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フィリピンとは、実に面白い国である。常に興味を喚起してくれる。こうして書き綴っている間にも、加速度的な変化を見せている…

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懐かしのスモーキーマウンテン

2015年07月23日 | ドキュメンタリー
スモーキーマウンテンと呼ばれていたマニラ、トンド地区のゴミ山はもう既に閉鎖され、大夫年月が経過しました。久しぶりに訪れてみると現在は雑草が生い茂った小高い丘が点在しています。フィリピン政府は閉鎖の際にそこでゴミ拾い(スカベンジャーと呼ばれています。)をしていた人達(スクウォッター)の住居(不法建築のバラック)を撤去して、公共住宅を建て安い賃貸料金で貸し出しましたが、それさえも払えない人々が多かった為にマニラ地区にホームレスが増加する結果になりました。現在はケソンシティーのパヤタスと言う場所が第2のスモーキーマウンテンと呼ばれています。学校に行くお金も無い家庭の子供達や親達がゴミ拾いをしながら生計を立てています。その際に崩れてきたゴミに埋まって死亡する事故も多々有りました。日本をはじめ、各国からボランティアで献金してくれる人々や団体からの寄付もありましたが、一部の人に横領されて正しく運用されないケースも沢山有ります。フィリピンではスモーキーマウンテン地区以外でも空き缶、空き瓶、ダンボール等を拾ってジャンクショップと呼ばれる所に売って生活している人も沢山います。現在鉄製品のゴミ等は1kg 20ペソ(最近のレートで約50円程)です。フィリピン共和国は全国民の5%の富裕層と25%の中流層、70%の貧困層で構成されていると言われてます。現時点でのマニラでの法定最低賃金は約380ペソ/1日(800円位)ですが、実質は300ペソ貰っていれば良い方かも知れません。ただ、いつも付け加える事ですが、この様な地区の子供達は特に、元気で明るく、とても輝いた済んだ瞳をしているのが不思議でなりません。
最後に僕の尊敬する人物、四ノ宮監督とのツーショット写真を掲載しておきます。なぜなら、彼は、1995年ドキュメンタリー映画「忘れられた子供たち、スカベンジャー」を完成させて、第44回マンハイム国際映画祭ベストドキュメンタリー賞を受賞するなど多数の賞を受賞してこられ、この様なエリアを扱ったら世界的な第一人者であるからです。2001年5月にはドキュメンタリー映画「神の子たち」を発表。第52回ベルリン国際映画祭、モントリオール国際映画祭へ正式招待を受けられています。この映画には僕もスポンサーとして参加させて頂き、主人公の一人である水頭症の少年が来日した際には、監督を含め、今は亡きジャーナリストの筑紫哲也氏、作家の鎌田慧氏らと行動を共にさせて頂き、大変貴重な体験をさせて貰らいました。最近では、ドキュメンタリー映画「BASURA(バスラ)」を発表され、数々の賞を獲得されています。因みにタイトルの意味は日本語で「ゴミ」の事です
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フィリピンの刑務所

2015年07月22日 | ドキュメンタリー

メトロマニラから南方に約30キロ、車で約40分位の南端にあるMuntinlupa市にあるニュービリビッド刑務所(New Bilibid Prison)通称モンテンルパ刑務所。日本軍のBC級戦犯が収監されていた場所で、渡辺はま子さんが歌った名曲「ああモンテンルパの夜は更けて」で有名な日本人からすれば到底理解しがたい刑務所である。今年の春頃に知人の紹介で京都在住の医師の方からフィリピンの刑務所に知人に面会に行きたいのでどうすればよいのか、どんな所なのかアドバイスを求められた。それこそが、このモンキーハウス(現地人はこの様な表現をする。)である。集団ダンスで日本のテレビでもお馴染みの刑務所はセブの刑務所である。モンテンルパ刑務所に昨年の暮れに司法省が抜き打ちの立ち入り検査を敢行した時に、拳銃、手榴弾、ナイフ、覚醒剤、マリファナ、携帯電話、多額の現金等が次々と発見された。汚職撲滅を掲げている現アキノ政権の刑務所改革のパフォーマンスと思われる。刑務所内では贈収賄をはじめセックス(娼婦を刑務所内にデリバリーをする。)、強姦(面会に訪れた少女が被害にあったのも事実である。)、酒、ドラッグが蔓延しているのは周知の事実である。多額の資金力を持っている麻薬王達や政治家達(彼等は通称「ビッグタイム」と呼ばれる。)にしてみれば獄中生活はある意味娑婆よりも快適かもしれない。彼等達が力をつけていき江戸時代の牢名主の様な組織が出来、プリズン・ギャング(刑務所内での麻薬、ギャンブル、暗殺等を手掛ける囚人組織)やメイヤー(タガログ語で市長の意味)と呼ばれ囚人達を支配していくことになる。1万数千人の受刑者に対し刑務官は数百人しかいないのも秩序が保たれない要因の一つと思われる。ある意味において警察が一般市民を助けてくれる国は日本位しか存在しないのではと思う。ただ、この様なプリズン・ギャングの頂点(コマンダーと呼ばれる。)に上り詰めた実在の日本人(19年間服役)もいたのである。男の名は大沢 努氏である。もう一人伝説の日本人と言えば、1994年に日本でもニュースになった鈴木英司氏であろう。彼はフィリピン中部のネグロス島のバコロド空港で知人の女性から渡された土産物の中に大麻1.5キロが入っていたことが発覚(殆どの場合警察官もグルである。)し逮捕され死刑判決を受けた日本人最初の死刑囚である。後に終身刑、最後には恩赦で釈放されるが、事実は分からないが、おそらく冤罪で16年間収監されていた日本人である。因みに刑務所慰問のボランティア女性と獄中結婚をしている。先に述べた面会人も同じ様な手口で逮捕されたという。私も最初は色々なトラブルを経験しているが麻薬、覚醒剤等で嵌められたら最悪である。「知らなかった」は通用しないのである。何故なら麻薬の運び屋は誰もがいう言葉であるからで、どんなに親しい友人、愛人、いや奥さん(これは言い過ぎかもしれないが彼女自身が騙されていることも想定すべきである。)でも信用しない位の認識が必要である。また、犯罪に巻き込まれた時、現地の日本大使館は先にも述べた様にこの手の事件で逮捕された人は全ての逮捕者が「知らなかった」と言うので無実と言われるのであれば弁護士を雇って争って下さい。で終わるケースが殆どであるので海外(特に貧困国や東南アジア)に渡航する場合は自分自身が嵌められない様に情報や対策を普段から身につけて措くべきである。また、フィリピンの刑務所は懲役(労働作業等)はなく隔離されるだけであり刑務所内ではあらゆる生活費(中にはギャングの上納金から看守のワイロをも含む)が必要とされる。唯一配給されるのは食事くらいで、足りない分は刑務所内(日本の刑務所のイメージではなく映画にでてくる様な収容所の雰囲気でそこいらで肉、魚、野菜が売られ、中には散髪屋や靴磨きで収入を得ている者もいる。)のコンビニ(公営というか実は所長クラスが経営する「PX」、私営は「ティンダハン」という。)で買う事になる。紹介された医師にはこの様な説明と心構えを伝えた。医師は面会に行って知人と会うよりもこの刑務所に行く事の方が興味が湧いてきました。と言っておられた。因みにこの方は渡比する事自体が初めてらしい。なかなか胆の座った医師である。





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各種商材のインポート・エクスポート

2008年05月29日 | 日比間ビジネス
Carryフィリピンは主として生産国的な立場に位置づけられる。
一般的に知られているのはバナナや麻などの農作物だが、工業製品に関しても凡ゆる商品が入手可能だし、日本における販売用の商品以外の用途として、企業活動に必要とされる消耗品や資材などの商材をリーズナブルに調達するという考え方もある。
我々はターゲット商品に対する現地マーケット調査作業や購入先開発・取引交渉、そして輸送ルートを含めた入手ルートの確立まで、輸入業務に関するコンサルティングを行なっている。また、逆に日本からの輸出に対する販路の開拓も同様である。

Engine&PC輸出といえば、従前から日本の産業機械や自動車部品・家電製品などの中古品に対するフィリピンでの需要は非常に高く、その市場規模は成長を続けている。自動車エンジン・パソコンなど、オーソドックスといわれるような中古商品が根強い人気を保ち、幅広いニーズに後押しされて活発な市場を形成している。勿論、フィリピン国内でのマーケティングを基に需要が見込まれる独自の商品を選定し開拓することも可能であるし、販売ルートの確保や拡充についてのお手伝いをさせて戴くことも可能である。

Banana&Mango"フィリピンからの輸入" という観点で見ると、工業用原料を除くとまず挙げられるのは各種食材であろう。特産のバナナチップや、近年その効用が注目されているドライマンゴをはじめ、健康食品として長年に亘り根強い人気を持つバナバなど、フィリピンには魅力ある食材が豊富に存在し、農産国として安価に提供されている。
これまでに日本に紹介されてきた食材はほんの一部分であり、まだまだ様々な食材が国内流通している。日本国内の販売ルートをお持ちの方であれば、アイテムの選定自体大変面白い分野でもある。

Banabaその他、各種民芸品や日用品からオリジナルとしてのOEM製品など、輸入対象となり得る商材は列挙に暇がないが、また少し違った観点で輸入という言葉を捉えると、SEなどの優秀人材の「輸入」、即ち企業への招聘・導入という考え方もある。フィリピンのIT分野における人材は、IT人材大国といわれるインドに決して引けをとらないレベルにある。言葉の問題に関しても、インドと同様に国の施策から英語が堪能であり世界的に通用する為、各国で活躍している。対日本という点では日本語能力を有していることを条件として求められるケースもあるが、これに関しても必要とあらばSTIなど現地において弊社が専属契約を結んでいる各種提携先にて既に確保・スタンバイ状態でもあり、関係業界の各位には是非活用についてのご検討を戴ければと思う。

さて、些か話が飛躍したが、冒頭で少し触れた "企業活動に必要とされる消耗品や資材などの調達" について、最近我々が試みた特殊分野での実例をご紹介してみることにしよう。

以前 "Nurse, Caregiver、看護師・介護福祉士" という題材を扱ったことがあったが、そういった「医療・介護」の分野において、使い捨てのおむつや無菌服など、日常使用される良質でリーズナブルな消耗品類から、日本国内で入手不可能な医薬品類(勿論薬事法上、一定期間内における処方必要量を証明し薬監証明などの申請手続を経て許可を取得することが前提条件であるが)まで入手可能である。
フィリピンには世界の有名薬品メーカーのブランチやファクトリーが多数存在しているし、またアメリカのシステム主導の高水準な教育が根ざしている国内の医療業界が求める品質に応え得る、様々な医療関係商材を製造提供する国内優良企業がしのぎを削ってソリューションへの製品提案を行なっている。

3年前の夏、ある医療・介護施設を経営されている院長氏よりご提案を頂戴し、前述の成人用紙おむつ、そして美容の分野での使用を見込んだシミとり美白クリームについて、フィリピンからの安定供給ルートの確立の可能性について考えてみたいとのご意向を伺う機会があった。氏の着眼点は活気的であり、我々としても自らのネットワークを活用し開拓するには、大変興味深い案件であった。

比較的近距離エリアであるとはいえ、そこは対外国である。何分管理という最も重要な部分が不可欠であり、それがどう行なわれるかによって商品の安定供給に大きく係わる。クライアントの立場としては、日本サイドから行なうことが可能な管理にはどうしても限界があり、そこで日比両サイドに拠点を持つ我々が管理面でのサポートという点で得意分野での力を発揮し貢献するという存在価値を見出せると考え、早速調査活動に着手した。

まずは院長氏より必要とされるターゲット商材の種類・品質・消費見込量・現状コストについての詳細内容をお聞かせ戴き、構想上希望されている内容を把握した上で、現地において現在流通しているターゲット商品の種類・品質・価格についての現地調査を行なうとともにサンプル品を入手、また同時にホールセラーではなく直接各メーカーに対してアクセスをとり、プロジェクトの概要や構想を具体的に示して各社のスタンスを順次明確化していった。

Container2「Diaper(=使い捨て紙おむつ)」に関しては、SMにて一般に広く販売されている商品は品質的にも単価的にも手頃なレベルであったが、製造元に交渉したところ「対SM専用取扱商品として専属で製造している為、他ルートに対してOEM供給することは不可能」との回答であった。その他のメーカー製の数種の商品がフィリピン国内にて流通しているが、台湾など他国製であったり、求める品質に満たないものであったり価格面で折り合わないなどの対象外商品を消去していく中で、条件をクリアできるであろう製品を最終選択し、候補に挙げた。Fiberworld社のオリジナル製品「Premium Adult Diaper」である。このメーカーは紙おむつやナプキン類を主力商品とし、中でも子供用紙おむつ「Magic Color Diaper」は国内TVCMなどでもよく宣伝されており、一般への認知度も高く広く浸透している。

シミ取り美白クリームについては、予め院長氏より希望商品についての大まかなご指定を受けていたので、メーカーへのアクセスは容易であった。本社がカナダで、世界各国にブランチ・工場を有するStiefel社が製造販売している「Stieva」という製品であり、我々はこの会社のフィリピンブランチの社長とアクセスをとり、大変好意的な待遇を受けた。
当方の希望指定条件にてすぐにでも出荷したいという意向である。

「Diaper」に関しては、この段階では単に「対象となり得る」商品の存在が確認されただけである。
この商品のサンプルを院長氏に届けて、「ターゲット商品」にすべく次の段階に入った。
院長氏には実際に製品を使用する現場サイドの立場から、想定される使用状況に耐え得る品質・能力の有無についての実地試験と検証・従事者レベルからの意見収集を、我々サイドでは ①別途当方指定サイズや他形状製品の製造可否、②受注から精算・発送迄の納期、③発注量に応じた価格交渉、④生産・品質管理状況の開示、⑤発送ルートやコスト・輸送に要する時間 などの項目を柱としたメーカーとの交渉を、それぞれ実施した。
上記①~⑤は基本的な項目であり、押さえておくべき点は他にも多々ある。
例えば、メーカー側でいくらきちんとした生産管理がなされて高品質な製品が出荷されたとしても、フィリピンから日本への海上輸送途中に品質劣化事故(=商品が湿気を含むなど)が発生してしまえば、商品自体が無事到着したとしても全く使用に供せず、日々消耗品として使用しなければならない現場サイドとしては保険の適用など補償適用など二の次の話であり、業務に即時深刻な影響を与え、重大な責任・信用問題へと発展してしまうという大きなリスクがある。予定納期に関しても同様である。予め分かっているこれらのリスクを最大限に軽減する為に、製品に関しては輸送中の各種環境に耐えうる現地流通品以上の厳重なパッケージングを考える必要があるし、納期に関してはメーカーの生産・出荷に対する厳格なチェック・管理体制の確立や、根拠のある余裕を見た納期(=クライアント側としての)独自想定、不可避の予期せぬ事態が発生した場合を予測した一定量の在庫検討などの対策を構築しておくことが肝要である。

Container1また当然のことであるが、最終的に可否決定の決め手となるのはコスト(=単価)である。同等、またはそれ以上の品質を有する製品が日本国内よりもリーズナブルに安定供給されなければ意味がない。
そこで入手可能な商品単価の上限を設定した上で総合的なコスト計算をするのであるが、FOB・CFR・CIFなど採用されるインコタームズにより売手と買手の費用負担範囲は変わるとしても、①現地メーカーの商品自体の卸単価、②メーカーから港までのフィリピン国内での輸送費、③保険費用(担保範囲や期間・種類に注意)、④海上輸送費用、⑤税関費用と輸入消費税、⑥日本国内での輸送費用(港からクライアントの手許まで)などが必要であり、それぞれに対する詳細な数字を入れて算出する。支払条件についても円・ドル・ペソ建て、支払時期、支払手段など各種条件を念頭に余裕を持たせた想定が必要となる。想定できる凡ゆる条件をシミュレートしていく事が重要である。例えば、20ftや40ftコンテナに商品をどれだけ積載できるかで輸送費という点で商品単価が大きく変動するし、またコンテナと商品の実サイズから机上の計算で積載可能数量をはじき出すのも危険な話である。海上輸送費に関しても燃料費の変動一つで変動する。国内輸送費に関しても今後複数のサテライトに振分け配送するケースまでを想定した様々なパターンを想定し計算しておく必要がある。こういった種々の想定条件に加えて大きく影響する変動要因が「為替レート」である。これについては充分な範囲で上限下限の変動巾を想定しておかなければ、少しレートが下がっただけで結果的に高い買物をしたことになってしまうからだ。

我々は当時、メイン目的である「Diaper」について一連のコスト計算をする際に、当時ペソ=円レートは約1.98(PHP5,050=JPY10,000)前後にて安定していたが、為替レート変動に対する充分な余裕を持って、ペソ=円レートの下限を2.5(PHP4,000=JPY10,000)まで想定範囲とした。また、副ターゲットであるStievaに関しては商品自体の容量が小さく場所をとらないため、Diaperと一緒にコンテナに混載することにより、Stieva単体にかかる輸送コストを不要とするスケールメリットを出して、為替レートが大きく下がってDiaper単体では単価が仮に想定上限を超えるほどの事態に陥ったとしてもStievaでのメリットがそれを充分カバーできるようにしておいた。諸氏ご周知の通り、ペソ=円レートはその後急激にペソ高となって以来、小幅の変動で落ち着いたままとなっているが、こういった状況にも対応できるだけの変動巾は想定してコスト計算しなければならないのである。

StievaStievaに関しては日本国内における医薬品の認定がなされていない為、前述の「薬監証明」を取得する必要がある。本人が使用する1ヶ月程度の期間内の必要量、または医師が自分の患者に対して処方する1ヶ月程度の期間内の必要量を公的に証明し申請することにより認められれば、輸入することが可能である。
但し、今回想定外の不可抗力が発生した。Stievaの主要有効成分は「トレチノイン酸」だが、FDAが妊娠の可能性のある女性のイソトレチノイン製剤(商品名Accutane他)の使用を厳格に排除するために販売時に厳格に登録制とするよう決定し、2005年8月12日より実施した。これを受け、我々は早速厚生省薬事課及び税関へ確認をとったところ、税関は薬事課が認めていれば特に問題なし、薬事課もFDAの発表を受けて「輸入取扱には慎重に…従事される医師の方々には、処方される患者さんへの充分な説明の徹底を」という "お願い" 事項を発表してはいるものの、輸入制限をしている訳ではないとの事であった。しかし、薬監証明申請の際に、添付が義務付けられている「患者さん個々の同意書」を毎月全て用意するなどの項目が特に強化されており、現実問題として実際に毎月全患者さんから遅滞なくコンスタントに同意書を集められるかどうかといえば、かなり無理があるという結論に達し、止む無く断念せざるを得なかったため、結果としてDiaper単体で取引を行なうには現状の為替レートではまだメリットはあるとはいえあまり大きくもないため、その時点では一旦保留ということにしたが、他商品を賢く抱き合わせてスケールメリットを出すかを次の課題として検討していった。

今回は特殊な実例をもとにフィリピンからの輸入についてお話ししてみたが、輸出入という分野、特に対フィリピンという部分では様々な可能性が埋もれており、興味は尽きない。


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フィリピンと謂う被写体・題材

2008年03月25日 | その他
フィリピン街風景スタイル二月の声を聞いた頃、一人の日本人カメラマンの方からご連絡を戴き、あるご依頼を受けた。我々と綿密な打合せを重ねた上で、彼は過日フィリピンに飛び、自分の思い描いている夢に向かってまた新しい一歩を踏み進めた。今回はそのお話をご紹介してみることにする。

先月の初旬、我々の許に男性から一通のメールが届いた。
話によると彼は20代後半のカメラマンで、まだメジャーな舞台で脚光を浴びたことはないが、大学を卒業してからずっとその道を歩み、この世界に足を踏み入れて以来ずっと心に描き続けてきた「テーマ」を追い求めて活動を続けているのだという。今回、我々にどうしても依頼したいことがあり、こうしてアクセスしたとのことであった。

その後電話で彼と喋った我々は、その真摯な態度とポリシーに興味を覚え、早速お会いしてみることにした。

果たして、想像通りの人物であった。今時中々いないような純粋な心と意思を持った好青年である。
そこで我々は、彼という人物を知るために彼の行ってきたことや求めているものなど、凡ゆることを尋ねて余すところなく語って貰った。
彼のテーマとは、世界各国の様々な「人々とその生活」、「文化」、その両者が生み出した「産物」なのだという。彼は "人間というもの" に興味を覚え、人間そのものが醸し出すものやそれが形として作り出したものを捉え、そのメッセージングを余すところなく写し込むことにより、それを見る者に対して単に現状やその存在をありのままに伝えるだけではなく、それが人間であろうが事物であろうが、一枚一枚の写真に収められた被写体と同じ世界で対話ができるような作品を撮り続けたい、と考え行動してきた。そのため、彼はまだ無名で常に活動資金に窮する状態であり乍らも、コツコツと資金を貯めては自分の求める被写体を求めて世界各国を飛び回ってきた。

フィリピン教会結婚永住しかし、何故今こうして我々に相談を?という素朴な疑問を彼にぶつけてみた。
彼の過去の作品を多々拝見したが、その腕前は "セミプロ" と云って良い程であると思われるし、また確固たるテーマがあり、そのテーマに沿うものがあるのなら単独で何処でも飛んでいくという彼のことである。ツアーを組んでくれるような旅行代理店的存在も今更全く必要ないことであろうに、それでも我々にどうしても依頼したいこととは何なのであろうか。

「仰る通りです。実は…」と彼は本題を話し始めた。
彼は元々アジア地域の各国には特に興味を持ち、今までも題材を求めて多数の国を訪れてはカメラに収め続けてきた。しかし、現状で最も興味を抱いているにも拘らず未だその地においてカメラのシャッターを切ることさえできていない国があるのだという。「それがフィリピンなんですよ」と彼は呟いた。確かに過去2度、フィリピンを訪れたことはあるらしい。何の気なしに訪れて、そこに暮らす人々や文化に圧倒され深い興味を抱くきっかけとなった初回。そして「この国を撮ろう」と心に決め、愛用する機材たちと共に踊る心を胸に赴いた二回目…。
しかし、結果は「全くもって納得のいく撮影をすることができなかった」そうである。
二回目に訪れる迄には凡ゆる方面から様々な情報を収集し、彼自身フィリピンという国や人々を理解すべく勉強を重ね、撮影に挑むそれなりの準備はしっかりしてきたつもりであった。
彼は呟いた。「私のポリシーの問題なんですよ」
フィリピン住居アパート建物彼曰く、確かにメトロマニラであろうが少し裏道に入れば人々の生活感も感じられるし、単純に街を一周してくる間にいろんな人と出会い、いろんなものを目にするため、 "表面的には" 被写体には事欠かないのだという。しかし彼には「それをフィルムに収めて満足して帰ってくるようでは私の意志が全く反映されず、意図とは違う方向に一人歩きして作品が死んでしまう」という思いがあったため、どうしても1枚の写真すら撮ることができなかったらしい。
そうして何もできず悶々とした時間を過ごして帰国した後、彼は悩んだ。
「自分の頭には撮りたい対象がテーマ毎に明確にきちんと整理されて存在しているのに、このままでは次回再び現地へ赴いたとしても結局同じことの繰り返しで、求めるものに出会うことができない」
彼の周囲にはフィリピンという国に精通している人物は皆無であったため、そういった相談を持ちかける相手は存在していなかった。またインターネットには「フィリピン」というキーワードにていとも簡単に無数の情報を収集することができるが、毎日そういったページを閲覧しフィリピンの本質を知ろうとしたが、どんな情報も彼にとっては「表面的なもの」でしかなく、彼が本当に知りたい部分を教えてくれるものではなかったのである。

そうこうしているうちに時間が流れ、いつしか彼の心から「フィリピン」という対象が薄れかけようとしていた…否、彼の心の引き出しにしまおうとしていたのだが、彼の心に強烈なメッセージを投げかけ訴え続けるこの国は決して彼の心を放さず、今回再び彼の行動を起こさせたのであった。

フィリピン人々生活暮らし「私がフィルムに収めたいのは、フィリピンという国が持つ独自のヒューマンパワー、"生きる" という本質がはっきりと見える人々の生活、そしてその彼らが生み出す文化なのです。素晴らしい部分も恥部も含めて全て、私はありのままのフィリピンを撮りたい。しかし、私には何処に行ってどうすればそのような被写体に出会うことができるのか全く判りませんし、また手段も持ち合わせていません。あなた方であれば私の意志を理解し、私が求める場所と時間へ私を連れて行くことができると確信し、こうしてお願いに来たのです」
所謂単に見る者の喜怒哀楽という感情にのみ訴える表面的な写真は撮りたくないのである。「素晴らしい」とか「かわいそう」という感想にのみ終わる作品ではいけないのである。

我々は彼一流のスピリットに心を動かされ、今回の彼の計画のお手伝いをすることに決めた。彼のためだけの一種 "コンダクター" 的立場での役割である。
彼の意気込みと取り組む姿勢が真摯であるだけに、引き受けた以上我々としても中途半端な内容提供で満足する訳にはいかない。こちらとしても我々自身が充分納得できるだけのものを用意して彼の心を満たし、彼が目指す作品を100%のものとすべく、一抹の妥協も許されない。
そこで我々は1ヶ月間に亘って幾度も話し合いを重ね、時には世間話や雑談も交えて、彼という人物やその考え方・求めるもの・目指すもの全てについて理解するように努めた。

そして彼とのスケジューリング調整も終え、過日遂に彼はフィリピンへ飛んだ。

フィリピン事業ビジネス店舗フィリピンという被写体に対して彼が求めるテーマは大きく二つに分かれる。一つは「様々な人々の様々な生活」、もう一つはそういった様々な人々が作り出してきた「文化」。後者は有形無形多種多様である。彼としては今回をきっかけに長きに亘ってフィリピンと関わり、刻々と変化していくフィリピンを撮り続けていきたいという意思を持っており、行き急ぐ必要もなくじっくりと構えて一つ一つ着実に積み重ねていきたいとの由であるため、今回はまず第一歩として「身近に存在する人々やそれが作り出した事物」をテーマに、主に首都エリアにてのセッティングを行った。
水を得た魚のように夢中でシャッターを切る彼の姿は無邪気な子供のような表情も見せる一方、ファインダーを覗く彼の目は終始真剣そのものであった。

今回の日程は1週間足らずという短期間であったが、次回は「下町」「田舎」から「スラム」と呼ばれるようなエリアまで、"人間の生活" をテーマとして追及するということも決まっており、順を追って二大テーマを更に細分化し乍ら進めていく予定となっている。
「やっと私の追い求めていたテーマの入口に立つことができました。これを起点に私の新たな夢が始まります。飽くなき追求の元、回を重ねて納得の行く作品を撮り続け、その集大成として近い将来写真集を出版することができればと考えていましたが、現実味が帯びてきました。次回の撮影、既にいまからわくわくしています」
との彼の言葉を受け、我々としても非常に嬉しく思っている。次回以降は敢えて危険とされるエリアにも入っていくこととなるので、我々としてもしっかりとしたガイド及びセキュリティガードを用意し、彼に安心して撮影に没頭して貰える環境作りに留意したいと考えている。

これだけの意思と行動力を持った有望なカメラマンである。今回を縁として、彼の今後のメジャーデビューに向けて我々としてもできる限りのバックアップをしたいと考えている。彼のこの一連の経緯を当記事に書かせて戴くことについて了解を得た際に、今後の一層の活躍に向けての一助として彼の名前を掲載させて戴きたいのだが、と投げかけてみたところ、彼は大変謙虚であった。
「まだまだ自己満足を追求している次元の私の未熟さをこの時点で曝け出すのは恥ずかしいことですし、仰々しく名前を披露するだなんて、何より現在ご活躍中の諸先輩方に大変失礼なことですから」とやんわりとご辞退された。そこがまた彼の良いところである。
近い将来、素晴らしい作品と共に彼の名前を堂々とご紹介できる日が来るのを楽しみにしている。


フィリピン映像フィルムドキュメンタリーさて、フィリピンの「人間」という被写体にテーマをおいた映像を発信し続けている日本人といえば、こちらは有名な人物であるが、 "四ノ宮浩" という映画監督がいる。ご存知の諸氏もいらっしゃるかとは思うが、前述のカメラマンとも通じるところがあり、また弊社代表の良き友人でもあるので、少しご紹介しておくことにしよう(写真は四ノ宮監督と弊社代表)。
1986年に監督デビューした彼は「世界の貧困・飢餓・戦争」をテーマとして追及し、1995年ドキュメンタリー映画「忘れられた子供たち―スカベンジャー」を完成。第44回マンハイム国際映画祭ベストドキュメンタリー賞を受賞するなど多数の賞を受賞してきた。2001年5月には「神の子たち」を発表。第52回ベルリン国際映画祭、モントリオール国際映画祭へ正式招待を受ける。またニューヨークでのNew Director / New Films映画祭(ニューヨーク近代美術館 MOMA)での上映の際、ニューヨークタイムズ紙に映画レビューが掲載された。2002年10月シネマアンビエンテ環境映画祭(トリノ、イタリア)コンペティション部門グランプリを受賞。その後世界20ヶ国以上の国で映画が今も見られ続けている。
フィリピン映画子供教育現在ドキュメンタリー映画「世界中の貧困と飢餓と戦争と日本人の生き方について」を制作中、2006年度の公開予定である。彼は常に貧困と飢餓をこの世から無くすには…を考え続け、そのメッセージを映像制作の立場から発信し続けてきた。特に彼のその原点はフィリピンにあり、フィリピンに回帰している。


今回はフィリピンをテーマとした映像に取り組む人物について紹介してみた。
こういった逸材となり得る人物が活躍できる舞台を作るお手伝いをしていくのも、我々の重要な役割であると思っている。フィリピンで実際に何かアクションを起こそうと思い乍らも不安要素が多く、また具体的にどうしたらよいのか解らずに躊躇されている場合は、迷わず我々にご相談戴きたい。今回の事例のように、我々の提供するソリューションにてきっと新しい一歩を踏み出して戴けることであろう。
勿論、その後のケアやフォローリング体制についてもしかりである。


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フィリピンの財閥と有力層

2008年01月20日 | その他
フィリピンビジネスイメージ諸氏ご存知の通り、フィリピンは貧富格差が激しい国である。都心部のスラムや農村部の労働者層をはじめとした多数の低所得層が生活に困窮している現実を目の当たりにする一方、その対極に位置するのが少数の特権階層、所謂 “財閥” と呼ばれるグループが存在する。財閥と呼ばれるグループの多くはスペイン系で、農地や住宅地などの広大な不動産を所有する土地貴族であり、この土地利用によって蓄財した資本を工業に投資して事業の多角化を図って凡ゆる業種に亘る企業グループのオーナーとなり、銀行や保険・金融会社などを主要な株主として支配していることである。土地を出発点としているため、有力な財閥はその殆んどが傘下に不動産カンパニーを有している。その他、外国企業や商社のフィリピンにおける代理店を経営しており、多種多様な外資系企業のビジネスパートナーでもある。資産分散のために欧米や香港・日本などに対する海外投資や預金も行っている。
スペイン系に次ぐのが華人系であるが、こちらは商業からのスタートが多く、商業で得た利益を基に金融業を営み、その後土地所有を果たして工業投資へと向かったのがパターンである。その他にはスペイン以外のヨーロッパ系やマレー土着系などが挙げられる。
これらフィリピンにおける財閥の発祥時期としては、スペインによる植民統治期、アメリカによる植民統治期、戦後の1950~60年代、マルコス政権期などに大別できる。
資本の供給源としてはカトリック教会、欧米資本、日本資本(例えば三井・三菱などの企業グループ)、華人資本等が挙げられるが、ここではリスクヘッジがなされることが多い。またその時々の政治権力と提携を結んだり、逆に非協力・対立などによっては緊張関係が見られる。
どの財閥グループも事業展開の多角化を推進すると共に、それぞれのファミリーが相互に婚姻関係や共同出資関係を結ぶなどして、政治危機や政変の波を乗り切ろうとしてきた。

それでは、どのような財閥が存在するのか、ざっと見渡してみることにしよう。

フィリピン商社ビジネスフィリピンを代表する財閥は "アヤラ" と "ソリアノ" であろう。その発祥は18世紀に遡るが、両家は同族関係にあり、ともに先住の大地主であるロハス家と婚姻関係を結ぶことでその後の事業展開において大いに利したようである。スペイン人によるフィリピン最初の商社「アヤラ・コーポレーション」が設立されたのは1834年であった。1851年には東南アジア最古のフィリピン・アイランド銀行の前身バンコ・エスパニョール・フィリピーノ・デ・イザベルを設立、また東南アジア最初の近代的ビール工場「サンミゲル醸造所」を買収した。このビール会社を総合飲食品メーカーに育て上げたのがソリアノ家のソリアノ一世である。
アヤラ家を今日のアヤラ財閥へと築きあげたきっかけは1948年に始まるマカティの開発に大成功を収めたことに起因する。当時雑草が茂っていた荒地を近代的な商業・住宅地域へと変えたのである。フィリピンで最初の分譲地となったフォルベス・パークを皮切りにサンローレンソ・ビレッジ、ベル・エア、ウルダネーダ、サンミゲル、マガリヤネス、ダスマリーニャスと次々にマカティエリアで住宅用土地開発を実施し、その後もアラバン、ケソン、ラス・ピーニャスエリアへと拡張した。同時に1988年にはセブ島における大型都市開発にも進出し、三菱と組んでマニラ郊外で工業団地の造成も行なった。アヤラ財閥はそういった不動産開発が主軸となっているが、銀行・保険・建設・通信などのサービス部門の他、製造業でマイクロチップの組立加工・食肉加工・缶詰・エビの養殖など20社以上の企業を有しており、またこれらの殆んど全てが業界の上位にランクされている。
フィリピン企業ビジネスソリアノ家の事業は第二次世界大戦によって大打撃を受けたが、マッカーサーの側近であったソリアノ一世は戦後復興期にアメリカ・フィリピン両政府からさまざまな恩恵を受けたといわれ、それを基盤として1960年代にはサンミゲル社を飲食品の複合企業へと育て上げた。同社はビール市場の90%以上のシェアを有しているが、子会社として20社近い企業を所有している。別途、持ち株会社のソリアノ・コーポレーションの傘下には銅鉱山会社・製紙・肥料・銅線などを扱う企業がある。これらの企業はソリアノ・コーポレーションの経営代理下に置かれている。経営代理制とは、起業家が自分で設立し出資もする企業との間で長期に亘る経営全般の代理契約を結んで、この企業から手数料を徴収するというものであり、株式の分散化が進んでも経営権を手放さずに済むという手法である。

その他、スペイン系財閥としていくつかの著名な企業グループがある。
かつてネグロスに広大な砂糖のプランテーションを所有した "アラネタ財閥" がその一つである。砂糖不況の1980年代にはその事業も縮小し、不動産事業がメインとなっており、医薬品の分野では武田薬品と提携関係にある。
土地貴族の代名詞的ファミリーが "オルティガス" である。マカティエリアの "アヤラ" 、クバオ・ケソンエリアの "アラネタ" 、マニラエリアの "ツアソン" と並んでサンフォアン-マンダリュオンエリアに広大な土地を所有していたのがオルティガス家であり、この土地開発と分譲によって得た巨額の資金を株式投資や企業買収に充てるなど、事業主体はやはり不動産関連である。 "ツアソン" はミンダナオに広大なプランテーションを有するが、対日バナナ輸出の先陣を切った一家でもある。ミンダナオでの海運業からスタートし、持ち株会社の下に開運・貿易・不動産・銀行などの分野で数多くの企業を擁しており、1980年より花王と合弁でココナッツ油誘導品と化粧品の生産に携わっている。旧アキノ政権下で企業の支配権を回復したのが "ロパ" であった。自動車を中心に建設・運輸・不動産などのファミリー企業を回復した。

一方、華人パワーの隆盛はフィリピンでも著しい。
三家に分かれる "コファンコ" の事業は持ち株会社であり経営代理会社でもあるホセ・コファンコ・アンド・サンズ社(JCSI)の下に砂糖農園・砂糖精製・不動産開発など6つの企業を有する。
華人系財閥で不動とも云える強力な基盤を持つのが "ユーチェンコ" である。一族の事業は保険会社の設立にその起源を持つ。戦時中の一時中断を経て、マラヤン保険会社として業界で不動の地位を築き、これを親会社として銀行業・投資・貿易・建設・通信・製造業へと多角経営を図っていった。ユーチェンコグループの金融事業を代表するのがリサール商業銀行(RCBC)である。
織物や日用品の行商から事業をスタートした "ゴコンウェイ" は、小麦粉と織物の輸入で得た資金を基に澱粉製造会社を設立、続いてコーヒー会社CFCを組織し、インスタントコーヒー「ブレンド45」はたちまち国内最大のシェアを獲得した。マルコス政権下ではホテル建設に踏み切り、綿織物会社を買収してジーンズでは国内最大の企業となった。アキノ政権下ではマニラ首都圏の大動脈であるエドゥーサ通りに面したマンダリュオンエリアに一大商業センター「ロビンソンズ・ガレリア」を建設した。
誰もが知るマニラで最大のデパート「シューマート」(SM)を経営するのがヘンリー・シィである。フィリピンで5本の指に入る資産家に数えられているが、事業分野は持ち株会社のシューマートの下に金融・不動産・水産・映画などがあり、シューマートはブルネイ・サバ・ハワイ・グアムにも出店を果たしている。アキノ政権下でも意欲的に事業拡大に走り、ゴコンウェイのロビンソンズと競争する形でエドゥーサ通りに大商業コンプレックスを建設した。彼はまた、チャイナ・バンキングなど華人系銀行の大株主であり、トヨタ自動車の現地パートナーであるメトロバンクグループとも近い関係にある。
フィリピン商売店舗これまた読者諸氏お馴染みで全国津々浦々にチェーン展開している薬局「Mercury Drug Store」は、 "マリアノ・ケ" 氏が多品種・薄利多売を戦略としフランチャイズ方式で着実に店舗数を増やし、マニラだけでも支店数は100を越える。その他貿易・ファーストフード・不動産・農産物加工・パン製造などの分野にも手を広げていった。
その他にも、台湾で蓄財し海外に幅広いネットワークを有する "タン・ユーグループ" 、製粉のリパブリック・フラワー・ミルズと家電のコンセプション・インダストリーズにおいてアキノ政権下でその業績を急成長させた "コンセプション・ファミリー" があるし、1980年代後半から株式投機で名を上げてきた "アルフレッド・ラモス" はフィリピン第1位の書店チェーン「ナショナル・ブックストア」や石油掘削会社の「フィロドリル社」を始め、その他鉱物資源開発・不動産・持株会社を兼ねたような企業を多く有しており、相場師的な色合いを持つ華人実業家である。またフィリピン最大の製薬会社「United Laboratories Inc.」(通称ユニラボ)のオーナーである "ホセ・ヤオ・カンポス" は、マルコス元大統領との特別な関係によって政府機関や公立病院への医薬品の供給を独占し、ユニラボを国内最大の製薬会社に育て上げた。


以上、有名な財閥ファミリーや資産家をざっと紹介してみたが、この他にも有力な人物はまだまだ存在するし、また上記ではほぼ割愛したが、それぞれの財閥どうしの密接な関わり合いを見ていくと、実に興味深い縮図が存在する。実際、フィリピンではこういった一部の特権階層が国の経済を動かしているのである。

フィリピンロビイスト交渉財閥や有力者の資産規模には驚くべきものがある。国内外を問わず、自宅・別荘・自動車から自家用機まで、目の当たりにすると気の遠くなるような豪華さに圧倒されてしまう。
一例として読者諸氏の誰もがご存知で日本に馴染み深いところで云えば、弊社と親交があり良きおつきあいをさせて戴いている、人材を扱う業界にて一時代を築いた "Fortune" を筆頭とする "Vintage-Group" の総帥、Mr. Antonio P. Antonio(左写真、手前は弊社代表)もそういったカテゴリに入る人物の一人である。懇意にして戴いているので時折彼の自宅にも招かれるが、ガレージにはロールスロイスやベントレーをはじめとしてフェラーリ・メルセデスなどありと凡ゆる高級車が常に30台以上鎮座しているし、また一歩邸内に入るとプールやアスレチックジムは当然のこと、豪華な廊下の先にはナイトクラブが存在し、果てはフランス料理・日本料理・中華料理・フィリピン料理の各ジャンル毎に一流のシェフを招聘し、驚くことにそれぞれの料理を堪能するため専用に4つの部屋が設えてあるなど、まさに宮殿並みの設備に圧倒されるばかりである。

フィリピンにおいて一定規模のプロジェクトを計画する場合、案件の規模が大きければ大きい程そういった各方面の有力グループや財閥グループとの接点が必要不可欠となる。政界にしてもしかりである。これは決して必要悪であるとかダーティな部分を示唆しているのではなく、本格的なビジネスプロジェクトにはそれなりの規模や体制を有したグループの協力・バックアップといった部分における組織力とタッグを組むことが肝要なのである。

そういった企業グループ・財閥・有力者との接点を持つところからネゴシエーションに至るまで、必ず必要とされる存在がある。いわゆる "Lobbyist" である。この存在の有無や力量によりプロジェクトが推進できるか暗礁に乗ってしまうかが決まってしまうといっても過言ではないし、仮にこれが日本国内のことであったとしても常にその立場の果たす役割は絶対に欠かせないものである。
フィリピンにおける「ビジネスコンサル」として凡ゆる分野・事案に対するソリューションを提供している我々としては、その "Lobbyist" 的役割を担う立場として求められる結果以上のものをセッティングすることは当然であり、またそれだけのものを提供できると自負しているので、企業レベルでフィリピン進出や更なる展開をお考えであれば、是非安心してお任せ戴きたい。


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