九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

霧島岑神社(宮崎県小林市)

2009-01-23 12:53:01 | 神社参拝ー九州
 霧島岑神社(宮崎県小林市)を掲載しました。

 霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)
【鎮座地】〒886-0004 宮崎県小林市大字細野4937 旧日向国 諸県郡 
【御祭神】瓊々杵命 木花咲耶姫命 彦火火出見命 豐玉姫命 鵜鵜草葺不合命 玉依姫命
【例祭】 11月18日 例祭
【旧社格等】県社
      式内社 日向國諸縣郡 霧嶋神社
【御由緒】
 往古霧島岑神社は高千穂峰の中腹瀬戸尾の高地に鎮座され、祭神は瓊々杵尊、木花咲耶姫命、彦火火出見尊、豊玉姫命、鵜葺草葺不合尊、玉依姫命の六柱の神々である。
 承和四年(八三七)日向国諸県郡霧島岑神は官社に預かり、のち従五位上を授けられる(続日本後記)天安二年(八五八)従四位下に叙せられ(三代実録)とあり、延喜式神名帳には日向国式内四座の一つであると記されている。
 天慶天暦(十世紀)の頃性空上人が霧島岑神社に参篭の折、山麓四方に夷守神社外四社を創建し、本社である霧島岑神社(別名霧島中央権現)を合わせて霧島六社権現と称した。
 天永三年(一一一二)韓国岳噴火、仁安二年(一一六七)大幡山噴火し相次いで神殿を焼失したが、その都度元の地に再建された。文暦元年(一二三四)には至近の火常峯(御鉢)が噴火し社殿は焼失、この地に湧いていた「天の井」も涸れたので末社の霧辺王子神社の辺に遷座され、その地を新瀬戸尾と称した。その地に座すこと四八〇余年、享保元年(一七一六)新燃岳の噴火により社殿は焼失、御神体は今坊権現に奉遷、次いで細野村岡原に遷座されたが、新瀬戸尾の地は全く荒廃したので、享保十四年(一七二九)夷守岳中腹に社殿を再建し、明治初頭まで鎮座された。その地を今だに築地という。
 明治五年(一八七二)県社に列せられ、翌六年細野村に合祀の世論起こり夷守神社を先ず本社の岑神社に合祀した上で、改めて旧夷守神社跡地(現在地)に霧島岑神社を奉造して今日に至る。
 (平成祭データ)

 宮崎県の南西部に位置し熊本・鹿児島両県に接する小林市にあります。小林市街地から県道104号線をおよそ3km南下、細野中学校を過ぎて300m、県道沿いに一の鳥居です。

 参道入口鳥居をくぐって直進すると鬱蒼とした森の入口に仁王像が迎えてくれます。

  入口左の仁王像
 享保元年(1716)に近くの石採り場で彫られた石造です。小林市に現存する仁王像の内、最古のものです。
 口を開けていますのでこちらが阿形像でしょうか。

   参道
 仁王像からしばらく進むと左に手水舎、正面に綺麗に整備された参道が続きます。

 境内入口の鳥居境内入口に一対の燈籠と朱の鳥居です。
 鳥居をくぐると左右両脇に門守社があります。正面に2本の巨木、その向こうに拝殿です。

 拝殿 
2005年から2006年に平成の造営が行われ、社殿が改築されています。

     本殿
創建年代は不詳、霧島六社権現の内の一つでかつては霧島中央権現と呼ばれ、六社のうち最も格の高い社とされていました。
 御祭神は瓊々杵尊、木花咲耶姫命、彦穂々出見尊、豊玉姫命、鵜葺草葺不合尊、玉依姫命の6柱、神日本磐余彦尊を除き霧島神宮と同じです。

  本殿から拝殿明治6年(1873)同じ霧島六社権現の夷守(ひなもり)神社を吸収合併し、旧夷守神社跡地(現在地)に遷座されました。

   社殿全景

  境内社・繭(けん、まゆ?)神社
 境内左上の山中にあります。大変めずらしい正三角形の社です、御祭神等不明です。

   境内全景
 境内は周囲を「みやざきの巨樹百選」の樹齢400年のイチイガシなど大きな樹木に囲まれていますが、広くゆったりとしています。

      境内から参道
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