九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

若久住吉神社(福岡市南区)

2008-08-10 14:37:09 | 神社参拝ー福岡
 若久住吉神社(福岡市南区)を掲載しました。

 若久住吉神社(わかひさすみよしじんじゃ)
【鎮座地】〒815-0042 福岡県福岡市南区若久1-20-28 旧筑前国 那珂郡
【御祭神】底筒男命 中筒男命 表筒男命
     (配祀)天照皇大神 神功皇后 (合祀)菅原道眞
【例祭】 10月16日 例祭
【旧社格等】村社
【御由緒】
 若久住吉神社     
鎮座地 福岡市大字若久小字住吉
(南区若久一丁目二十番十四号)
●御祭神
 当若久住吉神社は底筒男神(そこつつおのかみ)、中筒男神(なかつつおのかみ)、表筒男神(うわつつおのかみ)の住吉三神を祭神とし、相殿に神功皇后菅原神社(菅原道真)を合祀します。
●御由緒
 住吉三神は遠い神代の昔に、伊弉諾大神(いざなぎおおかみ)が筑紫の日向の橘の小戸の阿波伎原でミソギハラヘ(禊祓をされた時に、志賀神社の御祭神、ワタツミ三神と警固神社の御祭神・直毘の神と共に御出現になりました。したがって当社の御鎮座は遠い遠い神代のことで、年代を定めることは出来ませんが、全国的にも九州でも最も古いお宮様の一つです。
 祭神菅原神は大字若久字天神に無格社天神社として祭祀してありましたが、大正十三年十月十四日許可を受け、明細帳編入と同時に合祀されました。
●社殿
 約千八百年前、第十四代目仲哀天皇の皇后となられた神功皇后が熊襲叛するに及び、天皇とともに西征途中、天皇が香椎で崩御のあと新羅を征して凱旋され、誉田別皇子(後の応神天皇)を筑紫で出産されましたが、新羅から帰国されたとき、こ
こに立ち寄られ、ここに神社を建てようとされたということに起源しております。
 一説には、約三百八十年前に、この附近のお金持ちの人たちがこの地をならして当時の国主、黒田長政によって、住吉三神と神功皇后、天神様となった菅原道真公のご神徳を奉賽して造営されたものと伝えられています。
 その後老朽化したため、現在の社殿は昭和三十九年、地元の金子市作、大野惣次郎、国武英太氏らの篤志家によって改築されたものであります。
 (境内案内板より)

 福岡市南区の住宅地若久にあります。JR博多駅から南に直線でおよそ5km、県道602号線若久団地入口そばの高台に鎮座しています。境内北西に若久小学校が隣接しています。
 
 鳥居の扁額「住吉大明神」とあります、昭和丗一年9月の建立です。

  参道鳥居をくぐると鬱蒼とした樹木に覆われた階段の参道がつづきます。

   拝殿 
 階段を上ると天保六年四月の鳥居、つづいて大正十五 年十月の建立の注連縄柱、正面に拝殿です。拝殿前の狛犬はわりと新しく昭和63年10月の奉納です。

  本殿 
 当社の起源について延喜式内社とありますが、一説には黒田長政によって造営されたと伝えられています。
 神紋は三つ巴、現在の社殿は地元の方々の寄進により昭和三十九年改築されました。

 御神木の山桃の木黒田長政公の植樹と伝えられています。

  社殿全景境内はわりと広く、社殿後方に若久公民館があります。

 拝殿から参道境内は駐車場?にされています。
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
御守りやおみくじありますか? (花畑)
2015-01-28 15:31:13
宮司さんはいますか?
ご来訪ありがとうございます。 (noyama)
2015-01-29 11:15:47
花畑 様

お尋ねの件、
参拝してかなり経過していますので現在の状況は存じません。

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