などから2階建てまでしか認められていませんが、校舎を木造にしたいという学校が増えていることなどから、国土交通省では安全を確保できれば建築を認める方針を示しています。
実験に使われた校舎は、柱やはりを通常よりも太くしたり、接合部分の金具を、炎にあぶられないよう表面に出ない工夫をしていて、火事が起きても1時間は倒壊せずに避難時間を確保できるかどうかが確かめられました。
実験は、1階の職員室に火をつけて火災から10分余りたった想定で始まり、火が大きくなって窓ガラスが割れ炎が吹き出すと10分ほどで3階まで燃え広がりました。1時間後には建物全体が燃えましたが、柱やはりは残り、建物が崩れ落ちないことが確認されました。その後、1時間15分後に中央部分の骨組みが崩れ落ち、2時間後には建物全体が倒壊しました。実験の責任者で早稲田大学創造理工学部の長谷見雄二教授は、「1時間はもったので耐火性能があることは確認できた。ただ、窓から噴出する炎の量が予想以上に多く、上の階に早い段階で燃え移ったことなど課題も見つかったので、今後さらに対策を進めたい」と話していました。
研究グループは、実験で得られたデータなどを基に改良を加えて再び火災実験を行う予定で、国土交通省では、研究結果を踏まえて、再来年度にも木造3階建ての校舎を建築できるよう法律の見直しを進めることにしています。

木造校舎の現状は

文部科学省によりますと、全国におよそ40万棟ある公立の幼稚園から高校までの校舎のうち、木造の校舎は10パーセント余りにとどまっています。防火上などの問題で、木造の校舎は2階建てまでしか認められておらず、生徒の数が多く、敷地の狭い都市部の学校では、木造の校舎を建てるのが難しいのが現状です。
一方、平成22年度に新築または増改築された1271棟の校舎のうち、木の雰囲気を少しでも感じられるよう壁や床などの一部に木材を取り入れた校舎は62パーセントに上っています。学校関係者によりますと、校舎に木材を使うと、年間を通して快適に過ごせたり環境教育に生かせたりするほか、子どものストレスを緩和させて授業への集中力が増す効果もあるということです。文部科学省が市町村の教育委員会などに行ったアンケートでも、規制が緩和された場合、「校舎の木造化に関心がある」と答えた人は56パーセントに上り、木造校舎への関心が高まっています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2012年 2月22日 16時44分

大阪&東京

2011-12-20 10:28:28 | Diary
スマホからアップしたのですが文字化けしていましたね(汗)

ので、再寄稿…。

週末は大阪&東京に出ていました。今回は大阪は不動産の用事で行ったのですが、残りは大阪&東京でヨガをして帰ってきました。

旅に出ると時間の密度の濃度差に地方カラーを感じます。

大阪は相変わらず。ヨガ的にも経済事情、生活事情的にも大阪時間はまったく問題ないことを確認できました。

東京は…今回は「東京のヨガシーンを知る」がテーマだったのですが、少なからず
インパクトのある旅でした。

今回は東京のヨガスタジオに流れている時間の密度の濃さに非常に圧倒されました。

今まで受けたヨガ…いわゆるジムや伝統のお稽古場でやるヨガ道場的なヨガをヨガだと
思っていたら、間違います。良い意味でヨガへの予想を裏切るレッスン。

東京でのヨガブームは、いわゆる普通の人が本屋や○○さんのやさしいヨガ、きれいになる○○…みたいな本で受け取るヨガとは全く別の次元にあります。

今東京でヨガを受けることが出来る人はものすごくお徳というかラッキーですね。

それは…もしかしたら、地元の学校で何もしないでも成績トップだった学生が進学してものすごく頑張っても自分が箸にも棒にも掛からないことを自覚する時の衝撃に似ているかもしれません(笑)。

別にヨガに限らず、”世の中の流れ”というような大雑把なことでも、情報が届かない場所にいるとだんだんと”浦島太郎”化してきます。 日本は世界の中で浦島太郎化している面があるし、地方都市は地方都市で浦島太郎化している…しかし、逆のこともたまに起こります。ずっと”遅れている”ハズだったのに、気がついたら最先端、トップを走っていた、ってことだって… 例えば日本の漫画文化などそうですよね。いつのまにやら世界のトップランナーに。

地方都市にいるデメリット…それは受身では情報が入ってこないことですが…今の時代それは、最小のデメリットに押さえられているのだと実感しました。ネットがあるからです。

今は世界の偏狭からだってトップランナーについていける時代… もったいないのはそれを知らずに、相変わらず”遅れている”気分に引きずられて生きることかも?

…走り続けること…地方都市での生活は、都落ち、あるいは、歩みを緩める、引っ込む、というような意味である必要がないのだ…ということですね。

いつでも前のめり!!

大事なのは歩くことをやめないこと。






ぐるっと回って原点に戻る?

2011-12-09 10:57:08 | Diary
今日は山梨は冷たい雨の日です・・・ 寒い。

なんだかどんよりしてどこにも出かけたくない雰囲気・・・でも・・・・図書館に行きたいので出かけなくては・・・。

最近、心に残ったこと。 それは、ネット通販で買った 米の旨さ でよみがえってきた成人以前の時代感覚・・・。

ああ~なるほど思い出してきたぞ・・・。そうか、この感覚か! 

わたしは18歳で親元を自立して大学に進学で都会へ出たのですが、都会で出た時は”逃げ延びた”感満点でした。

そう・・・”逃げたかった”んですよね・・・。何から? それは今でも上手に言えないのですが、ブツクサ言うメンタリティ?(笑)

そうそう、昨日20代前半の友人が「こっちは男が稼げないから女が働かなきゃいけない社会だから」って言ったんですよね…そうそう。 こういう発言。
つまり「あっちは働かなくていい社会」と思っているってことでしょう???

あっちってどっちやねん!そんなところはどこにもないんやけど?!みたいなことです。 日本中探したってそんな旧態依然のところはどこにもないんだけどね~(--;)

なんか視野が一方的なんですよね。 

ないものねだり根性?地方の良さを認めず東京ばかりを羨むメンタリティ? なんだか都会の人は楽して儲けているような羨ましがりようだったけれど、実際のところ都会生活はけっこう大変です。

うーん・・・。都会には競争があります。わたしも競争は怖かったけれどやってみたら良い面も悪い面もあった。わたしは都会では、努力すれば報われる、というシステムに助けられる側でした。

逆の人は都会は好きじゃないと思う・・・競争が嫌いといえば聞こえはいいけれど、サボる人ですね。

全体的に見てやっぱり都会は田舎よりフェアです。男女の格差でも機会が平等だし、賃金格差もそうです。

女が働く、で言えば報われるのは都会です。だって男か女かなんて関係ない。能力で認められるつもりなら絶対都会がいいです。それも外資ですね。才能あるなら海外を目指すのがいいですよ…無論海外には”国籍”ちゅうさらなる差別があるわけですけど。

スモールタウンには競争がない。だから、努力すれば報われるタイプの人はスモールタウンでは報われない。

逆にいうと・・・ヒソヒソ声でしかいえないが、努力しない人が楽していられる、ということです。競争がないから、向上もない。
向上していないのに、”もっと”と言う。実はとても恵まれているのはそんなぬるま湯につかっていられることなのだけどそれを知らない。常に東京を向いて羨んでいるから、マネに終わり自分の芯がない。かと思えば異様にプライドが高い。

お隣の県、お隣近所というような狭い範囲の地域間競争に明け暮れて、勝手に自滅している。ホントはお隣さんとは協力するものなのに・・・。

そういう狭い視野から、むかーし逃げたかったのです。そこでは息が出来なかった。 
で、出た当初は、都会ってほんと魂が自由ね~と思いました(笑)

こないだガイドさんが、「一高卒」で地元に先輩が一杯いるって話題になったのですが・・・多分、私が「熊高卒」で地元で融通が利きやすいのと似ている事情らしい・・・

(その人そのもの) < (その人が属した集団) 

というのがスモールタウンらしいなと思った。 昔文芸部で発行する文芸誌の寄付を募りに出かけると制服のバックルを見ただけでああ~はいはい、と商店街のオッチャンが寄付に5千円出してくれました、みたいな感じだ。

そうそう、私のルーツ。 嫌だったけど、こんな旨い米を食べながら、そんな小さな町から出発したんだったっけな。

ああ~思い出してきた、思い出してきた。 そんなことが全く他人感覚になるほどに都会生活に適応したんだなぁ。

なんか海外出張で行ったカンザスで、「何でまたこんなところに来るめぐり合わせになったんだろうな・・・」と空港で乗り継ぎ8時間待たされたときの気分を思い出しました・・・(笑)

これもなにかの縁でしょうね。

平和な昨日

2011-11-16 12:42:11 | Diary
今日は甲府は素晴しいお天気です。


■ 冬の到来は遅め

昨日は夜レッスンから帰ってくるとものすごく晴れ渡った雲ひとつ無い夜空でした。
お月様が低い位置に出ています。 月があるので星は多くはみれませんでしたが
ものすごい晴れであることは確か・・・そして今日の朝も引き続き晴れ渡っていました。

愛宕山から南アルプス方面を見ると・・・うっすらと白く。

今年は雪が遅いようですね。 なんと11月中旬の塩見岳山頂でも水溜りが
凍っておらず解けていたそうでした・・・ 暑い(汗)。

今年はピッケルデビューをもくろんでいるのですが、ピッケルが持てるように
なるのはまだまだ先ですね…

今朝は放射冷却現象で多少冷えましたが、日向はお日様が気持ちの良い、ポカポカ陽気です。

■ ヨガ 

昨日、ヨガに行ってしみじみ思いました。

お客様のために私がヨガを教えているのではなく、私のためにお客様がいてくださるのだなと・・・。

いつもヨガを教える前には、さらーと今日は何をしたいか予習します。

まずはヨガの本を見て気持ちを高めます。そして軽く体を動かしてみて、今日やりたいポーズを考えます。 自分が温めているテーマ、例えば肩こりだとか、腰だとか・・・があればそれを軸にレッスンを組むこともあります。

しかし、結局は、アドリブです。その日お客様に体調をお尋ねし、ほぐしたいところをほぐす。

私のヨガは筋トレに近い陽ヨガではなく、どちらかというとリラックスを目的にした陰ヨガ的なクラスなので、基本的にはじっくり体に効かせます。

そのときはやりどう効かせたいのか?そのクラスの気持ちよさを左右するのはお客様の
体の観察です。

・・・で、そういう感じなのでお客様の体をほぐすことを第一目標にしていたら・・・
今朝はすっかりアチコチほぐされて目が覚めました。

夜はぐっすり安眠です(笑) お客様のおかげ(^^)感謝&感謝です。

ミスマッチの贈り物

2011-10-20 13:25:30 | Diary
お釈迦者の有名な話があります。

菩提樹の下で瞑想していたおしゃか様に、誰かがやってきて、散々邪魔をします。
攻撃したり悪口を言ったり。 お釈迦様はただその場にたたずむだけ。

贈り物をもらっても受け取らなければ、受与は成立しない。 この場合、攻撃は贈り物ということになっているのです。

その悪口を仕掛けた人が「あなたはなぜ黙っているのですか?」とお釈迦様に聞きます。

すると、お釈迦様のした、たとえ話はこうです。お歳暮を持ってきた人がいました。その人が差し出すとこちらは結構ですと言って受け取らないのです。そうすると持ってきた人はどうしないといけなくなりますか?

持って返らざるを得なくなります。 これには親類の宴会バージョンもあるそうです(笑)。出した宴会の料理を食べなかったらどうなるか? つまり、残された料理は送り手に残ることになります。

それと同じように、愚痴や攻撃も受け取らなければいい、というたとえ話です。

しかし、これは少々雑な方法かな~と以前から少し感じていました。

受け取らないのは、手間を省いた方法ですが、あまり人間らしさを感じません。
まるで機械かロボットのようです。

■ 悪意&善意の交換

もう少し詳細にみてみると、贈り物(善意)と悪口(悪意)は違いますよね? 

贈り物の場合、相手は善意を送ってきています。贈ってきた善意を受け取らないのは、思いやりがない、非情なのではないでしょうか?

冷静に考えると善意と悪意の組み合わせには以下のような4つのパターンの組み合わせがあります。

          送り手
      善意        悪意    
            |
    善意 善意 |   悪意 善意    善意
            |
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー受け取り手
            |
     善意悪意 |   悪意 悪意    悪意
            |

① 善意を善意で返すパターン  → 相互にハッピー
② 善意を悪意で返すパターン  → 送った人は可哀想。悲哀か怒りが生まれる。
③ 悪意を善意で返すパターン  → 聖人?!
④ 悪意を悪意で返すパターン →  ひどい喧嘩になります

今回、私は、②を経験したのですが、正直キョトンとしてしまい、事態がしばらく把握できませんでした。

このとき役に立ったのは、実際、関係ない人の 客観的な視線で、私にとって今回一番役に立ったのは、友人の「ええ~それはひどいよ。可哀想!」のセリフでした。 

②のパターンの場合、悲哀が生まれるか、怒りが生まれるかは、人格に拠るようです。

例えば親の喧嘩を見て育った子供は、子供としての愛情(善意)を暴力的な光景を見るという(悪意)で返礼されてきたことになります。

するとその子の反応は、悲しむ(内にこもる)か怒る(反抗する)になります。
これはエネルギーが外に向くか内に向くかの違いだけで結局は同じことなのです。

おそらく一般社会的には、お釈迦様のたとえ話は、④のパターンの対策になるだけです。
平たく言うと「相手の土俵にのらない」程度のことで、ハムラビ法典の「目には目を」を否定する思想です。

攻撃されたら攻撃し返す・・・一発喰らったら10発返す・・・ふーむ、アメリカの軍事政策のようです(^^;)確かにこれは破滅的です。


■ 授受が継続するパターン

①のパターンは好循環です。④のパターンは悪循環です。どちらも、授受の流れは延々と続きます。ネガティブかポジティブかの差があるだけです。

③のパターンで、左の頬を指し出してしまうと、授受を続けることになってしまいます。

キリスト教で「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」というのがあるそうですが、すると、差し出した善意(左の頬)を悪意で返されるケースが理論上は50%になります。
 
理論的には、何度も授受をやり取りするものが、相互に善意に変わるまで繰り返されます。長く困難なプロセスですし、ある意味、強情とも言えます。
 
ここには西洋的志向=左を差し出し続けるべき、と 東洋的志向=手放す の差があるような気がします。

左を差し出すべきだという人はとても強い意志を持った人ですよね。差し出さない人はおそらくさっぱりした性格の人でしょう。

■ 授受が切れるパターン → 癒しが必要
 
しかし、②のパターンでは、循環は切れます。授受の流れはそこで終わるのです。残るのは悲哀か怒りのどちらかです。 

するとその気持ちは授受が成立しないため、行き場のない思いということです。
処理する、つまり、癒す必要が生まれることになります。

お釈迦様がいうように、贈り物を受け取らなくても、悲哀や怒りは残るのです。

つまり受け取られなかった贈り物を処理する必要は残ります。 大宴会で親戚を歓待しても、食べられなかったご馳走は片付けされなければならないのです。

ココに”癒し”が必要な理由があるのではないかと思います。 

端的にいうとどんな贈り物でも、ミスマッチの贈り物は授受の継続不可能です。

お釈迦様が言ったように受け手が受け取らないことで、悪循環を断つ④のパターンは重要ですが、この世界で今ニーズが高いのは、②のパターンの場合、一体どうやって心を癒すか?という問題ではないでしょうか?行き場のない思いを癒す方法です。

お釈迦様は第一の矢、第二の矢、という話もされています。 例えば、第一の矢は何か出来事があったときに最初に生まれる感情です。 車が自分を轢きそうになったら誰でもひやっとします。それは第一の矢。その後、怒るのが凡人。気にしないでいるのが第二の矢を受けないという意味です。聖人です。

しかしこんな人間性を否定したことはできる必要がないのではないか?というのが
最近私が感じることです。 人間は人間のままでいいのではないか?

悲しいときに悲しいと感じ、腹が断つときに腹を立てるのは人間らしいことです。

■ 第二の矢

第二の矢を受けないためには、そのことについて考えるのを辞める、ということがよくアドバイスされています。忘却ですね。 

しかし問題はお釈迦様のように誰もが忘却できるわけではないことです。

一方でExplain-awayという手法もよく聞くことです。忘却しようとしても忘却するのは容易ではありません。それなら、逆方向に考えに考えてキッチリ落とし前をつけるということです。

その場合、感情のすべてを表現してしまい、自分自身の中に納得感を作りだすことで立ち直ることができます。 消化するってことです。

どちらの方法を取るか、それは単に個人の資質に拠るもののようです。 
忘れることができるほうが、処理速度としては効率的です(笑)
消化する方法ではプロセスや時間が必要になります。

そうすると悲哀と怒りの2つの反応的な感情に対し、忘却と消化という二つの方向性があります。

結局、どちらも痛みの総量としては同じです。 最初に大きな痛みをとって早く治癒するか、小さい痛みをとって、治癒の時間を長くするかです。

悲哀を忘却 悲哀を消化
怒りを忘却 怒りを消化

どちらにしても、その痛みは絶対に乗り越えられます。乗り越えられない痛みはほとんどないと信じるしかありません。

忘却するにしても消化するにしてもその手法が優れているかいないかは、痛みが再発するかしないかで判断できます。 

癒しと言うのは、再発しないこと…。 忘却や消化という、どちらの癒しでも、あるいは両方のコンビネーションであっても、再発しなければ成功したということになります。

私が思うにはどの方法がいいか、個人的に処方箋があるようです。わたしには悲哀は
忘却が向き、怒りには消化が向いているようです。

逆に親しい個人である、夫では悲哀については消化が、怒りについては忘却が容易なようです。

誰にとっても手放しにくい感情はあるもの…そうした個人差がその人らしさを作って
いるのではないかと思います。






良かったね、おばあちゃん

2011-10-12 13:13:36 | Diary
■ 厭世死

祖母が亡くなりました。85歳の死でした。病院で回診と回診の間に、ろうそくの火をふっと吹き消すように穏やかな顔でなくなっていました。

祖母は実際、ガンも無ければ、血圧もOK、頭もハッキリしていて、飲んでいる薬はビタミン剤だけでした。

しかし、何年も前に骨折をしてから散歩などの運動量が減り、筋肉量が減って、最終的には買い物に行くことや立ち上がることも出来にくくなり、寝ていることが多いと、今度はそこが当たってじゅくそう手前状態の痛みとなり・・・
祖母には、痛い痛いと散々聞かされました。

ただこうした痛みはどうすることもできない痛みだったのです。痛みの原因は、自分の体重と血行不良なので・・・。

骨や内臓がくたびれる前に筋肉と生きる意志が減ったと言う感じですね。

病院に通っても渡されるのはシップとビタミン剤。温熱治療器に当たる以外は施しようがないそうでしたが、その病院へも行く回数が減り、最後は一時入院の際の回診と回診の間のほんの短い間に、ふっと亡くなったそうです。

亡くなる前の体重は27kgだったそうでした。身長は153センチでしたから、相当に痩せこけて、実は、生きていても、初対面の人はぎょっとするほど痩せていたのでした。

祖母に「食べたほうがいいよ」と言っても、食べることも億劫で、また運動をしないため、お腹も空かないのだそうで、そうした体重になっていったのです。

運動をしない → お腹が空かない → 筋力低下 → 痛み → さらに運動をしない・・・・ 

・・・という悪循環の中を、何年も生きていた祖母は、生きているときから、”緩慢な死”の最中にあったように思います。

痛いのは嫌だ・・・そうした状態が長く続き、生きることを疎んじた厭世の結果、やっとのことで訪れた苦しみからの救済でした・・・。

その死の日は祖母が願ったよりもうんと遅く来て、85歳でやっと死ねた、というのが祖母のホンネだったのではないかという気がします。

苦しまずに逝けたことは、本当に良かったのではないかと思います。祖母は死を恐れていましたから。

祖母は、死を恐れていて・・・かつ、生きるのも嫌だったのです・・・。


■ 一軒 丸ごとゴミ

祖母は35年一人暮らしでした。 3DKの市営住宅に住んでいたのですが、その市営住宅が出来たばっかりの頃からの住人でした。

気ままな一人暮らしを好きで選んだ祖母。 家はまさに彼女のお城でした。

色々な物語に、森の奥に住む一人暮らしの魔女の家が出てきますが、そうしたものが現代にあるとすれば祖母の家はそういう感じかな~と思ったりします。 

一人暮らしに必要以上の食器類、たくさんの布団、大きな整理ダンス一杯の服や着物・・・ちょっと欠けた博多人形やクリスタルの置物、空の花瓶、埃っぽい造花・・・あっても結局は使わない洗濯機や家電類。

運動しなくなった彼女と同じように、家の中のモノ達も、根が生えたようにそこに居座り続け・・・整然と並べられていて、お客として訪れた人は、整理整頓されたきれいなお家だな、と誰もが口を揃えます。

けれども、そこで暮らすとなると・・・埃にうっすらと包まれ、生気の感じられない部屋では、夜になると小さなゴキブリたちが我が物顔で人のそばをお散歩するのでした。

置物を少し避けてみるとくっきりと避けた跡がつき、ドアも壁も均一に黄色く染まり、
何年もモノが動かされていないことが分かります。

祖母は、死ぬことにも生きることにも積極的になれなかったのです。モノは使われることもなく、また捨てられることもなく、ただ祖母の心のあり方と同様に、空間を埋めるためだけにそこにあるのでした。

一人で住むには広すぎる3DKの部屋を空間を埋めることで、祖母の心の虚しさを埋めてくれていたのです。 
家族向け住宅だったその家に一人で住むことになった祖母は、空間を埃と不用品で埋めていったのでした。いや、埃と不用品で一杯だったから、他の何も・・・愛情も含め・・・人も・・・入る隙間がなかったのかもしれません。

私が知っているかぎりでは、多くの人が祖母に援助の手を差し伸べようとし、その度に結局は「人様の世話にはなりたくない」と断り、もしくは、相手が「もう勘弁してください・・・」と言うまでの過大な要求で人と共棲することが困難だったということです。

祖母の望みはオールオアナッシングだったのです。私も実は何度も祖母を引き取ってはどうかと思いましたがそのたびに無理だと感じました。

そんなにも頑固で頑なになってしまった人は協調するということができないのです。

老女一人を食べさせることなんてかかる費用だけを見ればそんなに大変なことではないのです。しかし祖母が欲しかったのは、人生を祖母に捧げてもらうことでした。祖母の寝食のために生き、祖母を喜ばせるためにすべてが回る生活、女王様のような生活・・・祖母はそれ以外は欲しくなかったのです。結局、その究極の願いは誰にもかなえて上げることができないことですから、もちろん叶えられることがないために、祖母は自分を不幸だと信じ、祖母にとってのセカンドベストがこの一人暮らしだったのでした。

祖母の虚しさを埋めた家は、今となっては誰にも必要とされない大きなゴミ屋敷。その家一軒を遺品整理回収業者に頼むと、大体10万円前後掛かるようです。 もちろん、その費用は準備されていないのでした…。

■ 生活保護葬

祖母のお葬式は生活保護の範囲内で執り行われました。私はもともと、信仰心がないにも関わらず、華やかに執り行われる葬儀は、篤信ではなく、物質欲を現していると思うので、簡素なお葬式に賛成なのもあり、簡素ではあっても十分なお葬式だったと思いました。

たくさんお金をかけたお葬式をしても、お浄土で役に立つわけではありません。花が好きだった祖母のために私はたくさん花を買って行ってあげました。 

御通夜も葬儀場でしたが、一日一組しか葬儀をしない葬儀場で2泊3日もした祖母はとても静かに横になれたのではないかと思います。

通夜には母が2夜付き添い、お葬式にはお坊様が読経を1時間も上げてくださりました。そして火葬場で火葬し、お骨拾いをして、その場で解散です。

今までに参列したほかのお葬式と違う点は、会席料理などのお食事が出ないことくらいでした。 読経も、ほとんどの参列者には単なる我慢大会で、本来の瞑想的な時間を過ごすことはないように思いますから、1時間くらいで十分なのではないでしょうか・・・。

お布施やお香典などの物品のやり取りは生活保護葬の場合、基本的に禁止なのだそうです。 そういう意味ではこういうお坊さまは、法廷弁護士みたいな感じですね。
ほとんど報酬にならない仕事を引き受けてくださる、本当にありがたい方だと思いました。

宮崎では香典のことを「おめざまし」というらしく、買っていった和菓子屋さんでのしにそう書いてくれました。

お通夜も私が出たことがある別のお通夜では、親族がいっせいに数の足りない布団をめがけ、椅子鳥合戦で一斉消灯する、というお通夜もあったので、一人娘が付き添ってくれたお通夜は十分だったのではないかと思います。

私自身は早めに帰ってホテルで休みました。

■ 不肖の娘

祖母と母は、ながらく不仲で祖母は最後まで母から世話を受けることを拒み続けていました。

祖母いわく、母からはお金の無心のときしか連絡が来ないのだそうです。 なるほど、それでは、実の子でも嫌になるのが当然ですよね。 

逆に母に言わせると、祖母には「母親らしいことはしてもらったことがない」と不満なのです。 

でも、20歳を過ぎてからは、親子の仲というのは、作り直しではないかと私としては思います。 50歳も過ぎて80歳の母に母親らしいことをしてもらいたいというのは、いささか子供じみていまいか・・・と思います。

そんなこんな母が喪主だったのですが、葬儀は喪主の母と、初孫で長女の私、私の配偶者の3人でした。

私は祖母が早く天国に行きたがっていたのを小さい頃から、それこそ、私が幼児の頃から・・・知っていたので、祖母の死については涙は出てきませんでした。 本当に祖母にとってはやっと手に入れた安楽という感じです。祖母とはそういう話をたくさんしました。

一方母はポロポロと泣くのですが、もしかして私の感じ方がヘンなのかもしれませんが・・・私には、涙の理由がよく分かりませんでした。 

本当に母は祖母と疎遠だったのです。母も一人暮らしなので一緒に暮らすのが一番妥当な気がし、双方に提案してみたのですが、どちらともが嫌がっているというお手上げ状態でした。

今回祖母のことでは本当にホッとしました。 良かったね、おばあちゃん・・・。天国で次は幸せな生に生まれてね、そんな気持ちです。

人は何かを学ぶために肉体に生まれてくるそうなのですが、今は祖母はまだ肉体の痛みから解放されて喜んでいるような気がします。