
“なでしこジャパン”の名声が流布するにつけ、その精神は、なへんに有るのか、と考えてみた。皮相的な見方だが、美しき犠牲精神に帰結する様な気がしてならない。一点突破にせよ、一致団結が日本精神の神髄である様な気がしてならない。どうして、そう考えるのか自分でも定かではないが、戦前の天皇制の名残が今も延々と続いて今日に至っている様な、やはり、そういう気がしてならない。中途半端な戦前戦後を股にかけた私だが戦後民主主義の洗礼を受けて育ったものとしては、視野を戦前に入れると、そういう結論になる。“なでしこジャパン”の命名の<なでしこ>も紐解けば、植物に由来するのだが、それも<大和魂>の別名である様な気がする。曰く「大和魂」とは、“日本民族の固有の精神”として強調されてきた。それは日本人の<対外意識の顕れ>でもある。対外に対する闘争精神の権化が“なでしこジャパン”をして顕示された。そういう見方も成り立つ。歴史的に古くは中国に対して、近代以降は、西洋に対して主張された。“大和魂”は、古来、日本人独自の思考と行動様式をさした。日本的“美意識”と中華思想に対しては“日本文化自立の精神”を謳歌したものだった。別の見方からすると、尊皇攘夷の行動様式を吐露した精神である。明治以降は、天皇への忠誠精神としてナショナリズムの中核的内容となった。対外侵略を美化する精神的支柱となり、昭和の戦時中の士気高揚のスローガンとなって一億総動員の戦争参加・賛美へと駆り立てた。結果は、惨憺たる敗戦に終わった。・・・
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