勿論こんなかっこ良くなかったけど、僕は大学4年に進級した。
春過ぎまで ぷらぷらしていると、僕より先に留年した友人 THくんが「まだ就職部に顔出してないの?」と言う。 「なんだ、それ?」と返すと「皆、就職活動してるぜ」とのこと。 「あっそう ・・・ じゃ、俺も」と、その就職部とやらに行ってみた。
そこにはその後、Y先生とともに人生の恩師となる N先生がいた。 N先生は某ビール会社社長のような顔立ちで眼鏡をかけ、奥の窓を背に座っていた。 当時の薬学生の就職先は就職部によって、1人につき1社ずつ(!)手配されていた。
「はいどうぞ、おかけください」と促され正面に座る。 N先生は、真っ赤な髪の僕をしげしげと眺め、「ここはどうですか?」と、コンピューター会社を勧めてきた。 どうも、薬剤師としての就職から縁遠いと判断し、当時の急成長業界を勧めてきたようだ。
N先生は正しく天才で、目前に座っただけで「君は〇〇くん。 前回は〇〇まで話が進んでいたね。 さっそく先方に電話をしてあげる」と、メモも見ずに学生の氏名、志望企業、就活進捗を即座に言い当て、瞬間的に前回の面談との連続性を生み出すという凄腕の持ち主。
戸惑いながら「薬の業界がいいんです。できれば営業ではない内勤が」と伝えたところ、「それじゃ今の恰好はダメだよー」と優しく指摘され、その場は終了。
翌日、N先生と対面した僕は、髪を切り、黒く染めていた。 別人のようになった僕が誰だか分らない様子だったが、名前を言うと驚きつつも嬉しそうな表情となり「それじゃ、ここは?」と紹介されたのは、某業界最大手の H社だった。
業界研究など全くしていなかった僕は、「TVでCMしているあの会社か」位にしか思わず、最大手の難関企業などという意識さえもなく受験の意思を告げた。 「それなら」 と、その場で当時 H社 採用担当責任者の I次長に電話を入れた。
H社は目前の統合を機に、製薬業界への参入を目論んでいた。 その募集職種は、何と〝研究開発〟! 不勉強な僕は、院生の中でもトップクラスの人材採用が当たり前の最難関に、 1年留年という重荷を背負いながら、無謀にも挑もうとしていた。 採用人数は2名。
ネットのない当時、TVCMの効果は絶大だ。 僕はTVCMに倣い、新宿の丸井で29,800円のスーツを買った。
初夏の頃、僕はN先生から指示された日時、指示された場所へと向かった。 そこで初めて I次長と出会う。 髪の薄い年配の方。
部屋に入ると、丸顔の女の子が座る隣の席に会社案内、採用案内、募集要項、封筒が綺麗に配置されていた。 そこで企業説明を受け、研究施設を見学し、終了後には今後の流れが書かれた用紙を渡され、帰途に就いた。
その女の子の大学を訊くと「東大」とのこと。 「へー、東大生も受けるんだ」などと、自分の方が異端児であることすら理解できないでいた僕は、全くもって馬鹿だった。 翌日、就職部を尋ねると「すごく印象が良かったって、I次長が言っておられたよ」と褒められた。
その後も何度か N先生を訪ねた。 順番を待つ僕の耳に「いつも『大丈夫』って言うけど、全部落ちたじゃないですか!」といった、先生に非があるかのような暴言も入ってくる。 身の程知らずな僕は「悪いのは自分の方なのに、何て馬鹿なヤツだ」などと思っていた。
そして筆記試験の日 ・・・ 製薬メーカーの試験は同日に集中しており、ハガキで届いていた日程を一瞥しただけで「皆と同じ日だろう」と、信じられないような勘違いをしてしまっていた僕は、アパートで彼女とゴロゴロしていた。 その夕刻、I次長から厳しい口調で電話が入る。
「〇〇くん? 今日の試験はどうしたの? もう面倒みることはできないよ」と。 改めて手にしたハガキには今日の日付が。 この時何と言ったか覚えていないが、切電後、彼女に部屋にあったハサミで髪を切ってもらい、スーツに着替え、毛布を積んだ車でH社に向かった。
到着すると、正門に詰める警備員に I次長の通常出社時刻を教えてもらい、「可能なら出社を確認した際に知らせて欲しい」などと、携帯のない時代では「自分の車まで来ること」を意味する、無礼極まりないお願いをし、正門近くに車を停め、仮眠をとった。
車を停めたスペースはやや勾配があり、重力を少々斜めに覚えながら、持参した毛布を掛け、うっすら星の見える夜空を眺めつつ横になっていると、FENで Carpenters の Yesterday Once More が流れ、「この曲を聴きながら、僕は就職先を失うのか ・・・」などと考えていた。
翌朝、何と警備員が車のところまで走ってきて、「来たよ」と知らせてくれた! 僕は細かな毛が一杯付着したスーツで、大勢のひとをかき分け、ほぼ髪のない後姿を追いかけ、その前で土下座をした。
「すいませんでした。 何とか試験を受けさせてください」と言う僕に、I次長は「もう遅い! ここじゃ迷惑だから、こちらに来なさい」と、出社の列から外れた入口から小部屋に通され、「ここで待っていなさい」と言われる。
1時間ほど待っただろうか。 I次長は総務部の若い女性と一緒に入室し、「今回は特別に、昨年の問題で受験してもらう」とのこと。 女性の手には試験用紙一式があった。
適性試験に続く一般常識問題は簡単で、書く手は止まらない。 そして最後は英語。 しかも長文読解だ。 英語は超苦手なのに ・・・
よく見れば意味の分かる単語が鏤められている。 「あれあれ、大体の意味が分かるぞ。 でも問題への解答には程遠いな ・・・ えーい、どうせダメもとだ。 ちまちまヒットを打つより、ここはストーリーを仮定して一発逆転ホームランを狙おう!」と覚悟した。
有難い、正に有難い配慮に恵まれ、何とか受験できた僕は警備員に深々と頭を下げ、臭いの籠る車内に戻り、エンジンをかけた。 結果は ・・・ 何と合格!! 英語のヤマが見事に的中し、ほぼ満点だったとか。
そしていよいよ面接試験。 会場に到着すると、既に大勢の一次合格者が集まっていた。 この段階でようやく人気企業であることを思い知る。 が、能天気な僕は「倍率がどうあれ、採用されるひとは採用されるもの」などと、アホなことを考え納得していた。
順番が迫ると、I次長がわざわざ来て、「例の件は役員には内緒にしてあるからね」と耳打ちしてくれた。 今思えばありえない配慮である。 程なく名前を呼ばれた僕は、入室した。
面接官は3名。 A事業部長、I次長、あともう一人。 「全世界に拠点があるから海外勤務は当たり前」との話に遠くを眺めるような目をした僕は、全員に大笑いされた。
最後にA部長から出された「国家試験は受かるかな?」という質問に「受かると思います」と答えようとしたところ、緊張で喉が詰まり「受かる!」で発声が止まってしまった。 3名は顔を見合わせると、「言い切ったのは君だけだ。 頑張ってね!」との言葉で面接は終了。
その後、アパートに電報が届いた。 そこには「採用内定ス」と書かれていた!! 数々の偶然と御縁、御好意の一つ一つが道になり、実は遥かに遠かったH社へと繋がった。
その後、大家さんに家賃を納めに行った際、「受験している会社から興信所の人が来て色々訊かれたけど、悪いことは言わなかったわよ」と打ち明けられた僕は、思い切り頭を下げて心から感謝した。
ちなみに懲りない僕は、駅名の読み間違えで、入社式にも遅刻している((笑)… じゃ済まん)
入社後、社食から出てきた僕のところに I次長がやって来て「今日は天気がいいねー! あー、君は僕の頭の方が眩しいって言いたいんだろ?」などと言って一緒に芝生に座る。 その楽しく話している様子を、周囲の面々が遠巻きに眺める視線を感じていた。
自部署に戻ると、先輩が何人か詰め寄り「どうなってるの?」「皆、恐がっているあの厳しい次長が冗談を言うなんて信じられない」「あんな笑顔は初めて見た」などと捲し立てる。
鈍感な僕はここでようやく、I次長に気に入られて入社できたことを思い知った。
僕には人生の恩師が4人いる。 Y先生、 N先生、 I次長、 そして現勤務先の創業者 Sさん ・・・ 皆、いなくなり、返せぬ恩義は永遠のものになった。
フォトは Robert Plant 46歳。 王子様のような面影は希薄となる一方、大人としての渋さが増し、楽曲の幅は大きく広がった。
30代最後の作品となる、名盤〝Now and Zen〟で描かれたメロディアスでドラマティックな世界は、〝Mighty Rearranger〟へと昇華。 Rock の枠には収まりきらない数々の表現が次々と開花した時期でもある。