長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

5月14日は「作手古城まつり」です。

2017年05月02日 | 奥三河
これからのシーズン新城市ではしんしろ戦国絵巻三部作と銘打って、各地で長篠・設楽原合戦にちなんだ祭りが連続します。

GWの5月5日は長篠城で長篠合戦のぼりまつり。
5月14日は作手古城まつり。
7月2日は設楽原決戦場まつり。

この地域のすごいのは、当たり前のように火縄銃演武が行われること。
とにかく火薬の消費量がハンパないのです。笑。
そして、火縄銃演武が最も間近に見られるのが作手古城まつり、と、いうのが個人的感想。
近年は子どもが泣いてしまうので連れていけませんので確認できてませんので、古城まつりも、ものすごい人出なので、ひょっとすると昔に比べて距離が離れているかもしれません。

さて、この古城まつりで人気なのが城のガイドツアー。


例年、13時から15時までの2時間を作手山城案内人であり、古宮城の整備活動の代表でもあります原田純一さんにより、亀山城と古宮城、そして、その周辺を解説しながら回る、という人気のツアーです。
※ 火縄銃演武と時間が被るので、城ツアーに行く方はすべての演武を見ることができません。

ところが半月ほど前、原田さんから電話がありました。

「実は、痛風が再発してしまい1か月後の古城まつりを歩いて案内できるか不安な状況。もし良かったら代わりに案内してもらえないか。」

とのお話。
既にチラシに案内が刷られており止めることもできない、ということでした。

それは一大事、と、思いつつもできるかな?、と不安に思って尋ねると、「過去にも案内されていたところを見てましたし、大丈夫でしょう。」とのこと。
古宮城に関わることですし、引き受けました。

と、言う訳で、今年は私がピンチヒッターとして、及ばずながら案内させていただくこととなりました。

しかし、引き受けてしまってから気づく。

『古宮城が続100名城に選ばれたばかり。』

こ、これは、全国からの城好きの猛者達が押し寄せる可能性がある!!

そんな人達を前にして私が説明しても恥を掻くばかりではないか!
しかも、案内先は古宮だけではなく亀山城、そして古宮城へ至る途中の史跡案内も含んでいます。

と、電話を切ってしばらくしてから思い至りましたが、それこそ

『後の祭り』

祭りはこれからですが。。。

引き受けてしまったものは仕方がない。
久々に資料を引っ張り出して読み込む作業をGW後半に行う予定です。
場合によっては、現地を下見しなければ。
ああ、資料どうしよう。。。

こうブログを書いていて、かなり緊張してしまいました。
不安を解消しようと思って書いたら、かえって事の重大さを再認識してしまい逆効果になってしまった。
こんな状況にも関わらず、いつも案内している原田さんのすごさを改めて認識する次第です。

なにせ最近、城を見学する人のレベルが上がって専門家並みの人が多いのと、自分が別のテーマで調べ物をしているため城の知識のアップデートが滞っていることが、不安なのです。

一度古宮城をはじめとする作手地区の城を見ておきたい、と、いう皆様で、ご都合のよろしい方。
久々のガイドボランティアでテンパっている私を応援する意味でも、お越しいただけると幸いです。

先着30名だそうです。古城まつりは激込みになりますのでお早めに。
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祝! 古宮城が続100名城に選ばれる!!

2017年04月10日 | 古宮城
昨年度から城に集中できない状況となっておりましてブログの更新も途絶えております。
今年度含めて3年間はこんな状況となりそうです。

さて、そうは言っても書かざるをえないのは公益財団法人日本城郭協会が選ぶ100名城に続く100名城が選定されたそうで、その中になんと古宮城が見事選ばれました!(「選ばれました」部分を押すと協会の発表頁に飛びます。)

ちなみに、まだ市指定ではなく、全く何も指定を受けていない状況です。


※古宮城の見所の一つ両袖桝形虎口。

古宮城は城郭研究家や一部マニアには知られていましたが、一般には全く無名の城でしたけに、よくぞまぁ、ここまで来たものだ、と、ボランティア整備活動に携わっていた者としては感慨深いものが。
折角ですので、私の知りうる範囲で整備活動の状況を一度整理しておこうと思います。

この整備活動は、現在作手山城案内人として古宮城をガイドしている原田純一さんが中心となって、完全にボランティアとして行われているものです。

私が新城市に来た7年前にはシダや笹が生い茂り、城の細かな状況がわかりませんでした。草刈りたいなぁ、と、思うものの、古宮城は複数の個人所有部分と地元の神社が所有する土地のため、整備すると言っても簡単にはできません。

※2012年当時の写真

丁度その頃、このあたりの城を案内しているときに偶然原田さんと知り合いになりまして、原田さんも同様の想いであることがわかりました。

地元では亀山城は有名でしたが古宮城はほとんど知られておりませんでしたが、ちょうど歴女ブームや城ブームが到来し、外部からも見に来る人が増えたことから徐々に地元での認知度が上がり始めていました。

※つくで古城祭りでのガイドツアー

2012年に新城青年会議所に在籍されていた加藤さんから青年会議所事業として「地域の宝物みがき」という企画で古宮城を整備したいというお話が舞い込んだことで地元調整を原田さんがされ、整備活動と城攻めイベントを同時に開催することができました。


非常に城が見やすくなりイベントは盛り上がったものの、木の根に足を取られて転んでしまう方が出たことから、まだまだ整備を継続できたらな、と思っておりました。
原田さんも単年度で終わってしまうのを残念がっておられたので、今後は市民活動的にやれるところまで継続してみよう、と、いうことになり、原田さんが地元の方への声掛けや地権者調整をされ、私が外部から人を呼んでくる等の広報活動を、と、いう形で2013年以降も継続することとなりました。
私的には、古宮城を一度訪れて終わり、ではなく、全国の古宮城好きが集まってワイワイやる理由として年に一度の整備活動が使えると良いな、というのが目論見でした。
愛知県立大学の松宮先生の協力もあり整備活動は続けられ、2014年度には愛知県立大学山村ゼミ(当時)の協力もあり、県大生4名の方々が戦国期の作手地区の調査を行いつつ整備活動にも協力してくれるなどのうれしい出来事もありました。



こうして古宮城は徐々に草が刈られて地表観察がしやすくなり、また、歩きやすくなってきました。
すると、当時はまだ笑点の司会ではなかった春風亭昇太さんが城番組のロケで訪れるなど、徐々にマスコミでも取り上げられる機会が増えてきました。
2016年2月にはNHKの「趣味どき!」で姫路城や大坂城、名古屋城といった誰もが知る名城と並び古宮城が奈良大学の千田教授によって紹介されることで、全国的にも認知度が上がりました。


そのため2016年の整備活動では遠く新潟などからも古宮城が好きな方が、完全に手弁当で駆けつけるなど、当初目標としていた「古宮城が好きな人が集まる理由としての整備活動」が実現されてきました。


そんなこんなで、様々な人に支えられて現在、古宮城は大変見やすい状況となっており、続100名城として訪れる人にとっても良好な状況ではないかと思いますし、整備活動に参加する人がより増えるといいな、と、思っております。

しかし、一つだけ懸念が。
続100名城の選定について地権者の方はご存知なんでしょうか?、と、私が原田さんにお聞きしたところ、
「…、多分知らないと思う。」
とのこと。原田さんもこうした動きを御存じなかったそうです。
何を心配しているのかといえば、ドラマや映画などで話題となった城で個人所有地だった場合に、知らない人が大勢押しかけてきたことで地権者が立入禁止にしてしまい、折角の名城が見られなくなってしまった例が多数あるからです。
古宮城の整備活動も時間をかけて地権者の方のご理解を得て行われてきたことだけに、この点が心配なのです。

長篠城のように公的機関の所有物であれば素直に喜べるのですが、今回選ばれた続100名城の場合、古宮城と似たような懸念を抱えているところが多いのではないかと、城リストを眺めて感じました。

私としては、土地の価値も昔に比べてあがっており、公共が所有して管理することが難しい城が増えている中、個人の所有地を好意で見せていただく代わりに年に一度感謝の意を込めて整備する、という形で遺構が管理されていく形でないと対応できないものが増えていくのではないかと思っております。
今回の続100名城に選ばれたことで、こうした手法がどうなっていくのか、今後の動きを見守っていきたいところです。

さて、こんな古宮城の整備活動ですが、例年どおり、今年も10月に開催予定です。詳細な日程は、また、後日発表いたします。多くの方の御参加をお待ちしております。
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インフルエンザで一家全滅

2017年01月20日 | 日記
新年早々、一家全員がインフルエンザに罹る、という事態に陥りました。

1/15(日)の新城マラソンに一家で参加するため前の週から新しいスニーカーだの服だのを新調。
準備のため毎日走って備えておりました。
1/14(土)は雪が降る寒さ。娘の学校参観日でしたが息子が風邪ひくのを防ぐため、妻だけ学校へ行き、私は息子と坊主めくりなどをして午前中を過ごす。この時点でなぜかぎっくり腰のような腰痛の軽いやつを感じており、走り過ぎたか?とか思っておりました。しかし、夜に入りなんかだるさと寒気を感じる。

風邪薬飲んで寝れば治る、と、信じて寝たのですが、朝起きたら明らかに熱がある感じ。体温を測ると37.4度。
走れば治るか、と、スパルタな考えが一瞬よぎりましたが悪寒がひどくなる一方。どうも、まだまだ熱が上がりそう。
父親を一人残し、妻子はマラソンに行ってしまいました。
寝てれば治る、と、思っていたのですが、一向に治る気配がないどころが、熱が上がる一方。
午後妻子が楽し気に帰宅した時には38.4度。そして夜になって39.1度。

さすがに
「ひょっとして、インフルエンザか?」
との、思いがよぎる。

なにせ、ここ15年くらいインフルエンザになっていない。職場で新型インフルエンザが流行した時も、なぜか自分ひとりだけ罹患せず。20代に毎年のようにインフルエンザになっていたので、もう、免疫ができたのだろう、と、思っていたのです。

しかし、夜になって、妻子も様子が変。
翌朝月曜日。妻子も高熱を出しており、娘が37.4度で、私と妻と息子は38度越え。
ふらふらしながら車を運転し近くの病院へ行き、簡易検査を受けると全員インフルのA型認定。

色々と薬を貰いまして帰宅しました。
今までも時間差で妻と私が風邪をひくことはありましたが、同時は初。
家事が何もできない。

私も38度をずっと超えているのが予想外にダメージを受ける。子供時代は40台の熱が出ても、すぱっと治ったものですが、厄年終えると38度越えがこんなにつらいのか、と、驚く。インフルが高齢者には危ない、というのが初めて体感できました。60過ぎてこんな辛いと命に係わるわ、と、思いながら横たわる。

今回のインフルの辛いところは、関節痛がすごいこと。
ぎっくり腰か、という腰痛で体を動かすことが辛い。寝返りを打つのがつらい。体勢を変えるのもつらいので寝るのも一苦労。熱も続くので1時間半くらいうつらうつらすると起きる、を繰り返す。高熱で頭痛もひどい。頭痛も変な頭痛で、眼精疲労がものすごい状態のような目の奥が疲労しきって発生した頭痛の痛み。実際、目の奥が痛い。
寝れば治るのでは、と、思って火曜日の朝を迎えるが、全く変化なし。むしろ、股関節まで痛くなり、そこへ頸椎ヘルニアの痛みまで襲ってくるようになる。

首が痛い、腰が痛い、目の奥痛い、頭が痛い、熱は38度越えたまま。
日曜日からの発熱で食欲もずっとなく飯もあまり食っておらず、ダメージがすごい。歳取っての高熱の怖さを初めて思い知る。歩くときは背中を丸めてヨロヨロとしか歩けない。まさに老人。

あまりのダメっぷりに、自分でも驚きました。

もっとも、一家全滅中なので、皆、静かに寝ているしかできない。

水曜日になってようやく37度台になり、ようやく起きだす。
妻が相変わらず大変な状況だったので、代わりに私が子供たちに朝食後の薬を出したのですが、ここで事件発生。

私も何度も名前を確認したのですが、娘に間違えて妻の薬を出してしまうミスをしてしまったのです。
娘が「いつもとちがう」と言ってたので、袋の名前を何度も確認して「大丈夫だよ」と飲ませたところ、ふらふら起きてきた妻に言うと「え?」となる。そこで確認すると、さっきあれだけ確認したはずなのに、娘の名前の袋がない。薬の名前を娘が言っていたので覚えており、娘に飲ませた薬が書いてある袋には妻の名前が。

幸い、すぐに薬局に電話で確認したところ「1錠であれば問題ないです。」とのことで、事なきを得ました。
が、自分が呆けたのかと思って、ぞっとしました。

薬のせいなのか、熱が続いたダメージのせいなのかわかりませんが、反応が鈍い。
この日は午前中は平熱に一旦体温が落ちましたが、午後に入って熱が上がり始めて18時には一家で寝ました。

木曜日にはようやく平熱スタート。人間らしい生活を始めますが、体力が落ちているのを実感する。そして、この日は咳がすごい。どうも、菌の排出が続いており、咳で菌をまき散らしている状況だとか。外出禁止が続いているので家にいるだけですので他人にはうつらないですが。
なんとか一日を過ごしましたが、18時に突然だるさが襲ってきて寝ないとダメな状態に。

そして本日金曜日。
ようやく、通常と同じ様なペースで過ごすことができました。
明日はようやく外出解禁日です。

ほんと、こんなに恐ろしい状況になるとは夢にも思わず。
体力だけでなく判断力さえも奪われてしまった状況に、背筋が寒くなりました。これから老化が進む一方だけに、毎年予防接種を受けるべきかと思ったり。

皆様もインフルエンザにはご用心ください。
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極寒の設楽城水鉄砲合戦

2016年12月11日 | 奥三河
「みんな戦がしてぇんだよ!」
とは、今年の大河ドラマ『真田丸』での後藤又兵衛のセリフ。

城の機能を説明することが多い自分ですが、実際、攻めたらどうなるのか。
後藤又兵衛のセリフには魂を揺さぶられます。

全国各地で城攻め水鉄砲イベントは開催されていますが、ガチの山城、というのはあまり聞かない。
高い土塁や切り立った崖、ガレ場では足が滑り、切り株や木の枝は障害物となり、怪我と隣り合わせの命懸けの障害物競走になるからでしょう。

そんな中、丸馬出と堀切の深さで見事な東栄町にある設楽城は、地元の方達『元気城山』の方達が整備されており、戦をするには丁度良い感じだなぁ、と、思っておりました。

そしたら、『元気城山』の竹内先生から「水鉄砲合戦良いじゃないですか。」と、許可をいただく。
聞けば、昔は子供同士50人vs.50人の100人で戦ごっこをしたもので、城を縦横無尽に駆け回り戦ったそうです。

好機到来。

当初は地元の子供が合戦体験を通じて、地元の歴史を知るきっかけに、などと思っておりましたが、

愛知県の山間地で尾張部の人は中々来ない東栄町。
『普通の人』には城として認識されない建築物もない山城。
そして、日程は都合上12月上旬。
東栄町の12月は下手すれば昼でも0度前後の極寒の季節。
そんな時に水鉄砲。

『狂気の沙汰』

と、いう言葉しか当てはまらない。
初雪が降るかも、という予報があったので子供はさすがに風邪をひいてしまい親が困る、ということで断念。

しかし、大人ならば自己責任の範囲でやれないものか。
と、いうことで、常々こうした企画に興味を示していた私の周りの「城好きがこじれそう」な素質を持った方々に声をかけてみました。

夏ならともかく真冬の水鉄砲合戦。
こんなクレイジーな企画に人は集まるのか。。。

私の心配は見事に裏切られ、
むしろ『極寒』というフレーズにシンパシーを覚える、イカれた方達から多数の参加表明を頂きました。
しかも、東栄町には一度も来たことがない、という小牧市や名古屋市の方、三重県より愛知県の西側あま市から単身駆けつけてくださる方。

みんな城好きがこじれそうだなぁ、と。

当日は、暖かな日で、気温は10℃程度。
日が当たっている場所では、動けば汗ばむような感じ。
しかし、城は風が抜け木々が日を遮るため、結構冷える。
集まった人間は16名。

戦場は、設楽城が誇る丸馬出を中心に、攻め手と守り手に分かれ、攻め手が2倍の兵力となるようにし、審判を置く。
バケツは攻め手と守り手に10リッターのものを2つずつ。
途中の堀切に色が異なる2つのバケツを2つ置き、奪えるようにしました。取ってもよし、相手に取られる前にこぼすもよし。



ジャケットの色が変わる部分が大半変わったら死亡宣告。
全員討ち死にした方が負け。
または、城にいる大将を表すジャケットを濡らすと濡らした方が勝ち。
時間は15分。

まずは、地元の竹内先生による現地案内による城解説。




その後、4回戦を行いました。

※ここまでくるとサバゲ―な映像


※大筒のような効果を発揮した竹水鉄砲的なやつによる攻撃。

当日は風が強く、水が流れるので狙いがむつかしい。
当初は皆慎重でしたが、




徐々に活発化し、まずはそれぞれ作戦会議。


そして激戦。












討ち死も続出。







※忠魂碑の前が討ち死した方の集合場所

と、まぁ、途中ジャケットが乾くインターバルの休息時間を設けながら、大の大人が4回戦行い、
城を縦横無尽に駆け巡りました。

絵面みると、すごい迫力…。
(写真は戦場カメラマン役を買って出ていただいた「のんほいタウン」編集長藤本氏提供)

皆さん、大変楽しんでいただけたようです。

色々と改善点も見えてきました。
次回、もう少し温かい時期の子供向けイベントとするため、オペレーションを改善して、必ず開催したいと思います。

でも、準備する大人もやれるようにしたいな…。
大騒ぎする父母を見て、子供もあきれるくらいにしたいものです。
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古宮城整備活動2016 無事終了しました!

2016年10月15日 | 古宮城
今年も無事に開催されました、古宮城の整備活動2016!


今年もお馴染みの地元の有志の方々に加え、なんと、遠くは新潟からバイクで駆けつけてくださった方も!
その他、今回は静岡、岐阜と他県から城好きで古宮城に魅せられた方々もお見えでした。
県内からも小牧、半田、名古屋の尾張、東三河からも豊橋と豊根という上下流からも参加がありました。
全国から城好きが、わざわざ整備活動のために訪れていただける城になったのかと思うと感慨深いものがあります。





そして、今年も地表面が出てくることで、今まで意識していなかった櫓台への取り付け部分がわかりやすくなるなど、新たな発見がありました。毎年、この活動で城が露わになっていく状況を、F氏は

「野球拳で勝った感じ。」

と、絶妙の表現。

昨年まで学生さんだったのに今年は社会人として駆けつけてくれたり、今年新たに参加した学生さんに古宮城の整備活動に参加した学生の就職率100%の実績を説明したりしていると、色々と城の整備活動で広がる縁を感じます。

そして何より見通しが良くなり、素晴らしい景観となった古宮城!


「こんなキレイに城がみれるなんて!」
と、過去の笹やらがボウボウとしていた時期を知る人達も感動ひとしきり。

はじめて5年も経過すると、城が見やすくなるものだなぁ、と、私も興奮しておりました。

活動終了後、会発起人の原田先生宅で懇親会もあり、いろんな地域の、いろんな方々とのお話も楽しい限りでした。
こんなユルい感じですけど、この活動が古宮城が全国の城好きの方への認知を高めるきっかけになっていると思うと不思議な感じもします。

今年は自分も多忙で、周知が不十分でしたが、これだけの人が集まるというのは古宮城の力かと。

本日、ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします!
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