思えば遠くへ来たもんだ 山木康世
29日土曜日に引越し屋さんが来て、私たちの短かった東京暮らしも終わります。
北海道に生まれ育った私が、仙台・盛岡、そして大阪で暮らしました。
大阪の次は四日市でしたが、そこは東海地方とはいえ、関西に近かったので、あまり変化は感じませんでした。
ところがーーー、四日市から東京へ来て見ると、色々な生活習慣が違います
私はまるで異邦人。時々、宇宙人とはいわれますけどね
そんな私も、季節がかわるたびに、元々の東の国の血が戻ってきたみたいで。。。
大阪にいた時は、ずいぶんとテンションを上げて暮らしてきたようです。
もちろん、子育てもし~の、パートにみ行き~のみたいに、バタバタと時間に追われるように暮らしていたからかもしれません。
何をするのも可愛かった幼稚園時代~もう憎らしい、できるならばお腹に戻して生み直したいとまで思った反抗期時代
まあ、色々あったのが大阪時代です。
夫婦二人だけの暮らしを始めた四日市時代
知っている人が誰もいないし、ケンカ相手の息子たちもいなく、なんとな~く張り合いをなくしたような寂しいスタートでしたが、それも徐々に慣れ、二人で色々な所へ出かける楽しみを見つけ出したのが、この頃です。
そして、東京
田舎暮らしが長かった私には、ちょっと刺激が強い街でした。
でも、私が暮らしたこの町は、東京とはいえ郊外で、大きな木や季節の花、畑では野菜が作られ、とっても長閑な所でした。
少しづつお友達も増え、行ってみたいと思っていた場所やコンサート。
いつ転勤になるかもしれないと、一生懸命駆け足で巡っていました。
夢にまでみていたことが、たくさん叶いました。
それでも、まだまだ想いを残していく所やコンサートがあります。
東京に来て一番嬉しかったのは、社会人になった息子たちが関東に居ること。
そして、妹が結婚してからずっと離れ離れだった妹・アグネスの近くに引っ越してきたこと。
私たちも、転勤になる度、不安な日々を、家族で団結して乗り切ってきました。
頼れるのは自分たちだけ。
妹も同じような境遇でした。
こうして、近くに頼れる身内がいてくれるってだけで安心感があって、ホンワカホンワカ
ずっと自分たちだけで暮らしてきたから、それが普通になっていて、ちょっと頑張り過ぎていたのに気付かないでいたみたいです。
私がホンワカホンワカしたように、私が近くにいるというだけで妹にもホンワカホンワカさせてあげたかったな。
ずっと一人で頑張ってきた妹に、もっと甘えさせてあげたかったな。
もう少し、東京にいたかったな~。もう少し、東京に居れると思っていたのにな~、というのが本音です。
大阪へ引っ越すというと、「大阪に戻る」という感覚もありますが、すっかり東の風に馴染んでしまった私には、また遠くに行くんだ~って感じでね。
北海道にいる母たちも、やっと少し北海道に近づいたと思ったのに・・・と泣かれてしまうし。
全くもって、親不孝ですよね。
ブログを通してお友達になってくださった皆様、ありがとうございます。
ちゃんとしたお礼も申さず、大阪に行く無礼をお許しください。
そして、大阪で待っていてくれるお友達、待っててね。
これから、お友達になりそうな人たちも、どうかよろしくです。
伝えたい想いや、感謝の気持ちは、た~~~くさんあります。
そんな方々へ、私の気持ちは、「空で繋がっている」
大阪でも、私は空を毎日見上げます。
そして、たくさんのメッセージを風に託します。どうか、受け取ってね。
ブログは、もちのろんろんで続けます。
少しお休みをいただいていた分、パワーアップでお届けしたいと思っています。
みんなーー、覚悟はいいかーーー。また、くどくて無駄に長いブログが復活するよ~~~。
会えなくなって寂しくなるよって言ってくれたことも、心配してくれたことも、大阪の友だちを紹介するよって言ってくれたことも
歓迎会するよ、一緒に遊ぼうねって言ってくれたことも
みんな、みんな、私の元気の源になりました。
私の今いる所が、私の居場所。だから、そこで、一生懸命、笑顔で前向きに生きる。
どんな花が咲くかわからないけど、沢山の花の種も蒔いてこようと思っています。
9月27日
東京へは、また遊びに来ます。だから、大阪にも遊びに来てね。待ってま~す。
それじゃあ、またね。