おねえちゃんの独り言

「おねえちゃんの独り言」のブログ版
(・・・って、そのまんまだけど)

人生というもの

2017-05-15 22:52:42 | Weblog
 15日の朝、携帯に日本からの着信と留守電にメッセージが入っていることに気づいた。着信時間は深夜3時頃、日本時間では夜7時過ぎか。実家がある市の職員から、母のことで電話をくれ、実家に電話してくれてもいい、とのメッセージ。強烈な胸騒ぎを覚える。
 実はここのところ、母からのメールがなくて心配していた。忙しいのか、薬のせいでやる気が起きないのか。最後のメールは先週月曜日、娘宛に母から荷物が届いたので娘がお礼のメールを出したところ、すぐに返信が来た。日本時間では9日火曜日午前中。
 私のところには、日本時間2日夕方のメールが最後。その後、こちらから2回メールしたし、母の日ギフトも届いたはずなのに、音沙汰無し。以前にもあった、メール関連のトラブル(特定のプロバイダ間のメールがブロックされてしまう)かとも思い、娘がヤフーメールを使っていることから、自分もよほどヤフーからメールしてみようかと思いつつも、いろいろ考え過ぎてしまってまだ送っていなかった。
 留守電を聞いたのが日本時間で夜の11時45分頃。時間が遅いので迷いつつも、実家にかけてくれて、とのことなので、思い切ってかける。電話に出たのは、有料老人ホームにいるはずの父。心臓の鼓動が速くなる。そして聞いた言葉は、母が亡くなったという一言。
 私は何よりもまず「順番が違うでしょ!!!」と心の中で絶叫していた。どうして母が先? 普通どう考えたって、父が先に亡くなるでしょ??? 父のほうが年上だし、平均寿命だって男の方が短いし、20年も人工透析して、去年は半分近く入院して過ごして・・・。どうして??? なんで???
 半日以上経った今でも、まだなんだか現実のこととは思えない。
 父は当然だが、状況がよく分かっていない。いきなり呼び出されて、これからどうしようか、といった様子。この時点では、父は果敢にも(?)こっちで処理するから私は日本に来なくていいとのたまい、私も気が動転してそのまま電話を切るも、時間が経つにつれ、どう考えても母が亡くなったのに一人娘が日本に行かないというのはあり得ない!との思いにかられる。大慌てで翌日の日本行きチケットを予約し、あれこれ準備し、詳しい状況を知りたくてイライラしながら日本が朝になるのを待つ。
 日本が16日の朝になってまずは実家に電話をしたら、まだ父いて、水曜には日本に着くから、面倒な手続きは私がやるから、と伝えたところ、露骨にほっとした様子が声から伝わる。驚いたのは、てっきり病院か警察にあると思った母の遺体が、実家にあると聞いたこと。そんなことってあるのか? 両親が同じ屋根の下で一夜を過ごしたのって、何十年ぶりだろうねぇ、皮肉な状況だけど。何にしても、父と話してもよく分からない。
 1分毎に時計を見て、日本が9時になった瞬間に電話をくれた市の職員に電話をかける。そこで、母の異変に最初に気づいたのは、去年のさんざんな骨折・手術を経て腕が不自由で料理もままならない母が頼んでいたお弁当屋さんであることを知る。毎夕届けているお弁当が何日もそのままになっていて、これはおかしいと市に連絡してくれたそうである。
 続けて、もっと詳しい状況を知っていそうな警察に電話。警察の担当の人が親切に教えてくれたところによると、母が最後に目撃されたのは10日のお弁当の配達の時だったという。11日は鍵が開いていたのでそのまま玄関に置いていき、12日は前日のお弁当がそのままになっているから変だとは思いつつも2階からテレビの音がしたため、やはりそのままお弁当を置いて帰った。土日は休みで月曜日にまた配達に行ったところ、前週木金のお弁当がそのままだったので、これはおかしいと市に通報したのだそうだ。
 ということは、11日には亡くなっていたのか。最近ちまたでよく話題にのぼる、死後、何日も経ってから発見される「高齢者の孤独死」である。自分で救急車を呼ぶ間もなかったのか。でもきっと、少し前から具合が悪かったようだし、どうして誰かに助けを求めてくれなかったのか・・・
 警察の人によると、玄関の鍵が開いていたことと、これといった持病もなくて死因が分からないことから、司法解剖になるかもしれないらしい。ようやく少しは詳しい話が分かって、日本に着いたらすぐに連絡すると伝えて電話を切る。

 ・・・朝からずっと、喉の奥になにか詰まったようで、心臓が苦しい。
 特に仲の良い親子ではなかったが(うちの日本の家族、誰と誰の関係を見てもあまり仲良くない)、不幸になってほしいとか、イヤな目に遭ってほしいとか、そんなことは間違っても思っていなかった。赤の他人だって孤独死の話を聞いたら胸が痛む。去年の信じられないような不幸続きの後で、今年はきっといいことがあると言い合っていたのに。最悪まで落ちたら、あとは上るだけかと思っていたのに、最悪の次に究極の不幸が待っていた。
 実は、3週間後に夏休みに入った娘を連れて、日本に行くことになっていた。娘も、そしておそらく母も、指折り数えて楽しみにしていたはずだ。どうして今なの??? どうして1ヶ月後じゃなくて今なの??? これがもし、久しぶりに孫と楽しく過ごした後だったら、同じ孤独死でもこんなに苦しくなんかならないのに、どうして今なのか???
 母の人生って、なんだったんだろう。もちろん日本に生まれたというそのことだけでも世界一不幸であるハズがないし、日本一不幸だとも思わないが、はたして幸せだったのかな。そりゃもちろん細かい浮き沈みは誰にでもあるが、昔からなにかと不運で、でもかなりラッキーなタイミングで割増退職金もらって引退した頃が一番幸せだったのかな? 終盤は予想外に長生きだった祖母に振り回されているうちにあちこち怪我して肉体も衰えて、ようやく祖母から解放された最後の一年は、前に書いたように父の手術、入院、老人ホーム探しに振り回され、自分の怪我、手術、医療ミスによるさらなる手術と後遺症にも苦しめられ。あと3週間で3年半ぶりに孫と楽しい夏休みを過ごせるというタイミングでの孤独死。
 それに絶対、本人はあと何年かは生きる予定でいた。近いうちにメンテナンスが大変な一軒家を売り、自分も父のようなマンション型有料老人ホームに入り、身軽になって悠々自適な生活をするつもりでいたはずなのに。
 孫とだって、もっとたくさん遊びたかっただろう。3年半前に日本に行った際に母との間にちょっとしたトラブルがあり、以来、私は日本に行くことを避けていた。メールや郵便物でやりとりしているぐらいがちょうどいいと。今回は、母のほうから「父が本格的にボケる前に会いに来い」とのメールで日本に行くことになったのだが、そのメールが来たのが春休み直前。そのとき、無理してでも春休みに行けば良かったのか。というか、父の心配している自分が先に亡くなるなんて、本人も夢にも思わなかっただろう。誰でもいつかは死ぬのだけれど、母は亡くなる時に何を思っただろうか。何を思う間もなく、眠りに落ちるように亡くなったのだろうか。ボケたり寝たきりになる前にぽっくり亡くなったことを幸せだと思うべきなのか。
 ・・・だから、どうして今なのか??? これが1ヶ月後だったら、発見が遅れたことを除いて、祖父並の大往生である。だけど、どうしてあと1ヶ月待ってくれなかったのか???
 この先ずっと、私は死ぬまで、母のことを思う度に胸が苦しくなる。やりきれない思いで、いてもたってもいられなくなる。
#絶対に順番が違うし、今時、持病もないのに78才っていうのも早過ぎでしょ?!

 明日私は、めいっぱい気合いを入れて日本に行く。今のところ、うちの家族の不幸は日本で収まっている。どんなことがあっても、疫病神に魅入られてアメリカに連れて帰って来るようなことだけは、間違ってもしてはならない。
 でもはっきり言って、誰もいない実家に一人で泊まるのはものすごく怖い。いやいや、気合い入れまくって、死に神でも疫病神でも蹴散らしてこなくては!!!

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