徒然草!

お元気ですか。よくお越しくださいました。
ブログの名は、
とぜんそう!と申します。

神の旅

2008年10月29日 | 海辺の風景
子どものころ、汽車は、憧れの乗り物だった。
トンネルに近くなると、汽笛が鳴るのが、おもしろかった。
山陰本線はトンネルが多いので、何度も汽笛が鳴った。

出雲市までの駅名を覚えようと思った。大田市から東へ、
久手(くて)、波根(はね)、田儀(たぎ)、小田(おだ)・・・。

久手、波根までは、石見。その先は、出雲。
同じ島根県だけど、ここから、よその国・・・。
この感覚は、今でも、変わらない。

冷たい雨の日が続いて、田儀の海は、ずいぶん寂しげであったが。
この海の夏景色は、青く澄んで、ゆったりとして、とても美しいのだ。

向こうの岬のほうに、稲佐(いなさ)の浜がある。
神無月には、全国からおいでになる、神様をお迎えするという浜だ。

今年の出雲大社の「神迎え」神事は、11月7日。
立冬の日。もう、そんなに、先ではないなあ。
一度、見てみたい、神迎えのおまつり。

旧暦カレンダーをちらりと見ると、
今日は、旧歴10月1日、神無月の一日目であった。
出雲の国では、神在月。連日、祭礼やイベントで、賑わうらしい。

出雲大社のホームページによれば、
11月7日の夕方から11月14日の夕方まで、
神々の集いがあるんだそうな。

各地で、神の旅が始まっているんだろうか。
出雲まで、汽車で来られるのか。
いや、「汽車」はもう、なくなったのだなあ。

浜でお迎えするということは、
舟でお越し、という設定なのだろうか。



石蕗の花

2008年10月27日 | 海辺の風景
ちょっと用事があって、おとなりの出雲市に行ってきた。
国道9号線を東に走る。途中、海の見えるところがある。
JR山陰線が、すぐ近くに見えるところもある。

駅のホームや道端や、
海辺に、石蕗(つわぶき)の花が咲いていた。
キク目キク科ツワブキ属のツワブキだそうだ。

俳句でよく聞くのは、石蕗の花と書いて「つわのはな」と。
冬の季語であった。
晩秋なれど、冬めいてきた海の色と潮風に、似合うと思う。

むかし、春先に、石蕗の新芽を摘みに行くのが楽しい遊びだった。
葉の柄に、綿毛が生えているような柔らかいものを、
婆ちゃんに、煮てもらった。

今でも、やっぱり、ツワは春の楽しみ。「食べ物」である。
ご近所からおすそわけを頂くと、家によって、ちょっとずつ、
味が違って、これまた、美味しいのだ。

花にも、目がいくようになったのは、
すっかり大人になってからである。
なるほど、キク科の「花」なのだ。

田儀(たぎ)の駅のそばで、車を止めて、
花と海をしばらく眺めた。我が在所でも、満開なのだけれど、
ここから見る日本海の風景も、とても良いのである。

出雲市駅行きの列車が止まっていた。
一見、乗り合いバス風。1輛編成のワンマン列車なり。

山陰線は、単線なので、駅で待ち合わせをすることがある。
西の浜田市へ行く列車がやってきて、すれ違い。
それぞれの方向へ、発車した。

特急二輌普通一輌石蕗の花


風の紋 草の紋

2008年09月29日 | 海辺の風景
いろんなことが重なって、あたふたしているうちに、
秋の彼岸が終わり、明日で、9月も終わり。

どうしていますかと、心配してくださるかたもあり、
有り難かった。

あ~、この調子でいくと、すぐ来年が来てしまうな・・・。
いや、もう少し、やり残したこともあったか。

夕暮れ時の浜を通りかかると、
夏の間に、伸びきった浜草が、枯れ始めていた。

草の先が、砂の上に、模様を描いている。

風が砂に描くのが「風紋」なら、
これは、「草紋」かな。

いや、草を揺らす風との共同作業だから、
「草風紋」はどうだろうか。
何か、正式名称でもあれば、知りたいなあ。

近くには、この一日、
浜を訪れた犬の足跡もあり、人の足跡もあり。

海を見ると、あれ、まだ波乗りの子が。
日がだいぶ傾いても、頑張っている。

そういえが、
波乗りの季節は、夏より、秋なのだと、言う人がいた。


花カンナ

2008年08月29日 | 海辺の風景
ここのところ、ずっと、雨が続いていた。
浜を通りかかったら、空も海も、同じ、灰色をしていた。

カンナの花も、雨に濡れて、
大きな花びらから、しずくが、ぼろぼろ落ちていた。

立秋過ぎても、天気の良い日は、こんな穏やかな海が見られたのに。
今年は、このまま、荒海となっていくのかと心配してしまう。

秋の長雨とは聞くけれど、
いささか、到来が早いし、大雨であった。
もうしばらくは、また、明るい海が見られれば、良いのだけれど。

花カンナは、秋の季語。
しかし、夏の盛りの頃から、いろんな色の花を見かける。

秋の深まる頃まで、花が咲き、
鰯雲などの下で、見るのも、なかなかよろし。
ショウガ目カンナ科カンナ属だそうな。

しばらくは遊ぶ覚悟や花カンナ
こんな、すっとこどっこいな俳句を作った。
遊ぶのに、覚悟も何も無いだろう・・・。と、自分でも、思いつつ。

どんな場面でも、
グズグズと迷っていると、この花に背中を押されそうだ。
やはり、ショウガの親戚である。

幼い頃、眺めていたのは、東シナ海と呼ばれる海だった。
今、すぐ近くにあるのは、日本海。
けれど、どちらのことも、中途半端にしか知らない。

南の海には、黄のカンナ、
日本海には、朱のカンナが似合うと思うのは、
勝手な思い込みであるなあ。

八月の火の砂に

2008年08月06日 | 海辺の風景
海から上がってきた小さな女の子が
砂を歩き始め、「熱いー 熱いー」と、泣きだした。

八月の砂は、熱い。日盛りには、裸足では歩けないこともある。
しかし、その砂の上に、花が咲く。ハマゴウ(浜栲)の花。
シソ目クマツヅラ科ハマゴウ属ハマゴウ。

暑さに、熱さ。どちらも、どうでもいいのだ、といった風情。
なぜか、「女優は、顔に、汗をかかない」という話を思い出す。

花を終えた浜昼顔の蔓も、小さな花をつけたゴッドファーザーも、
砂に触れているところは、枯れている。

しかし、この美しい花を支える茎は固く、丈夫だ。青緑色の葉の茂り。
砂の丘の下の方から、砂浜へ、這って、広がる。

なんでまた、こんな時を選んで、咲くのだろう。と、思うが、
蜂などよく来ていて、しっかり、実も結び始めている。



この花を、馬鹿の花と、呼ぶ地方があるそうだ。
そして、三好達治に、「馬鹿の花」という詩があり。
最初の四行は、このとおりであった。

 花の名を馬鹿の花よと
 童べの問へばこたへし
 紫の花
 八月の火の砂に咲く馬鹿の花

何とも気の毒な、呼び名であるが、
その強靭さに、由来するのであろうか。
冷静な表情が、うらやましくもある。夏の果て。

2008年08月01日 | 海辺の風景
いよいよ、八月になりました。新暦の八月一日。
旧暦カレンダーを見ると、七月一日です。

月が変わるたびに、言ってるような気がしますが、
時間の経つのは、本当に速い。

さて、八月初日の海。真昼間の、風も波も、静か。
凪いでいました。朝凪や、夕凪とは、また違う感じです。
土用凪とは、これでしょうか。

ここのところ、雲が多く、重たい空でした。
今日は、雲があるには、あるのですが、やさしい色の空。

今月、ほんのしばらくの間ですが、
空も海も、濃い青を見せてくれると思います。
冬の日本海が想像できぬほど、明るい青を見られる日もあります。

履き物の隙間から、入って来る砂が熱い。
足元を見ると、何やら瓜科のものではないかと、思われる花が。
葉っぱが、砂をかぶっています。

そう言えば、海水浴場となっている、このあたりには、
スイカも、よく、砂の上に芽を出します。
双葉がいっぱい、並んでいることも。

さすがに、実を結ぶところまでは、見たことありませんが。


ゴッドファーザー 愛のテーマ

2008年07月31日 | 海辺の風景
砂山の高いところに、赤い花がたくさん咲いていて、
何かと思って見たら、鬼百合の花のようであった。

夏の初めから、いろんな百合の花に、楽しませてもらったけれど、
炎天に向かって、さすが。
その名に、鬼と冠し。頑張ってるな。

盛夏の海辺に、けなげに咲いている花が、
他にも、いくつかあって、例えば、カンナ、ハマゴウ。

それから、この花。
砂の上に咲く、小さな花。



ここで、花咲かせるのも、大変だろうなあ。何ていう名前だろう。
浜に座り込んで、しばらく眺め、考えていたら、
背中の方から、口笛が聞こえてきた。こちらに近づいてくる。

メロディは、確か、「ゴッドファーザー 愛のテーマ」。
映画は、見たことは無いけれど、懐かしい歌だと、思う。
口笛は、私の後ろで、ピタと止まった。

そして、聞こえてきた、ひとこと。
「ソラ クワレン キ。」
は??

「あっちの、オカヒジキは食われるが、そら、食われんき。」
振り返ると、ねじり鉢巻きに、日に焼けたお顔。
ダンディなその姿は、石見の海の男。近所のおじさんだ。

あー、私は、花をとって、食いそうに見えたのだろうか・・・。少々、めげる。
食いません、てば・・・。言いたいことも、あったけれど、
元気に、返事をした。「はーい!」

おじさんは、にっこり笑って、
口笛を吹きながら、立ち去られた。上手な口笛。

そうそう、気になるのは、この花の名前であった。調べても、分からない。
おじさんに聞けば、よかったかなあ。
とりあえず、仮の名は、ゴッドファーザー、ということで。

日の暮れる前

2008年07月28日 | 海辺の風景
日曜日の明け方は、雨が降ったのだけれども、
日中は、やはり、暑くなった。

行事の当番で、お寺へ行ってきた。
これまでは、婆ちゃんまかせだったので、分からないことばっかり。
近所の人にいろいろ教わりながら、何とか、一日終わった。

で、夕方は、海へ入りに・・・。すぐ、そばにある海だけに、
大人ひとりでのスイミングは、実は、気後れしてしまう。
が、まあまあ頑張ったから(?)、いいかと、やってきた。

海水浴や波乗りの人は、浜にあがって、帰りの支度中。
日は傾いて、水平線の近くまで来ている。

砂も、もう、それほど熱くはない。
この時間帯は、のんびり泳げる。あとは、小雨の中とか。

夏潮に身を大の字に浮かべけり
波に浮いたまま、空を見ていると、カモメが一羽、上を飛んで行った。
翼と白いお腹を下から、眺める。

時には、沖のほうから、トンボが飛んでくる。
一体、どっから、来たんだよー。

今日も、潮風の海辺をウォーキング。靴脱いで、波の中へ。
やたらと、雲が多かったな。
西の方から、次々に流れてきていた。明日の天気は、どうだろう。




砂山を降りてきたおじさんが、一直線、沖に向かって、泳ぎ始めた。
砂浜で、ゴルフの練習を始めた人。
波打ち際を、麦藁帽子の爺ちゃんと孫の散歩。

日の暮れる前の海は、それぞれの楽しみ方が、あるようなのだ。

梅雨晴間 その2・・・

2008年06月28日 | 海辺の風景
今日は、朝から、しょぼしょぼと雨が続いているけれど、
昨日は、一日、晴れ。
浜の掃除が、あった。

仕事をしているときは、なかなか、地域の事に参加できず。
というより、仕事を言いわけにしていた、というか。
これではいかんと反省する、今日この頃。

軍手はめて、首にタオル。
「行くなら、はよ、行けー!!」
という、婆ちゃんの激励を受け、出かけた。

しかし、浜は、暑かった。
もう少し、曇っていても良かったと、参加の人々が言っておられた。・・・同感。
まあ、ほんと、これぞ、梅雨晴れ!なのであった。

どこから流れ着いたのか、
流木が波打ち際に。

燃えるものは、集められた流れ藻などと一緒に、焚かれる。
浜の数か所に、煙が上がった。

燃えないものは、夏に海の家となる小屋に集められた。
一升瓶や薬缶その他、抱えて、砂浜を歩いた。

海の水を見ると、
砂浜の近くは、梅雨色なのだが、沖の方は、違う青かなあと思う。

帰りは、海を見つ、空を見つ、また、砂浜ウォーキング。
砂山の、浜草のかげに、野茨の花を見つけた。これは涼しげだった。


梅雨晴間

2008年06月24日 | 海辺の風景
曇天の続く毎日。
今日は、少しの間、日が射していたので、
郵便局の帰りに、浜に寄ってみた。

砂山に、大きな花が咲いている。
いや、大きな花と、言ってはいけないのか。
一つ一つの花は小さいんだなあ。

梅雨の晴れ間の、浜独活(はまうど)の花。

独活の大木という言葉は、
あまりいい意味では使われないようだけれど、
浜独活の大木の堂々とした姿は、見事。
人ほどの背丈に、太い幹。鬼独活という名も持つそうだ。

浜独活の花に足ひれ置かれあり

足元の砂が、乾いて、あたたかい。
流れ藻も乾いて、何故か、ヘルメットやタイヤも転がる。

もう一度、砂山を見れば、
斜面のところどころに、浜独活が、何本も育っていて、
崖の上のガキ大将のような木もある。なんていうと失礼か。
“すくすく伸びる”という言葉があったことを思い出した。




独活の花(ウコギ科)、獅子独活の花(セリ科)は、夏の歳時記にある。
浜独活の花(セリ科)も、同じ夏の季語と思いたいが、どうだろう。
山道でよく見かける獅子独活の仲間らしいけれど。

知ってる方は、ぜひ、お教えくださいますよう。