11月30日

2005-11-30 00:41:29 | Weblog
冬空をいま青く塗る画家羨(とも)し     中村草田男

なにか晴れきらぬ思いを持って、親しい画家を訪ねていったときのことだろう。画家の筆の運びを寡黙に見守っていると、画家は冬空を青い色で塗り始めた。冬空を青く塗る画家の心境を羨ましく思った。草田男の思いは仕舞われ、二人の会話は別の話になった印象である。


11月29日

2005-11-29 00:40:48 | Weblog
枯蔦となり一木を捕縛せり      三橋鷹女

一木の幹に絡まっている蔦は緑に茂っているときは、「捕縛」の意識よりむしろ緑の涼やかさに目が行くが、枯蔦となると、紅葉した葉、枯れた葉をところどころにつけて、木に絡まっている具合が目に入る。拠っていながらその木を「捕縛」している。蔦の強靭さを見て取った。人間関係でもこういった関係がありそうなので面白い。


11月28日

2005-11-28 00:40:23 | Weblog
木の葉髪うたひ嘆くやをとこらも     三橋鷹女

「木の葉髪」は、秋になり、人の髪の毛が抜けやすくなり、木の葉の凋落を思わせるようであることからの言葉。男性らも、木の葉髪を嘆き、それを歌にするとは、の思いで、男性への揶揄がある。「若さや凋落を嘆くのは女性ばかりと思っていましたが、お強く、見かけなどは女の気にすることと嘯く男性もそうでいらっしゃるのですか。」

11月26日

2005-11-26 00:39:20 | Weblog
白き息はきつゝこちら振返る       中村草田男

誰かを見送りに出たときのことだろう。見送られる人は幾分遠くまで去って行って、ふと後を振り返ったが、振り返りざまに、その人の吐く息が白くはっきりと見えた。白い息に人間の温もりがあり、その人との繋がりに、別れがたいような気持ちさえ湧いている。暖房の行き届かなかった時代、白息に冬の厳しさと人間の温みが感じ取れる。

11月25日

2005-11-25 00:38:46 | Weblog
ラガーらの影より抜けてジャンプする     守屋光雅

ラグビーは冬のスポーツ。選手らの体躯の猛々しさ、大地を鳴らしてボールを追う切迫のシーンを目の当たりするスポーツだ。この句は、冬の日が濃く差すグランドの影の黒い塊から、ボールを追ってすっとジャンプする瞬間を捉えて、躍動感にあふれる。ラグビーという激しいスポーツのナイスショットである。

11月24日

2005-11-24 09:37:34 | Weblog
われを包む冬の大気のどこまでも     脇坂公司

冬の道を歩いている。どんどんと歩くが、冬の大気は、その力を緩めることなく、薄くも濃くもならず、すっぽりと自分を包んでいる。この地上にいるかぎり、大気から逃れることはできないが、作者は厳しくもある冬に大気の包まれることに、自身の存在の確かさを感じているのだ。

11月23日

2005-11-23 00:52:38 | Weblog
行く馬の背の冬日差運ばるゝ         中村草田男

馬が目の前を通り過ぎて行く。荷を乗せない馬であろう。馬の毛並みに冬の日があたってつやつやと眩しいほどである。過ぎて行く馬の背中はつやつやと輝いているので、「冬の日差が運ばれる」思いが強くなる。馬の一定の足取りに歩みの足音さえ聞こえてきそうだ。

11月22日

2005-11-22 00:51:56 | Weblog
峠見ゆ十一月のむなしさに         細見綾子

草田男の句に「あたゝかき十一月もすみにけり」がある。草田男の句が、自身の心の在りようをはっきりとさせ、前進の意欲があるのに比べ、綾子のこの句は、十一月をむなしい月であったとし、不足の十一月となっている。十一月を生き、為したことのたむなしさに遠く峠を眺めているが、むなしさを埋め合わせるものがあるわけではないだろう。

11月21日

2005-11-21 00:51:16 | Weblog
バスこみあう中猟銃の長き直線       川本臥風

こみあうバスの中に、人の顔をよぎって猟銃の鉄筒が、まっすぐに伸びている。発砲するようなことはあるまいが、物騒である。これから猟に出かけるところであろうが、猟をする山の麓までは、市民の乗るバスで行かなばならない。こういった時代であった。乗り合いバスには、さまざまな風俗や、季節までもがある。

11月20日

2005-11-20 00:50:43 | Weblog
足袋裏を向け合うて炉の親子かな      臼田亜浪

炉辺に暖まる親子。くつろい伸ばした足の、足袋の裏と裏が向き合う格好になった。足袋の裏と裏とが、語り合うようで楽しい。家族のくつろいだいい風景だ。

11月19日

2005-11-19 00:50:12 | Weblog
蔦枯れて一身がんじがらみなり       三橋鷹女

鷹女にはほかに枯れ蔦を詠んだ「枯蔦となり一木を捕縛せり」という句がある。「がんじがらみなり」も、「捕縛せり」も枯れた蔦のすざましい力を言ったものだが、すざましいと言ってもどこか細さがあるのが女性俳句。枯れた蔦は、一身をがんじがらめにしている。見ようによっては、けなげさも感じさせる。

11月18日

2005-11-18 00:49:29 | Weblog
大き落葉すこしづつ地を吹かれ進む     川本臥風

大きな落葉は、プラタナスなどの葉であろうか。風が吹く度に、その位置を少しずつずらして動いていく。「吹かれ進む」の「進む」は、大きな落葉に意思を見た表現。吹かれる落葉の行方をしばらくは見ている静かな観照態度は、他方において鋭い観察眼であると言える。

11月17日

2005-11-17 00:48:37 | Weblog
ゆらぎつつ澄みつつ冬の泉湧く     吉田 晃

冬の泉が、澄んでいながらも動きあるものとして、律動的に詠まれている。

11月16日

2005-11-16 00:51:28 | Weblog
自転車の籠に立ちたる葱の白      碇 英一

真っ白い葱を買い、自転車籠の隅に、折れないように真っ直ぐに立てて入れる。買い物という何気ない日常にも、葱の清冽な姿が損なわれないように、という日本人らしい心がある。