九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

水神社(北九州市小倉南区)、他に参拝

2005-10-24 20:46:10 | 神社参拝
10/23(日)、水神社(北九州市小倉南区)、他に参拝しました。

 昨日午後から晴れるととの予報で出かけたのですが家をでてすぐ雨が降り出しあきらめて急ぎ帰宅しました。
 そこで本日自宅近くの2社に参拝しました。

最初は小倉南区湯川に鎮座されている水(すい)神社にしました。
 国道10号線の湯川交差点からやや左の細い道路(ここから一方通行になっている、旧中津街道とのこと)に入り約300m進んで幼稚園のところで山側に左折すると突き当たりに鳥居が見えてきます。

 当社の手水舎の右手に小さな池があります、この池は足の筋を切られた和気清麻呂が大隈に流される途中、宇佐神宮の神託により規矩郡着場で船を降りてこの池(当時は温泉だった)に入り傷を癒したとの言い伝えがあります。


 湯川の地名の由来は、温泉から湯が流れて川になったので「湯川」という説と
清麻呂の足が治ったあと、温泉が涸れてしまったところから「湯乾」がなまって「湯川」というようになったとの説があるとのことです。

 

つぎは小倉南区葛原の葛原八幡神社です。

 当社も和気清麻呂ゆかりの神社です。
当社の創立は、和気清麿公の御事蹟に由来するものです。称徳天皇の神護慶雲年間(今から1200余年前)天皇の寵を受け、政界に進出した弓削道鏡は宇佐八幡神の神勅と偽り皇位につこうとしてしました。清麿公は改めて勅使に任ぜられ宇佐宮に参向し、真の神勅を受けて道鏡の意をくつがえしたため、道鏡の怒りにふれ足の筋を断たれて大隅国(鹿児島県)に流罪となりました。
途中、公の御舟が宇佐郡笞田村に流れ着いたとき、突如、山中から白鹿が現れ、公を背に乗せ、左右を二百頭余の猪が守護し宇佐宮へと導きました。(日本後紀、水鏡による)公は神前に詣で、八幡神に罪なきことを乞い奉ると八幡神が出現され、「是より西方十七理の規矩郡竹和山の山麓に温泉あり此処に浴せば必ず癒える」とお教えになりました。公は、その神託のまにまに温泉に浴すと数日にして足が立ち、それから此の山を「足立山」と呼ぶようになりました。(湯川水神社の境内に今も湧き出ている。)
これより公は、蜂ケ坂(安部山清麿石像付近)に庵を結び住み、八幡神への神恩感謝の為、神祠をたてて自ら朝夕に奉斎しておりました。これが当社の起こりであります。(平成祭りデータより)

 

約200m続く石畳の参道 

当日は江戸時代に疫病退散や雨乞いのためにはじまったとされる、北九州市指定無形民俗文化財の「葛原新町楽」が奉納される秋季例大祭の日でこれは子供神輿
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