-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

五十沢から畑沢へ行ってみました。

2016-10-04 19:19:35 | 近況報告

 10月2日は晴天でした。今年は秋に入ってから天候が不順で雨ばかり続いていましたので、からっと晴れた日は畑沢へ行きたくなります。8月下旬は娘の外国での結婚式、9月に入ると直ぐに転居のためにDIYリフォーム作業が急ピッチで進められ、そして引っ越し前後の毎日の片付け作業、その中で極親しい親戚の葬儀があり、この短い間に人生の大きな出来事が沢山ありました。忙しい日々が過ぎました。ようやく、一段落しました。畑沢へ出かけることにしました。

 この時期ですと、普通は村山市の林崎から背炙峠を越えて行くのですが、あろうことか今年は春からずっと通行止めで、10月28日まで続くのだそうです。それでも、どうしても「峠」を通りたいと思いましたので、五十沢から峠を越えて畑沢へ行くことにしました。山形から尾花沢へ向かう手前の横内から五十沢へ入ります。国道13号線から五十沢へ入るには、一旦、五十沢とは反対方向へハンドルを切ります。実は、立体交差になっていて、左へ曲がってから大きく右へカーブしながら国道の下を通って反対側へ出ます。

 写真の向こう側が尾花沢方向で、写真左へ分かれているのが五十沢への道です。 

 国道の下を通ると直ぐに五十沢川を渡る橋があります。橋を見ると、橋→川→水→魚と連想してしまいます。車を止めて、橋の上から水面を覗き込みました。いつもの行動パターンです。最初は期待していなかったのですが、結構な数の魚が泳いでいました。最近の川では珍しいです。大抵はアブラハヤだと思われますが、少数ながら胸鰭と腹鰭が横にピンと張った魚も混じっています。これはウグイです。私たち畑沢の河童があこがれていた「ヘズギ」と呼んでいたので、上から見ただけで分かります。ところが、アブラハヤでもウグイでもない、別の魚がいました。尾鰭の後端が黒っぽい魚です。「えーっ、もしかしたらあの悪名高きオオクチバス(ブラックバスの一種)が、この五十沢川にも侵入したのか」と愕然とした気持ちがある一方、そうでないことをひたすら願っていました。このような魚が全部で4匹見えました。体長は10~20cmぐらいです。しばらく観察しましたが、残念ながらやっぱりオオクチバスに間違いないようです。しかし、どうして五十沢川にオオクチバスがいるのでしょう。この魚は五十沢川で産卵できないはずです。上流の沼や池に密放流されて繁殖したものが流化したか、誰かが直接に川に密放流したことになります。駆除が必要なようです。故郷の水辺が、釣り産業の身勝手な利益追求の餌食にされているのが歯ぎしりするほどに悔しいです。

 五十沢の集落に入る手前で南に展望が開け、遠くに甑岳が聳えていました。写真が不味いので、その美しさを伝えられませんが、実際の風景は、それは壮大な感じがします。写真も不味ければ、文章も不味いようです。えーい、面倒です。実際に見て下さい。

 残念ながらこの写真の川には不満足です。流れが一直線でしかも両岸と川底がコンクリートで固められています。8月22日の台風では、川の水がものすごいスピードで激流となって流れ下ったものと思われます。

 集落の入り口付近には、熊さんが書かれた看板がありました。遠目には歓迎でもしているようにも見えましたが、近付くと恐ろしい顔で仁王立ちの姿です。ここでも熊が出るようです。熊が出ないところを探す方が難しいくらいの時代になりました。   実際に川べりの畦道には、熊の糞と思われるものが、落ちていました。私が畑沢の山中や畦道でよく見かけるものと同じものです。私も最近は驚かなくなりました。

 集落の真ん中に五十沢観音があります。これまで何度もこの前を通っていたのですが、「今度来た時に行こう」とただ通り過ぎていました。しかし、この日は気持ちに余裕がありました。畑沢で特に予定している仕事がありませんし、山形での作業が一段落したということが余裕を生んでいたようです。道路から直ぐに石段が上へ伸びていました。息を切らしながら登ると、私の外にも3人がお詣りしていました。どなたも地元の方ではなくて、「最上三十三観音」に引かれて他の地区からわざわざ来られたということでした。参詣者がかなり多いお堂のようです。

 五十沢は二つの市に属しています。昭和33年ごろの市町村合併の動きの中で、上五十沢は村山市に、下五十沢は尾花沢市に属することを選択しまして二分しました。この写真は上五十沢で、画面左には茅葺の家が見えます。茅葺屋根を保存する活動があり、地元の人と村山市内の有志が頑張っています。

 上五十沢の中ほどに畑沢への道(写真の左へ)が分かれます。元々は畑沢と五十沢の人達だけで作った砂利敷の作業道があったのですが、平成のある時期にスーパー農道なる事業でアスファルト道路になりました。所謂、「公共事業」なるものです。「スーパー農道」の「スーパー」とは、スーパーマンのスーパーのように「超能力」とか「特に優れたもの」を意味するものではありません。農道としての必要な基準を超えているという意味で、農道として必要なもの以上という意味があるようです。それならば、一般道路として整備するかどうかを検討すればよろしいと思うのですが、どうも「農道」とか「林道」という文字が入る必要があるようです。一般道路では、農林水産省が整備することはできなくなるからです。どうしても土木事業をしたいお役人の深ーい事情があるようです。

 五十沢の集落を離れて、畑沢へ向かう途中にまたもや熊さんが出ている看板がありました。今度はぷんぷんと怒った顔です。山中を通る道路ができると、不法投棄が行われます。整備はしても滅多に車が通りませんので、不法投棄にはもってこいとということなのでしょう。「スーパー何とか道」では、不法投棄だけでなく山の樹木や山野草が盗掘されます。畑沢の山から消えてしまった植物が沢山あります。

 畑沢へ越える峠に到着しました。峠と言っても全く展望が開けません。背炙峠ですと、村山市側がすとんと落ち込んでいますので、村山市側の展望が素晴らしいのですが、この峠は畑沢側も五十沢側も緩やかな斜面ですので、どちらも樹木と草藪が視界を遮っています。

 峠では道路の幅が極端に変化します。村山市側が広く、尾花沢市側が狭いのです。村山市は道路整備に熱心で、アスファルトも新しく補修されていますし、L字側溝も多用されています。センスの良い整備のようです。一方、尾花沢市はスーパー農道として整備されたときのままのようです。交通量と破損状況を慎重に検討し、市の財政状況をに配慮した賢明な姿が見えます。どちらも、やり方は違いますがそれぞれの実情合わせた判断です。自治が生きています。

 視界が開けないでは済まないのが私流です。藪をかき分けて村山市側を見ました。遠くの山は葉山です。葉山しか見えませんが、秋空に映えています。

 

 峠からの畑沢側の眺望は、村山市側よりももっと悪くて、藪をかき分けても何も見えません。峠から少し畑沢側へ入るといきなり眺望が開けます。奥羽山脈の翁山と双ッ森と御所山(船形山)、そして大平山と甑岳です。あまりにも広い眺望ですので、写真画面の右川に御所山を入れた一部だけの写真にしました。

 畑沢を縦断する県道の手前で、中畑沢の石仏群が出迎えてくれました。青面金剛、巡礼供養塔、庚申塔、六面幢、地蔵像などです。江戸時代から立っています。

 

 畑沢では稲刈りが急ピッチで進められています。晴れ間が少なかったので、晴れた土日はお昼休みもありません。月曜日からは会社に勤めに行きます。

 

 虫たちも大急ぎです。冬が来る前に子孫を残すために、ミゾソバの蜜を吸いながら交尾をしていました。モンシロチョウだと思うのですが、雌雄の区別ができません。

 こちらは同じミゾソバの中で、一匹だけで蜜を吸っています。ヒョウモンチョウがボロボロになった羽をまとっていました。これから冬に向かって、この蝶はどのような生活をするのでしょうか。この状態で越冬することもあるのではないかと思っています。今年、雪融け直後にボロボロになっているヒョウモンチョウを見たことがありますので、もしかしたらこれまでの通説を否定する「成体で越冬」があるのかもしれません。

 トンボも一生懸命でした。オニヤンマが、池の中に尻尾をズボンと中に入れて産卵です。卵のままで越冬するのか、それともヤゴで越冬するのでしょうか。

 

 畑沢での作業を終えて、再び五十沢を通って山形へ向かうことにしました。峠で日没を見ようとしたのですが、既に太陽は葉山の陰に隠れていました。