『一つの扉が閉じると百の扉が開く』

~Cuando una puerta se cierra, ciento se abren~

#23   からだじゅうを耳にして

2006-01-23 02:58:48 | Weblog
「からだじゅうを耳にして ともだちの話を じっくり聞く。」
           ―おーなり由子「耳」/『365日のスプーン』大和書房.2005年―


先日本屋さんへ行って、おーなり由子さんのかわいらしい本を発見しました。
13センチ四方くらいの、ちいさな真四角の本です。
その存在感がなんともすてきだったので、思わず手に取ってみました。

一ページにある日の日付が書かれていて、そこに数行の言葉が書かれています。
それが365日分ありました。
どのページからでもご自由にどうぞ、という感じ。

そうなると、まず見たくなるのが自分の誕生日です。(子供?)
10月29日のその頁を開くと、上にある「耳」の文章がありました。
それを見て、わたしはとてもうれしくなったのでした。

それは、わたしがともだちの話を聞くのが大好きだからです。
「おーなりさん、わかってる!」と思わず言いたくなる気分。

他にもすてきな言葉がいくつかありました。



 「くりごはんをたく。-10月12日-」
  (ぜんぶひらかな、というところがいい!くりごはん、好きです)

 「猫のまねをして のびをする。きゅうっと。-12月7日-」
  (こっそりしてます、たまに。さ、あなたも)

 「しずかな音楽を ちいさく ちいさく かけてねむる。-12月22日-」
  (このおかげでいつも安眠できてます)






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#22  受容とは・・・

2006-01-20 22:51:19 | Weblog
「受容とはわがままの許容ではなく、相手の不安の背景を知ることである。」
                             ―『小児看護学』医学書院―

ことばにされて、なるほど・・・と思いました。
このことばは「小児看護」の本に載っていたものですが、
これは子供に対してだけではなく、
誰と向き合うときにでも、言えることではないかなぁと思いました。

受容って・・・すごくむずかしく思える時があります。
特に、自分の価値観と合わないと感じた人に対して。
でも、「この人とは気が合わないから」とぷいっとしてしまうのは、
どうにもちがう気がするのです。

善人ぶるわけではありませんが、なんというか・・・
もったいない。そう、もったいないと思うのです。
ちっぽけな自分の価値観と合わない、というそれだけの理由で、
その人との出会いが意味のないものになってしまうなんて。

・・・あら?
上のことばと少しずれた内容になってしまった気もしますが、
「受容」という、時にむずかしく、時に長い時間のかかることを、
おろおろとやっていきたいと思います。







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#21   小さな働きもの

2006-01-10 16:16:42 | Weblog
 「僕は匙のような小さな働きものが好きだ。」
            ―三谷龍二(「木の匙」新潮社、2005年)―

本の帯にかかれていたこの言葉を見て、
「わたしも!」
・・・と思わず心の中でつぶやきました。
三谷さんは工芸家、木工デザイナーで、長野県松本の工房で、
木の匙や器などをつくっておられる方です。

本には小さな匙や器の写真が載せられていますが、
どれもとても、・・・自然です。
この匙がわたしの家にあったら、きっとすぐに生活に溶け込むだろうな、
と思いました。
だれの生活にも、きっと、なんでもなくすんなりと、
溶け込んでいくだろうと思いました。

上の言葉に続く三谷さんの文章があります。

「僕は匙のような、小さな働きものが好きだ。大きな声で主張するような目立つ存在ではないけれど、でも他では代用できない自分の役割をちゃんと世の中に持っている。キッチンでもおおいに働く。塩や砂糖を掬ったり、混ぜたり、味見をしたり。匙がないととたんに困ることになる。~中略~多くの人の手に触れ、時のふるいにかけられて支持されてきた、たしかな道具。はたして僕は、小さな匙のようにこの世に必要とされているのだろうか。確かな居場所をこの世に持っているのだろうか、と考えると恥ずかしくなってくる。小さくても自分の居場所をこの世に持っている、そのことはすごいことだと思う。」



三谷さんの匙、いつかきっと買おう!






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