あしたは アタシの 風が吹く

~ 今日も遊ぶねん 明日も笑うねん ~

瀬戸内ツーリング[戦争遺跡編]

2011年10月20日 20時30分13秒 | 遠征
明けて10月8日(土)。

朝一で忠海港にやってきました。


ここにバイクを止め、フェリーで「大久野島」へ渡ります。


真ん中に大きな鉄塔が立っている島が「大久野島」。

周囲4キロほどの小さな島です。

この島は戦時中、地図から消された島なのです。
なぜなら、国の超機密軍需施設となり、毒ガスを製造していたから。。。

その当時の施設が、今も島のいたるところに残されているのです。

まずは、その悲惨な歴史を学ぶため、「毒ガス資料館」へ。

毒ガス工場の歴史から始まり、毒ガス製造装置などの道具類、
毒ガス製品が入っていた容器、防護服や作業服、従業員の給与支給票など、
貴重な資料が多数展示されていました。

「毒ガス資料館」の横には、陶磁器製の毒ガス製造器具が展示されていました。

毒ガスの製造には、熱に強い陶磁器製の器具を使っていたんだそう。

医務室の跡地には、当時の消火栓が移設されています。


「大久野島神社」は、毒ガス工場が開所された際、従業員が社殿を修復し、
境内では入学式や卒業式など、さまざまな行事が行われていました。


そして、神社の奥には、殉職碑が。。。


発電所跡の入口。

内部の建物を隠すように作られた人工の堤です。

これが発電所跡。

毒ガス工場の機械を動かす電力が生産されていたそうです。

発電所跡から見た入口。

穏やかな瀬戸内の海に囲まれたなかで、毒ガスが造られていたなんて。。。

北部砲台跡。


砲弾を放つための部屋?


中に入ってみたら。。。


天井に穴が。。。

穴から見える木々の緑が、なんとも。。。

このトンネルの向こうには、もうひとつの北部砲台跡が。。。


こちらは、かなり立派な設備だったのがうかがえます。


「長浦毒ガス貯蔵庫跡」。


毒ガスが、ここに保存されていたのでしょう。


こちらは、南部砲台跡になるのでしょうか。


砲台跡に、毒ガス缶の土台が残されていました。


山道を登り、鉄塔に到着。


当時も、こんな穏やかな海が広がっていたのでしょうか。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする