玉若酢命神社(島根県隠岐の島町)を掲載しました。
玉若酢命神社(たまわかすのみことじんじゃ)
<通称>総社(そうじゃ)
【鎮座地】〒685-0017 島根県隠岐郡隠岐の島町下西713 旧隠岐国 周吉郡
【御祭神】玉若酢命 (合祀)大己貴命 須佐之男命 稻田姫命 事代主命 須世理毘賣命
【例祭】 6月3日 大祭 6月5日 大祭
【旧社格等】県社
隠岐國総社
式内社 隠岐國周吉郡 玉若酢命神社
【御由緒】
神社の由緒
玉若酢命を主祭神とし、大國主命、須佐之男命外二柱の姫神を配祀、勧請年代は詳でないが、式内社に列せられた古社である。
水若酢命と共に本島を開拓した隠岐の二祖神であると傅えられている。また神社名を総社と俗に称している。かつての隠岐國府の所在地で、明治初年頃まではこの地を総社村といった。これは王朝時代、國司が当國の総社として祭祀を執行した由緒によるものである。
本殿(隠岐造)県指定文化財
外形の特徴。屋根は大社造に似て妻入だが平面形は神明造に似て横長の短形である。向拝は前面いっぱいに片流についているが、その両端は春日造と違って大屋根と離れている。尚棟に雀躍(すずめおどり)と称する一本木をおき両端は鬼板より出て反っていて、隠岐にのみに存する独特の神社建築である。寛政五年建立(一七九三年)
例祭神事 御霊会(ごれえ)県指定無形文化財
六月五日例祭には八頭の神馬が出役する。隠岐國総社である為、地区ごとの産土神を神馬に奉遷して馳せ参ずると云う信仰によるもである。安永八年(一七七九年)の神社記に、「往昔は四十八頭の神馬が馳参せるも今日八地区の八頭に止まる」とある。察するに当初は全島あげて祭礼に参加し、盛況を極めたものと思われる。
この地方に於ける大氏神の大祭に小氏神が馳せ参ずると云う神事は他には見られなく、風流にして貴重な存在である。依って県の無形文化財に指定する。(昭和四十年)
(拝殿掲示板より)
隠岐道後、隠岐の島町にあります。西郷港より国道485号線を西におよそ2km下西地区の国道沿いに鎮座、周囲には古墳群もあります。
隠岐に上陸して最初の神社、先客がいました、島内バスツアーの団体の方々でした。この方たちが立ち去るまで暫く待機していましたがガイドさんの説明も長く、レンタカーのカーナビの故障で予定時間を30分位遅れての到着したこと重なり、次の予定も気になって、待つ時間が長く感じました。
随神門
鳥居をくぐると正面に入母屋造、茅葺の随神門、嘉永5年(1852)の建造です。本殿、旧拝殿とともに平成4年1月21日国指定の重要文化財です。
随神門から拝殿
随神門を入ると右に八百杉と呼ばれる巨大な杉、正面階段から拝殿です。
拝殿
立派な注連縄が印象的です。
社殿全景
社殿左は池と思われますが、いまは水はなくグラスバンカーのようになっています。池の中央に小祠がぽつんとあります。
本殿
玉若酢命を主祭神とし、大国主命、須佐之男命ほか二柱の姫神を配祀、創始年代は不詳、隠岐国の総社と称されています。
本殿
天明7年(1787)建設を開始、途中中断後、寛政3年(1791)に工事を再開し、寛政5年(1793)に完成しました。建築様式は隠岐独特の隠岐造です。
同じ隠岐造で竣工も同じ寛政年代の水若酢神社と違い、棟の千木、堅魚木、の上に雀踊(すずめおどり)とよぶ横木をおき、両端は鬼板より出て反っているのが特徴です。
本殿直近では平成11年11月~平成14年3月に解体修理が行われています。
拝殿から八百杉
八百杉
国指定天然記念物です、樹齢推定2000年、根元の周囲約20m、胸高周囲約9.9m、高さ約30m。
隠岐島後民話・伝説案内板 No.19
総社の八百杉
昔々、若狭に国(福井県)から渡ってきた八百比丘尼(やおびくに)は、この社にお参りし、記念に杉を植えました。八百年後に再び訪れることを約束したので、八百杉と呼ばれるようになったと伝えています。この杉に耳を当てて心を潜めると
寝ている間に閉じこめられた大蛇のいびきが聞こえると言われます。
(社前案内板より)
参道から随神門
参道から一の鳥居
参道は広くゆったりとしています。総社は国府近くに鎮座されるのが一般的で社前は国府と考えられています。
玉若酢命神社(たまわかすのみことじんじゃ)
<通称>総社(そうじゃ)
【鎮座地】〒685-0017 島根県隠岐郡隠岐の島町下西713 旧隠岐国 周吉郡
【御祭神】玉若酢命 (合祀)大己貴命 須佐之男命 稻田姫命 事代主命 須世理毘賣命
【例祭】 6月3日 大祭 6月5日 大祭
【旧社格等】県社
隠岐國総社
式内社 隠岐國周吉郡 玉若酢命神社
【御由緒】
神社の由緒
玉若酢命を主祭神とし、大國主命、須佐之男命外二柱の姫神を配祀、勧請年代は詳でないが、式内社に列せられた古社である。
水若酢命と共に本島を開拓した隠岐の二祖神であると傅えられている。また神社名を総社と俗に称している。かつての隠岐國府の所在地で、明治初年頃まではこの地を総社村といった。これは王朝時代、國司が当國の総社として祭祀を執行した由緒によるものである。
本殿(隠岐造)県指定文化財
外形の特徴。屋根は大社造に似て妻入だが平面形は神明造に似て横長の短形である。向拝は前面いっぱいに片流についているが、その両端は春日造と違って大屋根と離れている。尚棟に雀躍(すずめおどり)と称する一本木をおき両端は鬼板より出て反っていて、隠岐にのみに存する独特の神社建築である。寛政五年建立(一七九三年)
例祭神事 御霊会(ごれえ)県指定無形文化財
六月五日例祭には八頭の神馬が出役する。隠岐國総社である為、地区ごとの産土神を神馬に奉遷して馳せ参ずると云う信仰によるもである。安永八年(一七七九年)の神社記に、「往昔は四十八頭の神馬が馳参せるも今日八地区の八頭に止まる」とある。察するに当初は全島あげて祭礼に参加し、盛況を極めたものと思われる。
この地方に於ける大氏神の大祭に小氏神が馳せ参ずると云う神事は他には見られなく、風流にして貴重な存在である。依って県の無形文化財に指定する。(昭和四十年)
(拝殿掲示板より)
隠岐道後、隠岐の島町にあります。西郷港より国道485号線を西におよそ2km下西地区の国道沿いに鎮座、周囲には古墳群もあります。
隠岐に上陸して最初の神社、先客がいました、島内バスツアーの団体の方々でした。この方たちが立ち去るまで暫く待機していましたがガイドさんの説明も長く、レンタカーのカーナビの故障で予定時間を30分位遅れての到着したこと重なり、次の予定も気になって、待つ時間が長く感じました。
随神門
鳥居をくぐると正面に入母屋造、茅葺の随神門、嘉永5年(1852)の建造です。本殿、旧拝殿とともに平成4年1月21日国指定の重要文化財です。
随神門から拝殿
随神門を入ると右に八百杉と呼ばれる巨大な杉、正面階段から拝殿です。
拝殿
立派な注連縄が印象的です。
社殿全景
社殿左は池と思われますが、いまは水はなくグラスバンカーのようになっています。池の中央に小祠がぽつんとあります。
本殿
玉若酢命を主祭神とし、大国主命、須佐之男命ほか二柱の姫神を配祀、創始年代は不詳、隠岐国の総社と称されています。
本殿
天明7年(1787)建設を開始、途中中断後、寛政3年(1791)に工事を再開し、寛政5年(1793)に完成しました。建築様式は隠岐独特の隠岐造です。
同じ隠岐造で竣工も同じ寛政年代の水若酢神社と違い、棟の千木、堅魚木、の上に雀踊(すずめおどり)とよぶ横木をおき、両端は鬼板より出て反っているのが特徴です。
本殿直近では平成11年11月~平成14年3月に解体修理が行われています。
拝殿から八百杉
八百杉
国指定天然記念物です、樹齢推定2000年、根元の周囲約20m、胸高周囲約9.9m、高さ約30m。
隠岐島後民話・伝説案内板 No.19
総社の八百杉
昔々、若狭に国(福井県)から渡ってきた八百比丘尼(やおびくに)は、この社にお参りし、記念に杉を植えました。八百年後に再び訪れることを約束したので、八百杉と呼ばれるようになったと伝えています。この杉に耳を当てて心を潜めると
寝ている間に閉じこめられた大蛇のいびきが聞こえると言われます。
(社前案内板より)
参道から随神門
参道から一の鳥居
参道は広くゆったりとしています。総社は国府近くに鎮座されるのが一般的で社前は国府と考えられています。
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