例え民選議員であるからとバックに民意を反映した自負の基に行動しているのだとの過剰意識が反対意見を強行に反映している表象である、と思い上がっているのだろうか。もしそうだとしたら、その事自体が思い上がりの典型であり甚だしい奇態を演じている事になるのだ。国民の中には貴殿以上に普く研究している個人や団体だってあるのだ。懸案の郵政民営化の問題だって無私無欲の利害関係を抜きにして論議している私的民間団体だってある。郵政族の中には大義名分として百十余年の日本の地に根ざした伝統ある庶民・国民に浸透し定着した安定制度を何故いまさら改革?し民営化する必然があるのだろうか(入り口論)、との論理にすり替えているが、完璧はないのと同じ様によりベターな時代の趨勢に合った制度に改革すべきだとのテーゼが長年の懸案事項であったはずだ。<少なくとも小泉首相の構造改革の超目玉だった筈だ>ユニバーサル・サービスだって譲歩したし全国津々浦々、辺鄙な地まで現郵便局は存続させるし27万人の現局員だって準公務員に準じた地位待遇で残し時の情勢によって暫時、双方の話し合いで決着を着けるところまで進展している。その他、穿れば幾らでも問題化する事項が噴出する。そう言う事も分かっての最大公約数が今回の小泉民営化案なのだ。執行部に一任するとか小泉独裁・独断だとかの瑣末な論議に終始した内紛騒動は内輪もめであって反対のための反対としか国民の眼には映らない。大人気ない醜態を演じて国会や国民を愚弄する行為には国民は組しない。与野党を超えて超党派で国民の為の国民の郵政民営化であってほしい、とつくづく思う昨今である。・・・






ほんと最近の熊野古道の世界遺産登録から始まった、薄汚い言論活動は文科省に摂家の片割れがいるような気がする。