去年今年貫く棒の如きもの 高濱虚子
「去年今年」の季語であまりにも有名になった句である。虚子は、客観写生を唱えたが、虚子自身は、大変主観の強い人間である。去年が今年となっていく時を「棒の如きもの」と主観の強さで把握した。太い棒のような時は、虚子の一貫した人間の太さや力とも言えよう。
「去年今年」の季語であまりにも有名になった句である。虚子は、客観写生を唱えたが、虚子自身は、大変主観の強い人間である。去年が今年となっていく時を「棒の如きもの」と主観の強さで把握した。太い棒のような時は、虚子の一貫した人間の太さや力とも言えよう。
身にまとふ黒きショールも古りにけり 杉田久女
防寒にショールをまとう。ショールは、防寒の用だけでなく、気に入ったお洒落なものをまとう楽しみもある。買ったときは華やかに身を包んでくれたショールも、年々使って古びてしまった。ショールが古くなることは、つまり自身から、若さや華やかさが失せることでもある。うだつの揚がらない田舎教師の妻として、境遇を思う悲哀がある。
防寒にショールをまとう。ショールは、防寒の用だけでなく、気に入ったお洒落なものをまとう楽しみもある。買ったときは華やかに身を包んでくれたショールも、年々使って古びてしまった。ショールが古くなることは、つまり自身から、若さや華やかさが失せることでもある。うだつの揚がらない田舎教師の妻として、境遇を思う悲哀がある。
許したししづかに静かに白息吐く 橋本多佳子
許しがたく憤ることがあって、昂ぶっていたが、考え、時間が過ぎてみると、次第に「許したし」の心境に落ち着いてきた。憤りを静めるように、意識して静かに吐く息である。寒い折、その息は白くなって、自分の目に、静まって行く気持ちが確かめられる。多佳子らしい感情が出ている。
許しがたく憤ることがあって、昂ぶっていたが、考え、時間が過ぎてみると、次第に「許したし」の心境に落ち着いてきた。憤りを静めるように、意識して静かに吐く息である。寒い折、その息は白くなって、自分の目に、静まって行く気持ちが確かめられる。多佳子らしい感情が出ている。
冬霧やしづかに移る朝の刻 谷野予志
霧に包まれた冬の朝の静かな時間を、作者自身の静かな行為の中で詠んでいる。霧が深く立ち込める情景は、空間も時間も動かないというほどに、「しづかに」動いているのである。
霧に包まれた冬の朝の静かな時間を、作者自身の静かな行為の中で詠んでいる。霧が深く立ち込める情景は、空間も時間も動かないというほどに、「しづかに」動いているのである。
足袋つぐやノラともならず教師妻 杉田久女
久女は女子高等師範学校を卒業した秀才であるが、絵描きの田舎教師の妻となった。夫の将来に夢を託していたが、凡々と暮らす夫に不満が募り、そうかといってイプセンの「人形の家」の主人公ノラのように家を飛び出していくこともせず、もんもんとして、足袋の破れをつぐような生活を送る日もあった。女性の自立を問う句であることに、今も変わらない。
久女は女子高等師範学校を卒業した秀才であるが、絵描きの田舎教師の妻となった。夫の将来に夢を託していたが、凡々と暮らす夫に不満が募り、そうかといってイプセンの「人形の家」の主人公ノラのように家を飛び出していくこともせず、もんもんとして、足袋の破れをつぐような生活を送る日もあった。女性の自立を問う句であることに、今も変わらない。
冬の海越す硫酸の壺並ぶ 谷野予志
船に載せられて運ばれる工業用の硫酸だろうが、硫酸とは、ただならぬ。その硫酸が壺に入れられて並べられているのを目にした。冬海が荒れれば、硫酸は壺のなかで揺れる。いかなる事件が待ち受けているかもしれない危険がある。そういったことを予測させて、ミステリーが始まるような鋭い句。
船に載せられて運ばれる工業用の硫酸だろうが、硫酸とは、ただならぬ。その硫酸が壺に入れられて並べられているのを目にした。冬海が荒れれば、硫酸は壺のなかで揺れる。いかなる事件が待ち受けているかもしれない危険がある。そういったことを予測させて、ミステリーが始まるような鋭い句。
図書室留守番
書を読むや冷たき鍵を文鎮に 中村草田男
「図書室の留守番」と前書きにある。図書室にだれも来ない時間は書を読むのにいい時間だろう。図書室の留守番の責任者として鍵をもっているが、どこへ掛けて置くでもなく、手元に置いている。すぐ司書係の教師がもどってくるからでもあろうが、木札などの付いた学校の鍵は書を読むときの文鎮として丁度よい。草田男の文学者らしい一面をありありと読み取ることができる。このような鍵の持ち方を見ると、普段は、つい鍵の置き場所を忘れるのではないかとも思ってしまう。
書を読むや冷たき鍵を文鎮に 中村草田男
「図書室の留守番」と前書きにある。図書室にだれも来ない時間は書を読むのにいい時間だろう。図書室の留守番の責任者として鍵をもっているが、どこへ掛けて置くでもなく、手元に置いている。すぐ司書係の教師がもどってくるからでもあろうが、木札などの付いた学校の鍵は書を読むときの文鎮として丁度よい。草田男の文学者らしい一面をありありと読み取ることができる。このような鍵の持ち方を見ると、普段は、つい鍵の置き場所を忘れるのではないかとも思ってしまう。
堪へてゐる冷えと歯痛とひとつになる 川本臥風
暖房が今ほどではないころは、冬の寒さは耐えがたい。しんしんと冷えてくる日など、歯痛が始まると、それをどう治めることもなく、だたひたすら耐えることに終始する。部屋に広がる冷えと歯痛とが、分かちがたい感覚として体にとらえられている。臥風先生にしてのみあることだろう。
暖房が今ほどではないころは、冬の寒さは耐えがたい。しんしんと冷えてくる日など、歯痛が始まると、それをどう治めることもなく、だたひたすら耐えることに終始する。部屋に広がる冷えと歯痛とが、分かちがたい感覚として体にとらえられている。臥風先生にしてのみあることだろう。
くらがりに傾いて立つ炭俵 谷野予志
谷野予志の天狼調と呼ばれる代表句である。「傾いて立つ」は口語で、口語俳句として完成度が高く、文語よりも口語であることにこの句の真価がある。また、一句一章としての名句でもある。くらがりに炭俵が立っている光景は、炭で暖をとっていたころには納屋などでよく見かけた。炭俵は使いかけると、口を開けて傾いて立っていた。物に即した句である。
谷野予志の天狼調と呼ばれる代表句である。「傾いて立つ」は口語で、口語俳句として完成度が高く、文語よりも口語であることにこの句の真価がある。また、一句一章としての名句でもある。くらがりに炭俵が立っている光景は、炭で暖をとっていたころには納屋などでよく見かけた。炭俵は使いかけると、口を開けて傾いて立っていた。物に即した句である。
誰か咳きわがゆく闇の奥をゆく 篠原 梵
闇をゆく自分のほかには誰もいないだろうと思いながら歩いていると、そうではない。自分の歩いていく道の先の真っ暗闇に咳をして歩いてゆくものがいる。咳がこぼれることによって、「闇に奥」が感じられた。仕事を終えて奥深い闇を帰る二人の男の距離に、都会市民の生活が見える。
闇をゆく自分のほかには誰もいないだろうと思いながら歩いていると、そうではない。自分の歩いていく道の先の真っ暗闇に咳をして歩いてゆくものがいる。咳がこぼれることによって、「闇に奥」が感じられた。仕事を終えて奥深い闇を帰る二人の男の距離に、都会市民の生活が見える。
広告塔かけのぼる冬至の夜空 川本臥風
冬至の夜空は、早く暮れてすでに真っ暗である。その夜空にネオンサインの広告塔がある。漸次点灯するネオンなので、光が夜空へかけのぼっているように見える。冬至という一年で最も昼間が短い特別な日の夜空であるので、漆黒の夜空に点る広告塔が生きもののようである。
冬至の夜空は、早く暮れてすでに真っ暗である。その夜空にネオンサインの広告塔がある。漸次点灯するネオンなので、光が夜空へかけのぼっているように見える。冬至という一年で最も昼間が短い特別な日の夜空であるので、漆黒の夜空に点る広告塔が生きもののようである。
冬菊のまとふはおのがひかりのみ 水原秋櫻子
冬菊の、ひかりのような静かなたたずまいが、全てを排して詠まれた秋櫻子の代表句のひとつ。寒気の中の菊の花は、その香りよりも花の色に心が留まる。みずからのひかりに包まれた菊が寂光土の花のように思える。
冬菊の、ひかりのような静かなたたずまいが、全てを排して詠まれた秋櫻子の代表句のひとつ。寒気の中の菊の花は、その香りよりも花の色に心が留まる。みずからのひかりに包まれた菊が寂光土の花のように思える。