【イメージ画像の説明】
既に資料を紛失してしまったが、そう古い話ではない。
都内中野区在住のA子さんは、老齢にも拘わらず大の旅好きである。そのA子さんが飛騨の高山方面へ旅行に出かけた時のことだ。九月も半ばを過ぎたというのに、旅先で台風に出遭い二日も宿泊先の旅館に閉じ込められてしまった。しかし三日目の朝、台風一過の大空は眩しい日差しを投げかけてくれた。これに気を良くしたA子さんは、朝食前の軽い散歩でもと旅館を後にした。道端のあちらこちらに出来た水溜りを避けながら歩いているうち、こんもりと繁った樹木の間に石段があるのを見つけた。
A子さんは神社へ続く石段だろうと興味を覚え登り始めた。苔むして今にも崩れそうな石段は幅1メートルほどでかなり急勾配だった。A子さんは足元を確認しながらゆっくり登っていたが、二十段ほどでしんどくなってしまい、大きく深呼吸をしながら石段の先を見上げた。すると、十段ほど先の石段の上に、杉なのか松なのか、丸太が転がっているのが目についた。
近づいたA子さんは仰天してしまった。丸太だと思ったものは太く短い大きな鱗を持った蛇だったのだ。「これがツチノコという蛇なのか」と、A子さんは直ぐに得心したという。
初めはどちらが頭か尻か分らなかったが、よくよく見ると目玉が動いている。反対方向を目で追えば、そこには身体には不釣合いな細い尻尾も有った。しかも、木漏れ日の当たっている部分は青緑色にギラギラと光沢を放っていて、胴体の太さは一升瓶のそれを遥かに上回っており、長さは石段の幅と同じ1メートルほどもあった。
大人しそうなので走って逃げれば追いかけては来なさそうだが、どうせならもっと観察しようと胆を据えたA子さんは、そのツチノコの屯している石段の下の段まで近づき、そっとしゃがみ込んだそうだ。この態勢で両者の距離は三十センチほどに縮まったので、A子さんの観察は詳細を極める事になる。
ツチノコは目が大きく目玉を動かし、呼吸すると胴体の上部から中央部分が少し膨らむ。首の部分は短いが皺が寄っていて、全体的な体色は暗緑色で所々に斑の模様が有る。顔は目が大きく、頭の辺りは太い皺が幾筋も有ってゴツゴツしている。鱗は松ぼっくりのようで、先端がやや尖っている。腹部は薄黄色としか分らなかった。
その後A子さんは観察を中断し、ツチノコを跨いで石段を登り社に詣でたそうだが、帰りにはツチノコの姿は無かったそうである。
この目撃談は今から八、九年前の未確認生物研究会の会報にダイジェストとして載せたが、地名、人名は明かしていた。だが、その会報も今は手元に無く、肝心なA子さんも何処かの介護病院に入られ安否さえ分らない状態だ。やはり資料の管理は徹底を期す必要が大である。
【南会津のA型】
南会津の某村にはA型とB型がいると前述した。ここに住む安部三和子は縦40㌢、横20㌢ほどのB型ツチノコも多いという。彼女が見たものはA型のものである。トグロを巻いていのもいた。静かな晩には鳴き声も聞こえてくる。A型ツチノコの太さを通常の蛇に換算するなら3メートルをはるかに越えたものになる。頭尾が判然としないが、斜面を転がり落ちてきたばかりのものは両端が切り落とされたような断面を見せている。なぜかといえば斜面を縦になって回転しながら落ちるからだ。横になって転がると樹木など障害物に引っかかるから縦に転がり落ちる。この場合、頭尾が受ける衝撃は強い。だから頭尾を保護するために引っ込めている。
九州や福島にもA型は分布している。「ビール瓶のような形」という証言は特に中国地方、岐阜県南東部の山地でよく聞くが胴体から先の 頸部や頭部が極端に細く、胸部から腹部が太く、この部分の幅を20㌢という人もいる。頸部が6㌢なの に胴体はさしわたし20㌢もあるということである。胴体から尻は円筒形をなしているが、頭部がこれほど細く、体後部がこれほど太いというのだからビール瓶に例えられる。地色は褐色、紫に誓い褐色、枯葉色とさまざまに語られるが、紋様は縦に印されたものが多いとはいえこれも統一されたものではないようだ。ウロコの大きさは蛇の規模で小粒に見える。このA型ツチノコが非常に柔らかい体質をしているという印象は、さながら軟体動物のようで、骨格が認められないほどの動き方をする。
これに似た生き物を探ってみるがどこにもいないわけで、あえて大きさの違いを問わずに挙げてみるなら蛭だろう。上下運動での移動、垂直に立ち上がるなど動きが似ている。だからといってA型に骨が無いというわけではない。骨は伸縮自在の動きをするのに支障の無い細さだろう。
三種類のツチノコ(A・B・C)がいると、僕は著書の「ツチノコの正体」に書いているが、ビール瓶型のツ チノコを麺棒形のA型に入れている。明証あってのことではないが、これを納得できないという人もいるだろう。麺棒形への変形は極端だということだろう。
岐阜、兵庫、広島、滋賀で採った証言ではビール瓶形をしていたやつが棒で突いたり、石を投げたりして急に麺棒形になったというのがある。僕はB型を何度も見ているがビール瓶の形をしたのは見ていない。したがって断定できることではないが、一方では複数の証言も不問にはできない。この生き物の柔軟性を重視するならビール瓶形が変じて麺棒形になるという変形は茶飯事のことではないかと考えたりする。これをもってビール瓶形がA型だと仮定してみる。
ではなぜ頭や首が細いのかということだ。これには細くならねばならない理由があるはずだ。ツチノコが同じ地中動物として日不見(ミミズ)や土竜(モグラ)を捕食しているのは確かなことだが、何と言っても主食としているのはハタネズミである。探索の山歩きでハタネズミのトンネルをよく見るが、どれも坑道が小さい。ツチノコは全身を細くしてこれに潜り込むこともするが、前半身だけを細くして首を突っ込んで野ネズミを漁ることもする。このやり方が普通のことかも知れない。だから頸部や頭部が細いということである。自分は見ていないが目撃者もいるとなれば変形の不審が仮にも解けてくる。証言者は状態は麺棒形だったという。つまり餌を獲るときだけ前半慎を細くする。
次のような体験がある。
岐阜山中の集落での体験だが、茶畑に沿って6㍍ほどの石垣があった。胸の高さで、石垣から萌え出る草に載って一匹のツチノコがよく昼寝をするという。現場を見て捕獲はたやすいとみた。とりあえず三個の筌にネズミを二匹ずつ入れて石垣の下に置いた。二時間ほど昼寝して筌を見てみると、六匹のネズミが例外なく筌の中で頭を食いちぎられていた。ヘビではない。イタチでもない。ハクビシンやアナグマでもない。筌に全身を入れてしまえば出られなくなる。これを首だけ伸ばすA型ツチノコの仕業と断じたのだが、この判断は間違っていないと今も思っている。この茶畑は直後の土地改良で土に埋まってしまったが、ツチノコは棲家から逃げない習性があるから埋められたのだろう。残念である。
【犬より大きな怪物】
高橋賢吾氏が郡山市に移り住んで一年が過ぎたが、あいかわらず旅が好きな様で暇をみては県内のあちこちを走り回っている。高郷村の民宿に泊まったおり、そこの親父さんから聞いたというツチノコの話を電話で知らせてくれた。よくある話とはいえ近日の事件であるから紹介する。
高郷村といえば猪苗代湖の北方にあって只見川のほとり、僕は行ったこともないが名前だけは知っている。喜多方の近くといえばおよそその方角がわかるだろう。福島には良く行ったが、高郷村より只見川に関心があった。ツチノコの生息地がたくさんあるだろうと想像していたからだ。
出現現場は只見川に近い葦の茂った湿地で六月の午前十一時ごろ。民家から百メートルも離れていない。その生き物の太さは湯を沸かす大型ポットほどで長さが約六十センチ。連れて歩いていた犬が気づいたが、葦の根元から顔だけ出してこっちをにらんでいる。蛇だと思っていたが、これほど頭が大きければ大蛇に違いないと恐ろしくもなった。飛びつかれて巻かれてしまうというわけだ。犬は小型のものだが大音声出して飛びつこうとする。親父さん犬を叱って引き寄せる。格闘になれば勝敗は明らかに思えた。
敵の胴体は犬の倍の太さで呑み込まれそうだ。こんな近くにこんな怪獣が居るとは信じられんことだった。こっちに向かって飛び出して来たから思わず身構えた。ところが反転して葦の茂みに滑りこんだ。それで全体の姿が見えた。太いのに体長がないので意外に思う。これがツチノコだと解かった。長い時間を見た訳ではないが、およそ次の様に語った。
手足が無くて太くて短い胴体。蛇の様な顔。その顔が凹凸している。鱗がゴツゴツした感じ。頭の鱗は特に広い様で陽に光っていた。眼が動いて不気味であった。赤く大きな口で犬を威嚇していた。小粒ながら丈夫そうな歯が並んでいた。牙は無かった。全身が泥で汚れていた。そうでないところは光っていた。そいつが退散する時に、尻の方は地面に吸い付いた様に動かず、胴体をひねって頭の方を先に葦の茂みに隠れた。高橋氏は茨城で目撃体験があり、この動物のことをそれなりに知っている。それがツチノコであることを宿の親父さんに明言したそうだ。只見川周辺の目撃者はほかにもたくさん居るそうである。
【三春のツチノコ】
三春町と言えば郡山の東にある城下町。かつて三春駒の馬町、今は玩具の三春駒、それに三春滝桜は有名である。僕も二度ほどこの町を素通りした。城下町のことで細い道が曲折している。これも城下町の名残、独特の鄙びた風情は福岡の秋月に似て魅力があった。秋月もまた城下町、福岡藩の支城のあったところ。三春、秋月ともにいい地名である。秋月には馬見山、古処山とツチノコの噂にこと欠かない。 三春の里もそうだ。五年ほど前の話だそうである。
炭焼き稼業の某が麓の細道をたどっていると大風が吹くような音がしてきた。うろたえていると眼の前をウサギが横切り、後ろからススキを分けて巨大なツチノコが飛び出してきた。太さを言えば電柱ほどあり、長さが一メートル、愕然として見たが、そいつが通った跡を見ればススキが割れたままになっている。某は恐れをなして二度とそこを通らないという。
これと全く同じ体験をした人が秩父にいる。この人は農業をしているが、やはり大風が吹くようなススキのざわめきに驚いて立ち止まる。ウサギが飛び出し、これを追いかける巨大ツチノコが背後を飛んでいった。ツチノコが通った跡はススキが割れていた。この地の伝説にも似た様な話がある。福島の中通りと会津地方はツチノコの多いところだ。小犬が呑まれたとか、草刈りでツチノコを切ったとかいう事件は拙著「ツチノコの正体」=三一書房=に書いてある。
三春町の隣に船引町がある。ここの小石沢源光氏は製縫会社の重役ながら実家は農家である。所有する休耕田と野山を開発して(縄文の里)をやっているが、もとよりのこあたり縄文土器が露出している。見たところ荒野に等しい環境で家は一軒もない。小高い山があり池もある。なだらかな斜面に休耕田が三枚もある。出土する土器を見れば確かに縄文文様が印されている。当時の人たちがここで生活していた痕跡。今とは地形も環境が違っていただろう。ただ現代人の常識からすれば居を構えるところではない。
荒野の開発には多数のボランティアが参加した。女性が多いのだが、草を刈っていると奇妙な蛇が何度も現れ、その度逃げ出した。太くて短い蛇であるが、普通の蛇でないといって驚く。どんな蛇かと絵に描いてもらったら、A型ツチノコであった。この種のものは寒冷地に多く、ヘチマや青首ダイコンの形をしている。栃麺棒ともいわれる。腕の太さをしていながら長さが一メートル足らず。蛇なら三メートルはなければならない。ヤマカガシの奇形とされるが、奇形のものは沢山発生するものではない。蛇形をしてなくて頭部も体後部もおよそ同じ形をしていて顔面の造作も大きい。冷静に見れば蛇とは形相が異なっているから分かる。蛇行をせずに動き斜面を転がってくる。小石沢氏は(尻尾の無い蛇)といったが、無尾蛇と呼ぶ人もいる。蛇の様に尻尾が先細りしていないから前後が同じ太さになり尻尾が無いという事になる。それでも蛇という概念から抜け出せないのは何も彼だけではない。多くの人が蛇の脊族だと思っている。
「妙な蛇がいると噂されただけでも人は来ない」と心配する。逆じゃないかと僕は思った。あちこちでツチノコを観光資源にした町村もある。呼び物にしても良いという事である。(ツチノコの里)というサブタイトルもいいと思ったが、ここでは通用しない。みんなが恐ろしがって逃げるという事情であれば僕の考察を押し付ける訳のもいかない。
という訳で、また次回をお楽しみに!
★ 以前、このブログで告知いたしましたアンビリーバボ出演の件ですが、未だにON AIR日の連絡が有りません。撮影は終えているのでボツだったら落胆ですね。そのうち連絡が来るであろう事を待つしかありません。尚、来年1月から放送される関西テレビの深夜枠に、我が未確認生物研究会の名誉会員である滝沢博氏が出演してツチノコの薀蓄を語ります。多分、1月中旬の月曜日に放送だと思いますので、関西在住の方は是非ご覧下さい。(詳細は後日)
■ お知らせ ■
ツチノコのDVDが付録にセットされた「未知動物の特集本」が発売されます。発売は2月10日頃で、全国の「セブンイレブン」で4万部の限定販売です。その中で私の談話や山形で撮影された「死骸写真」も登場しますのでお楽しみに!
※ツチノコに関する御意見をお待ちしております。できればブログへのコメントでなく、下記のメルアドへお願い致します。遠慮なさらずジャンジャンご質問して下さい。情報の出し惜しみは致しません!
※ zero1995zero@ybb.co.jp
※ ツチノコ関連の画像は下記のYAHOOフォトからお願い致します。
http://photos.yahoo.co.jp/yrbyg995
既に資料を紛失してしまったが、そう古い話ではない。
都内中野区在住のA子さんは、老齢にも拘わらず大の旅好きである。そのA子さんが飛騨の高山方面へ旅行に出かけた時のことだ。九月も半ばを過ぎたというのに、旅先で台風に出遭い二日も宿泊先の旅館に閉じ込められてしまった。しかし三日目の朝、台風一過の大空は眩しい日差しを投げかけてくれた。これに気を良くしたA子さんは、朝食前の軽い散歩でもと旅館を後にした。道端のあちらこちらに出来た水溜りを避けながら歩いているうち、こんもりと繁った樹木の間に石段があるのを見つけた。
A子さんは神社へ続く石段だろうと興味を覚え登り始めた。苔むして今にも崩れそうな石段は幅1メートルほどでかなり急勾配だった。A子さんは足元を確認しながらゆっくり登っていたが、二十段ほどでしんどくなってしまい、大きく深呼吸をしながら石段の先を見上げた。すると、十段ほど先の石段の上に、杉なのか松なのか、丸太が転がっているのが目についた。
近づいたA子さんは仰天してしまった。丸太だと思ったものは太く短い大きな鱗を持った蛇だったのだ。「これがツチノコという蛇なのか」と、A子さんは直ぐに得心したという。
初めはどちらが頭か尻か分らなかったが、よくよく見ると目玉が動いている。反対方向を目で追えば、そこには身体には不釣合いな細い尻尾も有った。しかも、木漏れ日の当たっている部分は青緑色にギラギラと光沢を放っていて、胴体の太さは一升瓶のそれを遥かに上回っており、長さは石段の幅と同じ1メートルほどもあった。
大人しそうなので走って逃げれば追いかけては来なさそうだが、どうせならもっと観察しようと胆を据えたA子さんは、そのツチノコの屯している石段の下の段まで近づき、そっとしゃがみ込んだそうだ。この態勢で両者の距離は三十センチほどに縮まったので、A子さんの観察は詳細を極める事になる。
ツチノコは目が大きく目玉を動かし、呼吸すると胴体の上部から中央部分が少し膨らむ。首の部分は短いが皺が寄っていて、全体的な体色は暗緑色で所々に斑の模様が有る。顔は目が大きく、頭の辺りは太い皺が幾筋も有ってゴツゴツしている。鱗は松ぼっくりのようで、先端がやや尖っている。腹部は薄黄色としか分らなかった。
その後A子さんは観察を中断し、ツチノコを跨いで石段を登り社に詣でたそうだが、帰りにはツチノコの姿は無かったそうである。
この目撃談は今から八、九年前の未確認生物研究会の会報にダイジェストとして載せたが、地名、人名は明かしていた。だが、その会報も今は手元に無く、肝心なA子さんも何処かの介護病院に入られ安否さえ分らない状態だ。やはり資料の管理は徹底を期す必要が大である。
【南会津のA型】
南会津の某村にはA型とB型がいると前述した。ここに住む安部三和子は縦40㌢、横20㌢ほどのB型ツチノコも多いという。彼女が見たものはA型のものである。トグロを巻いていのもいた。静かな晩には鳴き声も聞こえてくる。A型ツチノコの太さを通常の蛇に換算するなら3メートルをはるかに越えたものになる。頭尾が判然としないが、斜面を転がり落ちてきたばかりのものは両端が切り落とされたような断面を見せている。なぜかといえば斜面を縦になって回転しながら落ちるからだ。横になって転がると樹木など障害物に引っかかるから縦に転がり落ちる。この場合、頭尾が受ける衝撃は強い。だから頭尾を保護するために引っ込めている。
九州や福島にもA型は分布している。「ビール瓶のような形」という証言は特に中国地方、岐阜県南東部の山地でよく聞くが胴体から先の 頸部や頭部が極端に細く、胸部から腹部が太く、この部分の幅を20㌢という人もいる。頸部が6㌢なの に胴体はさしわたし20㌢もあるということである。胴体から尻は円筒形をなしているが、頭部がこれほど細く、体後部がこれほど太いというのだからビール瓶に例えられる。地色は褐色、紫に誓い褐色、枯葉色とさまざまに語られるが、紋様は縦に印されたものが多いとはいえこれも統一されたものではないようだ。ウロコの大きさは蛇の規模で小粒に見える。このA型ツチノコが非常に柔らかい体質をしているという印象は、さながら軟体動物のようで、骨格が認められないほどの動き方をする。
これに似た生き物を探ってみるがどこにもいないわけで、あえて大きさの違いを問わずに挙げてみるなら蛭だろう。上下運動での移動、垂直に立ち上がるなど動きが似ている。だからといってA型に骨が無いというわけではない。骨は伸縮自在の動きをするのに支障の無い細さだろう。
三種類のツチノコ(A・B・C)がいると、僕は著書の「ツチノコの正体」に書いているが、ビール瓶型のツ チノコを麺棒形のA型に入れている。明証あってのことではないが、これを納得できないという人もいるだろう。麺棒形への変形は極端だということだろう。
岐阜、兵庫、広島、滋賀で採った証言ではビール瓶形をしていたやつが棒で突いたり、石を投げたりして急に麺棒形になったというのがある。僕はB型を何度も見ているがビール瓶の形をしたのは見ていない。したがって断定できることではないが、一方では複数の証言も不問にはできない。この生き物の柔軟性を重視するならビール瓶形が変じて麺棒形になるという変形は茶飯事のことではないかと考えたりする。これをもってビール瓶形がA型だと仮定してみる。
ではなぜ頭や首が細いのかということだ。これには細くならねばならない理由があるはずだ。ツチノコが同じ地中動物として日不見(ミミズ)や土竜(モグラ)を捕食しているのは確かなことだが、何と言っても主食としているのはハタネズミである。探索の山歩きでハタネズミのトンネルをよく見るが、どれも坑道が小さい。ツチノコは全身を細くしてこれに潜り込むこともするが、前半身だけを細くして首を突っ込んで野ネズミを漁ることもする。このやり方が普通のことかも知れない。だから頸部や頭部が細いということである。自分は見ていないが目撃者もいるとなれば変形の不審が仮にも解けてくる。証言者は状態は麺棒形だったという。つまり餌を獲るときだけ前半慎を細くする。
次のような体験がある。
岐阜山中の集落での体験だが、茶畑に沿って6㍍ほどの石垣があった。胸の高さで、石垣から萌え出る草に載って一匹のツチノコがよく昼寝をするという。現場を見て捕獲はたやすいとみた。とりあえず三個の筌にネズミを二匹ずつ入れて石垣の下に置いた。二時間ほど昼寝して筌を見てみると、六匹のネズミが例外なく筌の中で頭を食いちぎられていた。ヘビではない。イタチでもない。ハクビシンやアナグマでもない。筌に全身を入れてしまえば出られなくなる。これを首だけ伸ばすA型ツチノコの仕業と断じたのだが、この判断は間違っていないと今も思っている。この茶畑は直後の土地改良で土に埋まってしまったが、ツチノコは棲家から逃げない習性があるから埋められたのだろう。残念である。
【犬より大きな怪物】
高橋賢吾氏が郡山市に移り住んで一年が過ぎたが、あいかわらず旅が好きな様で暇をみては県内のあちこちを走り回っている。高郷村の民宿に泊まったおり、そこの親父さんから聞いたというツチノコの話を電話で知らせてくれた。よくある話とはいえ近日の事件であるから紹介する。
高郷村といえば猪苗代湖の北方にあって只見川のほとり、僕は行ったこともないが名前だけは知っている。喜多方の近くといえばおよそその方角がわかるだろう。福島には良く行ったが、高郷村より只見川に関心があった。ツチノコの生息地がたくさんあるだろうと想像していたからだ。
出現現場は只見川に近い葦の茂った湿地で六月の午前十一時ごろ。民家から百メートルも離れていない。その生き物の太さは湯を沸かす大型ポットほどで長さが約六十センチ。連れて歩いていた犬が気づいたが、葦の根元から顔だけ出してこっちをにらんでいる。蛇だと思っていたが、これほど頭が大きければ大蛇に違いないと恐ろしくもなった。飛びつかれて巻かれてしまうというわけだ。犬は小型のものだが大音声出して飛びつこうとする。親父さん犬を叱って引き寄せる。格闘になれば勝敗は明らかに思えた。
敵の胴体は犬の倍の太さで呑み込まれそうだ。こんな近くにこんな怪獣が居るとは信じられんことだった。こっちに向かって飛び出して来たから思わず身構えた。ところが反転して葦の茂みに滑りこんだ。それで全体の姿が見えた。太いのに体長がないので意外に思う。これがツチノコだと解かった。長い時間を見た訳ではないが、およそ次の様に語った。
手足が無くて太くて短い胴体。蛇の様な顔。その顔が凹凸している。鱗がゴツゴツした感じ。頭の鱗は特に広い様で陽に光っていた。眼が動いて不気味であった。赤く大きな口で犬を威嚇していた。小粒ながら丈夫そうな歯が並んでいた。牙は無かった。全身が泥で汚れていた。そうでないところは光っていた。そいつが退散する時に、尻の方は地面に吸い付いた様に動かず、胴体をひねって頭の方を先に葦の茂みに隠れた。高橋氏は茨城で目撃体験があり、この動物のことをそれなりに知っている。それがツチノコであることを宿の親父さんに明言したそうだ。只見川周辺の目撃者はほかにもたくさん居るそうである。
【三春のツチノコ】
三春町と言えば郡山の東にある城下町。かつて三春駒の馬町、今は玩具の三春駒、それに三春滝桜は有名である。僕も二度ほどこの町を素通りした。城下町のことで細い道が曲折している。これも城下町の名残、独特の鄙びた風情は福岡の秋月に似て魅力があった。秋月もまた城下町、福岡藩の支城のあったところ。三春、秋月ともにいい地名である。秋月には馬見山、古処山とツチノコの噂にこと欠かない。 三春の里もそうだ。五年ほど前の話だそうである。
炭焼き稼業の某が麓の細道をたどっていると大風が吹くような音がしてきた。うろたえていると眼の前をウサギが横切り、後ろからススキを分けて巨大なツチノコが飛び出してきた。太さを言えば電柱ほどあり、長さが一メートル、愕然として見たが、そいつが通った跡を見ればススキが割れたままになっている。某は恐れをなして二度とそこを通らないという。
これと全く同じ体験をした人が秩父にいる。この人は農業をしているが、やはり大風が吹くようなススキのざわめきに驚いて立ち止まる。ウサギが飛び出し、これを追いかける巨大ツチノコが背後を飛んでいった。ツチノコが通った跡はススキが割れていた。この地の伝説にも似た様な話がある。福島の中通りと会津地方はツチノコの多いところだ。小犬が呑まれたとか、草刈りでツチノコを切ったとかいう事件は拙著「ツチノコの正体」=三一書房=に書いてある。
三春町の隣に船引町がある。ここの小石沢源光氏は製縫会社の重役ながら実家は農家である。所有する休耕田と野山を開発して(縄文の里)をやっているが、もとよりのこあたり縄文土器が露出している。見たところ荒野に等しい環境で家は一軒もない。小高い山があり池もある。なだらかな斜面に休耕田が三枚もある。出土する土器を見れば確かに縄文文様が印されている。当時の人たちがここで生活していた痕跡。今とは地形も環境が違っていただろう。ただ現代人の常識からすれば居を構えるところではない。
荒野の開発には多数のボランティアが参加した。女性が多いのだが、草を刈っていると奇妙な蛇が何度も現れ、その度逃げ出した。太くて短い蛇であるが、普通の蛇でないといって驚く。どんな蛇かと絵に描いてもらったら、A型ツチノコであった。この種のものは寒冷地に多く、ヘチマや青首ダイコンの形をしている。栃麺棒ともいわれる。腕の太さをしていながら長さが一メートル足らず。蛇なら三メートルはなければならない。ヤマカガシの奇形とされるが、奇形のものは沢山発生するものではない。蛇形をしてなくて頭部も体後部もおよそ同じ形をしていて顔面の造作も大きい。冷静に見れば蛇とは形相が異なっているから分かる。蛇行をせずに動き斜面を転がってくる。小石沢氏は(尻尾の無い蛇)といったが、無尾蛇と呼ぶ人もいる。蛇の様に尻尾が先細りしていないから前後が同じ太さになり尻尾が無いという事になる。それでも蛇という概念から抜け出せないのは何も彼だけではない。多くの人が蛇の脊族だと思っている。
「妙な蛇がいると噂されただけでも人は来ない」と心配する。逆じゃないかと僕は思った。あちこちでツチノコを観光資源にした町村もある。呼び物にしても良いという事である。(ツチノコの里)というサブタイトルもいいと思ったが、ここでは通用しない。みんなが恐ろしがって逃げるという事情であれば僕の考察を押し付ける訳のもいかない。
という訳で、また次回をお楽しみに!
★ 以前、このブログで告知いたしましたアンビリーバボ出演の件ですが、未だにON AIR日の連絡が有りません。撮影は終えているのでボツだったら落胆ですね。そのうち連絡が来るであろう事を待つしかありません。尚、来年1月から放送される関西テレビの深夜枠に、我が未確認生物研究会の名誉会員である滝沢博氏が出演してツチノコの薀蓄を語ります。多分、1月中旬の月曜日に放送だと思いますので、関西在住の方は是非ご覧下さい。(詳細は後日)
■ お知らせ ■
ツチノコのDVDが付録にセットされた「未知動物の特集本」が発売されます。発売は2月10日頃で、全国の「セブンイレブン」で4万部の限定販売です。その中で私の談話や山形で撮影された「死骸写真」も登場しますのでお楽しみに!
※ツチノコに関する御意見をお待ちしております。できればブログへのコメントでなく、下記のメルアドへお願い致します。遠慮なさらずジャンジャンご質問して下さい。情報の出し惜しみは致しません!
※ zero1995zero@ybb.co.jp
※ ツチノコ関連の画像は下記のYAHOOフォトからお願い致します。
http://photos.yahoo.co.jp/yrbyg995