PPKオーナーの奮闘コーナー

写真付きで日記や奮闘の様子をお知らせします。

ぎっくり腰!

2013-11-16 09:11:12 | リラックス
先週の土曜日西都原古墳に出かけて、普段使わない筋肉を使ったのか、火曜日の昼お客様のカットをしてイスから立ち上がろうとしたその時ギクッときました。

その時は午後から老人施設の出張の仕事もあり、頑張ってすごしてしまいました。

夜からどんどん悪くなり、掴まらないと立ち上がれない位になりましたが、夜一緒に仕事をしてくれているkさんから、こ息子さんが熱を出していて明日の老人施設には行けないと言うことでした。

朝踏ん張って準備し、何とか4人程カットし帰ってきました。

その時から一層ひどくなり、夜はトイレにも独りで行けないぐらいに痛くなりだしました。

次の日朝からかかりつけの鍼灸院にいき、みてもらいましたが何故!ウォーキングの前に来なかったのと、先生から言われてしまいました。

その日の夜は大塚台地区のたいせつな会議があり、やっとの思いで終了しましたが、周りからは「大丈夫!」と声を掛けられるばかりでした。

あれほど痛くて歩けなかったのだけど、自然に雨が上がっていくように痛みも引き感謝!感謝!です。


記紀の道

2013-11-14 15:42:57 | リラックス
さる、11月9日大塚台団地の皆さんで西都原古墳に 「家族ふれあいウォーキング大会」 と称しでかけました。

大塚台団地からバスで役40分程でこのはな館に着きました。

この場所には何十回かは来ておりますが、博物館の中にも入ってないし、古墳について感心を持ってみたこともありませんでした。

実に恥ずかしい限りです。

このはな館の目の前にある 『男狭穂塚(おさほづか)』ニニギノ尊・ 『女狭穂塚(めさほづか)』コノハナサクヤ姫のご陵墓 をスタートとゴールとし古代ロマンの世界にスワープしました。

まずは、鬼の窟を通り一路,西都市街地にある都万神社へ古墳広場の丘から降りて行きました。

都万神社もうなぎの入船に行く時に通る位で、特別気にしていませんでしたが、ここには日本一長い太刀が奉納されているのでした、初めて知りました。

都万神社を出て稚児ヶ池の淵をまわりだすと、記紀の道の中でした。

稚児ヶ池のまわりの気持ちの良いこと、左手に湖面右手に畑と続いていましたが、途中でいきなり未来の世界に行った気分になりました。

畑の中にいきなりソーラーパネルが整然と並び、工業団地に来たかと思いましたが、今は畑で野菜を作るよりも電気を作った方が農家も安定経営が出来る時代が来ているんだなと感じました。

私はこの場所を 『ソーラー畑』 と呼んでみました。

しばらくして池の端に来た頃、池に流れ込む小川がありました、逢初川でした。

逢初川ぞいに上っていくと、左側に八尋殿がありました。

更に進むと無戸室(うつむろ)と言われる所が有りました、今は何も無くただ大木が悠然と立っているだけです。

この無戸室にはこんなお話があるようでした。

新婚の一夜を明けたニニギノ尊は、士族征伐のたびに出て数ヶ月して帰って見ると、コノハナサクヤ姫がすでに臨月になっているのを知り、彼女の貞操を疑った。

コノハナサクヤ姫は戸のない八尋殿、すなわち無戸室に火をつけて、『もしあなたの子をみごもていないのなら焼け死ぬであろう』と言って殿内に入ったが、火の燃えさかるときに、火照命(ほでりのみこと)、火須勢理命(ほすせりのみこと)、日子穂穂出見命(ひこほほでみのみこと)の三神をうんだ。

古事記や日本書紀によると、火照命は海幸彦、日子穂穂出見命は山幸彦とよばれていた、という事でした。

無戸室の直ぐ先左手にうぶゆを使ったという、児湯の池がひっそりとたたずんでいました。

その先に恐怖の石貫階段! 鋭角168段の手すりも何も無い石段でした。

地元の方によれば、戦時中に作られたそうですが、上にあがると一気に古墳広場が広がりました。

この石段はプロ野球のヤクルトの練習に使われているそうです。

広場に出て爽快な気分になり、コスモス畑を一気に通り抜けるコースでした。

約2時間、8Kmのゆったりコースでした。

私たちはこの広場で昼食を取り、皆でたのし~いゲームをしました。

ゲームは○×で分かれるもの、問題は古墳に関するものや、ご当地西都市に関わる問題でしたが、意外と知らないものですね。

その後はバスで博物館に移動して初めて入館しました。

古墳の中に入るような神秘的な演出でびっくりしました。

地下に広がる幻想的な世界はいかにも何も無い古代を実に見事に表現しているようで、感動いたしました。

たまに、自分のルーツを知ると言う事は大切な事かも知れません。

もっと宣伝しないといけませんよね。