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【中学歴史教科書8社を比べる】279  (21) 「蝦夷・蝦夷地・アイヌ」の描き方のちがい -3- <ⅲ 古代:実物コピー1/2> 

2017年08月23日 | 社会・文化・文明

(21) 「蝦夷・蝦夷地・アイヌ」の描き方のちがい -3-

ⅲ 古代 (縄文・弥生時代~平安時代終わりごろ) 

蝦夷(えみし) <ウィキペデア:蝦夷(えみし)>より引用

古代の蝦夷(えみし)は、本州東部とそれ以北に居住し、政治的・文化的に、大和朝廷やその支配下に入った地域への帰属や同化を拒否していた集団を指した。統一した政治勢力をなさず、積極的に朝廷に接近する集団もあれば、敵対した集団もあったと考えられている。しかし、次第に影響力を増大させていく大和朝廷により、征服・吸収されていった。

 蝦夷と呼ばれた集団の一部は中世の蝦夷(えぞ)、すなわちアイヌにつながり、一部は和人につながったと考えられている。

 蝦夷(えぞ)と蝦夷(えみし)とは連続性を有すると考えられてきたが、昭和に入ってから東北地方に弥生時代の稲作遺跡が発見されたことから、蝦夷(えみし)と蝦夷(えぞ)を、人種的にはともかく、民族的には区別する説が有力となった。

 「えみし」は朝廷側からの他称であり、蝦夷側の民族集団としての自覚の有無に触れた史料はない。蝦夷に統一アイデンティティーは無かったと解するか、朝廷側との交渉の中で民族意識が形成されたであろうと想定するかは、研究者の間で意見が分かれている。」

 

※ウィキペデアによれば・・・①「縄文人」が「和人」と「えみし」に分かれ、のちに、②「えみし」が「蝦夷(えぞ)=アイヌ」と「和人」に分かれ、「えぞ:アイヌ」はシベリアの北方民族と混血しながら独自の民族性を創っていった。

 つまり、現代の伝統的日本人のおおもとの祖先は「縄文人(※その元は4万年~2万年ほど前にアフリカ・ユーラシア大陸・東南アジアの諸島などから集まってきたヒトたち)」であり、後に海外からの渡来者を加えながら、「和人」「琉球人」「アイヌ人」に分かれたということ。そして、明治維新前後から再び”同化”していっしょになった。
(※遺伝子解析
により、その3者の遺伝子グループは、相対的に、世界の他の民族とはっきり区別できるそうだ。)

 

■実物コピー 1/2

【育鵬社】

 

自由社

 

 

【東京書籍】

 

【帝国書院】

※この記事の「差別」とはどんな意味だろう。まさか”現代的意味”…?!

 ヒト集団が出現したとき以来、《異民族間や、異集団間の”暴力的”勢力争い》 は世界中で普通に起きてきたできごとであって、決して「差別事象」とは言わない。(※「差別」という言葉は、近現代の「人権思想」から生まれたとても特殊な概念を表しているのだから。)

 

 

 


 

※以上4社の力の入れ方:歴史的価値の重みづけが、ずいぶんちがうことがよくわかる。

 

~次回、2/2~

<全リンク⇒ <(21)蝦夷・蝦夷地・アイヌ 277278279・ >


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