徒然草!

お元気ですか。よくお越しくださいました。
ブログの名は、
とぜんそう!と申します。

花カンナ

2008年08月29日 | 海辺の風景
ここのところ、ずっと、雨が続いていた。
浜を通りかかったら、空も海も、同じ、灰色をしていた。

カンナの花も、雨に濡れて、
大きな花びらから、しずくが、ぼろぼろ落ちていた。

立秋過ぎても、天気の良い日は、こんな穏やかな海が見られたのに。
今年は、このまま、荒海となっていくのかと心配してしまう。

秋の長雨とは聞くけれど、
いささか、到来が早いし、大雨であった。
もうしばらくは、また、明るい海が見られれば、良いのだけれど。

花カンナは、秋の季語。
しかし、夏の盛りの頃から、いろんな色の花を見かける。

秋の深まる頃まで、花が咲き、
鰯雲などの下で、見るのも、なかなかよろし。
ショウガ目カンナ科カンナ属だそうな。

しばらくは遊ぶ覚悟や花カンナ
こんな、すっとこどっこいな俳句を作った。
遊ぶのに、覚悟も何も無いだろう・・・。と、自分でも、思いつつ。

どんな場面でも、
グズグズと迷っていると、この花に背中を押されそうだ。
やはり、ショウガの親戚である。

幼い頃、眺めていたのは、東シナ海と呼ばれる海だった。
今、すぐ近くにあるのは、日本海。
けれど、どちらのことも、中途半端にしか知らない。

南の海には、黄のカンナ、
日本海には、朱のカンナが似合うと思うのは、
勝手な思い込みであるなあ。

現の証拠

2008年08月23日 | 野山の風景
「ゲンノショウコ」という名前を聞いただけで、
少々、具合が悪くても、治りそうである。
「現の証拠」、漢字を見ると、さらに、効果がありそうだ。

薬となる草には、他にも、そんな名前があるなあ。
たとえば、ドクダミ(蕺菜)に、センブリ(千振)。

それが、どれも、名前に似合わず、
けっこう、可愛らしい花をつける。

ゲンノショウコは、小さな花だ。ピンク色が鮮やか。
白いものを見ることも、あるけれど。
山の道や、原っぱで、よく出会う。

これは、三瓶の棚田の畦道に咲いていた。
手のひらの様な形をした葉は、地を這うようで、
他の草のかげに、目だたないが、花は、何処にあっても、パッと目に入る。

この草を洗って干し、煎じて飲むのだと教わった。
とても、いい胃腸薬だそうである。

現の証拠、これまた、俳句にするには、難しそうと、
歳時記を開いたら、あー、そうそう、これは、夏の季語。
また、来年の夏、作るか・・・。と、得意の逃げ技。

ちらと、例句をみれば、俳壇の巨人の句。
うちかゞみげんのしようこの花を見る(高浜虚子)
ふーむ。難しく考えないほうが、いいのか・・・。

立秋を十六日過ぎ、本日は、二十四気の「処暑」。
夏の暑さがおさまる頃、暑気止息する頃、とある。
なるほど、そう言われれば、そうかな。

北京オリンピック野球三位決定選で、残念ながら、日本は負け。
「阿部慎之助、ホームラン打て!」などと、騒いでいた婆ちゃんだが、
その後は、涼しいせいか、静かに寝ていた。

きつねのかみそり

2008年08月20日 | 
里山で、この花を初めて見た時、
オレンジ色の彼岸花が、咲いていると思った。

よその庭先には、薄いピンクのものがあり。
これも、彼岸花の色違い、と思っていたら、
仲間ではあるけれど、違う花であった。

ピンクのは、「夏水仙」。何とも、あっさり、さっぱりとした名前。
オレンジ色のは、「狐の剃刀」。
かわいいような、こわいような、不思議な名前であるな。
ユリ目ヒガンバナ科ヒガンバナ属キツネノカミソリ、とか。

春に出る、葉っぱの形が、剃刀を思わせるそうだ。
花の咲く頃には、葉の姿は無い。
ぜひ、見たいと思うが、見逃してしまっている。

秋の季語だそうだ。キツネノ・カミソリ・・・。取り扱いが難しそう。
俳人たちはどんな句を作っておられるのだろう。
探したら、ひとつ、見つけることができた。

きつねのかみそり一人前と思ふなよ(飯島晴子)

そんなこと、思ってません。断じて、思ってません。
何故か、じーっと、狐に見られているような気がしてくる。

三瓶の麓を走っていたら、今、
あっちにも、こっちにも、この花の、花盛り。赤い彼岸花は、まだ先だけれど。
今度、句会で行く、浮布池のほとりに。それから、西の原にも。

周遊道路には、
「注意してください! 牛が歩いていることがあります」との、看板あり。
注意と言われても、どうしたら、よいのか・・・。

看板のそばには、狐の剃刀が、たくさん咲いて、
草の原には、黒牛たちが横座り。風に吹かれていた。

大航海時代

2008年08月16日 | 石見銀山のこと
船に乗る前から、船酔いするような子どもでした。
大人になっても、飛行機が怖くて、海外旅行に行けません。
よって、世界史「大航海時代」などと聞くと、動悸がしそうです。

その大航海時代の真っ只中、16世紀後半、17世紀前半のポルトガルの地図に、
石見が「銀鉱山王国」として、載っていました。
話にはよく聞くのですが、博物館で、地図を見た時は、やっぱり驚きました。

その時期は、ちょうど、石見銀山の全盛期でもあったそうです。

沖泊の海は、本当に静かで、当時の様子を想像するのは難しい・・・。
16世紀後半の、銀の搬出。17世紀、江戸時代に入ってからも、
銀山に必要な物資の陸揚げで、にぎわったそうなのですが。

繁栄の証しと、言われるものに、まず、港の南北の城の跡。
それから、岸の鼻ぐり岩。
たくさんの岩がくり抜かれ、船をつなぎ止めるのに、使われたそうです。

旧友たちと、入り江の細い道を、鼻ぐり岩を探しながら、歩きました。
海水に、いくつか、見え隠れしています。
しばらく行くと、大きな岩の上にたどりつきました。湾の出口が見えました。

以前、この岩に座って、歩こう会で、弁当を食べました。
ミカンがころころ転がって、海に落ちたことなど、話していたら、
「おい、今俺たちが居る岩も、鼻ぐり岩じゃねえか。」と、一人が言い出します。

よく見ると、岩の先端に、人がくり抜いたであろう跡が、幾つかありました。
弁当のことしか覚えていないことを、素直に反省した後で、私は付け加えました。
「気がつかないような所に、すごいものがあるんだよ。」

訪れた先々で、口にしていた言葉ですが、この流れで言うと、
ただの言い訳だな。こりゃ。

しかしながら、関東平野からやってきた、旧友の返事は、
「まったくだ。恐れ入ったぜ。」

島根の旅の終わりに、
どうやら、本気で、言ってくれている言葉と、思われました。



沖泊

2008年08月12日 | 石見銀山のこと
大田市仁摩町の鞆ヶ浦港から、さらに西へ。

国道9号線を走って、小さなトンネルを幾つも抜けて、
温泉津(ゆのつ)町、沖泊(おきどまり)に来ました。
旧友が見たいと言っていた、もう一つの、石見銀積み出し港です。

16世紀の後半、毛利氏が銀山を支配していた頃、
鞆ヶ浦にかわって、沖泊から、銀が搬出されたのだそうです。

灰吹法という、精錬法が導入された後、
銀鉱石ではなく、銀が、運ばれるようになったのだとか。

大きく、深い入り江の、波は穏やか。水深も深いそうです。
水の色が緑。湾の外とは、まったく違う色をしています。
とても、静かな海です。

銀鉱山のあった大森から、この港まで、銀山街道の「温泉津沖泊道」があります。
約12キロの山道。銀の運搬に、たくさんの牛馬が活躍したそうです。
そういえば、昨秋、その道を歩いて、ここへ来たことがありました。

途中、熟した柿を、食べたら、酔っ払ってしまった!
落ち柿の熟るるに酔うてしまふとは
道端に水神様の祠があって、山水を飲ませてもらったり。
蛇の神様のお堂に、生卵がお供えしてあったり。

しんどかったこと、面白かったこと、いろいろ思い出しますが、
その時、ガイドして下さった、歴史の先生の話は、だいぶ忘れてしまっています。

あー、ひとつ、思い出しました。私は、質問したのです。
「ずっと山道を運ぶより、9号線の様な、海側の道を来られなかったんですか?」

先生は、静かに、回答され。
「そのころは、そのような道は、整備されておりませんでした。」
うーむ、我ながら、おおいなる愚問では、ありました。

鞆ヶ浦

2008年08月11日 | 石見銀山のこと
八月七日、秋立つ。
午後、かみなり雲や雨とともに、
遠く関東より、旧友二人、我が在所を訪ねて来てくれました。

それから、日曜日まで、一緒に、三瓶周辺や銀山遺跡を歩きました。
十何年ぶりの再会でしたが、
そんなに会っていなかったような気が、しませんでした。

私は、自分が住んでいる石見のことをよく知らないので、
周りの人たちに、助けてもらいながら、案内しました。

すべては、とても見て回れません。
旅の終りの日。旧友が、見たいと言ったのは、石見銀の積み出し港でした。

まず、砂の鳴る琴ヶ浜の美しさに、歓声をあげつつ、
大田市仁摩町の、鞆ヶ浦(ともがうら)に来ました。

16世紀の前半、銀山開発の初期の頃、
この港から、博多へ、銀鉱石が搬出されていたと聞きます。
リアス式の狭い入海で、いわゆる「天然の良港」だったそうです。

友人の一人は、
「あの鳥は、何? あの虫は、何? あの花は何?」と。
海無し県の、それも街なかの住人ゆえか、見るものすべてが、珍しいようでした。

「あれは、トンビ。あれは、舟虫。あれは、小鬼百合。」
私は、海辺でよく見られるものたちの名前を、分かる範囲で答えました。

もう一人は、歴史好き。海を眺めながら、
「ここを起点として、銀は、世界に出て行ったのか。」と、感慨深げでした。
伝馬船が、一艘、水脈を引いて、いきました。

八月の火の砂に

2008年08月06日 | 海辺の風景
海から上がってきた小さな女の子が
砂を歩き始め、「熱いー 熱いー」と、泣きだした。

八月の砂は、熱い。日盛りには、裸足では歩けないこともある。
しかし、その砂の上に、花が咲く。ハマゴウ(浜栲)の花。
シソ目クマツヅラ科ハマゴウ属ハマゴウ。

暑さに、熱さ。どちらも、どうでもいいのだ、といった風情。
なぜか、「女優は、顔に、汗をかかない」という話を思い出す。

花を終えた浜昼顔の蔓も、小さな花をつけたゴッドファーザーも、
砂に触れているところは、枯れている。

しかし、この美しい花を支える茎は固く、丈夫だ。青緑色の葉の茂り。
砂の丘の下の方から、砂浜へ、這って、広がる。

なんでまた、こんな時を選んで、咲くのだろう。と、思うが、
蜂などよく来ていて、しっかり、実も結び始めている。



この花を、馬鹿の花と、呼ぶ地方があるそうだ。
そして、三好達治に、「馬鹿の花」という詩があり。
最初の四行は、このとおりであった。

 花の名を馬鹿の花よと
 童べの問へばこたへし
 紫の花
 八月の火の砂に咲く馬鹿の花

何とも気の毒な、呼び名であるが、
その強靭さに、由来するのであろうか。
冷静な表情が、うらやましくもある。夏の果て。

鹿の子模様の

2008年08月04日 | 
土曜日は、俳句の会で、三瓶山の西の原に行って来ました。
海のそばの住人なので、野山へ行くと、やたらと、うれしい。
句会が終ったあとも、よく、一人で歩きます。

青草の茂った原っぱですが、もう、秋の七草がいくつか、咲き始めています。
ピンクの、カワラナデシコ、ハギ。
黄色い花は、オミナエシ(女郎花)。丈の高い夏草の中でも、抜きんでる背の高さ。

そこに、来ている、蛾がひとつ。
帰って、図鑑や歳時記を見てみました。カノコガの仲間かと、思います。
腹に黄色が見えるので、たぶん、キハダカノコガ(黄肌鹿の子蛾)。

蛾は、嫌いだと言う人が、わりと多いけれど、
私は、嫌いではありません。いや、好きなのかな。
種類がとても、多いそうですが、それぞれに、とても、個性的。

キハダカノコガは、翅の鱗粉が一部落ちて、透けていて、鹿の子模様が面白い。
おなかは、黄色と黒のタイガー縞。身を守るため、トラではなく、
ハチに擬態しているんだそうです。草原を昼間飛び回ってます。



さて、この出会い。俳句をつくらねば。
しかし、女郎花は、秋の季語。鹿の子蛾は、夏の季語。どうしよう。
別に、詠むかな。いい考えが浮かばないので、草に、逃げる。

夏草や兵どもが夢の跡
あー、これは、芭蕉。平泉の句でした。

夏草に消える隊列大きかり
三瓶の草原に、鳥取の米子市から来られたという人たち、
大パーティで、歩いておられましたが、すぐに、見えなくなりました。

2008年08月01日 | 海辺の風景
いよいよ、八月になりました。新暦の八月一日。
旧暦カレンダーを見ると、七月一日です。

月が変わるたびに、言ってるような気がしますが、
時間の経つのは、本当に速い。

さて、八月初日の海。真昼間の、風も波も、静か。
凪いでいました。朝凪や、夕凪とは、また違う感じです。
土用凪とは、これでしょうか。

ここのところ、雲が多く、重たい空でした。
今日は、雲があるには、あるのですが、やさしい色の空。

今月、ほんのしばらくの間ですが、
空も海も、濃い青を見せてくれると思います。
冬の日本海が想像できぬほど、明るい青を見られる日もあります。

履き物の隙間から、入って来る砂が熱い。
足元を見ると、何やら瓜科のものではないかと、思われる花が。
葉っぱが、砂をかぶっています。

そう言えば、海水浴場となっている、このあたりには、
スイカも、よく、砂の上に芽を出します。
双葉がいっぱい、並んでいることも。

さすがに、実を結ぶところまでは、見たことありませんが。