ZENON Inc.

私はフィリピンに関連する多種多様な分野においてのコンサルティングを行なう「ZENON Inc.」という会社に属している。

フィリピンの敬うべき高齢者

2017年06月29日 | ドキュメンタリー

この国の最も尊敬すべき点、それは高齢者をとても大切にする態度です。高齢者に限らず目上の者に対する敬いの気持ちには特筆すべきものが有り、それは決して「上下関係」等では無くごく自然なものなのです。それにはこの国の大多数を占めるカトリックの教えも深く関係しているとは思われますが、こういう環境に有れば「長生きして良かったな」と心から感じることでしょう。僕も今年の2月に母を失ったせいか、現地のおばあちゃん達と最近よく会話をします。貧しくても、いつも屈託の無い笑顔をして対応してくれます。母も晩年にはフィリピンに永住さしてやりたかったのですが叶いませんでした。
僕は日頃からつい「日本も30年程前は」と書いてしまいますが、今回の話題についてもこれまた同じで、昔は子供ですら「くそジジィ」「くそババァ」などと悪態をつき乍らも、心の底ではその存在は両親とはまた別格の絶対的な存在で有り、威厳を持つ両親とはまた異なる位置付けの、社会の中で重要な役割を持つ存在であった様に思います。
何よりも、この国の人々は「人を思いやる」優しい心根を持っています。そこには何の打算も無いですし、それが世界各国で大きな評価を受けているフィリピン人の看護師や介護福祉士のホスピタリティにも繋がっているのでしょう。よくバスやLRT、MRT(電車)の中で然りげ無く女性(若い人も含め年齢に関係なく)に席を譲る男性陣を目にしますが、このスマートさは本当に見習いたいものです。話が逸れてしまいましたが、古き良き時代の日本を彷佛とさせるこの国の文化や習慣、国の発展と共に変化していくのは時代の流れですが、良い部分だけはいつまでも見失うことなく変わらないでいてほしいものです。フィリピンでは目上の方への挨拶の仕種として、相手の手を取ってその手の甲を自分の額にあてる「bless」という行為があります。ちなみに僕も年下の方々からそれを受けるのですが、長年この国と係わってきているにも拘らず未だに照れるのは、年齢相応の中味を持っていないからなのでしょう。最後に、皺だらけの現地のおばあちゃん達の写真を掲載します。






フィリピンの交通事情

2017年06月22日 | ドキュメンタリー
先だってのTV番組で、この国の交通事情の悪さをTransportationという言葉を捩ってTrans "poor" tationという題目で特集していましたが、渋滞、道路事情、地方における交通手段の未整備などそれぞれの視点から実例を紹介しながら問題提起していました。
首都圏では慢性的な渋滞と深刻な大気汚染が問題となっています。番組では所構わず停車・客待ちをするジプニーが渋滞の一因であると挙げていましたが、僕としては渋滞がもたらす時間の浪費という経済的損失よりも、各車両が撒き散らす排気ガスの黒煙による大気汚染の方が一刻を争う深刻な健康問題のように思います。特にバス・ジプニーのディーゼル排気、そして二輪車の吐き出す白煙が、首都圏の空気の汚染源となっていると言って間違いはないでしょう。日本で役目を終えた都バス・市バスがフィリピンで第二の人生を与えられ元気に活躍しているのは良いことなんですが、(余談ですが以前にロハスブリバードを走行中に対向車にハコスカの2000GT、もしかしたらGT-Rかもしれませんが、労務者風のおっちゃんが運転していたのを見かけた時は仰天しました。おそらく、希少価値は分かっていないと思います。)如何せん10年20年以上も前の中古車両が排ガス規制など関係ないこの国で(勉強不足ですが、もし法律があるのなら全く機能していないことになります。陸運局には排ガス測定ブースがあったりするんですが… )、あれだけ大量の車が真っ黒な排気ガスを出していれば、空気も汚れて当然です。庶民の足としてあらゆる地域を網羅して昼夜を問わず走るジプニーもしかり、首都圏エリアで半日も表に出ていれば鼻の中が真っ黒になりますし、実際現地の人々もハンカチを口に当てたり、二輪車のドライバーは強盗スタイルよろしくバンダナで鼻と口を隠して運転していたりします。ジプニーと二輪車、トライシュケルについては騒音も問題で、二輪車は新車の時点から既に排気音が大きく、古いものになればみんなマフラーの中心部を取り去って(正式名は知りませんが、若い頃仲間内では "スを抜く" と言ってました。)あるので、排気音がやたらと喧しくエンジンオイルが燃焼した白煙もダイレクトに出てしまいます。昔からずっと思うことですが、フィリピンの都市部はホントに喧しいです。首都圏の表通りを歩いていると、携帯電話の着信音量を最大にしてバイブレーターも強にしていても、ズボンのポケットに入れていると全く着信に気がつかない事が多々あります。(特にマニラではバクラランやディビソリア周辺)ミュージックをガンガンに鳴らす習慣とか話し声が大きいとかいうのは二次的なことであり、その根源は車両が出す排気音とクラクションにあると思います。東南アジアの都市部では、これが普通なのかもしれませんが、しかし、言い換えると混沌とした激しい喧騒が魅力の一つでも有るようにも思いますが。

懐かしのスモーキーマウンテン

2015年07月23日 | ドキュメンタリー
スモーキーマウンテンと呼ばれていたマニラ、トンド地区のゴミ山はもう既に閉鎖され、大夫年月が経過しました。久しぶりに訪れてみると現在は雑草が生い茂った小高い丘が点在しています。フィリピン政府は閉鎖の際にそこでゴミ拾い(スカベンジャーと呼ばれています。)をしていた人達(スクウォッター)の住居(不法建築のバラック)を撤去して、公共住宅を建て安い賃貸料金で貸し出しましたが、それさえも払えない人々が多かった為にマニラ地区にホームレスが増加する結果になりました。現在はケソンシティーのパヤタスと言う場所が第2のスモーキーマウンテンと呼ばれています。学校に行くお金も無い家庭の子供達や親達がゴミ拾いをしながら生計を立てています。その際に崩れてきたゴミに埋まって死亡する事故も多々有りました。日本をはじめ、各国からボランティアで献金してくれる人々や団体からの寄付もありましたが、一部の人に横領されて正しく運用されないケースも沢山有ります。フィリピンではスモーキーマウンテン地区以外でも空き缶、空き瓶、ダンボール等を拾ってジャンクショップと呼ばれる所に売って生活している人も沢山います。現在鉄製品のゴミ等は1kg 20ペソ(最近のレートで約50円程)です。フィリピン共和国は全国民の5%の富裕層と25%の中流層、70%の貧困層で構成されていると言われてます。現時点でのマニラでの法定最低賃金は約380ペソ/1日(800円位)ですが、実質は300ペソ貰っていれば良い方かも知れません。ただ、いつも付け加える事ですが、この様な地区の子供達は特に、元気で明るく、とても輝いた済んだ瞳をしているのが不思議でなりません。
最後に僕の尊敬する人物、四ノ宮監督とのツーショット写真を掲載しておきます。なぜなら、彼は、1995年ドキュメンタリー映画「忘れられた子供たち、スカベンジャー」を完成させて、第44回マンハイム国際映画祭ベストドキュメンタリー賞を受賞するなど多数の賞を受賞してこられ、この様なエリアを扱ったら世界的な第一人者であるからです。2001年5月にはドキュメンタリー映画「神の子たち」を発表。第52回ベルリン国際映画祭、モントリオール国際映画祭へ正式招待を受けられています。この映画には僕もスポンサーとして参加させて頂き、主人公の一人である水頭症の少年が来日した際には、監督を含め、今は亡きジャーナリストの筑紫哲也氏、作家の鎌田慧氏らと行動を共にさせて頂き、大変貴重な体験をさせて貰らいました。最近では、ドキュメンタリー映画「BASURA(バスラ)」を発表され、数々の賞を獲得されています。因みにタイトルの意味は日本語で「ゴミ」の事です

フィリピンの刑務所

2015年07月22日 | ドキュメンタリー

メトロマニラから南方に約30キロ、車で約40分位の南端にあるMuntinlupa市にあるニュービリビッド刑務所(New Bilibid Prison)通称モンテンルパ刑務所。日本軍のBC級戦犯が収監されていた場所で、渡辺はま子さんが歌った名曲「ああモンテンルパの夜は更けて」で有名な日本人からすれば到底理解しがたい刑務所である。今年の春頃に知人の紹介で京都在住の医師の方からフィリピンの刑務所に知人に面会に行きたいのでどうすればよいのか、どんな所なのかアドバイスを求められた。それこそが、このモンキーハウス(現地人はこの様な表現をする。)である。集団ダンスで日本のテレビでもお馴染みの刑務所はセブの刑務所である。モンテンルパ刑務所に昨年の暮れに司法省が抜き打ちの立ち入り検査を敢行した時に、拳銃、手榴弾、ナイフ、覚醒剤、マリファナ、携帯電話、多額の現金等が次々と発見された。汚職撲滅を掲げている現アキノ政権の刑務所改革のパフォーマンスと思われる。刑務所内では贈収賄をはじめセックス(娼婦を刑務所内にデリバリーをする。)、強姦(面会に訪れた少女が被害にあったのも事実である。)、酒、ドラッグが蔓延しているのは周知の事実である。多額の資金力を持っている麻薬王達や政治家達(彼等は通称「ビッグタイム」と呼ばれる。)にしてみれば獄中生活はある意味娑婆よりも快適かもしれない。彼等達が力をつけていき江戸時代の牢名主の様な組織が出来、プリズン・ギャング(刑務所内での麻薬、ギャンブル、暗殺等を手掛ける囚人組織)やメイヤー(タガログ語で市長の意味)と呼ばれ囚人達を支配していくことになる。1万数千人の受刑者に対し刑務官は数百人しかいないのも秩序が保たれない要因の一つと思われる。ある意味において警察が一般市民を助けてくれる国は日本位しか存在しないのではと思う。ただ、この様なプリズン・ギャングの頂点(コマンダーと呼ばれる。)に上り詰めた実在の日本人(19年間服役)もいたのである。男の名は大沢 努氏である。もう一人伝説の日本人と言えば、1994年に日本でもニュースになった鈴木英司氏であろう。彼はフィリピン中部のネグロス島のバコロド空港で知人の女性から渡された土産物の中に大麻1.5キロが入っていたことが発覚(殆どの場合警察官もグルである。)し逮捕され死刑判決を受けた日本人最初の死刑囚である。後に終身刑、最後には恩赦で釈放されるが、事実は分からないが、おそらく冤罪で16年間収監されていた日本人である。因みに刑務所慰問のボランティア女性と獄中結婚をしている。先に述べた面会人も同じ様な手口で逮捕されたという。私も最初は色々なトラブルを経験しているが麻薬、覚醒剤等で嵌められたら最悪である。「知らなかった」は通用しないのである。何故なら麻薬の運び屋は誰もがいう言葉であるからで、どんなに親しい友人、愛人、いや奥さん(これは言い過ぎかもしれないが彼女自身が騙されていることも想定すべきである。)でも信用しない位の認識が必要である。また、犯罪に巻き込まれた時、現地の日本大使館は先にも述べた様にこの手の事件で逮捕された人は全ての逮捕者が「知らなかった」と言うので無実と言われるのであれば弁護士を雇って争って下さい。で終わるケースが殆どであるので海外(特に貧困国や東南アジア)に渡航する場合は自分自身が嵌められない様に情報や対策を普段から身につけて措くべきである。また、フィリピンの刑務所は懲役(労働作業等)はなく隔離されるだけであり刑務所内ではあらゆる生活費(中にはギャングの上納金から看守のワイロをも含む)が必要とされる。唯一配給されるのは食事くらいで、足りない分は刑務所内(日本の刑務所のイメージではなく映画にでてくる様な収容所の雰囲気でそこいらで肉、魚、野菜が売られ、中には散髪屋や靴磨きで収入を得ている者もいる。)のコンビニ(公営というか実は所長クラスが経営する「PX」、私営は「ティンダハン」という。)で買う事になる。紹介された医師にはこの様な説明と心構えを伝えた。医師は面会に行って知人と会うよりもこの刑務所に行く事の方が興味が湧いてきました。と言っておられた。因みにこの方は渡比する事自体が初めてらしい。なかなか胆の座った医師である。