自分探しとか、若い人とかが良く流浪の旅に出たりして言う科白ですが、今の私は如何なものか、と明言しています。
自分自身も、フーテンの寅さんみたいな人間で、定住とか定着とかが苦手で漂ってる、流離ってる感じの人物ですが・・・
で、自分探ししたって見付かる訳ない、と・・・
お釈迦様が、何故生まれて来たのか?死とは何なのか?と問われても答えなかった、そう言う誰が考えても分からないこと、は考えても無駄である、と戒められ、それよりもどう生きるのか、貢献出来るのか、尽くせるのかに真摯に生きることである、と明言された、と言うんですから・・・
お釈迦様ほどの叡智の固まりの方が考えても答えを出せない問いに、私のようなお馬鹿な者が取り組んでも無駄でしかない、と私も思います。
だから、フランクル先生のお考えに多大に影響されてますが、どう生きるのか、何を果たせるのかに応えて行くのが人生そのものなんだ、と考え、真摯に前に進むのみ、です。
そして、そこで分かったことは、次代の為に語り継ぐ。
語り継ぐ大事なモノ、それが継がれて行くことが、永遠の命を得る、と言うことなのではないか、と私は考えています・・・
3000年も前にお生まれになったお釈迦様の偉大な教えが、今も尚語り継がれ、人々を救う灯の成っているように・・・
語り継がれることで、お釈迦様の肉体は滅んでも、命は継がれて行ってる、と・・・
私も、恩師達の思い、教えのバトンを引き継ぎ、真摯に次代へと繋いで参る所存です。