上州からの山旅

凡人noyamaの山旅の記録

中山道69次を歩く (木曽の桟~野尻宿)

2024年01月25日 | 街道を歩く




【15日目 信濃路 長野県】 令和6年(2024)1月13日(土)曇のち雪
 宿場距離:福島宿~野尻宿 29.4km 
 歩行距離:木曽の桟から野尻宿 25.7km(累計373.2km) (日本橋・野尻 3割増373.2/303.1=1.23)
 行  程:木曽の桟07:57---08:46上松宿08:46----09:53小野の滝09:54----10:39諸原橋10:39----10:50倉本駅10:55----11:12ドライブイン木曽11:12----12:16須原駅12:24----12:29須原宿12:29----15:51野尻宿==フォレスト木曽あてら荘(1泊2食8100円)
 昼食:台湾料理万里香 台湾ラーメン・天津飯セット800円

【木曽の桟から上松宿へ 7:57桟温泉旅館を出立】


早く出たかったので朝食の時間を30分早めてもらった



外に出ると餌をあさりに来たのか周囲に猿の群れ
ひと際大きいボス風な猿がこちらを睨む





「当初の木曽の桟は岸壁に穴を開け、これに丸太を差し込み、この上に板を架け渡し藤蔓等で結わえた桟だった。
この木曽の桟は正保四年(1647)旅人の松明の不始末で焼失し、翌慶安元年(1648)尾張藩が石積みの桟を完成させた。寛保元年(1741)と明治13年(1880)の改修で木橋下は石積となり、明治44年(1911)国鉄中央線工事で取り除かれた。現在国道下に石積が残されている」


対岸(右岸側)にも復元されている



国道19号は右岸側に付け替えたようで、歩道がないところがあるので心配していたが左岸側の道は殆ど車が通っていない



上松の街と木曽谷


【8:30 上松宿着 木曽の桟から2.9km】


上松宿江戸口



街並み



双体道祖神と女神水速女命(みずはやめのみこと)




脇本陣跡 門脇に「脇本陣・総庄屋・問屋役」と書かれているが解りにくい



塚本歯科医院が本陣跡



8:45 木曽の桟より3.2km
上松の一里塚(本町一里塚)跡、「京へ六十五里 江戸より七十二里」




尾張藩上松材木役所陣屋跡碑
「尾張藩は寛文三年(1663)から四年にかけて木曽総山の検見を実施し、山林の大半が伐採されていることに驚き、山村代官から山に関する一切の業務を取り上げ、この地に木曽山林の管理、保護、取締り等を行う藩直轄の材木役所陣屋を設置」



上松小学校のグランド内を横切らないと参拝できない諏訪神社 



上松町の花オオヤマレンゲと森林鉄道デザインのマンホール蓋



大宮神社と石塔・石仏



越前屋  看板には「寿命そば」
寛永元年(1624)創業で日本で2番目に古い蕎麦屋と言われている(越前屋HP)
浦島太郎の長寿にちなんで「寿命そば」(細くながくとの意かと思ったが?)
喜多川歌麿、十返舎一九、岡本一平氏、前田青邨氏なども立ち寄ったそうだ
「そば白く やくみは青く 入れものは 赤いせいろに 黄なるくろもじ」十辺舎一九




桂 幹回り4.1m 上松町指定天然記念物
後ろに津島神社(牛頭天王)、脇に南無阿弥陀仏名号碑や青面金剛文字塔



上松中学校の校庭近くでは「どんど焼き」(左義長)の準備



馬頭観音 この付近のものは文字ではなく像が多い




9:55 桟より7.0km 小野の滝




10:02 桟より7.0km 萩原の一里塚 江戸日本橋より73里



文化四年(1807)建立の廿三夜塔と南無妙法蓮華経碑



風越山の湧水和(なごみ)水




通って良いのか迷うような人家の庭のようなところを通過



JR中央本線を潜る



神明神社の鳥居があるが、神社は中央本線の向こうにあり参道は通れず上記の橋梁を潜らなければ行けない




木曽川に架かる吊り橋(諸原橋)、昭和31年竣工



倉本駅 空木岳登山口の標柱
今はこのルート利用する人は余りいなそうだ




常夜燈と庚申塔などの石仏石塔


河原にどんど焼き、この川を渡ろうとして片足水没




11:17 木曽の桟より12.1km
倉本の一里塚跡 「京へ六十三里 江戸より七十四里」



歩道の無い国道を恐怖感を抱きながら歩く


旧道に入るとホッとする


旧道には水場もある


【12:15 須原宿到着 木曽の桟より15.9km】


須原の一里塚跡 「江戸へ七十五里 京へ五十七里」



一里塚跡近くの須原駅 
本格的に雪が降ってきたので駅舎で雨具に着替え、駅員さんに飲食店を教えてもらう



高札場跡 そっけない標識のみ



本陣跡



須原宿の街並み


西尾酒造 清酒「木曽のかけはし」蔵元



大桑村(須原村、長野村、殿村、野尻村が1889年合併)の花シャクナゲのデザインのマンホール蓋



水舟と正岡子規歌碑
須原宿には丸太をくり抜いた水舟が随所にある所から「水舟の里」と呼ばれる




清水医院跡 
島崎藤村著の「ある女の生涯」の舞台。建物は愛知県犬山市の明治村に移築されている。



常夜燈 文化十年(1813)建立
秋葉大権現、金毘羅大権現、愛宕大権現と刻まれている




12:30~13:15 木曽の桟より16.9km
駅員さんに教えていただいた国道沿いの「台湾料理 満里香」で昼食
台湾ラーメン・天津丼セット800円と安い!



須原郵便局 宿場町を意識した意匠の様だが幟旗がうるさい




御岳詣りの「講」の人々が宿泊した元旅館(上の写真。下の写真右)



須原宿京口の舛形



第9仲仙道踏切 何番まであるのだろう



伊那川に架かる伊那川橋、遠くに岩出観音
雪は本降りだが身に降った雪は解けて濡れる



二十三夜塔と道祖神 隣の斜面でどんど焼きの準備



臨済宗妙心寺派天長院 隠れキリシタンのマリア地蔵があるそうだ



第10仲仙道踏切 また踏切を渡り国道へ





大桑の一里塚 江戸日本橋より76里 (14:45 木曽の桟より22.1km)
故人の墓地と一帯の様で解りにくいが奥に馬頭観音や六部文字塔などがある



木曽川の対岸を観れば標高1000m付近から上は真っ白



関山関所跡 モーテルの石碑の肩に「関所跡」と刻まれている (15:00 23.0km)




第11・12仲仙道踏切  何度も国道と旧道を行き来するたびに踏切を渡る


【15:45 野尻宿着 木曽の桟より25.2km】





いぼ石 「南妙法蓮華経」の台座石に触るとイボが治る
高札場跡、野尻宿の江戸(東)口



野尻本陣跡 建物は明治27年(1894)に焼失
後ろは明治天皇御小休所碑



野尻宿脇本陣跡、問屋、庄屋を兼ねた。明治27年(1894)に焼失



野尻宿の街並み



野尻駅 16:00 木曽の桟から16:00
宿まで残り3kmだがここで本日の行程終了し宿からの迎えを待った



今宵の宿フォレスパ木曽 夕食
温泉は保温効果の高い炭酸水素塩温泉で冷えた体も温まる

これまでの記録はこちら



泊りがけで出かけるとなぜか天気が悪い
多少の悪天候歩行には慣れましたが、雪や雨で写真がピンぼけなのが玉に瑕
今日も我慢の中山道中


 ↓そんな訳で 押していただくとたすかります





*参考
「ちゃんと歩ける中山道69次」 八木牧夫著 山と渓谷社
「日本史 小辞典」(改訂版) 山川出版社
五街道ウオーク:上記本の著者八木牧夫さんのホームページ
電子足跡・中山道歩き旅GPSログがとても参考になります

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