秋葉原で起こった無差別殺傷事件については、ネット上でも意見がでていることともいます。
今感じていることを残しておきたいと思います。
とんでもない事件、断じて許し難い事件です。
人の命をこれほど軽く考え、それを勝手に奪っていいと思うその精神状態が理解できません。
この加害を憎みます。
現行犯なので裁判審理もむずかしいものではないと思われます。
死刑が刑の種類として存置されている日本の刑法で、責任能力に問題がなければ、
比較的早期に死刑の判断が下ることが予想されます。
でも、すぐに死刑にしないでほしいのです。
彼の命を抹殺すればこの事件は解決するというような簡単な問題ではないと思います。それではこの事件の検証になんの役にも立ちません。
償いのひとつとして、彼の精神面についてしっかりと専門家に分析してほしいです。
現行の法制度の中では、決められた種類の刑罰を科すことしかできませんので、たとえば死刑を宣告した後に、精神分析とかこれまでの生育経過について彼を研究の対象にすることは(本人が同意しなければ)人権侵害になると思います。
でも、このような大きな事件を人間が犯したということについて、その予防のためにも彼にその義務を求めたいです。
そのためには、彼に良心を取り戻させて、人間として苦悩を強いてでも、ここに至るまでの経過を説明させなければならないと思います。
それは、時間をかけてでもです。
これは、個人の内心に立ち入ることになり、憲法19条(内心の自由)の侵害になる可能性があります。
この考えが、死刑廃止とか犯罪者の人権擁護とかではありません。
今回の事件で私が感じた怒りです。
弁護士がこんな発言をしていいのかいう批判は甘んじて受けます。
今感じていることを残しておきたいと思います。
とんでもない事件、断じて許し難い事件です。
人の命をこれほど軽く考え、それを勝手に奪っていいと思うその精神状態が理解できません。
この加害を憎みます。
現行犯なので裁判審理もむずかしいものではないと思われます。
死刑が刑の種類として存置されている日本の刑法で、責任能力に問題がなければ、
比較的早期に死刑の判断が下ることが予想されます。
でも、すぐに死刑にしないでほしいのです。
彼の命を抹殺すればこの事件は解決するというような簡単な問題ではないと思います。それではこの事件の検証になんの役にも立ちません。
償いのひとつとして、彼の精神面についてしっかりと専門家に分析してほしいです。
現行の法制度の中では、決められた種類の刑罰を科すことしかできませんので、たとえば死刑を宣告した後に、精神分析とかこれまでの生育経過について彼を研究の対象にすることは(本人が同意しなければ)人権侵害になると思います。
でも、このような大きな事件を人間が犯したということについて、その予防のためにも彼にその義務を求めたいです。
そのためには、彼に良心を取り戻させて、人間として苦悩を強いてでも、ここに至るまでの経過を説明させなければならないと思います。
それは、時間をかけてでもです。
これは、個人の内心に立ち入ることになり、憲法19条(内心の自由)の侵害になる可能性があります。
この考えが、死刑廃止とか犯罪者の人権擁護とかではありません。
今回の事件で私が感じた怒りです。
弁護士がこんな発言をしていいのかいう批判は甘んじて受けます。
たまごどんは企業に勤める技術屋やもんで、正社員と派遣の格差を熟知しているピョン。この事件の被告はキレやすいらしいけんど、その分社会の不平等に敏感とも言えるんだピョン。
模倣犯をふせぐためにも、この事件の背景を十分に調査して欲しいと、たまごどんは思うのら。
かつてより人が我慢する力、耐える力が低くなっているのかとも思うのですが、かつてよりストレスの強くなり耐えにくい性質のものになってきているのかも知れませんね
終身刑なりにして、時間をかけて犯罪を肯定する発想になったのにはどういう経緯があったのかを明らかにすることは有益と思います。
死刑に抑止力があると思うのは、ほとんどの人は殺されるのが怖いから、死刑で脅せばやらないだろうと考えるからです。
でも、普通は、殺されるのは嫌だから、自分も人は殺さない。人殺しをする犯人たちは、殺されることに、普通の人ほど抵抗感を持っていないのかもしれません。
こういう考え方の違いなども、もっと研究されて良いと思います。
犯罪を繰り返す人は、幼少の頃に犯罪肯定の考えを身につけてしまっている、という研究があります。早い段階で間違った考え方を直させることができれば、犯罪を減らすのに役立つでしょう。
でも、合法的で人に迷惑をかけない趣味のたぐいまで、いかにもそれが犯罪に結びついているかのように報道されるのには強い違和感を覚えます。同じ趣味を持つ人に対する人権侵害ではないでしょうか。仕事につい手も、同じような働き方をする人が危険かのように言われたりします。
報じるなら、これまでにあった犯罪行為や迷惑行為を中心にして欲しいです。犯罪行為があったなら、早めの摘発が防止につながったかもしれないし、合法的な迷惑行為なら規制を考えることもできます。
危険なナイフを規制しようという動きは前向きで歓迎です。
学生時代のことをいうなら、違法行為や規則違反はなかったか、ということはこれからに役立つと思います。
しかし、そういうことになってしまうと、心神喪失で無罪になってしまって、とうてい納得できることではない。死刑が最高刑である以上、これを死刑にしなくて誰が死刑になるのか。
精神病者に犯罪が多いということはないとのこと。むしろ少ないくらい。
問題は、精神疾患と犯罪性の両方を持っている場合。
無罪になって入院した後、簡単に退院できてしまうことが問題ではないか。アメリカなどでは、退院を認めるときには厳しい審査があるとか。
今回の犯人のようなのは、刑務所並の逃亡防止をした精神病院に入院させ、完全に治療し犯罪性も見られなくなるまで(一生だろう)治療する、というのがいいでしょう。
死刑は廃止しないとバランスがとれないけれど。
もちろん、政治犯が精神病扱いで幽閉、なんてのは困る。
精神病で犯罪、という場合の処分が厳しくなると、今のように、検察側が責任能力を立証しようとし、弁護側が心神喪失や心神耗弱を主張するのが逆転するかも。
同意です!
各紙報道のうち、弁護人を務めた田鎖麻衣子さんの言葉が印象的です。
「まさかという思いもあったが、不安が的中してしまった」と。数ヶ月前から再審請求の準備をすすめ、専門家に意見書の執筆を依頼していたそうです。この毎日新聞社(電子版、2008年6月17日 12時59分)の報道によれば、宮崎さんは東京拘置所で精神科の治療も受けていたとか。同社の別の報道で、雑誌『創』の編集長、篠田博之さんは、「彼は病気の影響もあって無頓着で、自分がどういう境遇にあるのか、よく分からない様子だった。死刑確定の意味についてもしっかり説明は受けていないようだった」と言っています(毎日新聞電子版、2008年6月17日 12時16分)。
法務大臣の鳩山邦夫は「絶対に誤りがないと自信を持って執行できる人」だったと述べているようですが(岩手日報本日付)、本当にそう言い切れるのでしょうか。疑問に思います。
篠田博之さんは産経新聞の取材に対し、「宮崎死刑囚は、犯罪の外形的事実は認めていたが『実行したのはもう一人の自分』だと思っていたようだ。罪と向き合っておらず、最後まで反省と贖罪(しょくざい)の意思表明はなかった。もしかすると、死刑の意味を十分に理解していなかった可能性がある」とおっしゃっています(msn産経ニュース、2008.6.17 17:15)。そうだとするなら、刑罰としての死刑の意味はなかった、ということになりますね。彼は、罪の自覚もなく単に絞首台で殺されただけ。
そうすると、産経新聞社に対し、長谷川博一・東海学院大学教授が寄せた次のコメントは極めて的確だと思います。
「死刑確定から執行までが早かったというのが率直な感想。宮崎死刑囚とは平成18年1月の最高裁判決後に8回にわたり面会したが、その中で死刑判決について『何かの間違いだ』と淡々と話していた。何が間違いかを具体的に尋ねると、『(裁判官に)残虐だと勘違いされた』と答えた。この発言は恐らく、自分が行った犯行を残虐だと認識していないとうこと。罪の意識がないようにみえた。
「裁判は終わって確定しても、宮崎死刑囚の犯行の動機や犯行当時の精神状態が分かっていない。事件が解明されたわけではなく、執行には違和感を覚える。裁判は量刑判断とともに、犯行への経緯を明らかにする場とすべきではないか。そうでなければ凶悪事件も減っていかないと思う。
「この事件で「オタク」などの言葉がクローズアップされた。その後に起きた若者による凶悪事件、最近で言えば秋葉原の通り魔事件などとの共通点は『リアルな人間関係を持てない人間の犯行』ということができるだろう。そうした、空想への親和性が強く、対人関係が苦手な若者の犯罪という意味では、その“はしり”だったといえるかもしれない。(談)」
(msn産経ニュース、2008.6.17 16:52)
冒頭にあげた毎日新聞の報道によれば、田鎖麻衣子さんは数ヶ月前から再審請求の準備をすすめていたうえ、五月末には鳩山邦夫法相に書面で刑を執行しないよう要請までしていたということですから、「自信を持って執行できる人」など、根拠のない放言というべきでしょう。
犯行の真相は解明されなかった、犯行への経緯も依然不明のまま、宮崎さんは殺されてしまった。秋葉原無差別殺傷事件も同じ道筋をたどるのでしょうか。
今日の宮崎勤の死刑執行にしても考えさせられますね。
ただいえることは、このような犯罪を二度と犯させてはいけないということです。
死刑廃止論をここでいうつもりはありませんが、でも死刑は抑制力にはならないということです。
応報であるだけです。もちろん被害者の方に取ってみれば応報は十分意味のあるものです。
極刑相当判断後、犯罪抑止のための研究に協力するというような制度はどうでしょう。
死刑については必ず執行猶予をつけることにし、協力の程度によっては終身刑に減刑とか。
「死に神」に被害者団体抗議=「侮辱的、感情逆なで」
6月25日18時0分配信 時事通信
13人の死刑を執行した鳩山邦夫法相を「死に神」と表現した朝日新聞の記事について、「全国犯罪被害者の会(あすの会)」は25日、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見し、「死刑執行を望む犯罪被害者遺族も死に神ということになる。侮辱的で感情を逆なでされた」とする抗議文を、同日付で朝日新聞に送ったことを明らかにした。
抗議文で同会は「法律に従って執行を命じたにすぎない法相を非難することは、法治国家を否定することになる」と批判。記事の意図などについて同社に回答を求めた。
犯行の真相の解明は裁判ですること。
ソレをしない/出来ないのは司法の怠慢。
ソレを棚にあげて、行政機関の一つの長である法務大臣をあげつらうのは、三権分立の否定。