-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

興味深い本に出合いました。「アイヌと縄文」

2016-10-28 13:42:36 | 歴史

 どうも、大変に御無沙汰しております。10月27日に私が入会しているNPO法人に係る会議がありましたので、そちらの準備のためにブログが疎かになっていました。肝心の会議の方は御理解いただけない点が多々あり、不十分極まりない所ですが、自分の予測能力不足と反省しております。それでも、とりあえず一段落しましたので、ブログに取り掛かることができました。とは申せ、畑沢へも25日間以上も行っておりません。畑沢のことをお伝えできるものがなくなっていました。

 しかし、最近、私は面白い本を読んでいますので、是非、紹介させてください。

 この本を読もうと思ったのは、一つの疑問を持っていたからです。二年ほど前に、畑沢の大大先輩から、「大昔は、ここらにアイヌ人が住んでいたということを知っている」とおっしゃったことと関係があります。江戸時代の国学者の本居宣長などが、「東北には、アイヌ語に由来する地名が残っている。昔東北にはアイヌ人が住んでいた。しかし、その後に大和民族だけになった」と唱え、明治以降の政府はその説を利用して、「大日本は大和単一民族」なることを国民に教育してきました。ところが、戦後、歴史学も国家神道に縛られることがなくなったので、そのような説は聞かれなくなりました。血液型、ミトコンドリアDNAによる調査が進み、さらに最近は核内のDNA分析によって、全く異なる事実が見えています。私たち東北人には、縄文人の遺伝子が色濃く残されていました。また、さらに九州や沖縄の人達にも同じことが言えるとのことです。私は、「酒に強い」、「耳垢が湿っている」などの縄文人的形質をしっかり受け継いでいます。

 となると、アイヌ語に由来する東北地方の地名をどのように説明するかが、私の大きな疑問でした。それを今回の「アイヌと縄文」の本が説明してくれました。そもそも縄文文化は、日本列島全体に共通する文化であり、アイヌ語も縄文語が残っているだけであるそうです。アイヌ人も東北の縄文人も同じ文化を共有していたのです。東北に残る「アイヌ語の地名」は、「縄文語の地名」なのです。ところが本州以南では、大陸から渡来してきた渡来人によって支配されましたので、極、一部を残して、縄文語がなくなりました。私たちの御先祖様は、アイヌ語と兄弟分の縄文語を話していたのです。

 さて、この本には山形県内に残る縄文語に由来する地名として、尾花沢市鶴子地区の「紅内(くれない)」が紹介されています。「〇〇ナイ」「〇〇ベツ」などが付く地名がそれに当たるそうです。その外には紹介していませんでしたが、ど素人にはもっとあるのではないかと想像してみました。例えば同じ尾花沢市内の「母袋(もたい)」なども、何となくそれらしい感じがします。根拠はありません。さらに、ど素人は、ない頭で考えてみました。畑沢には、語源が不明な言葉(地名ではありません。)が残っています。「どふら」と「はだやら」です。他地区出身者には分からない特殊な方言です。「どふら」とは、雪面に掘った落とし穴です。子ども時代には、幾つも掘って親から怒られ続けました。「はだやら」とは、まだ踏み固められていない雪面です。やはり子ども時代には、はだやらで遊んで、ゴム長が雪でいっぱいになり、冷たい思いをしました。

 もっともっと面白い方言があるような気がしますが、錆びた頭では限界です。でも、歴史ど素人による縄文時代を探る遊びは楽しいものです。