上州からの山旅

凡人noyamaの山旅の記録

中山道69次を歩く (68草津~京都三条大橋)ゴ~~~ル

2024年05月13日 | 街道を歩く




【27日目 近江國~山城國 】 令和6年(2024)4月27日(金)晴れ/曇り/小雨
 歩行距離:草津宿(ホテル)~京都三条大橋 25.8km(累計644.3km) 
 行  程:ホテル7:19--8:11月輪の一里塚--9:28瀬田の唐橋--10:00粟津の一里塚--11:26大津の一里塚--12:08大津宿---13:05大谷の一里塚--15:09日ノ岡峠--16:30京都三条大橋・京都駅21:40=夜行高速バス(10,400円)=05:31前橋駅



【68 草津宿 ホテル出立】 




文久三年(1863)の創建曹洞宗普門山月輪寺
ここから中山道(東海道)に戻る



立場跡 後ろの月輪池は枯れている



月輪池の一里塚  日本橋より東海道120里(中山道131番目) 宿から1.5km 8:11


一里塚の向かいに平成22年建立の道標




標識に従って2度直角に曲る



道祖神と大日如来


大日如来は摩耗が激しい



信楽焼のオオダヌキと地蔵堂
何のための大狸かよくわからない、地蔵は2体のレリーフ



北方の屋上に仏殿があるお寺が見える



近江の国一宮 

劇画調の解説版

本殿と重要文化財の石灯籠



瀬田の唐橋
古来より京都の喉元を握る交通・軍事の要衝として重視され「唐橋を制する者は、天下を制す」といわれ、壬申の乱、承久の乱、建武の戦、源平合戦、応仁の乱の毎に戦場となった

唐橋から上流を見る



瀬田の唐橋解説 俵藤太秀郷むかで退治
平将門を討った藤原秀郷が大ムカデ退治して「俵藤太」と名が付けられた伝説



可愛らしい地蔵菩薩



粟津の一里塚(晴嵐信号付近で位置不明)日本橋より東海道121里(中山道132番目)10:00 宿から7.7km



膳所城勢多口総門跡標石 地蔵祠
膳所城下町の江戸方(西)口




若宮八幡神社
白鳳四年(675)の創建
表門は明治3年膳所城が廃城になった時に本丸の門を移築したもので市の文化財




和田神社
白鳳4年(675)の創建
本殿は国の重要文化財 表門は膳所藩の藩校 「遵義堂(じゅんきどう)」 の門を移築




石坐(いわい)神社
朱鳥元年(686)の草創と伝わっている
本殿は文永3年(1266)で滋賀県指定文化財 エノキの大木は市指定保存木



膳所城北総門跡




朝日山義仲寺(ぎちゅうじ) 国指定史跡  天台宗系単立 入場料500円
木曾義仲の死後、巴御前が草庵を営み供養を続けたので巴寺と称したのに始まると言われ、戦国時代に荒廃したが天文22年(1553)近江守佐々木義文によって再興された

巴塚

木曽義仲墓

芭蕉墓
元禄七年(1694)大坂で客死した芭蕉はこよなく義仲を敬愛、500年の年を越えて死後は義仲寺に葬るよう遺言した
芭蕉の門人又弦(ゆうげん)句碑「木曽殿と 背中合わせの 寒さかな」がある




【69大津宿着】12:08 宿から12.0km

大津の一里塚(京阪石破踏切付近) 日本橋より東海道122里(中山道132番目)11:36 宿から11.6km


1
琵琶湖、琵琶湖大橋、ミシガン船、ヨット、観覧車、 市の鳥・ユリカモメ、市の花・エイザンスミレ、市の木・ヤマザクラ、 花火大会、レガッタ、びわ湖花噴水、犬などと市章に下水の「下」を組み合わせたマークが描かれている
2
ベトナムに移設された大観覧車が無くなったデザイン
マンホール3
「おおつ光ルくん」と「ホール・まん蔵」を加えたデザインもあったが撮り忘れた



岐阜県庁



此附近露國皇太子遭難之地碑
明治二十四年(1891)五月十一日来日中のロシア皇太子ニコライを警備の巡査が斬り付け軽傷を負わせ、大津事件と呼ばれた



大津宿の街並み
「京都-日光 570km」のゼッケンを付けて走ってくる人がいた
聞けば「例幣使みち京都~日光570kmジャーニーラン」というらしく期間はゴールデンウイークの4/27~5/6の10日間、これを早い人は5日~10日で走る信じられない大会だ!




大津宿本陣跡



関蝉丸神社上社
社伝によれば平安時代、嵯峨天皇(809-23)のときに猿田彦・豊玉姫をまつり、円融天皇(969-984)の代に蝉丸を合祀したと云われている



弘法大師堂
交通量の多い国道1号線の反対側、雨も降って来たので道路越しに参拝





逢坂山関址碑と逢坂常夜燈
平安京守護ために設置された三関(不破関、鈴鹿関、逢坂関)
先にうなぎ屋「かねよ」があり、昼時なので覗いてみたが予算オーバーなのでパス



蝉丸神社
天慶9年(946)盲目の琵琶法師蝉丸を主神として祠られている



京阪電鉄 大谷駅
この先の大谷歩道橋で京阪鉄道京津線を越えて国道1号線に出る



大津算盤の始祖・片岡庄兵衛
大津算盤は、慶長17年(1612)片岡庄兵衛が明国から長崎に渡来した算盤を参考に製造を始めたものと伝わる。同家は以後、この碑の西方にあった一里塚付近で店を構え、幕府御用達の算盤師になったという。




大谷の一里塚 日本橋より東海道123里(中山道133番目)13:05 宿から16.4km




【山城國】

伏見追分
追分道標「みきハ京みち」「ひだりはふしミみち」と蓮如上人御塚




京都市マンホール
葵祭での御所車と御所車の車輪の写真とデザイン



三井寺観音道 小関越 道標
小関峠を越えて大津宿札の辻で逢坂山ルートの旧東海道と合流する道
小関越は難所の逢坂を避ける東海道の迂回路であり、三井寺への参詣道でもあった




そば処「あずまや」
京阪鉄道四宮駅近くなりようよう食堂を見つける
カレーそばセット(1000円)、脂ののった鮭に蕎麦屋さんのカレーは美味しかった



臨済宗南禅寺派徳林庵
六角堂が美しい



愛宕神社常夜燈と地蔵堂



五条別れ道標
三条通りと五条大橋の追分、道標には 「左ハ五条橋 ひがしにし六条大佛今ぐ満きよみず道 右ハ三条通」



地藏堂



日ノ岡峠への登り




大乗寺  
 「約300年前にに開き、禅宗系の寺から法華の寺に改宗されたと伝えられています。その後は、代々尼寺として受け継がれ、無本山の寺でしたが、約20年前に法華宗の大本山本能寺の末寺となりました。
 今では1,500本もの酔芙蓉が群生する 「酔芙蓉の寺」 として知られています。」




日ノ岡峠付近 15:09  宿より21.7km




荷車のモニュメントと車石(牛車の車輪が通る二列に花崗岩の厚板石)



粟田口刑場跡
江戸時代より前から刑場として機能していたとされ、罪人総数約15000人ほどが処刑されたと云われている。明智光秀の遺体が晒されたところ。



京都市蹴上浄水場
ツツジが見頃を迎え来場者で賑わっていた




真宗佛光寺派の本山佛光寺
佛光寺は、越後に流罪となった親鸞聖人が赦免後の翌年建暦2年(1212)に京都に帰り、草庵を結んだのが草創と伝えられている。境内には親鸞聖人の御廟所があり、傍らに刀匠の三条小鍛冶宗近之古跡碑が建っている。



合槌稲荷明神
刀匠三条小鍛冶宗近が常に信仰していた稲荷、名刀小狐丸は童に化けた狐が合槌(あいづち)を打って鍛えたもの




粟田神社
貞観十八年(876)の創建で、粟田口村の産土神 京都の東の出入り口(粟田口)に鎮座し、旅立ち守護、道中安全の神として篤く信仰された



粟田口は京七口のひとつで三条口とも呼ばれ、東海道、中山道口



坂本龍馬・お龍結婚式場跡



白川橋道標 延宝六年(1678)建立 京都に現存する最古の道標
「是よりひだり ち於んゐん ぎおん きよ水 みち」 「三条通白川橋」




明智光秀首塚
光秀は天正十年(1582)本能寺の変後、近江坂本城へ逃れる途中、小栗栖(おぐるす)の竹藪で農民の竹槍に刺されて重傷を負い、自害し、家臣に首を打たせ、知恩院近くの山麓に埋められた伝わってる。
公家・吉田兼見の日記「兼見卿記」には、首はすぐに発見され、粟田口に数日間晒さた後、近くに埋めて塚が築かれたことが記されている。江戸中期にこの地に移された。





大将軍神社
延暦13年(794)桓武天皇が平安京造営の際、大内裏鎮護のために都の四方に祭祀した大将軍神社のうち東南隅の一つ。境内には樹齢800年のイチョウがある


三条大橋到着 16:31 本日の行程は25.8km







ルボンヴィーヴル 京都四条店 で到着祝い


市内の銭湯で汗を流し夜行バスで帰路へ


これまでの記録はこちら



一応江戸日本橋を出立し日本橋から京都三条大橋着きましたが
太田宿西(坂祝駅)~加納宿東(岐阜駅)までは悪天候のため飛ばしているので
近日中に歩きたいと思っております
2023年1月江戸日本橋を出立し、上州までは日帰り、信州から西は2~3泊で延べ28日
宿場間距離523kmの所、600km余り歩きました
途中、吹雪の和田峠や歩道が無くトラックが頻繁に通る国道8号線など艱難辛苦もありましが
楽しく、思い出深い旅となりすっかり街道歩きマニアになりそうです
大津宿では京都から日光まで例幣使街道570kmを10日以内に走り抜ける人に出会い
その体力を羨ましく思いながらも自分もできる範囲で頑張ろうとも思う今日この頃です

今回の街道歩きの計画を立て大部分を一緒に旅してくれたN君に感謝したい

 ↓そんな訳で 押していただくとたすかります





 地図



参考1:「ちゃんと歩ける中山道69次」 八木牧夫著 山と渓谷社
参考2:五街道ウオーク:上記本の著者八木牧夫さんのホームページ
参考3:電子足跡:GPSログがとても参考になります
参考4:「日本史 小辞典」(改訂版) 山川出版社
参考5:ウイキペディア
参考6:「長野県:歴史・観光・見所」
参考7:日本の街道を歩く旅
参考8:きままに歩く


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