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まらずもう物知り帳(10)まらずもう精神とは(下)

2009-12-21 08:36:40 | まらずもう物知り帳
【まらずもう物知り帳(10) まらずもう精神とは(下)】

 何かと非難の多いほしの山。その非難をもっとも集めたのが今回ご紹介する取組です。

ケース3・就寝前のアダルトビデオ観賞

 11日目を終えて6勝5敗となり、勝ち越しと再入幕がちらついたほしの山は、あろうことか就寝前にアダルトビデオを30分観賞してから土俵入り、という挙に出ました。それも2晩続けてです。そのおかげで2連勝、勝ち越しを決めたのですが、これにはさすがに苦情が殺到しました。
「見苦しい」
「そこまでやるか」
など。もちろんルール上問題はないのですが、このような姿勢はまらずもうの神様に対する冒涜ではないか、神のお告げを操作するようなことをしていいのか、という批判が噴出したのです。
 大相撲の力士も、立ち合いの変化からの叩き込みであっさり勝ちを収めると、非難を浴びることがあります。その際、変化して勝った力士は、仮に最初から作戦として変化を決めていた場合でも、きまり悪さからか、「最初から考えていたわけではない。相手が低かったこともあり、とっさにやってしまった」などとコメントすることが多いようです。それに対しほしの山は、この相撲について「前々からここ一番ではやろうと思っていた」とあっさりと認め、さらに反感を買ったのでした。ただ、見方によれば、やってしまった以上は言い訳をせず、「やろうと思っていた」とまで認める方が潔い、という見方もあるでしょう。この点は意見の分かれるところですが、あくまで「やってしまった以上は」という状況の下で、意見が分かれるということであって、やらないにこしたことはないことは言うまでもありません。
 ただ、このようなほしの山の変化技に対しても、
「なりふりかまわず懸命に白星をもぎ取りに行く姿に感動した。ほめ言葉として『そこまでやるか』と思った」
という声も寄せられました。確かに、スポーツとしてみれば、そのような見方もできるでしょう。まらずもうは、決して協会や力士のためだけに存在するわけではありません。勝敗の判定まで力士にゆだねられるというまらずもうは、その力士に関する評価ももろんファンの皆様一人一人にお任せします。力士たちは伝統的に「まらずもう精神」を追求していますが、「まらずもう精神」も時代とともに変化していくものでしょうし、協会も一つの見方を強制するつもりはありません。力士がまらずもう精神を練磨するのはもちろんですが、ファンの皆様も、その時代に応じた「まらずもう精神」とは何かを形作っていくことになるのです。

 3回にわたって、「まらずもう精神とは」というテーマでお話してきましたが、「そもそもまらずもう精神とはこういうものである」という結論は、簡単に出せるようなものではないのです。まらずもう精神について説明したのではなく、まらずもう精神とは何かを考えるきっかけとなる事例を紹介した、ということだとご理解いただければ幸いです。
 勝敗まで力士自身にゆだねられているまらずもうでは、様々な局面で精神性を試される機会が訪れ、そこで力士たちは自身のまらずもう精神を磨いていくのです。このようにまらずもうは、精神修養の場としても、非常に効果的な競技です。
 また近年では、相撲を始めようとする子供たちが、廻し姿を恥ずかしがってしまって二の足を踏む、ということもあるようですが、まらずもうでも、現代人は取組結果をネットに公開することを恥ずかしがる、という傾向があり、それがまらずもう人口の増加を妨げているようです。しかし「恥を恥とも思わない強靭な精神力」、あるいは「自らの恥をあえてさらそうとするサービス精神」こそが、息詰まるような日常を送る現代人の生活に風穴をあけるものではないでしょうか。精神修養の場としても、ぜひともまらずもうを活用してみてはいかがでしょうか。


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入門希望、お問い合わせは日本まらずもう協会事務局

      ohnomatsu@mail.goo.ne.jp
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本日夕方、当ブログにて速報予定!!
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