陽の当たる場所へ

日陰を歩く者は
陽の当たる場所に辿り着くことを夢見て
思考に耽る

The West Wing ②

2005年08月23日 | TV日記
 研究日記で議論について触れた。このドラマでもこのことに関してチョットオモシロエピソードがあったので書いておく。

 1stシーズンの第6話「大統領の娘」(Mr.Wills ofOhio)の回だ。
 詳細は省くが、国勢調査に関する法案をめぐり、広報部長のトビーと議員との議論があり、トビーは議員の中のウィリス議員を説得することに成功した。
 トビーは「どうして意見を変えたのか?」と問うと、ウィリス議員は「君の議論が非常に論理的だったからだ」と答えた。トビーはこれに驚いていた。
 ホワイトハウス、というより政治の世界では議論よりも“政治的な駆け引き”の方が重要だからだ。

 まぁ確かにそうだろうと直感的には納得する話だ。政治的な駆け引きと論理的な説得。どちらが重要なのかではなく、どちらも重要だと思う。

 この回は特におもしろい。
 DVDで英語字幕にしてみると、吹き替えではわからない大統領が出すクイズとそれに続く会話の意味がわかる。
 また、アメリカの国勢調査が抱える問題(法的・人種的・移民など)を教えてくれたりもする。

 このドラマはこんな風に面白いネタを提供してくれる。

コミュニケーションの方法

2005年08月23日 | 研究日記
 論理的に議論を展開するというのはなかなか難しい。

 修士の授業は学部生の時とは比べ物にならないくらいハードだった。ただ、それは修士と学部の間で展開され、求められる“質”的な違いというよりも、単に私の能力が低かったからそう感じただけのような気もする。
 ただ、先生と演習をしている中で一番ネックになったのが、呼んでいる書物の理解よりももっと根本的な“コミュニケーションの方法”だった。

 私は高校卒業後そのまま持ち上がりで進学せず、一旦社会人を経由して大学に入学し学んだ。そこで“学問的な作法”というものを身に付けないまま大学院へと進んだ。それが作法を身に付け適切に議論することを求めなかった学部時代の教授のせいなのか、私が適切な時期に身に付けることなくそのまま年齢を重ねてしまった勉強不足なのかはわからないが…

 経験や世俗的な通念に拠ってを論を進める私の話は説得力に欠けていた。しかし、根本的な問題は、先生が言わんとしていることを理解し、それに適切に答えるという議論そのものが十分に出来ていないことだった。
 先生は適切なコミュニケーションができるために私に以下のようなアドバイスをしてくれた。
1.議論で展開されている“問題設定”を共有する.
2.共有した問題に対して“論理的な方法”で議論を展開する.

 なんだか難しそうなことを書いたが、いっていることは単純だ。それが出来ているかどうかの問題であって…
 別に意識する・しないに関わらず日常たいていこれに基づいて会話をしている。
例えば、食事を決めることであったり。また、含みのある言い方をして適切な返事を期待する夫婦間、あるいは恋人同士のかいわであったり等等。

 ただ、それが学問的な会話、すなわち議論になると論理的な方法がより強調され“合理的”に展開する必要がでてくるだけだ。

 なかにはこのような議論を嫌う者もいる。聞き手の側は議論を感情的なものが一切省かれ、無機質・機会的なものとして“冷たく”感じるからだ。
 「口に出して言わなくても、うまく説明できなくてもわかるでしょ」という“日本人的な共有感覚”に縛られている。
 そもそもお互いに分かり合えないからこそ議論をしているのにも関わらず、全くの個人に属する感情的な判断を持ち出すなんてどうかしている。それなら最初から議論の場に来るな、あるいは議論を持ちかけるなと言いたくなる。

 話す側(説得する側)にとって重要なことは、それが相手にどのように聞こえるかではなく、話の内容がどうかにあると思うのだが、それが通じない者が中にはいるようだ…

 先生のような視線で議論ができたらどんなにか気持ちがいい事だろう。自分もそこに辿り着きたいと思う。それには地道に経験を重ね頑張るしかないのだが。

参考:草野耕一,2003,『説得の論理-3つの技法』日系ビジネス人文庫.\695

イヤ~懐かしい!

2005年08月23日 | 映画日記
 今TVでも放送されている『海猿』の映画を見ているときだった。

 なかなか楽しく観ていると、海猿たちが通りでナンパをしているシーンがあった。その時どこかで見たことあるな~と思っていたが、まさか自分が高校時代に遊んでいた町だとは思いもよらなかった。
 次のシーンで装備一式を背負って階段を上っている背景を見て漸くそれが広島の海沿いの市だということがわかった。
 
 海上保安学校なんてそうそうあるものではないが、まさか自分が毎日歩いていた通りの煉瓦の壁の向こうでこんなことをしているとは思いもよらなかった。

 自分の知っている町がこんな風に映像化されるとなんか変な気分になる。それに「~島沖…海里」という字幕が出たときなんだかこそばゆくなった。自分も特に関心がある思ってもいないのに「この島も有名になったもんだ」とい気がした。
 『鉄腕DASH』という番組でソーラーカーで日本一周という企画をしているが、海沿いのこの町ももしかしたら映るかもしれない。ていうか自分の島も走るかも… その時もこんな気分になるのかな?

世界は遠い

2005年08月23日 | 徒然なるままに
私の生まれは広島で瀬戸内海に浮かぶ小さな島だ。

 自分で言うのもなんだがノンビリした良い島だ。できることならここで一生を終えたくなるような島だった。
 金沢に来て早10年。自分なりに努力していろいろと人脈を築いてきた。それでもあの島での20数年には遠く及ばない。島では私は私個人ではなく、私の“家”も私というアイデンティティの一部になっているからだ。だから、私という個人に信用がなくても、家付きの私にはそれだけである程度の信用がつく。それほど私の“姓”は島では影響力が強い。

 私の父が土木業を営んでいるということは書いた通りで、島でも結構知られている。だから、初めての人に対して単純に「しんじといいます」と名前だけ名乗っても「誰こいつ」ってな感じで通じることはないが、「~~のしんじといいます」というと、大抵相手の人は「まぁ、~~の息子さんね」と一発で通じる。それほど家というものは影響力のあるものなのだ。
 仕事の現場先や店で買い物をしたり、あるいは家に来たオジさん、オバさん、おじいちゃん、おばあちゃんが「まぁ~、しん君も大き~なって」と言ってくれる。昔の自分を知ってくれているというのはよくも悪くも嬉しいものだ。

 それでもたまに里帰りで島に戻ると陰鬱とした気分になる。そこは世界から遠く離れた、あるいは隔離された場所のように感じてならない。

 金沢は本当に良い町だと思うが、別にここに居続けることにこだわっているわけではない。たまたま大学の進学の都合でここに来て、そのまま居続けているだけだ。広島も良い所だと思う。
 しかし、あの島は違う。島は2本の橋で本州とつながっているが、近くの町まで約30分。広島市街までは約1時間掛かる。船でも似たようなものだが、その“時間”が精神的に遠く感じさせる。

 たった30分、たった1時間と思う者もいるだろう。しかし、それは移動の時間だけをみただけだ。当然準備が必要だし、何かの行動を起こすということはそれだけで精神的な気を使う。島から本州に行くという地理的な隔たり等々。
 金沢のように仕事帰りに30分かけてサークルに行くというのとは明らかに違う何かがある。

 この先私がI、J、Uターンのどれになるかは自分でもわからないが、それでもあの島には戻らないと思う。
 それはあの島がイヤなのではなく、自分が成すべき“目標”を持った者の業(うまい表現が見つからないが)のような気がする。

本物の地主

2005年08月23日 | 徒然なるままに
 別に偽物がいるってわけではないが、これも父から聞いた話だ。

 細かい細部は忘れてしまったが、話の内容はこうだ。
 私の町の地主がある銀行の株主総会に作業着ッポイ服で長靴を履いて行き、入り口で新しい長靴(or足袋だったか)に履き替え、銀行に入ろうとすると警備員(or行員)が、「ここはあんたの来るような所じゃないよ」と言い追い返そうとしたらしい。
 そうしたら支店長(だったと思う)が飛んで来て、「この方は大株主だ。余所に移ったらどうするんだ!」と言って、この警備員をどやしつけ、丁重にもてなしたそうだ。
 その人が自分も知っている人だったし、私もあの人が~!っていうようなくらい野良仕事が似合う人だ。普段偉そうにふんぞりかえっいる銀行員がこの人に頭が上がらないという話を聞いた時、なぜだか胸がすくような気がした。
 でも、結局は“資産”がどれだけあるかによって人の価値は左右されるのかっていうことでもあるのがだ…

 まぁ、人を身形で判断するとんでもないことがおきるという一つの例だ。皆も気を付けましょう。

The West Wing

2005年08月23日 | TV日記
 今でこそくだらない韓国ドラマに取って代わられたが、NHKの土曜夜11時に放送されていた番組に『The West Wing』(邦題をホワイトハウス)というものがある。

 赤貧の私はビデオをあまり借りないが、この前ゲオの前を通りすぎるとレンタル料の値下げをしていたので、清水の舞台から飛び下りる気持ちで借りることにした。何にしようかと棚を見ていると『The West Wing』があったので大喜びで借りることにした。全部は無理なので4まで。

 これは非常におもしろいのだが、見ていて常に思うのだが、どうして日本にはこのような室の高いドラマを作ることはできないのがろうか?
 この番組を子どもたちが見て、どう感じるかは別にしても、このような政治的なドラマが当たり前に制作され放送されているということに日本のドラマの質の低下を感じずにはいられない。日本で放送されたといってもあくまで“輸入”ものとしてだ。
 このドラマで「サム・シーボーン」の声優をしていた吉田栄作が政治ドラマをしていたがチョット見て止めた。これ以後も見ようとは思わなかった。

 政治というわけではないが、見ていて割とよかったのは司法修習生の姿を描いた『ビギナー』くらいかな。

 早く3シーズンを放送してほしいものだ。
 

時代の波に乗り遅れるということ

2005年08月23日 | 徒然なるままに
 私の父は土木業を営んでいる。
 自分は常々思っているのだが、どうして父は(というより昔の人は)他人のことをよく知っているのか不思議に思うことがある。誰それが兄弟、姉妹、息子、娘、嫁、婿であるとか、この土地はどこの家のものなのかということを、よくもまぁ呆れるぐらい知っている。

 知らない土地に行き、その土地の人間関係といった情報を得たければ、古くからある“酒屋”に聞くというのは有効な手段の一つではあるが、その地域の土木業の人に聞くというのも有効なのではないかと思う。

 実家で手伝いをしている時、別の町の山の中腹にある道の狭く曲がりくねって2tトラックを入れるのがやっとのような所の家の工事をした。

 その晩、夕食時にチョットした話になった。
 その家はかなりの地主なのだか、「なぜあんな所に住んでいるのか不思議でたまらない」ということを漏らすと父はおもしろい話をしてくれた。
 実は私の町でもそうらしかった。昔は地主という者は大体山の上に住んでいたようだ。下から高ければ高いほどランクが上になるということらしい。

 今でこそ下の方が国道も走り、田畑は埋め立てられ、大型店が建ってしまい、地理的に便利で地価も上がったが、まさか地主たちもたった数十年でここまで発展しようとは思わなかったということだった。

 土地を売り、“下”に移る機会はあった。しかし、昔に縛られている者にとっては下に移るということが自分のランクを“下げる”ということを意味していた。階層的な地位が昔は目に見える形でそこにあった。
 結局、時代の波に乗り遅れた者に残っているのは老いた体と日々の買いも来に辛いだけの急な坂だけだった。

有川そだち

2005年08月23日 | 食べ物日記
 この前、実家に帰っている時に昼御飯でうどんがでた。
 最初は素麺かと思ったが、まさか2月に素麺はでないだろ~と思えるほど一般のうどんよりかなり細かった。

 このうどんの名前は「五島手述うどん有川そだち
 母に聞くとこの前長崎に旅行に行った時にこのうどんのことを知ったのだということだった。それ以来ネットで注文してチョクチョク買っているらしいとのこと。
 
 うどん通の間では結構有名らしい。驚いたのは讃岐うどんは業界の中では意外とたいしたことがないらいという話だった。これは母から聞いた伝聞なので本当かどうかは確認しないと何とも言えないが…。 そりゃ誰だって地元の名産を悪く言う者はいないでしょう。

 金沢に帰ると、私がひもじい思いをしているだろうということで日持ちもするし、このうどんを送ってきた。当然のことだがバラ売りはしていないので、注文の単位は一箱。この大量のうどんをどないせーちゅーんかいな?

 まぁ、美味しいんだけど。