ツチノコで頭がいっぱい

幼児期に目撃したツチノコにより、その存在を確信。35年間ツチノコ捕獲に情熱を注ぎ、今までに4度の目撃体験あり!。

―― ツチノコ遭遇談・その三 ――

2007-12-28 12:14:14 | Weblog
【イメージ画像の説明】
 
 既に資料を紛失してしまったが、そう古い話ではない。
 都内中野区在住のA子さんは、老齢にも拘わらず大の旅好きである。そのA子さんが飛騨の高山方面へ旅行に出かけた時のことだ。九月も半ばを過ぎたというのに、旅先で台風に出遭い二日も宿泊先の旅館に閉じ込められてしまった。しかし三日目の朝、台風一過の大空は眩しい日差しを投げかけてくれた。これに気を良くしたA子さんは、朝食前の軽い散歩でもと旅館を後にした。道端のあちらこちらに出来た水溜りを避けながら歩いているうち、こんもりと繁った樹木の間に石段があるのを見つけた。
 A子さんは神社へ続く石段だろうと興味を覚え登り始めた。苔むして今にも崩れそうな石段は幅1メートルほどでかなり急勾配だった。A子さんは足元を確認しながらゆっくり登っていたが、二十段ほどでしんどくなってしまい、大きく深呼吸をしながら石段の先を見上げた。すると、十段ほど先の石段の上に、杉なのか松なのか、丸太が転がっているのが目についた。
 近づいたA子さんは仰天してしまった。丸太だと思ったものは太く短い大きな鱗を持った蛇だったのだ。「これがツチノコという蛇なのか」と、A子さんは直ぐに得心したという。
 初めはどちらが頭か尻か分らなかったが、よくよく見ると目玉が動いている。反対方向を目で追えば、そこには身体には不釣合いな細い尻尾も有った。しかも、木漏れ日の当たっている部分は青緑色にギラギラと光沢を放っていて、胴体の太さは一升瓶のそれを遥かに上回っており、長さは石段の幅と同じ1メートルほどもあった。
 大人しそうなので走って逃げれば追いかけては来なさそうだが、どうせならもっと観察しようと胆を据えたA子さんは、そのツチノコの屯している石段の下の段まで近づき、そっとしゃがみ込んだそうだ。この態勢で両者の距離は三十センチほどに縮まったので、A子さんの観察は詳細を極める事になる。
 ツチノコは目が大きく目玉を動かし、呼吸すると胴体の上部から中央部分が少し膨らむ。首の部分は短いが皺が寄っていて、全体的な体色は暗緑色で所々に斑の模様が有る。顔は目が大きく、頭の辺りは太い皺が幾筋も有ってゴツゴツしている。鱗は松ぼっくりのようで、先端がやや尖っている。腹部は薄黄色としか分らなかった。
 
 その後A子さんは観察を中断し、ツチノコを跨いで石段を登り社に詣でたそうだが、帰りにはツチノコの姿は無かったそうである。
 
 この目撃談は今から八、九年前の未確認生物研究会の会報にダイジェストとして載せたが、地名、人名は明かしていた。だが、その会報も今は手元に無く、肝心なA子さんも何処かの介護病院に入られ安否さえ分らない状態だ。やはり資料の管理は徹底を期す必要が大である。
 

【南会津のA型】
 南会津の某村にはA型とB型がいると前述した。ここに住む安部三和子は縦40㌢、横20㌢ほどのB型ツチノコも多いという。彼女が見たものはA型のものである。トグロを巻いていのもいた。静かな晩には鳴き声も聞こえてくる。A型ツチノコの太さを通常の蛇に換算するなら3メートルをはるかに越えたものになる。頭尾が判然としないが、斜面を転がり落ちてきたばかりのものは両端が切り落とされたような断面を見せている。なぜかといえば斜面を縦になって回転しながら落ちるからだ。横になって転がると樹木など障害物に引っかかるから縦に転がり落ちる。この場合、頭尾が受ける衝撃は強い。だから頭尾を保護するために引っ込めている。
九州や福島にもA型は分布している。「ビール瓶のような形」という証言は特に中国地方、岐阜県南東部の山地でよく聞くが胴体から先の 頸部や頭部が極端に細く、胸部から腹部が太く、この部分の幅を20㌢という人もいる。頸部が6㌢なの に胴体はさしわたし20㌢もあるということである。胴体から尻は円筒形をなしているが、頭部がこれほど細く、体後部がこれほど太いというのだからビール瓶に例えられる。地色は褐色、紫に誓い褐色、枯葉色とさまざまに語られるが、紋様は縦に印されたものが多いとはいえこれも統一されたものではないようだ。ウロコの大きさは蛇の規模で小粒に見える。このA型ツチノコが非常に柔らかい体質をしているという印象は、さながら軟体動物のようで、骨格が認められないほどの動き方をする。
 これに似た生き物を探ってみるがどこにもいないわけで、あえて大きさの違いを問わずに挙げてみるなら蛭だろう。上下運動での移動、垂直に立ち上がるなど動きが似ている。だからといってA型に骨が無いというわけではない。骨は伸縮自在の動きをするのに支障の無い細さだろう。
 三種類のツチノコ(A・B・C)がいると、僕は著書の「ツチノコの正体」に書いているが、ビール瓶型のツ チノコを麺棒形のA型に入れている。明証あってのことではないが、これを納得できないという人もいるだろう。麺棒形への変形は極端だということだろう。
 岐阜、兵庫、広島、滋賀で採った証言ではビール瓶形をしていたやつが棒で突いたり、石を投げたりして急に麺棒形になったというのがある。僕はB型を何度も見ているがビール瓶の形をしたのは見ていない。したがって断定できることではないが、一方では複数の証言も不問にはできない。この生き物の柔軟性を重視するならビール瓶形が変じて麺棒形になるという変形は茶飯事のことではないかと考えたりする。これをもってビール瓶形がA型だと仮定してみる。
ではなぜ頭や首が細いのかということだ。これには細くならねばならない理由があるはずだ。ツチノコが同じ地中動物として日不見(ミミズ)や土竜(モグラ)を捕食しているのは確かなことだが、何と言っても主食としているのはハタネズミである。探索の山歩きでハタネズミのトンネルをよく見るが、どれも坑道が小さい。ツチノコは全身を細くしてこれに潜り込むこともするが、前半身だけを細くして首を突っ込んで野ネズミを漁ることもする。このやり方が普通のことかも知れない。だから頸部や頭部が細いということである。自分は見ていないが目撃者もいるとなれば変形の不審が仮にも解けてくる。証言者は状態は麺棒形だったという。つまり餌を獲るときだけ前半慎を細くする。

 次のような体験がある。
岐阜山中の集落での体験だが、茶畑に沿って6㍍ほどの石垣があった。胸の高さで、石垣から萌え出る草に載って一匹のツチノコがよく昼寝をするという。現場を見て捕獲はたやすいとみた。とりあえず三個の筌にネズミを二匹ずつ入れて石垣の下に置いた。二時間ほど昼寝して筌を見てみると、六匹のネズミが例外なく筌の中で頭を食いちぎられていた。ヘビではない。イタチでもない。ハクビシンやアナグマでもない。筌に全身を入れてしまえば出られなくなる。これを首だけ伸ばすA型ツチノコの仕業と断じたのだが、この判断は間違っていないと今も思っている。この茶畑は直後の土地改良で土に埋まってしまったが、ツチノコは棲家から逃げない習性があるから埋められたのだろう。残念である。

【犬より大きな怪物】
 高橋賢吾氏が郡山市に移り住んで一年が過ぎたが、あいかわらず旅が好きな様で暇をみては県内のあちこちを走り回っている。高郷村の民宿に泊まったおり、そこの親父さんから聞いたというツチノコの話を電話で知らせてくれた。よくある話とはいえ近日の事件であるから紹介する。
 高郷村といえば猪苗代湖の北方にあって只見川のほとり、僕は行ったこともないが名前だけは知っている。喜多方の近くといえばおよそその方角がわかるだろう。福島には良く行ったが、高郷村より只見川に関心があった。ツチノコの生息地がたくさんあるだろうと想像していたからだ。
出現現場は只見川に近い葦の茂った湿地で六月の午前十一時ごろ。民家から百メートルも離れていない。その生き物の太さは湯を沸かす大型ポットほどで長さが約六十センチ。連れて歩いていた犬が気づいたが、葦の根元から顔だけ出してこっちをにらんでいる。蛇だと思っていたが、これほど頭が大きければ大蛇に違いないと恐ろしくもなった。飛びつかれて巻かれてしまうというわけだ。犬は小型のものだが大音声出して飛びつこうとする。親父さん犬を叱って引き寄せる。格闘になれば勝敗は明らかに思えた。
敵の胴体は犬の倍の太さで呑み込まれそうだ。こんな近くにこんな怪獣が居るとは信じられんことだった。こっちに向かって飛び出して来たから思わず身構えた。ところが反転して葦の茂みに滑りこんだ。それで全体の姿が見えた。太いのに体長がないので意外に思う。これがツチノコだと解かった。長い時間を見た訳ではないが、およそ次の様に語った。
手足が無くて太くて短い胴体。蛇の様な顔。その顔が凹凸している。鱗がゴツゴツした感じ。頭の鱗は特に広い様で陽に光っていた。眼が動いて不気味であった。赤く大きな口で犬を威嚇していた。小粒ながら丈夫そうな歯が並んでいた。牙は無かった。全身が泥で汚れていた。そうでないところは光っていた。そいつが退散する時に、尻の方は地面に吸い付いた様に動かず、胴体をひねって頭の方を先に葦の茂みに隠れた。高橋氏は茨城で目撃体験があり、この動物のことをそれなりに知っている。それがツチノコであることを宿の親父さんに明言したそうだ。只見川周辺の目撃者はほかにもたくさん居るそうである。

【三春のツチノコ】

 三春町と言えば郡山の東にある城下町。かつて三春駒の馬町、今は玩具の三春駒、それに三春滝桜は有名である。僕も二度ほどこの町を素通りした。城下町のことで細い道が曲折している。これも城下町の名残、独特の鄙びた風情は福岡の秋月に似て魅力があった。秋月もまた城下町、福岡藩の支城のあったところ。三春、秋月ともにいい地名である。秋月には馬見山、古処山とツチノコの噂にこと欠かない。 三春の里もそうだ。五年ほど前の話だそうである。
炭焼き稼業の某が麓の細道をたどっていると大風が吹くような音がしてきた。うろたえていると眼の前をウサギが横切り、後ろからススキを分けて巨大なツチノコが飛び出してきた。太さを言えば電柱ほどあり、長さが一メートル、愕然として見たが、そいつが通った跡を見ればススキが割れたままになっている。某は恐れをなして二度とそこを通らないという。
 これと全く同じ体験をした人が秩父にいる。この人は農業をしているが、やはり大風が吹くようなススキのざわめきに驚いて立ち止まる。ウサギが飛び出し、これを追いかける巨大ツチノコが背後を飛んでいった。ツチノコが通った跡はススキが割れていた。この地の伝説にも似た様な話がある。福島の中通りと会津地方はツチノコの多いところだ。小犬が呑まれたとか、草刈りでツチノコを切ったとかいう事件は拙著「ツチノコの正体」=三一書房=に書いてある。
 三春町の隣に船引町がある。ここの小石沢源光氏は製縫会社の重役ながら実家は農家である。所有する休耕田と野山を開発して(縄文の里)をやっているが、もとよりのこあたり縄文土器が露出している。見たところ荒野に等しい環境で家は一軒もない。小高い山があり池もある。なだらかな斜面に休耕田が三枚もある。出土する土器を見れば確かに縄文文様が印されている。当時の人たちがここで生活していた痕跡。今とは地形も環境が違っていただろう。ただ現代人の常識からすれば居を構えるところではない。
 荒野の開発には多数のボランティアが参加した。女性が多いのだが、草を刈っていると奇妙な蛇が何度も現れ、その度逃げ出した。太くて短い蛇であるが、普通の蛇でないといって驚く。どんな蛇かと絵に描いてもらったら、A型ツチノコであった。この種のものは寒冷地に多く、ヘチマや青首ダイコンの形をしている。栃麺棒ともいわれる。腕の太さをしていながら長さが一メートル足らず。蛇なら三メートルはなければならない。ヤマカガシの奇形とされるが、奇形のものは沢山発生するものではない。蛇形をしてなくて頭部も体後部もおよそ同じ形をしていて顔面の造作も大きい。冷静に見れば蛇とは形相が異なっているから分かる。蛇行をせずに動き斜面を転がってくる。小石沢氏は(尻尾の無い蛇)といったが、無尾蛇と呼ぶ人もいる。蛇の様に尻尾が先細りしていないから前後が同じ太さになり尻尾が無いという事になる。それでも蛇という概念から抜け出せないのは何も彼だけではない。多くの人が蛇の脊族だと思っている。
 「妙な蛇がいると噂されただけでも人は来ない」と心配する。逆じゃないかと僕は思った。あちこちでツチノコを観光資源にした町村もある。呼び物にしても良いという事である。(ツチノコの里)というサブタイトルもいいと思ったが、ここでは通用しない。みんなが恐ろしがって逃げるという事情であれば僕の考察を押し付ける訳のもいかない。

 という訳で、また次回をお楽しみに!

★ 以前、このブログで告知いたしましたアンビリーバボ出演の件ですが、未だにON AIR日の連絡が有りません。撮影は終えているのでボツだったら落胆ですね。そのうち連絡が来るであろう事を待つしかありません。尚、来年1月から放送される関西テレビの深夜枠に、我が未確認生物研究会の名誉会員である滝沢博氏が出演してツチノコの薀蓄を語ります。多分、1月中旬の月曜日に放送だと思いますので、関西在住の方は是非ご覧下さい。(詳細は後日)

■ お知らせ ■
ツチノコのDVDが付録にセットされた「未知動物の特集本」が発売されます。発売は2月10日頃で、全国の「セブンイレブン」で4万部の限定販売です。その中で私の談話や山形で撮影された「死骸写真」も登場しますのでお楽しみに!

※ツチノコに関する御意見をお待ちしております。できればブログへのコメントでなく、下記のメルアドへお願い致します。遠慮なさらずジャンジャンご質問して下さい。情報の出し惜しみは致しません!

※ zero1995zero@ybb.co.jp

※ ツチノコ関連の画像は下記のYAHOOフォトからお願い致します。

         http://photos.yahoo.co.jp/yrbyg995


―― ツチノコ遭遇談・そのニ ――

2007-12-25 03:16:33 | Weblog
【画像の説明】

 大昔、中国の竹林で阮籍、元咸、嵆康、王戎、向秀、山濤、劉伶という七人の賢い人が、世の中の薀蓄を語り合ったと言う。後世の人たちは彼等を竹林の七賢とか、竹林の七賢人と呼んだそうだが、この七人の衆はどうして竹林の中で蚊に喰われなかったのか疑問である。と言うのも、私はツチノコ探索で竹林に足を踏み込む度に蚊の猛襲を経験している。だからこそ疑問に思うのである。もしかしたら、特殊な香を焚いたのか、または団扇で追っ払っていたのか、それとも蚊帳を吊っていたのだろうか。兎に角、竹林の中は藪蚊が多いのである。しかも、竹林だけにチクリンと刺してくる。
 冗談はさて置き、竹林内に放置されているタケノコには毎度驚かされるものだ。画像でご覧になってお分かり頂けるように、ツチノコとタケノコは発音も似ているが、その姿形もよく似ているのだ。このツチノコのそっくりさんが薄暗い竹林の中に無言で横たわっている様は、将にツチノコそのものなのだ。だから何度も胆を冷やし心臓を痛めた経験がある。特に1年前に放置され干乾びたタケノコは最悪だ。兎に角、ツチノコ以上にツチノコらしい風格だからである。皆さんもツチノコ探索で竹林の中へ赴く時は、心の準備を整えるようにして下さい。

☆以下の話は、我が「未確認生物研究会」の会報に載せたものであります。

【海田氏が見たツチノコ】
 岐阜の馬瀬川といえば下呂温泉の近くにあって鮎の多い渓流。恐らくあちこちを釣り歩いた山本素石さんの事だから、この谷川にも入ったことだろう。ここで鮎釣りをやっていてツチノコを目撃したという海田潔史氏の体験は、渓流釣りでつながる素石さんに似ている。海田氏も素石さんの愛読者である。もっとも彼の場合は跳びつかれたわけではなく、ツチノコは忍者のごとく姿を消したのである。僕はツチノコが水の近くに多く棲み、渓魚をも捕食していると指摘してきた。海田氏の体験もそのことを示唆している。海田氏から次のような内容の手紙を頂いた。
「ツチノコの正体」を本屋で見つけて深い感動を覚えた。この本はオリジナルにあふれて優れた作品だと思う。とくにツチノコを追いつめるシーンは何回も読み返した。(著者の僕は過分な評価を頂き恐縮している)
 この本を読んで不思議な懐かしさを覚えたが、それというのも若いときから山本素石氏の熱烈な読者であったからだろう。
私は20代の頃から30年間渓流釣りを趣味としているが、素石さんが書いているツチノコというものに出合ったことはなかった。ところが2000年8月26日の釣行でついにこれを見た。馬瀬川で鮎の友釣りをしている時の事だった。竿先の岩の間に見たこともない生き物が居るではないか。見えたのは尻と尻尾の部分だが、岩と岩との間にヌルリと落ちて行くのをこの眼ではっきり見た。竿の長さが9メートル、その長さの半分以下だから、そのものとの距離は3メートルぐらいだと思う。体色は黄色に近い明るい茶色に見えた。その時は鮎のことで忙しく、落ち込みの向こうを少し確認したぐらい。なぜそれ以上追わなかったかと悔いを残すことになった。
 太さはビール瓶ぐらいで、形を言えば(手嶋蜻蛉氏のいう)B型ツチノコにあてはまる。ほかに考えられる生き物としては川鼠だが、足らしいものは全く見てとれなかった。もし川鼠なら、あの姿勢から落ち込みに入る為には後ろ足で流れを蹴るはずである。
まもなく渓流釣りが解禁になるが、これからはツチノコの巣穴探索という新たな楽しみが加わり待ち遠しい。もっとも、ここ3年ぐらいは釣り4分に山菜4分、残りが温泉という釣りを楽しんでいる。


【石川さんのこと】
 石川実撥彦(におひこ)氏は葛飾亀有にあって長年河童の研究をなさっている。全国の河童産地を歩いているだけに、流石な見識をお持ちである。(河童連邦共和国・利根川村・村民)とあるのは愉快である。旧聞に属するとはいえ、尊父から加波山でツチノコとの出会いを聞かされたことがあると言う。
加波山(かばさん)は標高709mの山。茨城・真壁町にあって明治17年の(加波山事件)で有名である。加波山信仰というのがあり、尊父はこの山に籠って修行に励んでいた。毎年の夏、同志と連れ立ってのことである。下山の途中、丸太のようなものがあり、これを跨ぐと動き出し、大口開けてそいつが襲い掛かってきた。一同驚いて逃げたが、暫く追いかけてきた。「加波山に棲むツチノコであろう」と石川氏は言う。
この話を下館に住む未生研会員の堀米浩樹氏に話すと、加波山の麓にある神社は奥方の実家であるという。あの山は樹木繁茂していて奥に入ったことはないという。そんな事なら、今もツチノコが居るんじゃないかと僕が言った訳だ。それにしても、茨城県南部は平野になっているがツチノコの多いところである。すると県北の山地で伝え聞くツチノコの数はよほどの事だと想像する。

【福島さんの情報】
 秋田市の福島彬人氏と言えば、日本でも有名な蜘蛛の研究家である。そればかりでなしに、多岐に渡る学識の博さには敬服している。僕は氏の記事や著書を愛読している。福島氏はツチノコの実在を信じている一人だと自らおしゃっている。ある時郊外の山に蜘蛛の観察に出かけた折に、ツチノコが体をかすめて跳んだという。ツチノコに「跳びつかれた」と解釈してもいいのだが、そのように云わぬところに冷静で沈着な氏の人柄が伺える。故意か偶然か、跳びつかれたというのは山本素石氏の事件に似ている。「チチッ」と鳴いたというのも共通している。
素石氏の場合は威嚇の声を発して明らかに「跳びついて」きている。だが、ツチノコが衝突してきたのではない。至近から跳んでいながら、ぶつかることなく足元に着地している。興奮したのが地面から威嚇の声をあげて再び跳びかかろうとした。素石さんは逃げる様にその場を離れた。多くの場合、ツチノコは(チチィ、チチィ)という声をあげるが対象物にはぶつかっては来ない。鳴き声を聞きながら眼の前を何かが跳んでいったという、呑気な話も数例ある。跳ぶツチノコの速さを眼が捉え切れなかったという事だろう。
飛び立つ山鳥と思った例もある。ぶつかってこないのは何故かという疑問を持つなら、途中で軌道を変える事や、あらかじめ標的との間隔をすれすれに計って跳ぶという事や、標的が大きければ威嚇に留める判断をしたというのが答えになるだろう。このことは蛇と違ってツチノコは眼が発達しているという証拠になる。
鳴いて跳ぶというのは威嚇の為だとも言ったが、それなら福島氏の場合も(跳びつかれた)とみる事が出来る。もっともツチノコは山の中を移動するのに転がるだけでなく、頻繁に跳んでいる。斜面を下がる時は転がるが、上がる時は跳ぶ。山でツチノコに出会ったら上に逃げろ、下に逃げると転がって来て咬まれると古人は教えている。逆である。上に向かって跳ぶのは驚くほど速い。餌を追いかける時も跳ぶが、こんな時に一々鳴くはずがない。「チチィ」と鳴くのは襲撃の時に限られると思う。
毎度のことながら、福島氏からツチノコの情報を頂いた。福島県のある村に住む阿倍三和子さんを紹介してくれた。氏の薦めもあって阿倍さんに連絡しておいた。ここのツチノコは近くの畦道や畑に良く出ているという。目撃者も多数いるという事だ。太くて短い。褐色の体色はやや黒く見える。鱗の背中が鰐のよう。尺取虫の様に動く。頭と尻尾が無いように見えることがある。横歩き(横すべり)をすることもある。これほど特徴を述べられれば、即座にツチノコと断じるにははばかりは無い。
 阿倍さんにツチノコが出る環境や見たものの姿や形を描いて送って頂く様お願いした。早速返事を頂いたが、数葉の写真を見るとツチノコが出るところはほとんど平野で、但し、ススキの密生したところである。未生研・28号の会報の表紙にこの写真を使っている。阿倍さんの所に一度おじゃましたいと願っているが、体調悪く未だに出かけていない。南会津の方だから、高速を走れば三時間足らずの道程である。福島には何度も出かけているが、会津方面は殆ど行っていない。兵庫や三重、山形などに較べれば近い。北の高郷でも出るということで、しかるべき時期に両方を調査しようと神佑輔氏と話してはいるのだが、未だ思いを果たせずにいる。

■福島彬人氏の「ツチノコ夢幻」のURLは下記です。ご一読下さい。

  http://akita.cool.ne.jp/itoyuu7/html2/mi01.html 


 という訳で、また次回をお楽しみに!


■ お知らせ ■
ツチノコのDVDが付録にセットされた「未知動物の特集本」が発売されます。発売は2月10日頃で、全国の「セブンイレブン」で4万部の限定販売です。その中で私の談話や山形で撮影された「死骸写真」も登場しますのでお楽しみに!

※ツチノコに関する御意見をお待ちしております。できればブログへのコメントでなく、下記のメルアドへお願い致します。遠慮なさらずジャンジャンご質問して下さい。情報の出し惜しみは致しません!

※ zero1995zero@ybb.co.jp

※ ツチノコ関連の画像は下記のYAHOOフォトからお願い致します。

        http://photos.yahoo.co.jp/yrbyg995



―― ツチノコ遭遇談・その一 ――

2007-12-23 14:45:56 | Weblog
【画像の説明】
 
 ツチノコVSネコの話は各地にあるようだ。「果たして戦いの勝者はどちらか?」という疑問が起きて当然である。しかしながら、ツチノコが勝ってネコを丸呑みにしたとか、ネコが勝ってツチノコを食ったなどという話は聞いた事が無い。お互いに猛々しく威嚇し合いはしても、何故か本気で闘おうとしないようである。
 過去に、大きなネコがツチノコを口に咥えて歩いていたという目撃談もあるが、その時のツチノコはまだ子供のようで20センチ程だったという。もしこれが逆で、大きなツチノコが子猫を見つけたら、間違いなく丸呑みにするはずだ。そう考えるとツチノコもネコも、自分と同等の大きさの相手は攻撃しないのではないだろうか。その体格のバランスがどちらかに片寄った時、戦いを仕掛けると考えていいようだ。
 
 
■以下の二件は、私の属する「未確認生物研究会」宛に届いたツチノコ情報です。

【遭遇体験談・Ⅰ】(広島市・池田正規)

淡路島にツチノコがいるということだが、瀬戸内には似た様な島が沢山ある。原生林だらけの島もある。神聖な島もあり禁断の島もある。こんな島にツチノコがいるのではないかとよく思う。僕が故・祖父から聞いたツチノコの噺は小学六年生の時である。瀬戸内ではなく比婆山脈の方である。ヒバゴンで有名なところだが、ツチノコも結構いる様だ。
夏の暑い日に祖父が家の横(本人はそういったが正確には納屋の裏)の畑で草むしりをしていると、ガア、ガアという声が離れた藪の中の二カ所から聞こえて来た。鳥の泣き声と思っていたが、良く聞けばこんな鳴き声を出す鳥は知らない。双方で鳴き続けるので気になった。立ち上がってみると、前方の薩摩芋の葉っぱが動いてキラキラしたものが現れた。これが垂直に立ち上がると太い蛇だった。藪の方へピョンと跳んだ。太いくせいに短い。すると藪の中から同じ大きさをしたのが這い出てきて、二匹は頭をひねった様にしてじっと見つめ合う。ツチノコだと分かったが、五㍍の距離でじっと見つめ合っているから(このやろう)と叫んで土を投げつけた。すると畑のやつが跳ねて藪の中に飛び込んだ。もう一匹の方も後を追うように飛び込んだ。雄と雌のように思えた。
祖父もツチノコがいるとは昔から聞いていた。そのあと何回も見ているが、大きさは一升瓶くらいしてたという。今も鳴き声は聞くが、姿は見たことがない。

※ 淡路島では昭和50年頃にツチノコ目撃談が相次ぎ、やがてその騒動は尻つぼみに消えてゆきました。しかし、近年でも目撃は続いているようです。


【遭遇体験談・Ⅱ】(さいたま・大月明)
前略 手嶋会長「ツチノコの正体」を拝読しました。
小生、さいたま川口市と栃木県那須郡とで交互の生活をしています。ツチノコに関しては以前から大変
興味を持っています。実は昨年(4月20日)と一昨年(日付不明)の二回にわたり那須で正体不明の鳴き声(ギヤッ)というのを聞いています。
その後、姿も見ましたが、胴体の半分(約20㌢)ほどです。体色は杉の枯れ葉色でした。ビールびんより若干太めで蛇に似た外皮をしていました。この体験を土地の者に話したところ(蛙かイタチだべ)というのです。そこで山中生活の長い友人に聞いたところ(蛙はそんな速く竹薮の坂を上がれない。イタチは人の歩く所にいつまでもいない)という見解です。しばらく忘れていましたが、この度「ツチノコの正体」を読みまして間違いないと確信をもちました。そんなわけでお手紙した次第ですが、つきましては「未生研」入会の方法を教えていただき、資料等を送って頂く様宜しくお願いします。

追伸 那須の奥地での一人生活ですが、熊、蛇、雀蜂などが出没しています。いま、さいたまに居ますが、近日中に那須へ一ヶ月ほど出かけてきます。


という訳で、また次回をお楽しみに!


■ お知らせ ■
ツチノコのDVDが付録にセットされた「未知動物の特集本」が発売されます。発売は2月10日頃で、全国の「セブンイレブン」で4万部の限定販売です。その中で私の談話や山形で撮影された「死骸写真」も登場しますのでお楽しみに!

※ツチノコに関する御意見をお待ちしております。できればブログへのコメントでなく、下記のメルアドへお願い致します。遠慮なさらずジャンジャンご質問して下さい。情報の出し惜しみは致しません!

※ zero1995zero@ybb.co.jp

※ ツチノコ関連の画像は下記のYAHOOフォトからお願い致します。

http://photos.yahoo.co.jp/yrbyg995


―― ツチノコとネズミ ――

2007-12-21 17:32:07 | Weblog
【画像の説明】
 
 来年の干支は「子」である。つまり、ネズミはツチノコの好物だ。あのプクプクとしたネズミたちは、ツチノコの栄養摂取には欠かせない淡白源なのであろう。当然、山野でネズミの多い地域はツチノコの棲息を念頭におくべきである。ところが、このネズミたるや日中はなかなか姿を見せない。夜ともなると雲霞の如く現われるくせに、お天道様の出ている間は穴の中に隠れている。そのため日中は、ネズミの巣穴の多寡で凡その数を推定するしかないのである。
 夜間、赤外線を使った暗視ビデオカメラを添えておくと、最も多く写し込まれるのはネズミ族である。群れをなしてカメラ前に出現する事もしばしばだ。勿論、カメラ前にはネズ公の好きな米やお菓子等をばら蒔いてある。これは、集まったネズミを狙ってツチノコが姿を現すであろうという目論見だが、未だ嘗てツチノコが写ったことはない。こんな作業を半年近く連日のようにくり返したその経費は、小粋な自家用車の一台分ではきかなかったはずだ。
 ある時、回収したビデオテープを見ていると、モニター画面の下を黒くズングリした生き物が通過した。固唾を飲んで見ていると、そいつは一旦フレームアウトした後、突然また姿を現した。なんと、肥満してツチノコ型になった野ネズミだった。その時に私は思った。こんなに肥満するというのは、ここらに天敵となる生物が存在していないからだ、と。
 以来、暗視カメラに大型のネズミの写り込みが確認されると、現場移動をするようになった。これからも夜間撮影は続けたいと思うが、ツチノコが常食とするネズミの発育状況の観察も作業に含まれてしまい、負担が増えた事を歎く今日この頃である。

【肥料小屋のツチノコ】

 夏の月夜の萱原では、カヤネズミを捕食しようとジャンプするツチノコを見かけるというが、まだお目にかかったことは無い。それもそのはずで、夜の萱原に分け入ってツチノコの登場を待ち受けたにしても、あの広大な原っぱの何処に姿を現すか分らないのだから見れなくて当たり前だ。
 
 土浦の田村町に探索へ行った或る日、ツチノコを目撃した直後の方にお願いして現場へ案内して貰って事が有る。その方は目撃現場のすぐ傍の土手を指差して「あの土手にツチノコの巣穴がある」という。確かに、直径7,8cmの穴が幾つか確認できた。ところが、二箇所の穴の中にはヒキガエルが鎮座していたのだ。ツチノコの好物の一つであるヒキガエルが穴の中に棲んでいるということは、ここらのツチノコはもっと美味い物を喰っているという事になる。では、その美味い物はなんだろう、そう思って辺りをうろつくと肥料小屋が目に止まった。
 中を覗くと人工肥料以外に天然肥料も置かれている。腐敗してはいたが、サツマイモや栗の実、蓮根や豆類の出来損ないが一堂に会していたのだ。植物といえども栄養価の高いものは多い。この肥料小屋はちょっとした食糧供給源である。これをネズミが見逃すはずはない。案の定、肥料袋は何物かによって食い千切られている。犯人は自ずと知れたネズ公である。土手のツチノコはヒキガエルなど目もくれず、肥料小屋のネズミを捕食していたのだ。
 ただ残念な事に、肥料小屋の裏手は湿気の多い藪になっていて蚊が多い。五分もすると薮蚊の大群に襲われボコボコにされる。それでも防虫ネットで顔を覆って張り込んではみたものの、蒸し風呂のような暑さと鼻をつく腐敗臭に根負けしてしまう。この厄介な代物の対処法さえあれば、この肥料小屋は最高の探索対象となるであろう。それともなければ5月初旬か9月下旬といった、期間限定の探索も面白そうだ。
 来春、土浦へ行った折は必ずこの肥料小屋を重爆しようと、今は策略を練りこんでいる。

【飛び出てきたツチノコ】

 詳細を失してしまったので粗筋ということになる。
 某県での出来事だ。Aさんご夫妻はハイキングに出かけた。小高い丘の上に手頃な草むらを見つけたご夫妻はそこにレジャーシートを広げ、持参したお弁当を食べ始めた。久々のハイキングに会話も弾み五分ほど経った時、シート端がガサガサ音を立てたかと思うと、突然小さなネズミが二匹も飛び出してきた。ネズミは芝生のような草の上を全速力で走って行った。すると、再びガサガサとシートノ端が音を立てると同時に膨らんだ。驚いて見詰めているとシートの下から異様な生き物が顔を覗かせ、程なく本体を現した。黒光りした太くて短い蛇で、削ぎ落としたような胴体の端からネズミのような尻尾が生えていた。
 「ツチノコだ!」と、二人同時に叫んでいた。そのツチノコは逃げ去ったネズミの行方を確かめると、猛烈なスピードで後を追って動き出した。その動きはまるでシャクトリムシのようで、あっという間に藪の中に姿を消したという。暫し呆然と見詰めていたご夫妻だったが、我に返ったご主人がシートを捲り上げたところ、直径4、5センチの穴が開いていたそうだ。ところが、出て来たツチノコはその穴の倍以上の太さが有ったというのである。お二人はツチノコの存在よりも、その方が不思議だと語っておられた。

 このような内容の体験談だったと思う。それにしても、腰を降ろしているシートの下からツチノコが這い出て来るというのは些かショッキングな話である。心臓の弱い方ならその場で発作を起こしてしまうだろう。ご夫妻の驚きは尋常では無かったと想像できる。
初めに飛び出してきたネズミの種類は特定困難であるが、ツチノコはネズミの利用するトンネル内に入り込んで捕食活動をしている事が伺える貴重な体験談でもある。これでツチノコとネズミは食物連鎖上、切っても切れない関係である事はお分かりいただけた事と思う。

 いやはや、今回の内容をもっと増量したいのでは有りますが、如何せん明日から舞台稽古の始まりです。しかしながら、まだ半分しか台本執筆作業が進んでおりません。今夜は徹夜で没頭いたしますため、本日は此処までと致します。
 尚、次回から暫くは「ツチノコ目撃談」を集中掲載いたそうと思います。引き続きアクセス下さりたくお願い致します。ではでは。

■ お知らせ ■
ツチノコのDVDが付録にセットされた「未知動物の特集本」が発売されます。発売は2月10日頃で、全国の「セブンイレブン」で4万部の限定販売です。その中で私の談話や山形で撮影された「死骸写真」も登場しますのでお楽しみに!

※ツチノコに関する御意見をお待ちしております。できればブログへのコメントでなく、下記のメルアドへお願い致します。遠慮なさらずジャンジャンご質問して下さい。情報の出し惜しみは致しません!

※ zero1995zero@ybb.co.jp

※ ツチノコ関連の画像は下記のYAHOOフォトからお願い致します。

        http://photos.yahoo.co.jp/yrbyg995


--― ヤマカガシの秘術 ――

2007-12-17 21:18:46 | Weblog
【画像の説明】
 
 遠い昔、画像のような出来事が有ったのではないだろうか。
 いかなるご時世に於いても、人を殺傷する目的で武器を持ち歩けたのは戦いを生業とする者だけである。もし、野山で大蛇と遭遇したら武器を持たない民百姓は逃げるか食われるか、そのどちらかであったはずだ。まさか素手で戦いを挑む者がいたとは思えない。
 逆に、武器を持っていれば百人力の勇気を得て、大蛇に立ち向かうのはあまりにも当然であり、江戸時代には武器を使って大蛇を退治した事例は幾つもあるのだ。更にそれ以前に遡ると、大蛇退治は民話となってその数を増すのである。
 近年になってからの報告でも、大蛇と遭遇した際に銃を発砲し撃退した例や、農機具によって刺し殺したという例が幾つもある。中には、写真入で大蛇退治を報じた新聞記事さえあるのだ。このように、大蛇といえども文明の利器には歯が立たないのである。
 ところが、とんでもない術を駆使して人間をも喰らおうとする、ふとどき千万な大蛇もいるのだ。

【ヤマカガシの毒】

 ヤマカガシが有毒蛇に指定されてから、まだそれほど年を経ていない。昔は、沖縄を除く日本国内の毒蛇はマムシだけであった。それがいつの間にかヤマカガシが台頭し、その毒性はマムシのそれよりも強烈である事も浮上してきたのである。いうなれば、ヤマカガシは知られざる危険生物だった訳だ。そのヤマカガシが、自らの毒を利用して奇妙な術を使うのである。

 「春香の術」をご存知でしょうか。そう、忍者の使うあの術です。
 ご存じない方のために説明いたしますと・・・その昔、忍者が用いた術で、人体の機能を麻痺させる有毒な粉を風上から散布し敵を眠らせるという術である。おそらく脳神経を麻痺させるような成分を用いたものと思える・・・というものだ。
この「春香の術」と同じような術を、ヤマカガシは蛇のくせに体得していると言ったらどうでしょう、俄かには信じられない方が多いのではないでしょうか。その技を簡単にご説明しよう。
 
『ヤマカガシという蛇は、毒牙を利用して獲物を仕留める以外に、興奮すると頭部から毒液を出す事でも知られていて、その滲み出た毒液は風に乗ると空中に漂い、獲物の鼻腔内で猛威を発揮するのである』
 
 フィールドワーク中、ヤマカガシがじっとカエルを睨んでいる光景を目にする事がある。観察していると、散布された毒を吸い込んで朦朧としたカエルは、自らヤマカガシの方に近づいて行きパクリとやられてしまう。これこそが「春香の術」であり、その恐ろしき効果なのである。
 もし、大型のヤマカガシが人間様に対してこの術を使ったらどうなるであろうか。結果として、嘔吐、食欲不振、汗の湧出、目眩、幻覚という、薬物乱用者の断末魔に似た状態が待ち構えているのである。とどのつまりは、床に伏せったまま体力を消耗し廃人のようになるか、最悪はそのまま冥土へと旅立つ運命になるのだ。これは冗談ではない。過去、大蛇に遭遇した多くの人々から得たデーターが、それを顕著に物語っているのだ。

 大蛇目撃者の多くは、ショックによって寝込んでしまう。しかし、数日経っても回復しない場合はその原因を考えるべきで、先ず検討すべきは大蛇の種類である。これがヤマカガシであったら体内に潜伏した毒素の抽出をすべきなのだ。
 しかし今現在といえどもヤマカガシ毒への認識は薄く、私が声を大にしてその危険性を叫んだところで無意味であろう。そして寝込んでしまった目撃者の回復が見込めなくなると、「祟り」や「罰」という言葉を周囲の人たちは口にし始めるものだ。これは今も昔も変わらない風潮である。
 このような状況に陥った結果、絶命した人や廃人と化した人は今までにかなりの数に上るはずだ。だが、「祟り」や「罰」といった迷信が邪魔をして、市井の人々に事実の広まる事は稀である。
 所詮、日本国内に大蛇など存在しないというアカデミックな見解がある限り、この手の問題はクローズアップされないものなのだ。


【国産最長の大蛇】

 さて、国産大蛇の目撃で最長は何メートルぐらいであろうか。誰もが抱くであろう素朴な疑問である。私が今まで直接目撃者から聞いた長さの最高は約10メートルだった。一般的には6~8メートルという数字が多いようである。だが、中には十数メートル有ったという目撃証言も幾つかある。こうなると世界記録の更新であるが、こんな数字に驚いていてはいけない。な、なんと体長30メートル超の大蛇目撃報告が2件もあるのだ。この2件の目撃は昭和になってのものだが、江戸時代以前にもこのクラスの目撃は幾つもあ有って、それなりの文献に登場しているのだ。
 既存のニシキヘビなどでさえ、30メートルという記録は無い。ただ、アマゾンに棲息するアナコンダになると未公認ではあるが、18メートル、30メートルという記録が残っている。両者は共にライフルや機関銃で撃ち殺されたという。そこで興味を惹くのがその太さである。
 アマゾンで撃ち殺された30メートルのアナコンダの例を挙げると、胴体の尤も太い部分で1メートルほどの太さがあったというのだ。つまり、体長の30分の1が太さとなる訳だから、10メートルの大蛇であれば33センチの太さが有るという計算になる。この数字は概ね当たっていて、10メートル級の大蛇目撃者の大半が30センチほどの太さだったと証言しているのだ。ただし、元々太いマムシなどが巨大化した場合は当てはまらない数字ではあるが、通常の太さの蛇に対しては妥当というべきところである。
 それにしても30メートルとは凄い長さである。ご存知のように、小学校などに設置されているプールは縦が25メートルで、横は11メートルだ。このプ-ルサイドを端から端まで歩くと約40歩も歩く事になる。そう考えると25メートルというのは相当な距離であり、更に5メートルを上乗せするのだから驚くに値する長さである。

 アカッデミックな見識を持ってすれば、日本で大蛇が生息できる条件は気候や捕食の関係上、絶対に有り得ない事になっている。だが、目撃者があとを絶たないのは何故であろう。幻や幻覚、または見間違えだったのであろうか。いや、そんなことこそ有り得ないのである。何故なら、大蛇は唐突に現われるのではなく、長い期間にわたって複数の人々によって目撃されるからだ。
 昭和に入って目撃された二件のスーパー大蛇は、一件が宮崎県の高千穂山系であり、もう一件は群馬と新潟の県境付近である。当然、両者共に高山地帯であり大蛇が食糧とするようなシカやクマといった、大型哺乳類も多く生息しているのだ。この事実から考え、30メートルの巨体を有する大蛇の存在は可能性が高まってくるように思う。しかし、そんな巨体ならもっと多くの人に目撃されていて当然だ、という思いも強くある。また、こうも考えるのだ。「何故、人家の周辺に出現しないのか」と。まさか年老いて狡猾になった大蛇が人間を避けているとも思えないのだが…。

 いずれにせよ、4~5メートル程度から7~8メートルほどの大蛇目撃談は日本中にゴロゴロ転がっている。これをツチノコの目撃と比較すると、大蛇目撃の方が数倍も多いのだ。やはり長大なだけに人目につきやすいからであろう。それでも研究者は大蛇に懐疑的なのだ。
 来年は大蛇探索も計画しているが、これはあくまでカメラに収めるためである。4メートルぐらいのものであれば捕獲も可能だろうが、それ以上となると決死の覚悟をもってしてもどうかと思う。ともあれ、来年は某所に腰を据え撮影に臨みたいと考えている。成功すれば大蛇論争に終止符が打たれる事は間違いないのだ。危険を冒す価値は充分である。
どうかご期待頂きたいと思う次第である。

 取り敢えず、大蛇にはアオダイショウの大型化したものとヤマカガシの大型化したものが存在し、ヤマカガシの大蛇はとても危険だという事がお分かり頂けたと思います。

※大蛇との遭遇談は「大蛇を目撃」とか「巨大な蛇を見た」等と直接検索すると出てきます。興味を持たれた方はインターネットでどうぞ。その他、活字化されたものは後日ご紹介いたします。

 ということで今日はここまでです。次回は「ツチノコ」に戻します。ではでは。


■ お知らせ ■
ツチノコのDVDが付録にセットされた「未知動物の特集本」が発売されます。発売は2月10日頃で、全国の「セブンイレブン」で4万部の限定販売です。その中で私の談話や山形で撮影された「死骸写真」も登場しますのでお楽しみに!

※ツチノコに関する御意見をお待ちしております。できればブログへのコメントでなく、下記のメルアドへお願い致します。遠慮なさらずジャンジャンご質問して下さい。情報の出し惜しみは致しません!

※ zero1995zero@ybb.co.jp

※ ツチノコ関連の画像は下記のYAHOOフォトからお願い致します。

     http://photos.yahoo.co.jp/yrbyg995


―― 道を塞ぐ大蛇 ――

2007-12-14 13:21:26 | Weblog
【画像の説明】
 
 山道で大蛇が行く手を塞いでいたとします。ところが、歩行する人は意外に大蛇とは気づかず、遠目でみると倒木に見えるというケースが大半です。じっと目を凝らせば倒木が動いているので不自然を感じるはずですが、倒木だという先入観のため近づいてしまうようです。そこで初めて大蛇だと気づき大慌てて逃げ出し、三四日寝込んでしまうという図式が大蛇目撃の定番です。こういう場合は殆どの人が、「松の木」が倒れていると思ったと感想を述べるのも共通しているといえるでしょう。
 大蛇が舗装道路を横断する場に出くわした人もおります。その際、道路の幅をあとから計る事で、自分の目にした大蛇の長さを知る事ができます。九州の福岡では7メートルの道幅より長いアオダイショウの大蛇が目撃されていますし、茨城県でも対向四車線の県道を横切る超度級のアオダイショウを観察した人もいます。また、神奈川県では山を切通して作った5メートル幅の道路に、10メートル以上のアオダイショウが横たわっていたという報告もあります。
 昼間に明るい場所で大蛇を見た人は、遠くから大蛇と気づくので近づかないため、それほどショックを受ける事は無いようです。それとは反対に、樹木が日差しを遮る鬱蒼とした山道で大蛇を目撃した人の殆どが、具合を悪くして体調を崩してしまいます。これは薄暗さの影響で大蛇と気づかず近寄すぎて恐怖心が増大したり、大蛇の放つ悪臭を直に嗅いだりすることが原因だと思われます。
  

▲▼ 大蛇に腰かけた男 ▼▲

 既に他界されてしまったが、私の知人に石川隆司さんという豪放磊落な方がおられた。この方は背も高く相撲取りのような体格の上、戦時中は陸軍航空隊に所属し、あの四式戦闘機「疾風」に搭乗していたというだけあって、人並み外れた度胸の持ち主であった事は想像に難くないであろう。そして、終戦直後には進駐軍の兵隊を相手に大立ち回りをし、三人に手傷を負わせ指名手配を受け日本中を逃げ回ったという逸話もあるほどだ。
 その後、有力な政界人の助けを得て農林省に勤務したという経歴だけに、怖いもの無しの人生を送っていた石川氏だったが、一度だけ胆を冷やし正気を失いかけた事が有ったという。その体験は昭和30年に遡る。

 この年の夏、石川さんは奥多摩の御岳山近くの森林を調査するため、営林部門の役人たちと合同のプロジェクトに加わって活動していたという。
 数週間にわたる調査も大詰めに迫った頃、石川氏は前夜の飲みすぎが祟って御岳駅での集合時間に遅れてしまったのだ。そのため、先行した仲間を追って一人で御岳山付近の森林を歩く事になってしまったという。ところが、慌てて家を飛び出した所為で、肝心の地図や磁石さえも持っておらず、勘を頼りに歩き出したが程なく道に迷ってしまったという。
 二度も三度も同じ樵道を歩き回り、体力に自信のあった石川氏もついに疲労困憊して休憩を余儀なくされたそうだ。「どうせなら腰をかけて一服しよう」と辺りを見回すと、樵道の先に倒木が道を塞いでいる。椅子代わりにちょうど良いと思った石川氏は倒木に向って歩き始めた。その時になって「さっき此処を通った時は倒木なんか無かったはずだ」という不思議な感覚に陥ったそうだが、それでも気にせず歩み寄ると、石川氏は何の躊躇いも無くその太い倒木に腰を降ろしたのだった。
 瞬間、グニャリとした感覚が尻の方から身体の隅々まで伝わってきた。まるでゴムの塊に腰かけたような感触だった。石川氏は、「なんだ!」と思うが早いか立ち上がり、その倒木を凝視した。すると、大きな鱗が連なっているではないか。全体が緑色に茶色を混ぜたような色合いで、所々に太い縦筋も見える。
 そこで石川氏は初めて大蛇だと気づいたのだ。その直径は30cm以上もあり、頭も尻尾も藪の中に隠れていて見えないが、7、8mは簡単に越えるであろうと推測できたそうである。
 いざ逃げ出そうとしても今度は身体が動かない。まさに金縛り状態である。だが、目だけは動くので大蛇の行動を観察する事はできる。やがて大蛇はズルズルと動き出したがすぐに止まった。どうやらUターンした大蛇の頭部が、自分の背後から睨んでいるようだ。多分、餌にするか否か吟味中だったのであろう。
 石川氏は棒立ちのまま祈ったそうだ。その祈りが天に通じたのか、やがて大蛇はズルズルと音を立てながら遠ざかって行ったという。そして、危険回避とほぼ同時に金縛りから解放された石川氏は、大蛇の去った方向とは逆へ全速力で駆け出し事無きを得たという。
 
 石川氏が大蛇に遭遇したのは東京の一角をなす奥多摩の御岳山近辺である。まさか大都会のこんな近場に大蛇と言うのは俄かに信じ難い話であるが、石川氏は嘘で人を楽しませるような方ではないし、ましてリップサービスをする類の人でもないのである。
 私はこの体験談を聞き終えた直後、大蛇の種類と臭いについて訊ねてみた。この質問に対する石川氏の回答は以下の通りであった。
 「あの大蛇はおそらくアオダイショウだと思う。山歩きの経験からそう思う。空気中に漂っている臭いは気づかなかったが、あの時に穿いていたズボンの尻は猛烈に生臭かったので捨てました」
 と言った回答である。やはりアオダイショウで生臭かったのかと、私は妙に感心したものだった。

 古来、大蛇の毒気に当って床に伏せってしまう話はよく聞くが、その場合はアオダイショウの生臭さに当たったのではない。床に寝付くのは恐怖感によるショックからであり、毒気とはアオダイショウが発する生臭さではなく大型化した「ヤマカガシ」を目撃した際に生じるものなのだ。
 アオダイショウの大蛇が漂わせる悪臭は嘔吐の原因ではあっても、決して人間の体内機関を麻痺させるなどの影響は与えないはずである。

 ということで今日はここまでです。来月11日からの舞台を控えておりますが、脚本がまだ数ページしか進んでおりません。そろそろ集中したいと思いますのでブログのボリュームが少なくなってしまう事をお詫びいたします。次回は「ヤマカガシの毒」を題材して書いてみたく思います。ではでは。


■ お知らせ ■
ツチノコのDVDが付録にセットされた「未知動物の特集本」が発売されます。発売は2月10日頃で、全国の「セブンイレブン」で4万部の限定販売です。その中で私の談話や山形で撮影された「死骸写真」も登場しますのでお楽しみに!

※ツチノコに関する御意見をお待ちしております。できればブログへのコメントでなく、下記のメルアドへお願い致します。遠慮なさらずジャンジャンご質問して下さい。情報の出し惜しみは致しません!

※ zero1995zero@ybb.co.jp

※ ツチノコ関連の画像は下記のYAHOOフォトからお願い致します。
 
     http://photos.yahoo.co.jp/yrbyg995




―― 大蛇の種類 ――

2007-12-11 15:05:45 | Weblog
【画像の説明】
 
 お手上げです! こんな太い奴に巻かれたらあの世への直行便です。身体中の骨という骨が木っ端微塵に砕かれ、揚句の果ては奴の体内で消化されるのですから考えただけでも震えがきます。こんな太くて長い奴が日本にも生息してると言ったら信じますか? 伝説や民話だけではありません。北は北海道から南は沖縄諸島に至るまで、大蛇の目撃は数えきれないほど有るのです。中には、巻かれて死んでしまった人だっているのです。私が山野に分け入ってツチノコを探していた頃、行く先々の探索現場で土地の古老や山仕事の人たちからさんざん大蛇の話を聞かされました。その都度、大蛇にだけは出遭いたくないものだ、身震いしながらそう願ったものです。そんな恐怖心が高じ、今までに何度も夢の中で大蛇に呑まれました。色のついたリアルな夢なのですが、不思議なことに夢の中の大蛇は全て既存の蛇ではありませんでした。しかし現実の大蛇は大型化した既存の蛇のはずです。そこで、本日は大蛇の種類について語ってみます。

▲▼ 国産大蛇の種類 ▼▲

 日本本土(沖縄も含め)には何種類の蛇が生息しているかご存知ですか? 大半の方が大した数ではないとお思いのはずだ。ところが、である。4科19属39種(14亜種)という数字が挙がっているのだ。4科とは、メクラヘビ科、ナミヘビ科、コブラ科、クサリヘビ科という4科のことで、蛇を仕分けする上で欠かせない重要標記である。では、この4科の中で巨大化しそうな蛇はどの科に含まれているだろうか。
 先ず、メクラヘビは問題外であろう。あんなミミズのような蛇が巨大化するなどあり得ないからだ。それではナミヘビ科はどうか。この科はやたら多くの種が組み込まれていて、普段そこらで見かける蛇の大半がこの科に属している。次にコブラ科を見ると、その殆どが海蛇であって陸棲の蛇は沖縄方面に生息する小型の毒蛇が少々である。そうなると残るのはクサリヘビ科だが、この科に属しているのはマムシとハブだけである。そこでこの4科の中から巨大化に関係なさそうなメクラヘビ科とコブラ科を差っ引くと、ナミヘビ科とクサリヘビ科が残される事になる。
 このナミヘビ科の中には「アオダイショウ」「シマヘビ」「ヤマカガシ」といった、大型化しそうな連中が顔をそろえている。一方のクサリヘビ科では「ハブ」が大型化の候補に上がるであろう。
 だが、そこで問題が生じる。古来から目撃される大蛇の数々が果たして既存の蛇の大型化したものか、という問題である。私は子供の頃から成人するまで、大蛇というのは特殊な単独種だと思っていた。ところが、山で仕事をする人や普段から多くの蛇を見る環境に有る人たちと接しているうちに、国内の大蛇が既存の蛇だと知るようになったのである。
その結果、大蛇を目撃した方々の話や手記などから「ヤマカガシ」と「アオダイショウ」が国産大蛇の原点であると結論するようになったのだ。しかし、ほんの稀にではあるが、前記した既存の二種以外の大蛇と遭遇したという話もあるため、一概に「ヤマカガシ」と「アオダイショウ」の二種だけとは決め付け難いのであるが、大蛇と出遭ったと言えば殆ど例外なく「ヤマカガシ」と「アオダイショウ」の二種と考えて間違いはないであろう。
 稀にではあるが、沖縄のハブで3メートルを越える大物が捕獲されたりもする。また、同じクサリヘビ科のマムシにしても1メートル50センチ以上の目撃例はあるが、大蛇と呼ぶには短すぎる。ただ不思議に思うのは、なぜ「シマヘビ」の3メートル以上のものが目撃されないかという事だ。私は2メートルほどのシマヘビを捕獲したことが有ると、以前このブログに書いたが、その時のシマヘビなどは食の環境さえ良ければもっと大きくなりそうな色艶であった。しかし、全国で目撃される大蛇は「ヤマカガシ」か「アオダイショウ」と相場が決まっているのである。
 ここで肝心な事を申し述べるが、私の言う大蛇とは体長3.5メートル以上のものを指すのであって、それ未満のものはただのヘビである。実際に3メートルをやや越えたほどのアオダイショウを見た事があるのだが、「でかいなぁ」という驚き程度で恐怖感は起こらなかった。だが、3.5メートル以上となると話は違ってくるのだ。
 因みに、学術的に言われている事として、アオダイショウの限界は2.5メートルである。ヤマカガシに至っては1.5メートルだ。私は常々「そんなバカな」と笑うのだが、学説ではそうなるらしい。すると私の見た3メートル越えのアオダイショウは何だったのか? 夢か幻か? いやいや、山野で大蛇に遭遇した人たちは夢や幻ではなく、実際に大蛇を見ているのだ。机上の計算では説明できないのが「大蛇」の「大蛇」たる所以なのである。

■ 会津の大蛇 ■
 戦時中の話なので62年以上前になる。
 会津若松市に住んでいた古川豊寿さん(当時18歳)は、成人男子が徴兵に行っている間の留守番代わりに作られた、会津○○青年団に入団させられた。この青年団員に課せられた任務は、欠落した男手の代用として農作業の手伝いや防空監視の仕事であった。
 或る日のこと、青年団の溜まり場に農婦が駆け込んできて「家畜泥棒を捕まえて欲しい」と懇願する。話を訊けば、鶏や兎が盗まれると言う。一億の民が心を一つにしている非常時である。そんな非国民を許してなるものかと憤った面々は、交代で見張り番に立つ事になった。その甲斐あって幾日か平穏に過ぎたが、またぞろ鶏が被害にあった。
 団長は責任上、鶏が消えた時刻に見張り番だった古川氏を激怒した。しかし、脇目もふらず鶏小屋を監視していた古川氏は不思議でならなかった。というのも、鶏小屋の入り口は一箇所だけしかなく、その入り口には鍵がかかっていたからだ。そこで古川氏は疑問を晴らす為、鶏小屋を点検する事にしたのだ。
 古びた鶏小屋であるが、鍵はしっかりと施錠できる。中に入り点検をはじめて五分ほどした時、壁板の下に人の頭が入るほどの大きさの穴を発見した。そこで古川さんは「タヌキかキツネの仕業だったのか」と考えたのである。この場合、やることは一つである。古川氏は、早速その穴を埋めようと準備に取り掛かったのだが、足元に残された奇妙な跡を目にしたのだった。
 それは重い物を引き摺ったような跡で、やや湿り加減の鶏小屋の地べたが、20センチほどの幅で擦ったような光沢が続いている。同時に、犯人と決め込んでいたキツネやタヌキの足跡が無いことにも気づいたのである。瞬間、古川氏は身の毛がよだったそうだ。「犯人は大蛇だ!」と。
 古川氏の知らせを受け鶏小屋を検分した青年団の面々は色めき立った。そして、昼夜の三交代で張り込みが開始された。四、五人が一組となっての見張りだったが、万が一にも梃子摺った場合は防空監視用の手動サイレンを鳴らす手はずを整えたのである。
 2日目の夕方、古川氏と仲間の四名は手に手に武器を持ち、鶏小屋近くの物置の中で犯人の出現を待ち構えていた。物置の中は風通しも悪く、むせ返るような暑さだった。持参した手拭いは程なく濡れ雑巾のようになる。異変が起きたのは日差しが薄らぎ始めた頃だった。突然、鶏小屋から羽ばたきと甲高い鳴き声が湧き起こったのである。小屋までは10メートルの距離だ。四人は同時に飛び出すと、鶏小屋を取り囲んだ。
 駆けつけた四人は思わず息を飲んだ。小屋の中に青光りする異様な太さの大蛇が全身をくねらせていたからだ。まさしく大蛇である。よくよく見れば大きなアオダイショウであった。太さは古川氏の太腿ぐらい有り、頭は人間の掌ほどもある。こんな大蛇とは予想もしていなかった四人は手も足も出せない。どう対処すべきか手をこまねいていると、被害を通報してきた農婦がやって来た。農婦は鶏小屋を覗いた瞬間、その場で腰を抜かしてしまったそうだ。
 機転を利かせた一人の青年団員がサイレンを鳴らした。けたたましく鳴るサイレンの音に気づいて団員たちが集まって来た頃は、既に数羽の鶏が大蛇の腹の中に収まっていたという。この間、小屋の隙間から青竹で何度も胴腹を突いたが、大蛇は意に返すこともなく悠々と鶏を飲んでいたそうだ。いつまで見学していても埒が明かないと衆議一致、大蛇を小屋の外に追い出して生け捕る事になった。殺したりしたら祟られるという発想からである。
 追い出し方法は至って単純だった。誰かが大蛇の尻尾を掴んで引っ張り出すという無策の作戦である。ところが、普段はアオダイショウなど手掴みするような連中だが、誰も小屋に入って行こうとしない。そして「お前が行け」、「俺は御免だ」というイタチごっこが続いている時、大蛇はスルスルと板壁の下に開いた穴の中へ潜り込んでしまった。こうなっては為す術もない。その場にいた全員が拍子抜けしたが、今後の善後策を検討し始めた時、鶏小屋に隣接する裏山の熊笹がガサガサ鳴った。
 どうやら穴の出入り口は熊笹の繁った藪の中にあるようだ。集まっていた十数名の団員たちは、誰からともなく音のする方へ近づいていった。すると何を思ったか、一人の団員が熊笹を目がけ猟銃を発砲した。「バン」という鈍い銃声と同時に大蛇が躍り上がると、熊笹を掻き分けるように団員たちの方へ突進してきたというのだ。こうなったら生け捕りどころではない。
 青年団員と大蛇の格闘が始まった。「怖がるな! 胴を押えろ!」という誰かの叫び声が聞こえた。それまで逃げ腰だった古川氏はその声に勇気づけられ、大蛇の胴を両手で締めた。それを見ていた他の団員たちも同じことをする。流石の大蛇も十数人の若者が相手では手も足も出ない。
 捕獲された大蛇はその場で計測されたという。体長は約5メートル、太さは50センチ以上で、子供一人の重さが有ったそうである。大蛇の種類はアオダイショウそのもので、独特の生臭さが強烈だったという。この大蛇を大きな麻袋に詰め込み、袋の口に太い丸太を天秤棒代わりに通して、四人がかりで担いで一里ほど離れた山の中へ捨てに行ったというのである。

 この話は今から三十年以上前に聞いたものなので、いくらか話が前後していたかも知れない。だが、こういう生け捕りが為されたのは事実である。
 私の知人は、5メートルぐらいの蛇なら一人でも捕獲できると豪語するが、それは蛇の習性を熟知した上での発言である。素人がいくら集まっても大蛇になると簡単に手が出せなくて当たり前だ。私は蛇を恐れないが、大蛇となると別物だ。それ故、大蛇とだけは出遭いたくないのである。


■ お知らせ ■
ツチノコのDVDが付録にセットされた「未知動物の特集本」が発売されます。発売は2月10日頃で、全国の「セブンイレブン」で4万部の限定販売です。その中で私の談話や山形で撮影された「死骸写真」も登場しますのでお楽しみに!

※ツチノコに関する御意見をお待ちしております。できればブログへのコメントでなく、下記のメルアドへお願い致します。遠慮なさらずジャンジャンご質問して下さい。情報の出し惜しみは致しません!

※ zero1995zero@ybb.co.jp

※ ツチノコ関連の画像は下記のYAHOOフォトからお願い致します。
 
      http://photos.yahoo.co.jp/yrbyg995

★ ツチノコを斬った男 ★

2007-12-08 00:53:36 | Weblog
画像の説明】
 
 本日のテーマは「ツチノコを斬った男」である。世に言う「龍馬を斬った男」は京都見廻組の佐々木只三郎等とされていて、歴史好きの人なら誰もが興味を抱くところであろう。しかしながら、俗世間に背を向けツチノコを追う私としては、龍馬の暗殺者を知ることよりツチノコを斬った人物のことを知る方が興味深々なのである。と言うのは嘘で、やはり龍馬暗殺者の特定は最大関心事だ。
 これまでに、ツチノコを刃物で殺めた人は三人いる。岡山の中島氏、静岡の奥山氏、福島の清原氏の三氏である。この他にも数名の方がツチノコを斬殺もしくは撲殺しているようだが、確証が薄いためここでは割愛したい。さて、前出の御三方がツチノコ斬殺に用いた凶器はと言うと……岡山の中島さんは草刈機、静岡の奥山氏は鎌、そして福島の清原氏に至っては鎌と草刈機によって三度もツチノコを斬ったというのである。
 幕末、人斬り以蔵と仇名された岡田以蔵は人を斬ることで名を馳せたが、最期は自分が斬首され哀れな末路であった。だが、ツチノコ斬りの清原氏は三度の刃傷沙汰にも祟られること無く今なおご健在である。本日はこの清原氏の話題に終始したい。

 清原氏のお宅は、茨城県に隣接した福島県磐城石川に近い鮫川上流の草深い地である。この地で清原氏は農業を営んでおられる。そんな清原氏が初めてツチノコを斬ったのは平成10年の秋のことだ。
 自宅そばの下草を鎌で刈っていると、手に何とも言えない感触が伝わってきた。すると同時に草むらがざわめき、尻から鮮血を迸らせた黒く太短い生き物がチチーッと鳴いて躍りあがるではないか。ツチノコだ、そう思った時は身体が勝手に逃げていた。猛ダッシュした清原さんが振り返ってみると、傷ついたツチノコは草の繁みに潜り込むところだった。ほっとして足を止めた清原氏だったが、鎌を持った手に嫌な感触が残ったままの帰宅であったという。
 普段、山で見かけるツチノコは人に気づくと逃げるが、まさか鎌で斬ってしまうとは思いもよらず、それからというものは草刈機に頼る事にしたそうだ。そして暫くは何事も起こらなかったが、四年後の春、またもや災難に見舞われる破目となったのだ。
 
 その日、清原氏は手入れのゆきとどいた草刈機を使い自宅近くの草むらを刈っていた。すると、単調な音を響かせていた草刈機の歯がグインという音に変わり、奇妙な振動が腕を伝わってきた。と同時に、何かの飛沫が作業着の胸と肘に付着した。その付着物の発する臭いは尋常ではなく、顔を背けたくなる生臭さであった。いったい何を切ってしまったのか、そう思って草むらに踏み込んで驚いた。辺りを紅に染め、胴体を真っ二つにされたツチノコが転がっていたのだ。仰天した清原氏は一目散に駆け出した。ところが、付着物の生臭さが鼻を突く。仕方なく近くの小川へ行って身体を洗ったそうである。
 二度の経験に懲り「もう草刈は御免だ」、そう思った清原さんであるが、草を刈らぬ訳にはいかなかった。そしてその数ヶ月後、三度目の災難が降って湧いたのである。

 喉もと過ぎれば熱さ忘れる。この言葉どおり、清原さんはツチノコ斬殺のことなど忘れ、その日も愛用の草刈機を使って近くの草むらを刈っていた。夏の日差しに額から大粒の汗が流れ出る。早く刈ってひと風呂浴びようと考えていると、草刈機が異音を発した。「おや?」と思う間もなく、続けて顔面に生臭い飛沫か飛んできた。その臭いを嗅いだ瞬間、悪夢が脳裏に蘇ってきた。「またか!」、そう声を上げた清原さんは顔面に付着した血を手で拭いながら目を凝らした。草むらの中に一升瓶のような太いツチノコが蠢いている。角度を変えて見てみると、ほぼ一刀両断されたグロテスクなツチノコが断末魔の痙攣をしていたのだ。しかも異常に大きく太いツチノコだった。既に息絶えたと分かっていても、その尋常あらざる太さに恐怖を感じた清原さんは草刈機を投げ出し走って逃げた。途中、何度も嘔吐して家に辿り着くと寝込んでしまったそうだ。
 
 この話を手嶋会長が人を介して耳にした。その翌日には現地入りした手嶋会長の神出鬼没の行動には驚嘆の一語である。現地に着くや否や清原氏のお宅を訪ねた手嶋会長は、まだ具合が悪く伏せっている清原氏に案内を請うと半ば強引に現場へと向った。
 その道々、清原氏に死骸の事を尋ねると、清原氏はさも残念そうにその後の経緯を語ったそうだ。その話によると、清原氏が逃げ帰った後で奥さんの靖子さんが草刈機を取りに行った。靖子さんは現場につくと、自分も一目だけツチノコの死骸を見ようと草むらに分け入った。すると、無数のカラスが黒山のようになって何かを突っついている。そこへ一羽の大きな鷹のような鳥が舞い降りてくると、カラスを蹴散らしツチノコの死骸を鷲づかみにして飛び去って行ったというのだ。
 既に死骸が存在しないと知り落胆した手嶋会長であったが、せめて皮一枚骨の一片でもと思い、現場を隈なく捜索したそうだ。だが、それらしき物は何ひとつ残されていなかったという。そこで仕方なくツチノコの血痕がこびり付いた草を引っこ抜き、唯一の手土産代わりに横浜の本部へ持ち帰ったのであった。ところが、異臭を放つこの草の根をベランダに置いておいたところ、これまたカラスによって持ち去られてしまったのである。

 その後、清原氏とは電話だけのやりとりだが、健康を害されることもなくお元気でおられるようだ。ただ、三度のツチノコ斬りに恐れをなしたのか、最近は草刈をやめ雑草は伸びるに任せているという。いずれにせよ、田舎住まいの人は欲得が薄い。この清原氏もツチノコに賞金の掛かっている事は先刻承知だったはずである。我々もこのような心持になるべきか否か、時として考えさせられる。

 ということで、また次回をお楽しみに!

 自分で言うのも変ですが、些かツチノコに飽きました。そこで次回は「大蛇」ネタをお話しようと思います。勿論、純国産の大蛇についてです。正直に言いますと、ボクが一番恐れているのは大蛇に他なりません。あんなのに巻かれてアバラ骨がボキボキ音を立てながら砕け、呼吸停止のまま息絶えるなんて御免です。そして頭からスッポリ飲み込まれる姿を想像すると、嗚呼、考えただけで……。取り敢えず「大蛇」をお楽しみに!


■ お知らせ ■
ツチノコのDVDが付録にセットされた「未知動物の特集本」が発売されます。発売は2月10日頃で、全国の「セブンイレブン」で4万部の限定販売です。その中で私の談話や山形で撮影された「死骸写真」も登場しますのでお楽しみに!

※ツチノコに関する御意見をお待ちしております。できればブログへのコメントでなく、下記のメルアドへお願い致します。遠慮なさらずジャンジャンご質問して下さい。情報の出し惜しみは致しません!

※ zero1995zero@ybb.co.jp

※ ツチノコ関連の画像は下記のYAHOOフォトからお願い致します。
http://photos.yahoo.co.jp/yrbyg995


『 茨城のツチノコ PART 2 』

2007-12-06 01:19:56 | Weblog
【画像の説明】
 
 私の所属する未確認生物研究会にも、昔はツチノコの存在を否定する者がいて、その代表格はKTと言った。彼はツチノコはおろか未確認生物全般の否定論者であった。肯定派を尻目に「そんなモノがいるはずない」と、うそぶき嘲笑するのが癖であった。そんな彼であったが、土浦市田村町の探索に同行してからは否定派から肯定派へと、一挙に180°の方向転換をしてしまったのである。そして、ツチノコなど存在しないと豪語していたにも拘わらず、今ではツチノコ肯定派として熱心な研究を続けているのだ。
 今回の画像はKTの股下を潜り抜けて行く寸前のツチノコである。彼はこの体験によって、ツチノコの存在を認めるようになったのだった。
 その時の状況が傑作だ。KTは田村町の探索現場に到着早々、メンバーのように藪を掻き分けたり巣穴を探したりせず、草の上に腰を下ろし飯を食い始めた。見かねた手嶋会長が注意してもKTは腰を上げようともせず「居もしないツチノコを探すのは時間の浪費だ」と理屈をこねた。
 このKTの言葉が終るや否や、眼前の蓮根の葉が大きく揺れた。KTが音のした方に目を向けると、黒い生き物が蓮根畑から踊り出て来てKTに向って突進して来たのだ。驚いたKTが思わず立ち上がって逃げ腰になった時、その黒い生き物は背中を波打たせ物凄い速さでKTの股の下を潜り抜けると、一目散に茗荷の畑へ飛び込んだのだった。 
 手嶋会長は黒い生き物を追ってメンバーと共に茗荷畑に分け入ったが、ついに発見することが出来なかった。一同が茗荷畑から戻ってみると、KTが蓮根畑に向ったまま立っている。どうしたのかと思ってその顔を見ると、顔面を蒼白にさせたKTは痴呆のように大口を開けたまま立ち尽くしていたのだ。
 以来、KTはツチノコの信奉者になった事は言うまでも無い。

▲▼ 田村町のツチノコ ▼▲

 田村町に於けるツチノコ目撃例は相当な数である。その中でも代表的なものを挙げると……。
 (目撃者の実名、目撃現場の特定を記すとご迷惑がかかるので伏せます)

① 測量技師の目前に出現 
 平成5年頃、田村町北東部の造成地で測量が行なわれていた。その最中に大型のツチノコが現われたのである。その大きい奴は驚き慄く測量技師を尻目に、悠々と這って藪の中に姿を消したという。

② 夜間、帰宅中途中に目撃
 A子さんは高校生。部活の終了が遅くなり先生が車で送ってくれた。A子さん宅が近づいた時、道路上に奇妙な生き物が跳びだして来た。慌てて急停車した車のヘッドライトに照らし出された奇妙な生き物は、手足の無い太く短い蛇だった。先生は冷静に「お前の家では変な物を飼ってるんだな」と言ったとか。

③ ワニのような蛇
 自宅の物置小屋に農具を取りに行ったBさんは、積んである角材の上に奇妙な生き物を発見。恐々と近づいて観察するとワニのような姿をした太く短い蛇だった。慌てて家人を呼んで一緒に見ていると、その奇妙な生物はスルスルと角材の隙間に消えていった。以後、恐ろしくて物置小屋には近寄っていない。

④ 犬の散歩中に跳んで来たツチノコ
 数年前の夕方、Y子さんが大型のラブラドールのラモスを連れ散歩中、私が以前ツチノコを目撃した某家の直ぐ傍へさしかかった。その時、バサッと音を立ててツチノコが飛来。ツチノコとラモスが一触即発の危機を感じたY子さんは慌てて逃げ出した。この時のツチノコは体を立てて威嚇したという。

⑤ 畦道で踊り狂うツチノコ
 農婦のSさんはかなりのご年配だが、足腰はシャンとして気丈な方だ。そのSさんが近くの水田の畦道を歩いていると、前方でビール瓶のような蛇が踊り狂っている。その蛇は数十センチの高さに飛び上がっては体を震わせるといった動作を繰り返していた。Sさんは不思議な生き物に怖さを感じる事も無くその光景に見とれていたが、やがて怪蛇は草むらに姿を消した。多分、体に付着した寄生虫を払い落としていたのだろうと、楽しそうに語ってくれたSだったが、近年お亡くなりになられたそうだ。。

⑤ 丸太だと思ったら…
 農婦のK子さんが自宅裏の草むらに雑草を刈りに出た。暫く草を刈っていて休憩しようと腰を伸ばすと、すぐ先に太く短い丸太が転がっている。誰が捨てたか疑問に思いつつその丸太を拾い上げようとして驚いた。それが急に動き出したのだ。しかも直線的に音も無く滑るように動いたのだから胆を潰して当然だ。しかし、これが噂のツチノコだと思い直し手を出そうとしたが逃げられたそうだ。

⑥ 樹上のツチノコ
 小学校裏の樹上で子供たちがツチノコを発見。数人がかりで観察していたが、襲ってくる気配は感じられなかったという。やがて先生がやって来て危険だから立去るように指示をしたとか。案外、この先生の指示は的確だったかも知れない。目撃されたツチノコはB型だったようだ。

⑦ 土蔵の脇から出現
 Wさん宅は旧家で立派な土蔵がある。或る雨上がりの夏の日、Wさんは花壇の手入れをしようと自宅の庭先にむけ歩き出した。土蔵の脇まで来ると見慣れない短めの筒が落ちている。何だろうと近づくと、それはスルスルと動き出した。ツチノコだと分かり数歩後退したWさんの脇を、そいつは悠々と直線的に蛇行せず小藪に姿を消した。Wさんは土蔵の下にツチノコの棲家が有るのでは、と言っていた。

⑧ 探索中に出た
 未確認生物研究の面々がいつものポイントを探索していると、近くで女性の悲鳴が上がった。何事かと駆けつけるとM子さんが腰を抜かして座り込んでいる。聞けばツチノコと出遭ったと震え声で答える。すわ一大事とばかり付近を捜索したが発見できなかった。このM子さんのお婆さんも同じ場所で見ている。

⑨ M子さんのお婆さんの目撃談
 自宅近くの栗林の下草を刈っていたM子さんのお婆さんが栗の木の下でまどろんでいるツチノコを発見。お婆さんはツチノコを起こさないようにその周りの草をそっと刈り始めた。すると物音に感じたのか、目覚めたツチノコは体を縮めると一気にジャンプした。平たくなって跳んだツチノコは、9メートルも先に着地して姿を隠したそうだ。後日、巻尺で実測して飛距離が9メートルと分かったのである。

⑩ 私の目撃
 探索終了後、車に分散して帰路についた時、④で説明したY子さんの目撃地点で目撃。尺取虫のような運動を繰り返しながら高速で人家の庭先に跳びこんだ。黒光りしたツチノコであったが、あれほど凄い速度で斜面を駆け上がるとは知らなかった。その速さを例えるなら、猫が犬に追われて平地を全力で駆けている時と同じぐらいの速度だ。斜面をあの速度で駆け上がるとするなら、平地ではもっと早いはずである。

 まだまだ田村町での目撃は有りますが、旧聞のため割愛します。私は思うのですが、この田村町で5月の1ヶ月間を毎日ツチノコ探しに充当できれば捕獲も夢ではないように思うのです。それだけツチノコが濃密なんです。それに、まだ探索していない地域も多々有って、何しろ魅力的な所です。来年の5月は同行者を募りますので、是非ご参加下さい。日頃から運の良い人は特にお勧めです。

▲▼ 茨城のツチノコ PART 2 ▼▲

 茨城のツチノコ目撃は田村町に限ったことではない。例えば、①北茨城、②筑波、③小貝川流域、④美浦村、⑤利根川河川敷等で多数の目撃がなされている。他にも茨城県内での目撃例は数多く有りますが、複数の人により複数回の目撃が果たされた場所となると、前記した5ヶ所になる訳です。
 ただし、⑤の利根川河川敷は別格なので概要は次の機会に回したい。それと④の美浦村は公の施設内のため公表は避けたい。

① 北茨城
 某有名女性シナリオライターの弟さんから聞き込んだ話。この方をHさんとしておこう。私から見ればHさんはライバル的存在である。Hさんのお姉様は誰もが知る脚本家のためお名前は公表できません。

このHさんの友人が北茨城に住んでいた。久しく会わずにいたので5月の連休を利用して遊びに行った。日帰りの予定だったが友人に勧められ一泊する事になった。翌日、友人に誘われ近くの川へ魚釣りに行く途中、見晴らしの良い草むらを通った。すると、3個の黒い塊が草むらからピョンピョン跳びだして来て、彼らの歩いている道を横切って行った。驚いて凝視したHさんは太く短い蛇だと分かったそうだ。ところが、友人は気にも止めず道を急ぐ。興奮したHさんが「今のは何か」と友人に問うと、「ノヅチという蛇の一種でこの辺りでよく見かける」という。まだツチノコという名称が一般化されていない頃だったので、そういう蛇が日本には生息しているとHさんは思ったそうだ。
そして数年後、自分の見た蛇が幻のツチノコだと知ったHさんは、今度は捕獲して世間をアッと言わせてやろうと目論みカメラ持参で北茨城へ出かけた。勿論、友人にも立ち会ってもらって前回目撃した現場の草むらを隈なく探し歩いた。しかし、全く姿を現さず空振りに終ってしまった。
その後、Hさんは暇を見つけては北茨城へ何度も足を運んでいるが二度目の遭遇は果たしていないという。だが、Hさんの友人はちょくちょく見かけるそうだ。

この目撃現場が何処なのか、Hさんは絶対に明かしてくれない。どんなに酒をご馳走して聞き出そうとしても徒労に終るのが常だった。だが、私より二十歳も年上のHさんは、そろそろ足腰がいう事を利かない年齢となっている。間もなく口を割ってくれるのではないかと期待しているのである。

② 筑波山
 筑波山の近辺も非常にツチノコ目撃が多く、広範囲にわたっている。その証に笠間市には民話化されたツチノコ伝説もある。
 
 筑波山がとても登りやすそうな山だということは望見して分かる。標高876メートルの女体山と870メートルの男体山の二つの山が結びついて出来たような姿は、とても印象深いものがある。ところでこの筑波山だが、今ではケーブルカーによって気楽に登れる山になっている。往時を忍ばせるガマの油売りの口上も、ケーブルカーに乗ってしまっては有って無きが如しであろう。そんな昔気質を良しとする人たちは徒歩で登山する。この登山者たちがちょくちょくツチノコと遭遇するのだ。ただし、日中は出遭わないという。まだ日差しのうっすら残った夕方が多いのだそうだ。俗に言う黄昏時である。
 筑波山中には奇岩怪石がゴロゴロしている。そして霊水なる湧き水の類も豊富で小動物も多い。こうなって来るとツチノコが出て来て当たり前の好条件だが、最近は登山客の増大でツチノコ目撃例もトーンダウン気味だ。しかし、戦前は多かったと聞く。私の知る最新目撃談は4年前に起こっている。
 目撃したのは東京から筑波神社へ祈願に行った会社員のTさん(46歳)だ。私はTさんから目撃現場を聞き「え、あんなところで?」と驚いたものだ。そこは私も一度行ってよく知っている場所であった。正確な場所は罰が当りそうなので明かせないが、取り敢えず神域だと言っておこう。
 Tさんは祈願を済ませその神域にさしかかった時、靴の紐が解けかかっている事に気づいてしゃがみ込んだ。その時、斜め横の石垣の割れ目に何かの気配を感じ正視した。薄暗い割れ目の中で目が光っている。咄嗟にガマガエルの姿が頭を過ぎった。ガマだと思い込んだTさんはそのまま靴紐を結んで立ち上がって驚いた。いつの間にか石垣の割れ目からビール瓶のような生き物が全身をさらけ出していたのである。
 Tさんはこれがツチノコで実在の生き物なのだと感心したという。そのツチノコは全体が黒色で灰色っぽい斑紋が並んでいて、見るからに毒蛇を思わせるような不気味な目つきだったそうだ。双方の距離は3メートルほどなのでじっくり観察できたという。Tさんが不思議に思ったのは、そのツチノコが頻繁に口を動かしながら空を見上げるような格好を繰り返していたことだった。
 当然、ツチノコもTさんの存在を視野に入れているはずなのに襲いかかってくるような素振りはなかったという。尚も観察を続けていると、20メートルほど後方から人の話し声がして来た。すると、ツチノコがTさんの方に顔を向けて睨んだと同時に、電光石火の早業でUターンするように割れ目に潜り込んだのである。Tさんはその場に立ち尽くしたまま、30分近く石垣を見詰めていたがツチノコは二度と姿を現さなかったという。

 目撃者のTさんは、私の知人の中でいちばん堅い職業に就いている方だ。平たく言えば公務員ということだが、この時の目撃談は家族や同僚にも話したことはないという。私のツチノコ好きを知っているからこそ話してくれたのである。
 この話はTさんが目撃した二、三日後に聞いたのである。情報としては鮮度95%という新鮮さであったが、そういう時に限って舞台の本番を間近に控えていたりするものだ。直ぐに筑波へ行けばメリットが有ったのかも知れない。毎日が暇で金が有り余っていればと、つくづく思うのである。

③ 小貝川流域
 今から6年前のことだ。未確認生物研究会の堀米氏から手嶋会長に電話が入った。それによると、堀米氏の自宅近くに住む親戚の方が小貝川に沿って流れる農業用水脇の田圃で、毎年のようにツチノコを見かけるから探索にきて欲しいという連絡だった。
 久方ぶりの緊急出動となり、体の空いている会員が現地に集合した。着いてびっくりしたのは、殆ど起伏の無い水田地帯だったからだ。私が幼少時に目撃した鷺ノ宮の田園を髣髴とさせるような場所である。果たして本当にこんな所で目撃が続いて起きたのか…。誰もがそう思ったものだ。
 この場所へは通算で7~8回行ったと記憶している。そして確実な巣穴を見つけたのは5回目の時だった。一段高くなった田圃と用水路脇へ続く2メートルほどの緩やかな斜面に、その巣穴はあった。しかも、未だ嘗て見た事の無い不気味な巣穴であった。穴の入り口を覆っている雑草を除けると、穴が左右に分かれているのだ。どちらも同じような大きさで何かが出入りしているのか、ツルツルに磨き上げられたようになっている。じっと覗いていると、今にもツチノコが飛び出してきそうな雰囲気だった。
 或る日、手嶋会長は某テレビディレクター氏と二人だけで小貝川の探索地点へ赴いた。このディレクター氏がスクープをカメラに収めたいと懇願する余り、情に絆されてという経緯である。この日も、さんざん徘徊して諦めて車に戻りかけた時、ツチノコが現われたのである。しかもその場所は、二つに分かれた巣穴のすぐ脇であった。ディレクター氏が先に見つけ「あれはなんだ!」と奇声を発した。その声で手嶋会長が目をやると、数十メートル先に直立したツチノコがいるではないか。
 二人は走りに走ってツチノコに近づいた。ディレクター氏は走りながらカメラのバッテリーを装填している。「早く写せ!」と怒鳴る手嶋会長。しかし、ディレクター氏がカメラを向けた時、すでにツチノコの姿は消え失せていたのだ。この後、二人して捜索した事は想像に難くない。

 この事件の後、我々はフル装備で現地へ赴いた。しかし、この日は出がけから嫌な予感がしていたのだ。そしてその予感は見事に的中した。
 探索のために田圃に立ち入らない訳にも行かず、ついつい田圃の所有者に断りを入れぬまま綿々と探索を繰り返してきた結果、田圃は我々によって踏み荒らされてしまい、土を盛って固めただけの畦道は所々で崩壊している。その天罰が下ったというか、無断で立ち入った責任を問われたというべきか。田圃の所有者と名乗る人物が現われ、今後一切踏み入るべからず、もし見つけたら即時警察に通報すると脅しをかけてきたのだ。
 非はこちらにある。平身低頭で謝罪したが許す気配の無い頑固爺であった。我々としては目前のツチノコが全てである。土下座してでも許しを請おうと試みても耳も貸さない。それどころか、携帯電話を取り出して110番通報しそうな剣幕だ。流石の手嶋会長も埒があかないと見て、退散するよう我々に目配せをした。
 我々は仕方なく引き揚げ、帰りの車内で善後策を練ってみた。その結果、金で解決してはどうかという至極当たり前の決論に達したのであった。
 ところがそれから数日後、手嶋会長が目眩をうったえ緊急入院、私の母も脳梗塞が悪化して緊急入院となってしまったのである。会長と副会長が身動きの取れない状態ではメンバーも満を持す以外に方法とて無く、そのまま小貝川探索は打ち切られてしまったのだった。

 手嶋会長はあれ以来、体の不調を引き摺ったままである。私の母は二年後に他界した。小貝川は未確認生物研究会にとって鬼門だったのであろうか。


 ということで、また次回をお楽しみに!

■ お知らせ ■
ツチノコのDVDが付録にセットされた「未知動物の特集本」が発売されます。発売は2月10日頃で、全国の「セブンイレブン」で4万部の限定販売です。その中で私の談話や山形で撮影された「死骸写真」も登場しますのでお楽しみに!

※ツチノコに関する御意見をお待ちしております。できればブログへのコメントでなく、下記のメルアドへお願い致します。

※ zero1995zero@ybb.co.jp

※ ツチノコ関連の画像は下記のYAHOOフォトからお願い致します。

   http://photos.yahoo.co.jp/yrbyg995


―― 茨城県のツチノコ PART Ⅰ――

2007-12-02 17:20:27 | Weblog
【画像の説明】
 
 私は数年前まで、手嶋会長率いる「未確認生物研究会」の面々と共に、週一度のペースで茨城県土浦市田村町へ赴いていた。最近は探索ポイントを多摩川河川敷に絞ってしまったため土浦から遠退いてしまっているが、決してこの地を忘れてしまった訳ではない。来春は再び出かけようと思っている。そもそもここに惹かれるのには理由がある。早い話が、ツチノコ目撃率が非常に高いからである。
 田村町は霞ヶ浦の北西部に位置しており、県道を挟んで南側は広大な蓮根畑で北側に里山が連なっている。この里山と平行する県道を数ヶ所で切通した先に集落が点在しているのだが、町というより村の集合体という感じのする地域である。
 この田村町の県道沿いにKYさんのお宅があって、ここに我々は足繁く通っていた。この家の庭先に立つと、県道越しに蓮根水田とその先に広がる霞ヶ浦が一望でき、その眺望の良さには幾度も心を癒されたものだ。その反対に、家の真裏は里山の一角をなしていて鬱蒼と繁った樹木に覆われている。このギャップが、相反する風景を造り上げていて不可思議な空間を形成しているのだ。そして、この鬱蒼たる樹木に覆われた裏山こそ、ツチノコの目撃多発現場なのである。
 
 それでは、画像の説明をいたしましょう。
 今から十年以上前の夏、このKYさんのお宅で祝い事があり、夕方を過ぎた頃には振舞い酒が出された。集まっていたのは近隣の方々だったが、その中に親類の男性でAさんの姿もあった。この日、Aさんは飲みすぎた所為もあって早々と生理現象に見舞われた。仕方なくトイレに立ち上がったAさんであったが、運悪くトイレは使用中である。そこでAさんは家の裏で用を足そうと、外へ出た。
 玄関先から庭の奥まで続いている石垣に片手をつき、バランスを保ったAさんは石垣に向け放尿しようと社会の窓を開けた。その時である。石垣の上で何かが動いたのだ。母屋から漏れる明りに照らされて浮かび上がったのは、異様に太く短いヘビであった。一瞬にして酔いの冷めたAさんは、これぞ噂に聞くツチノコに違いない、咬まれては大変と、逃げ腰になった。その刹那、怪蛇が半身を捻るようにして跳びかかってくる気配を示したのだ。慌てたAさんは咄嗟に両手で顔面を覆ったという。
 ところが、その怪蛇はAさんに跳びかからず、バサバサ音を立てながら石垣の上の斜面を飛ぶように駆け上がっていったのだ。この怪蛇の逃げ去る姿は、まるで大きな尺取虫のような格好で物凄い速力だったそうである。

 この体験談は私が初めて田村町に足を踏み入れた時に聞かされた話で、ツチノコが人家の近くに棲みついているという証明でもある。幾度も言うようだが、ツチノコは深山幽谷といった辺境の地にのみ生息している訳ではないのである。
 

▲▼ 田村町のツチノコ PARTⅠ▼▲

 日本全国のツチノコ目撃多発県を挙げるなら、1位は岐阜県、2位は福岡県、3位は茨城県という順番になるのではないだろうか。四国の徳島県も負けず劣らずの感は否めないが、情報確度という点でやや欠けているようだ。
 最近は意外な地域での情報に接する事が多くなってきている。これは、インターネットの普及によるもので、今後は上位3県を脅かすことになるものと期待したい。

 ところで3位に位置付けした茨城県だが、東京を起点に活動するツチノコ研究者の我々にとって、至近距離というのは万金の値がある。それだけに、情報収集の容易さや実地探索の安易さから3位にランクされたと考えて良いだろう。
 車で2時間も走れば茨城圏内に到着するという気安さは大きなメリットだ。裏を返すなら、日帰り出来るということである。例えば、午前中に囮のネズミを入れて罠を仕掛け、昼から巣穴を調査し、夕方には現地の方のお宅で雑談後、罠を点検して帰路につくと午後10時には帰宅しているという寸法だ。こうなると、翌日も同じことを繰り返す事が可能になる訳で、これが秋田県や関西方面となると三泊か四泊を考えなければならなくなる。宿泊中、天気が崩れでもしたら計画はお手上げだ。
 こんな訳で茨城県は我々のフィールドワークの場としては願ってもない探索現場となっていたのである。

 そこで、この茨城県に着眼した経緯をお話しすると……昭和48年夏、日本がツチノコブームに席巻されている時、それまで関西中心だったツチノコ目撃情報に負けじとばかり、茨城県土浦市沖宿町で目撃者が現われたことを新聞が記事にしたのである。
 その後、火の無い所に煙は立たないの例えの如く、沖宿町の隣りの田村町でもツチノコ目撃者が現われるようになり、そのニュースは「未確認生物研究会」の知るところとなる。その真偽の程を確かめようと、手嶋会長は直ちに乗り出したのだった。
 ひとたび現地に足を踏み入れた研究会の面々は目撃者たちの声を直に聞き現場を徹底調査したことは言うまでもない。しかも茨城は近いという事もあり、二度、三度と探索を繰り返していると、数人が同時にツチノコと遭遇するという誠に嬉しい事態に出っくわしたのである。
 ツチノコは見ようと思って見れるものではない。これに気を良くした手嶋会長は、目撃現場の徹底探索を号令し、以後は人海戦術で茨城県へと繰り出したのである。そして数々の目撃と生活痕跡のデーター収集、地元目撃者からの膨大な証言を集めるに至ったのだ。 この間、手嶋会長は二千万円を越す費用を負担されている。その執念には頭の下がる思いであるが、その後十数年の探索を尻目にツチノコは捕獲どころか写真にも撮れなかったのだ。同時に未確認生物研究会の古参メンバーたちも、このゲームから自然消滅する者が増えていったのである。幻に業を煮やしたのではなく、仕事や家庭を放り投げいつまでも加担している訳にいかなくなったという事情である。 
 手嶋会長は目前のツチノコに手も足も出せない歯がゆさを噛み締めながら、メンバーの補充を図り、更には特殊カメラを発注するなどして、平成8年からは心機一転、夜間探索もにも重点を置いた新たな探索要綱を打ち出したのである。
 他人様から見れば我々の組織はバカなオヤヂ達の集団に見えるであろう。しかし、見栄も外聞も気にしてはいられない。やがてツチノコ捕獲は執念と化していったのである。

 本日はここまでです。
 次回のPARTⅡでは、田村町を中心に茨城県内の目撃談等を綴ってみたいと思います。  尚、アンビリーバボ出演の日程は間もなく詳細を記します。 

■ お知らせ ■
ツチノコのDVDが付録にセットされた「未知動物の特集本」が発売されます。発売は2月10日頃で、全国の「セブンイレブン」で4万部の限定販売です。その中で私の談話や山形で撮影された「死骸写真」も登場しますのでお楽しみに!

※ツチノコに関する御意見をお待ちしております。できればブログへのコメントでなく、下記のメルアドへお願い致します。

※ zero1995zero@ybb.co.jp

※ ツチノコ関連の画像は下記のYAHOOフォトからお願い致します。
 
    http://photos.yahoo.co.jp/yrbyg995