九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

比治山神社(広島市南区)

2010-01-06 18:02:42 | 神社参拝ー中国
 新年早々親戚に不幸があり3日(通夜)、4日(葬儀)と広島に帰省してきました。帰路の途中広島市の別表神社比治山神社に参拝しました。

 比治山神社(広島市南区)を掲載しました。

 比治山神社(ひじやまじんじゃ)
<通称>黄幡さん(おんばんさん)
【鎮座地】〒732-0817 広島県広島市南区比治山町5-10 旧安芸国 沼田郡
【御祭神】大國主大神 少名毘古神 建速須佐之男命 市寸嶋比賣命 (配祀)車折大明神
【例祭】
【旧社格等】村社(現別表神社)
【御由緒】
 もと黄幡(おうばん)大明神と称し、比治山南(俗に黄幡谷と称した)に鎮座されていたが、正保三年(一六四六)三月現在の社地に移して勝楽寺の鎮守社となり、藩政時代には稲荷町三組、東柳町、下段原村、竹屋町南裏、平塚、竹屋村などの産土神として祀られた。当時は藩府より毎年正月門松添木、九月祭礼湯立の薪木を寄付されていた。
 明治元年の神仏分離の際、社名を改めて比治山神社と称し、勝楽寺を廃寺とする。明治四年拝殿を再建、同五年村社に列せられる。
 次いで同四十二年二月には皆実町字皆実新開の堅磐神社を、七月には同新開の出雲神社を当社に合併した。
 昭和二十年原爆により本殿、拝殿等を焼失、 同二十九年本殿拝殿を再建立し、三十四年、神社本庁より別表神社に列せられる。
 なお、相殿の車折(くるまざき)大明神は清原頼業公であって、文政三年(一八二〇)京都嵯峨より勧請した。往時は本殿と拝殿を備えていたが、明治になって社殿が大破したので相殿神となす。
 (平成祭データ)

 広島市南区にあります。広島駅から南におよそ1km、櫻の名所として有名な比治山公園の北西の麓、電車通りに面して鎮座しています。

 注連柱から参道鳥居の前に注連柱が建っています。
明治40年(1907年)1月の奉献、「広島縣知事従四位勲三等 山田春三撰」とあります。

 参道の狛犬参道には二対の狛犬があります。
当地は爆心地より1780mに位置していますので、注連柱等含め被爆したものです。

 手水舎参道右にあります。
境内は多数の奉納者の名前の刻まれた石造りの瑞垣に囲まれています。

 参道の狛犬2番目の狛犬です。
昭和三年一月吉日の日付がありますのでこれも被爆したものと思われます。

 参道の鳥居参道途中、社殿前に石造り鳥居、扁額には「比治山神社」とあります。地元企業。有志の方々により奉納されたようです。

 拝殿 
現在の拝殿は、明治4年再建された旧拝殿が昭和20年8月6日の原爆により焼失したため、昭和29年に本殿・拝殿が建立されました。
 細長い注連縄はあまり見かけません。左右両脇に授与所が配置されています。 
提灯の神紋は亀甲の中星です。参拝は正月4日の夕方5時前、若い女の子などで賑わっていました。

 本殿 
本殿は銅板葺三間社流造、社殿の左は和風庭園になっていましたが、橋の架かった小川?の水は涸れていました。 
 当初は、黄幡(おうばん)大明神と称し、比治山南の谷(俗称-黄幡谷)に鎮座されていましたが、正保三年三月(1646年)現在地に遷座されています。
 御祭神は大國主大神 少名毘古神 建速須佐之男命 市寸嶋比賣命、車折大明神(平安時代の著名な漢学者・儒学者であった清原頼業)が配祀されています。

   社殿全景
 背後は社名にもなっている標高70mの比治山です。丘全体が比治山公園になっていて、全国初の公立の漫画図書館である広島市立まんが図書館、展望台などがあります。

 拝殿から参道境内はわりと広く、参道左の駐車場もゆったりとしています。 

 境内社 
参道入ってすぐ右にあります。
稲荷神社には珍しい朱の両部鳥居?をくぐって右に社祠です。
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