温泉クンの旅日記

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鯵ヶ沢温泉 青森・鯵ヶ沢

2006-08-05 | 温泉エッセイ
  <走れ謎オバ>

 そのホテルは日本海を望む丘の上にそびえ立っていた。

 青森県のウェストコースト、鰺ヶ沢温泉の「グランメール山海荘」。ヨーロッパ
の古城を思わせる外観だが、実は超近代的なホテルである。内部の造りも装飾も
贅を凝らしたものだ。館内のあちこちにあるアンティークな家具やさりげない小物
も洗練されている。わたしが宿泊したときには、クリスマス用にエントランスの
周辺が豪華に飾られていた。二階の大宴会場でペドロ&カプリシャスのショーが
催されていたせいか、着飾ったひとでロビーが込み合っていた。

 鰺ヶ沢は、まさに演歌の世界である。灰色の厚い雲に閉ざされた暗い空、雪まじ
りの烈風に白兎が飛ぶ荒れる日本海、じっと沖をみつめる海鳥、まばらな漁火、
人通りの絶えた駅前。舟歌、越冬つばめ、津軽海峡冬景色などのセツナイ歌詞が
ぴったりあてはまる町である。そこに、ヨーロッパの城だから驚いてしまう。チグ
ハグの妙だ。



 二日続けて宿泊代を節約したものだから、一泊だけグレードアップしたのだ。
部屋も申し分なく清潔で広い。ホテル従業員は客を部屋に案内したら、布団敷きを
のぞき一切入室しないでほっといてくれる。

 番屋ふうの別棟でとった夕食は海の幸、とくにハタハタの鍋と活きアワビの踊り
焼が美味で、焼酎水割りが進んだ。食事後に、力強い津軽三味線の生演奏を目の前
で聞くことができたのは、まったく思いがけなかったので興奮狂喜した。客のなか
に青森県知事が同席していたようだ。
 いいホテルである。そのうえ従業員も若いが教育がしっかり行き届いており、応
対がとても丁寧で満点である・・・ハズ、だった。



(まったく、一体全体ド、どうなっているんだ!)

 目の前の広い駐車場にうっすらと雪が残る朝、わたしはホテルの玄関前で短気な
腹ペコ熊のようにウロウロいらついていた。
 ボソボソご飯だけがネックの朝食をすませたあとで、フロントに駅までの送迎バ
スの有無を聞くと10時30分にあるという。それに乗れば五分ほどの所要時間だから
10時52分の電車には充分間に合います、とのことである。

 10時にチェックアウトを済ませて、ラウンジで珈琲を飲みながら待った。
 25分になっても入り口の自動扉の向こうにバスがこない。客の呼び出しの気配も
ないので、フロントにいくと、手配していますので外で待ってくれとのことであ
る。

 外にでると50代の身なりのいいオバサンがひとり待っていて、やはりわたしと同
じ電車に乗るとのことであった。その電車に絶対乗りたい、それに乗らなければ
乗り換えの連絡ができずに非常に困る。そう、昨日からフロントにクチを酸っぱく
するほど何度もなんども、念を押したらしい。前の日に五所川原に泊まり、知り合
いからこのホテルを是非にと勧められたそうである。言葉は完璧な標準語であり、
ひとり旅というよりビジネスのための出張という格好雰囲気である。いったい、
なんの旅だろうか。すこし謎のあるオバサン、謎オバだった。

 10時35分、腕時計と広い駐車場を交互にみていたが、待ちきれずにまたフロント
まで談判にいくと、もうすぐ来ますからだいじょうぶですと、若い男性フロントマ
ンは胸をはって答えたものだ。蕎麦屋の出前みたいな返事だなと思いながら、しか
たなく、またホテルの入り口にでて謎オバと並んで待った。

 わたしはもともと、時間に正確な新幹線でさえ30分前に駅にいき、15分前には
ホームで待つという性分である。10時52分発の電車といったら、10時30分には駅に
いなければならない。腕時計をみて繰り返す、残り時間の暗算にも疲れてきた。
 10時40分を過ぎたところでまたフロントへいき、52分の電車にホントォーに間に
合うんですよねと、超低音で目つき険しく迫ったところで、自分のなかでカチリと
スイッチが切り替わった。レッドゾーンで揺れていた針がついに振り切れて、わた
しは壊れてしまった。もういいや、どうでもいいや勝手にしやがれ状態になったの
である。

(ヨォクワカッタ、モウイイアルヨ)
 多重人格者における人格交代。もうひとつの人格、なにごとにも動じない中国の
エライひと<ウォン大人(たいじん)>の十年ぶりの登場だ。こいつが登場すると
タダ事ではすまない。乗り遅れたら、キミ責任者をよびなさい、ということにな
る。ふふふ、絶対に後悔させてやるアルヨ。顔がゆるみ、気味悪く微笑んだように
見えたかもしれない。

 ブキミな笑みから、逃れるように後ろの壁の時計に目をそらせたフロントマンが
目を剥いた。長針は限りなく45分に近い。慌てて電話をとりあげ連絡する、緊迫し
た声を背中で聞きながら、ウォンのわたしは玄関にゆっくり戻ると謎オバに告げ
た。
「もうだめかもしれませんね。いまごろになって、慌てていますから」
「え~、それじゃあ、あたし困るのよ。どうしても今日中に帰らないと」
「すみません、お待たせして。連絡不備で・・・あの、わたしが送りますから」

 自動ドアから飛び出してきたフロントマンは息を弾ませてそう言うと、脇を走り
抜け駐車場の一角へ一目散に疾走した。
 横付けした送迎バスに乗り込むと、凍てついた坂道をかっ飛ばして降りていく。
昨日の道と違うから、近道なのだろう。片側工事の場所でも猛然と突っ込み、対向
車を怯ませた。

「間に合うかしら、次の電車は2時間後よ」謎オバのデカイ声の呟きに、
「乗れなかったら、この自分が責任もってどこへでもお送りいたしますから」
 フロントマンのその言葉で、謎オバはやっと安堵したようだ。

(兄サン、ユックリいこうよ。そんな飛ばさんでエエアルよ)
 そう呟く、わたしのもうひとりの人格であるウォン大人は、乗り遅れて五所川原
まで当然のように送ってもらうつもりである。
 最後の角だったらしく、駅とホームに止まっている電車が目に飛び込んできて、
瞬時に反応して、わたしの人格交代が行われる。<ウォン大人>からいつもの自分
へ。



 停車したバスから、ザックを背負いバッグを手にアタフタと飛び出すと、謎オバ
と走る、走る。あたし切符買わないとぉ・・・両手の荷物振り回してドタバタ走り
ながら言う謎オバに「そんなの車内で買えばいいからハヤァク!」と一喝して、
改札を突風のように強行突破し、間一髪電車に飛び込んだ。ふう、なんでこうなる
の。

 たまにゴージャスな宿に泊まったのに、最後がこれではいかにも惜しい。余韻も
なにもない。満点に近い宿で、しかも料金も手ごろとくればイチオシしたいのだ
が、ひとつだけ駄目な点がある。しかも特に大事な点だ。
 肝心の温泉である。これほどの塩素をぶちこんでいいのかというほど、強烈に匂
う。史上最悪の塩素まみれ温泉。泉質などあったものじゃない。低料金ゆえに親子
連れでごった返す、公営屋内温水プールそのものだ。エレベーターホールは浴室か
ら相当離れているが、そこでも鼻が曲がるほど塩素臭が漂っていた。
 温水プールと割り切って四度入浴したが、敏感肌の女性であれば一度で懲りるだ
ろう。
 温泉を(も)楽しみにしているひとには、まことに残念ながらちょっと薦められ
ないホテルである。
 

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