■まとめと考察
1 重要な鉄を、その当時、外国からの輸入に頼っていたのか、国内で生産していたのかのちがいは、歴史学では大きな問題だ。
ウィキペデア「鉄」によれば、弥生時代最後の300年間に国産化している。
したがって、育鵬社・自由社・清水書院以外は×(重要事項の未記載)とした。
※育鵬社・清水書院は、国産と明記してはいないが、「製造法」「つくる技術」が水稲とともに伝来したと書いてある。
したがって、ここでは、《技術の伝来後まもなく、技術の受容と使用が始まった》と解釈している。
2 「水稲の伝来」「大和朝廷」と同じように、3社(育鵬社・自由社・清水書院)対5社の構図になった。
3 日本と朝鮮半島との関係・・・水稲の項でも、5社ほどの記述に「朝鮮半島から」「朝鮮半島の人々によって」などという記述がとても目立っている。
しかし、最近の研究成果を見渡すと、どうも縄文時代のころから次のような可能性が高いようだ。
①九州北部と朝鮮南部は「水運による、壱岐・対馬を中心とした一体的な玄界灘文化圏(仮称)」のような地域だった。
②日本人(縄文人、倭人・・・)が朝鮮半島南部に進出していた。
≪古代における日朝関係≫は、各社の大きな相違点になっているようなので、次は、≪古墳時代(3-6世紀)の、日本と朝鮮半島・中国亜大陸との関係の記述≫について比べてみる。