「犬は群れを作る習性がある」という時、すべての犬は群れに属しているというのとは違いますよね。「人は群れを作る習性があるか」と問われたら、これは「ある」です。えー!私は群れるの嫌いという人も、生物の世界から見ればこの文明社会そのものが秩序ある「群れ」なんです。群れるのが嫌いと言う人は、群れの中で秩序を守る限り干渉されないという状態を、独立していると錯覚しているに過ぎないのではないでしょうか。
学校教育よりも神様の教えを守ることをを尊重する家族の中で、大銀杏ははみだしものでした。姉と兄は年が近く、物心がつくまえからお互いの存在があったからわりと連帯意識がありましたが、私は彼らにとっては新入りで、遊び仲間ではない。仲間に入れないのは悲しく悔しかったけれど、子供の成長の具合から考えれば当然だし、大銀杏には一家のベイベーという玉座がありました。人々の注目と愛情とを一身に受けていた身には、不安などなかったのです。そしてそこが自分の居場所だと思い込んでしまいました。その座を弟が生まれることによって奪われてしまうと、私の居場所は突然なくなってしまったのです。不安と不満が膨らみ、心が荒れる。
もっと大きくなった小学生のころ、教会で様々なたとえ話を聞かされるたび、そこで出てくる裏切り者や放蕩息子に自分を重ね、天の父の慈悲深さを学ぶより罪深い自分の惨めさだけに苦しみました。大銀杏には当時「味方」というのがいなかったのです。兄弟は母親の矛先を如何にして自分以外に向けるか、びくびくしながら暮らしていました。親のことを学校の先生に相談すれば「親の悪口」だと叱られ、教会では罪の告白をさせられ、自分は悪い、自分は汚い、自分は罪深い、そういう思いばかりが強くなっていったのです。
さらに私は中学生ごろまでずっと「悪魔」「悪魔の子」「悪魔みたい」「悪魔だ」と、事ある毎に母に言われました。大人になってから虐待の本を読み、よく考えてみると、母がそうやって私を悪魔と呼ぶときにはきまって辺りに誰もいませんでした。寒い廊下だったり、去り際に耳元で言ったり。とにかく母の努力の甲斐あって、私は家族という小さな群れの中で、自分を「悪魔」だと位置づけていました。そして実際に人を傷つけることでした自分の存在を見出せないでいました。家族の空気が冷たいのも自分のせい。私さえいなければ家族は仲がいいのかもしれない、自分はいないほうがいいとみんな思っているに違いない。いつも暖房のない寒い部屋で一人で丸くなって、暖かい階下から聞こえてくる笑い声を憎みながら、一方で自分はどうして悪魔になんか生まれてきたんだろうと、運命を憎みました。
母は彼女自身の心の中にある悪意の固まりを私に投影していたにすぎません。私は悪魔を見たことがないので、それがどういうものかわからないけど、彼女の心の中では私の顔をした悪魔が笑っていたのでしょう。今日私が元・悪魔として一言言わせてもらえば、「悪魔だって好きで悪魔に生まれたわけじゃない。悪魔には悪魔として存在するほかに選択肢がない。」ということです。オサマ・ビン・ラディンの写真を見ても、北朝鮮の国旗を見ても、私にはそれが悪魔には見えない。むしろテロと戦うことを聖戦のように誇り高く宣言する側の人間を見て、テロを生む原因を作った張本人が被害者の顔をして正義に酔っているように見える。そして大銀杏は「お前は本当はそれを知っているんじゃないのか?」と問いたい。彼らの中に「悪魔」とささやき続けた母の面影を見るからです。
学校教育よりも神様の教えを守ることをを尊重する家族の中で、大銀杏ははみだしものでした。姉と兄は年が近く、物心がつくまえからお互いの存在があったからわりと連帯意識がありましたが、私は彼らにとっては新入りで、遊び仲間ではない。仲間に入れないのは悲しく悔しかったけれど、子供の成長の具合から考えれば当然だし、大銀杏には一家のベイベーという玉座がありました。人々の注目と愛情とを一身に受けていた身には、不安などなかったのです。そしてそこが自分の居場所だと思い込んでしまいました。その座を弟が生まれることによって奪われてしまうと、私の居場所は突然なくなってしまったのです。不安と不満が膨らみ、心が荒れる。
もっと大きくなった小学生のころ、教会で様々なたとえ話を聞かされるたび、そこで出てくる裏切り者や放蕩息子に自分を重ね、天の父の慈悲深さを学ぶより罪深い自分の惨めさだけに苦しみました。大銀杏には当時「味方」というのがいなかったのです。兄弟は母親の矛先を如何にして自分以外に向けるか、びくびくしながら暮らしていました。親のことを学校の先生に相談すれば「親の悪口」だと叱られ、教会では罪の告白をさせられ、自分は悪い、自分は汚い、自分は罪深い、そういう思いばかりが強くなっていったのです。
さらに私は中学生ごろまでずっと「悪魔」「悪魔の子」「悪魔みたい」「悪魔だ」と、事ある毎に母に言われました。大人になってから虐待の本を読み、よく考えてみると、母がそうやって私を悪魔と呼ぶときにはきまって辺りに誰もいませんでした。寒い廊下だったり、去り際に耳元で言ったり。とにかく母の努力の甲斐あって、私は家族という小さな群れの中で、自分を「悪魔」だと位置づけていました。そして実際に人を傷つけることでした自分の存在を見出せないでいました。家族の空気が冷たいのも自分のせい。私さえいなければ家族は仲がいいのかもしれない、自分はいないほうがいいとみんな思っているに違いない。いつも暖房のない寒い部屋で一人で丸くなって、暖かい階下から聞こえてくる笑い声を憎みながら、一方で自分はどうして悪魔になんか生まれてきたんだろうと、運命を憎みました。
母は彼女自身の心の中にある悪意の固まりを私に投影していたにすぎません。私は悪魔を見たことがないので、それがどういうものかわからないけど、彼女の心の中では私の顔をした悪魔が笑っていたのでしょう。今日私が元・悪魔として一言言わせてもらえば、「悪魔だって好きで悪魔に生まれたわけじゃない。悪魔には悪魔として存在するほかに選択肢がない。」ということです。オサマ・ビン・ラディンの写真を見ても、北朝鮮の国旗を見ても、私にはそれが悪魔には見えない。むしろテロと戦うことを聖戦のように誇り高く宣言する側の人間を見て、テロを生む原因を作った張本人が被害者の顔をして正義に酔っているように見える。そして大銀杏は「お前は本当はそれを知っているんじゃないのか?」と問いたい。彼らの中に「悪魔」とささやき続けた母の面影を見るからです。