温泉クンの旅日記

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燕温泉 新潟・妙高

2006-06-11 | 温泉エッセイ
 < タオル >

 旅をするようになってしばらくすると、なにか記念になるものが無性に欲しく
なった。

 北海道とか山陰とかの、とくに遠くへ行ったときなど、またいつ来られるかも
わからないなとそのころは思ったのである。二度と来られないような気さえした
のだった。
 お土産となるとたいてい食べ物であることが多いが、食べてしまえばそれきり
である。
 できれば、どこに行ってもある物であまり高価なものでないほうがいい。絵葉
書、ストラップ、宿泊した旅館のマッチやパンフレット…。どうも、どれもこう
シックリこない。

 そこで思いついたのがタオルである。フェイスタオルっていうんですか、昔ふう
にいえば手拭いだ。たいてい地名や温泉名や旅館名がはいっている。まったく無地
のものは買わないし、宿泊したところのタオルがそれだったら持ち帰らない。
百五十円から四百円ぐらい、平均すれば二百五十円といったところで、まあまあ
安価であるのがいい。
 顔を洗うたびに、手を洗うたびに旅を思い出すことが出来る。

 手を拭いているタオルをみる。

 妙高高原、燕温泉、樺太館とタオルの下のほうに印刷されている。
 新潟県というより長野県の端、妙高山の千メートルぐらいの温泉だった。急峻な
崖のようなところにある温泉である。そこに十軒に満たない旅館が斜面に貼りつく
ように建っている。
 樺太館は、そのとっつきにある木造三階建ての旅館だった。ザックを背負った
登山客が多い。
 旅館が崖のようなところに建っていて、駐車場が狭く勾配を持っているために、
なんどもハンドルを切返した記憶がある。すでに駐車している車の屋根には、鳥の
フンが白く残っていた。

 燕温泉…。
 その名の通り、無数の無口なツバメが飛び交っていた。動きが岩魚のように素早
すぎて数えられない。岩ツバメである。
 無謀とも思えるほど思い切り急降下して、閃くように腹をみせると急旋回の上昇
を繰り返している。高地の冷たく透きとおった湧き水のような空気のなかを、居合
い切りの太刀筋のような鋭い軌跡をあちこちで描いている。



 餌を得たのであろうか、わたしの部屋の窓の前で一瞬、ヘリコプターのように
ホバリングをして視界からスッと消えた。三階建ての最上階だったので、窓の上
つまり平屋根の軒下にツバメの泥で固めた巣がいくつも並んでいるのだ。手を伸ば
せば届く、そのどこかのイエに帰ってきたのである。
 そんな燕についての記憶があるとすれば、初夏に行ったのだろう。ツバメは秋に
はいない。



 温泉の泉質はわたしの好みである、湯の花が浮く、硫黄臭の強い白濁した塩化物
泉であった。もちろん掛け流しである。なんども入ったが、不思議と誰にも逢わず
に、いつも独り占めであった。浴槽が狭いので、三人ぐらいしか入れなかったの
で、ラッキーだった。

 てなことを、つぎつぎと思い出すのである。(むろん、泉質のところは別にして
である。今回書くにあたって調べたものだ)
 温泉タオルが、わたしにとって、思い出の索引のようになっているのだ。

 ところが、こんななんとも素晴らしい思い出の索引も、五百湯を超えたあたり
から家の中にタオルが溢れかえってしまい、収納の場所がなくなってしまった。
 しょうがないので、いまでは特に気に入った温泉であればという条件付きで、
帰りぎわにタオルを持ち帰ったり購入したりするようになっていった。

 そういえば、思い出とやらも収納スペースが限られているようで、不思議といや
な思い出が少ない。これは、わたしだけであろうか。

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