花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「藤文様」について

2014-04-03 | 文様について

presented by hanamura ginza


お彼岸が過ぎ、気がつけば桜が満開となりました。

あっという間に散ってしまう桜は、
その儚さも魅力のひとつですが、
もうしばらく楽しみたいという気持ちもあり、
今日の雨で散ってしまわないようにと、願ってしまいます。


桜は日本原産のものも多く、
古代には花といえば桜のことを指していたほど、
古くから愛でられてきました。
桜を見ると心がそわそわしてしまうのは、
先祖から受け継がれてきた遺伝もあるのでしょう。

さて、今日お話しする藤の花も桜と同じように日本原産の植物で、
古来より親しまれ、日本文化とも関わりの深い花のひとつです。

藤は、マメ科に属する植物で、
日本全国に自生しています。
桜が散った後の 4 月中旬ぐらいから咲きはじめ、
淡い紫色の小さな花が房状になり咲く藤の姿からは、
艶やかで、繊細な美しさが感じられます。

とくに、藤の蔓でつくられた藤棚の下で
連なるように咲いた藤の姿は幻想的な美しさがあり、
藤棚が植えられた公園などには、
毎年多くの人々が訪れます。


この藤棚の下で整列して咲く藤のイメージの方が強いのですが、
山野で咲く自然の藤はとても野生的です。
とくに、他の樹木に巻きつきながらぐんぐんと成長する蔓からは、
力強い生命力も感じられます。

藤の蔓はとても頑丈で、
現代でも籠の材料などにも用いられていますが、
古墳時代には、巨大な石棺をそりに載せて、
藤の蔓で編んだ縄で運んだようです。

また、藤の蔓を繊維状にして布が織られ、
奈良時代に編纂された「万葉集」の中では
その布のことを「藤衣(ふじごろも)」とよんでいました。

ちなみに、その藤衣は現代では「藤布(ふじふ)」とよばれ、
貴重な原始布として、着物や帯の素材にも用いられています。

藤は万葉集をはじめ、
古来より和歌や俳句の題材として人気があり、
藤を詠んだ名作も残されています。

また、和の伝統色では淡い紫色の藤の花が由来となった
「藤色」や、
「藤鼠(ふじねず)」や
「紅藤(べにふじ)」、
「藤紫(ふじむらさき)」というように、
「藤」のつく色名が多くあります。

藤は文様としての歴史も古く、
生命力が強いことから縁起が良い文様とされてきました。
垂れ下がった藤の花を円状にあらわした「下がり藤」、
藤の花を上にして円状にあらわした「上がり藤」、
巴の形にあらわされた「藤巴」など、
多くの藤文様が考案され、
江戸時代には 100 種類以上の藤の家紋が考案され、
用いられていたようです。

江戸時代のころには、
当時人気のあった「大津絵」に、
藤の花の精をあらわしたとされる
華やかで艶のある娘の絵図が描かれました。

笠を被り、藤があらわされた衣装を身にまとい、
藤の花を手に持った娘の絵は「藤娘」とよばれて、
のちに歌舞伎や日本舞踊の演目のひとつとなりました。



上の写真は、大正~昭和初期につくられた絹縮緬からお仕立て替えした名古屋帯です。
藤は、艶やかな雰囲気で情感たっぷりに
あらわされることが多いのですが、
こちらの意匠からは、
雫のように連なった花のかたちの面白さが感じられ、
かわいらしくモダンな雰囲気が漂います。

桜が散れば、藤の花。
花の下で宴が楽しめる季節になりました。

「しはらくは 花の上なる 月夜哉(かな)」 松尾芭蕉

上の写真の「藤尽くし文様 型染め 名古屋帯 」は花邑 銀座店でご紹介中の商品です。

●花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 4 月 24 日(木)予定です。
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「羊歯文様」について

2014-03-20 | 文様について

presented by hanamura ginza


まもなく春分ですね。
先日は、各地で春一番が吹き、
桜が開花した地域もあるようです。

暖かな陽射しに誘われて外に出てみると、
今日芽吹いたばかりのような、
瑞々しい新芽をあちらこちらで見ることができました。

春ならではのそうした光景を目にすると、
寒い季節がようやく去っていくのだという安堵感のようなものも沸いてきて、
寒さでこわばっていた顔もゆるんできます。

さまざまな木々が芽吹く
明るい春の山を指して
「山笑う」というように表現するのも、
うなずけるように思えますね。

今日お話しする植物「羊歯(シダ)」も、
この季節に芽吹くものが多く、
笑う山で多く見られる植物の一つです。
とくにぐんぐん育ち、生命力にあふれた姿は
俳句で「羊歯(シダ)萌ゆ」と表現され、
「山笑う」と同じように春の季語とされています。

羊歯は、ワラビやゼンマイ、ヘゴなどを含むシダ植物全般のことを指し、
その種類は約1万種にものぼります。
最古の陸上植物といわれ、
4 億 2000 年前のものとされる化石も発掘されています。

シダ植物は、葉の裏側に胞子嚢(ほうしのう)をつけて胞子をつくることで、
子孫を残す非種子植物です。
花や種子がなくても増殖する姿から、
霊草として扱われていた記録が世界各地に残されています。

古代の西欧では、目に見えないシダの種子を手に入れると
透明人間になれるといった迷信や
たいへんな力持ちになれるといった俗言も生まれました。

実際に、シダ植物は解熱や下痢止め、胃腸薬など
薬草として採取されることも多かったようで、
「魔法の草」ともよばれていました。

日本でも、羊歯は古来より繁栄や長寿を意味する植物とされ、
お正月に飾る鏡餅や、しめ縄などの飾りには、
裏白(ウラジロ)と呼ばれるシダ植物が用いられています。

「裏白」という名前は、葉の裏が白いことから付けられたようですが、
お正月飾りには「共に白髪が生えるまで」
という意味合いで用いられているという説もあります。

羊歯は文様としての歴史も古く、
平安時代の頃からモチーフとなり、
鎧や兜、甲冑などの武具にも羊歯の絵図が用いられました。
また、家紋にも羊歯が意匠化されたりしています。

「羊歯」という文字の由来には、
若芽がヒツジの角のように巻いている形をしているためという説や、
「羊」という象形文字がシダの形に似ているためという説、
長寿への願いを込めて齢垂(しだ)とよばれていたのが、
なぜかやがて羊歯となったという説など諸説あります。

それにしても、古来より羊が棲息してこなかった日本において、
「羊」という文字が何故用いられたのかは、とても不思議なところです。
その名前の由来には、シダ植物の不思議さも感じられます。

実際に、その不思議な生態に魅了されている人々も多く、
羊歯の研究は世界中で行われています。



上の写真は、大正~昭和初期につくられた絹縮緬からお仕立て替えした名古屋帯です。
たたき染めされた地の上に、のびやかなタッチで染めあらわされた羊歯の絵図からは、
太古の昔から生息する羊歯の原始的な生命力とともに、
神秘的でしなやかな力強さも感じられる意匠です。

上の写真の「叩き染めに羊歯文様 型染め 名古屋帯 」は花邑 銀座店でご紹介中の商品です。

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「土筆の文様」について

2014-03-06 | 文様について

presented by hanamura ginza


啓蟄(けいちつ)迎え、
寒さの中にも、春の気配を感じる日が多くなってきました。
陽射しも春めいて、
少し前まで、道の端に塊となっていた雪もすっかり溶けました。

梅の花が見ごろを迎えた地域も多く、
各地で行われている梅祭りには、
春の香りを楽しみに、大勢の人々が訪れているようです。
また、桜の開花予報もだされました。

梅や桜のように、
季節限定の花を観賞するのも風情がありますが、
旬の食材をあじわうのも、
季節を楽しむ方法のひとつです。

「春の味覚」といえば、
蕗の薹(ふきのとう)や、せり、菜の花、蕨などの山菜が多く思い浮かびますね。
こういった山菜を口にすると、
口の中に独特の苦味が広がります。
この苦味には好き嫌いがあるようですが、
苦味が、冬の間に縮こまっていた身体を目覚めさせ、
新陳代謝を促進すると効果があるようです。

今日、お話しする「土筆(ツクシ)」も
苦味こそが身上といえる春の山菜のひとつですが、
かわいらしい姿から「つくしんぼう」とも呼ばれ、
俳句の季語にも用いられてきました。

ツクシは、初夏から夏にかけて葉を繁らす「スギナ」の胞子茎で、
川沿いや野原などに生えます。

スギナは、シダ植物の一種で、
刈り取っても生えてくる強い生命力をもっています。
冬になると、地表にでた葉は枯れてしまいますが、
土の中では根が生きていて、
春がやってくると、胞子をつける茎が地面から顔をだします。
この茎を「ツクシ」と呼んでいます。

ツクシ(スギナ)は、世界各地に自生している植物です。
ミネラルやカルシウムが豊富に含まれているため、
薬用などに用いる国もありますが、
食用として楽しむのは日本だけのようです。

平安時代に記された「源氏物語」の「早蕨」の巻には、
父も姉も亡くした中君の元へ
父の師である宇治山の阿闍梨より
蕨やツクシが手紙と一緒に届けられ、
中君が阿闍梨の心使いに涙を流す場面が書かれています。

ツクシが、いつの頃から食べられるようになったかは
定かではありませんが、
源氏物語が書かれたころには、
春の味覚として定着していたことが分かります。

また、この源氏物語では、ツクシのことを「ツクツクシ」と呼んでいます。
この「ツクツクシ」は、「突く突くし」とあらわし、
突き伸びることを意味しているといわれ、
ツクシという名前の由来のひとつとされています。

ちなみに、漢字で「土筆」とあらわされるのは、
土に刺した筆のような姿に由来しているようです。

江戸時代の頃には、
春になると、ツクシを販売する「土筆売り」がいたようで、
俳句にも春をあらわす光景として、
土筆売りが登場する作品がいくつか見受けられます。




上の写真の名古屋帯は、
大正~昭和初期につくられた絹布からお仕立て替えしたものです。
破れ地紙に、ツクシとスミレなどの春の野花があらわされています。
つんと伸びたツクシの絵図がかわいらしく、
おもわず微笑んでしまいますね。
朽ちて破れた地紙に配された野花の意匠からは、
過ぎ去っていく季節の儚さも感じられます。


※上の写真の名古屋帯は「花の帯展」でご紹介した商品です。

●花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 3 月 20 日(木)予定です。
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「タンポポの文様」について

2014-02-20 | 文様について

presented by hanamura ginza


暦の上では雨水(うすい)を迎えましたが、
冷たい風が吹く寒い日がつづいています。
日陰には、積もった雪が溶けずに残っていますが、
来週にはようやくこの寒さも和らぐということで、
雪は溶けて、春の兆しを感じることができそうです。

いつも通る道で、芽吹きはじめた草花などを目にすると、
春からの便りを受け取ったような気持ちになり嬉しいものですね。
その回数が多くなってくると、いよいよ春も間近です。

花邑銀座店では、さまざまな花々が咲き香るこれからの季節に向けて
3 月 1 日より「花の帯展」を開催します。

そこで、今日はその帯展でご紹介する帯の意匠から、
春の花として親しまれてきた
タンポポの文様についてお話ししましょう。

春になると道端のあちらこちらで咲く
黄色いタンポポの姿は、
春の風物詩のひとつですね。
ぱっと咲いて一瞬で散ってしまう桜の儚さも良いものですが、
背伸びをしているかのようにまっすくに茎を伸ばし、
黄色くかわいらしい花を咲かせるタンポポの姿は、
とても愛らしく、桜とは異なった美しさを感じます。
アスファルトの割れ目などからでも花を咲かせる
その生命力の強さにも感心してしまいます。
また、花が咲いた後にできる白い綿毛も
ふわふわと軽やかな気分を感じさせ、
とても愛らしいですね。

タンポポは、古代より世界各地に自生する植物で、
その種類は 200 種もあるとされています。

日本では、明治時代の頃に西洋からもたらされた西洋タンポポと、
古来より日本に自生してきた日本タンポポが自生していますが、
日本タンポポだけでも 20 種類以上があるそうです。

古代のエジプトでは、タンポポを食用として育てていたようですが、
日本でも、タンポポを食用として採集していました。

日本ではじめにタンポポのことが紹介されたのは、
平安時代のころです。
日本最古の薬物辞典とされている「本草和名(ほんぞうわみょう)」に、
その記載が見受けられ、タンポポを薬草として食していたことが分かります。

ちなみに、現代でもタンポポの根を細かく切り、火で焦がしてつくる
「タンポポコーヒー」がありますが、
タンポポコーヒーには、
ホルモンバランスを整えたり、分泌促進作用があるといわれています。

「タンポポ」というかわいらしい名前は、
花の形が鼓(つづみ)に似ている、
あるいは茎の両端を細く裂き水に浸けると広がって鼓の形になり、
その鼓の音が「タン、ポポ」と鳴ることが由来とされているようです。

「本草和名」が編纂された平安時代の頃には
「タンポポ」という呼び名ではなく、
布知奈(フチナ)もしくは多奈(タナ)と呼ばれていましたが、
安土桃山時代に書かれた国語辞典「節用集(せつようしゅう)」に
はじめて「タンポポ」というよび名が登場します。

江戸時代になって「タンポポ」という名前が定着すると、
絵画や着物などのモチーフに、
野の花を代表する花として用いられるようになりました。

また、江戸時代にはタンポポの品種改良が流行して、
さまざまな種類のタンポポがつくられるようになったようです。



上の写真の名古屋帯は、大正~昭和初期ごろにつくられた絹布から
お仕立て替えしたものです。
春から初夏にかけて咲く草花とともに、
黄色いタンポポを背景にして
カラフルな色合いで尾長鳥があらわされています。
春がやってきて、うきうきするような気持ちが
あらわされているようですね。

※上の写真の名古屋帯は「花の帯展」でご紹介予定の商品です。

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「鬼」の文様について

2014-01-23 | 文様について

presented by hanamura ginza


大寒を迎え、しんしんしんと冷え込む日が続いています。
北国では、大雪が降り積もっているところも多いようで、
自然災害がないように祈るばかりです。

それでも、大寒が過ぎれば立春ということで、
明るい色合いの着物や帯、小物などに目が行くようになり、
気持ちは少しずつ春を迎える準備に向かっています。

立春といえば節分ですね。
家の扉や窓を開けて風を通し、
「鬼は外! 福は内!」の掛け声とともに
豆を外にパラパラと打ちまくと、
寒さで縮こまっていた身体や気持ちまで、
きりりとするように感じられます。

さて、この「福は内、鬼は外」ですが、
地方や寺社によっては「鬼」を祀っている場合もあり、
その際には「福は内、鬼は内」と言うようです。

このエピソードでも分かるように、
日本人にとって、鬼は単純に「悪いもの」という捉え方だけではなく、
場合によっては「良いもの」ともされ、
古来より物語や伝統芸能、絵画などにも頻繁に登場し、
日本の文化に深く携わってきました。

今日は、この「鬼」の文様についてお話ししましょう。

鬼(おに)という言葉が、
はじめて用いられたのはいつの時代かは定かではありません。
しかし、奈良時代に編纂された「日本書紀」や「古事記」には
すでに「おに」という記載が見受けられることから、
この時代には「おに」という概念があったのだとされています。

また、この時代には建物の安泰を祈り、
悪霊がこないようにと、
鬼の面を彫った鬼瓦が屋根の端に取り付けられました。

鬼の語源は「隠(おぬ)」ともいわれ、
姿のみえない異界のもの、人の力を超えたものを指す言葉として用いられ、
のちに「怖いもの」や「強いもの」「ものすごい」
という広い意味合いを持つようになっていったようです。

鬼が物語のなかに登場するようになったのは、
平安時代のころです。
「伊勢物語」や「今昔物語」には、鬼の話が多く記載されていて、
その中には真っ赤な顔、一つ目、2メートル以上の背丈、
振り乱れた髪といった鬼の特徴があらわされたりもしています。

また、現代でもみられるような鬼の姿、
つまり、頭に牛の角を生やし、
虎の皮のパンツをはいているといった容姿も
この時代に考えられました。
この牛と虎の様相も盛り込まれた姿は、
当時、丑(牛)の方角と寅の方角が
鬼門とされていたことに由来するそうです。

室町時代になると、
「百鬼夜行絵巻」や「不動利益縁起」などの絵画に、
鬼は多くあらわされるようになりました。
また、京の大江山に棲む酒呑童子(しゅてんどうじ)という鬼退治の話や
桃太郎の鬼退治などの話も書かれ、
能でも鬼となった女の話がつくられました。

やがて、江戸時代になると、
鬼は畏怖する対象としてだけではなく、
絵画や物語の中では、ときに親しみやすい人間味のある存在としても
あらわされるようになっていきました。
当時流行した「大津絵」という風刺画でも、
鬼はモチーフとして多く描かれ、
どこかユーモラスな姿をした鬼の絵が
とくに人気となりました。



上の写真の名古屋帯は、昭和初期ごろにつくられた緞子織の絹布からお仕立てしたものです。
遊び心の感じられる意匠がユーモラスなのに反し
緞子織ならではの艶に重厚感が感じられ、
洒脱な雰囲気を醸しています。
こちらにあらわされた鬼の絵図は、
「大津絵」の中でもとくに人気のあった「鬼の寒念佛」をモチーフにしたものです。
僧衣を着ている鬼の絵は、
偽善者をあらわしたものとされ、
衣装や小道具で飾っても本当の姿は透けて見えるという意味合いがあるようです。



また、鬼の角は人々の我欲を表現していて、
この絵に描かれた角が折れた鬼の姿は、
それを折る事を教えているとも言われています。
鬼の住処(すみか)は人の心のなかにあり、
鬼というものを通して、私たち人間を省みるという意味合いがあるのでしょう。


上の写真の「大津絵の絵図 緞子 名古屋帯 」は花邑 銀座店でご紹介中の商品です。

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