先週の水曜日、職場で親子遊びを行いました。普段着ている子供たちがこの日は親子で参加して交流を深めていくというものです。
この日がストリングラフィの内容について詳しく話せる日だからと言って、上司が私に一声かけてくれたことで、その場を借りて説明を始めました。
ストロングラフィという楽器についての説明。会場や入場券の話。この他にも色々と。そして、この説明を。
「もともと、このコンサートを始めようと思ったきっかけは障害児・者の人たちや引きこもりの人たちが交流をを持てる場だったり、その人たちの胸に響くコンサートになるように。もっと開かれた社会を進めるきっかけになって欲しいという意味を込めて開催する目的がありました。しかし、今では幼稚園や保育所、小学校にまで声をかけていて、皆で楽しめるコンサートになって欲しいと思います。」
この中で私はいくつもの、レッドカードをあげています。
私の職場でもある児童デイサービスに通っている子の中の半数は障害者認定を受けておらず、手帳を持ってない子もいるにも関わらず、障害児という言葉を使ってしまっていること。この障害児という言葉に対しては非常にデリケートにならなくてはいけないという事を注意されました。認定を受けていて確かに障害はあるけれども、その子を含め、親や障害者に対してそのままストレートに言ってしまうことはレッドカードそのものだと。
また、私の説明の中で、障害児と幼稚園、保育園に通っている子を分けて伝えていたこともあり、保護者の人に対してやっぱり境界線を引かれてしまうのね。という不信感を抱いてしまう人もいるということも教えてもらいました。自分の子にハンディキャップがあるということを受容できない親はたくさんいるのにも関わらず、言葉を選ばなかった自分に反省しました。
言葉は人それぞれ受け取り方が違うこと、それゆえに気をつけなければいけないことを考えさせられました。
最近では障害の害という字をひらがなで書いたり、碍と書いているところもあったり、言葉そのものの書き方、言い方を変えようとする動きもあるようです。
この日がストリングラフィの内容について詳しく話せる日だからと言って、上司が私に一声かけてくれたことで、その場を借りて説明を始めました。
ストロングラフィという楽器についての説明。会場や入場券の話。この他にも色々と。そして、この説明を。
「もともと、このコンサートを始めようと思ったきっかけは障害児・者の人たちや引きこもりの人たちが交流をを持てる場だったり、その人たちの胸に響くコンサートになるように。もっと開かれた社会を進めるきっかけになって欲しいという意味を込めて開催する目的がありました。しかし、今では幼稚園や保育所、小学校にまで声をかけていて、皆で楽しめるコンサートになって欲しいと思います。」
この中で私はいくつもの、レッドカードをあげています。
私の職場でもある児童デイサービスに通っている子の中の半数は障害者認定を受けておらず、手帳を持ってない子もいるにも関わらず、障害児という言葉を使ってしまっていること。この障害児という言葉に対しては非常にデリケートにならなくてはいけないという事を注意されました。認定を受けていて確かに障害はあるけれども、その子を含め、親や障害者に対してそのままストレートに言ってしまうことはレッドカードそのものだと。
また、私の説明の中で、障害児と幼稚園、保育園に通っている子を分けて伝えていたこともあり、保護者の人に対してやっぱり境界線を引かれてしまうのね。という不信感を抱いてしまう人もいるということも教えてもらいました。自分の子にハンディキャップがあるということを受容できない親はたくさんいるのにも関わらず、言葉を選ばなかった自分に反省しました。
言葉は人それぞれ受け取り方が違うこと、それゆえに気をつけなければいけないことを考えさせられました。
最近では障害の害という字をひらがなで書いたり、碍と書いているところもあったり、言葉そのものの書き方、言い方を変えようとする動きもあるようです。