奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

選択に迷った時、聖霊におまかせするとは?

2016年06月28日 11時57分45秒 | 奇跡のコース/奇跡講座はじめ
2016年4月のある日
Nさんよりいただいたご質問です。



~ご質問~

いつも楽しく
拝見させていただいています。

一つ聞きたいのですが
(幻想のレベルで、日常で)
選択に迷ったとき
どの様にしますか?
聖霊におまかせするとは
選択しないことなのでしょうか。




~お返事~

こんにちは。
ご質問ありがとうございます。

これは、その方その方の、今の実践段階によって
「こうなんですよね」と、使う言葉が変わります。

しかし、指し示す内容は常に同じです。

指し示す内容を、そのまま言葉にすると
「心のレベルで完全に降参して、聖霊にお任せする。」
「その心の状態で、形のレベルで言動する。形のレベルの選択をする。」
ということです。

しかし、それができるかどうかが重要なのではなく
「どうも、、、全くもって、自分は聖霊に全託なんてしたくないらしい。」
ということに気が付く時期は、必ずやってきます。

そっちに気が付くための、日々の実践なんですね。
そこからがコースの学びと実践の本番になってきます。

赦しは、インスタントではありませんので、なかなか難しいですが
なんで難しいかと言えば、「私」と、「自我」が複雑さそのものだからですね。

「実際のところ、選択の余地など、どこにもなかった!!!」
(究極の話ですが自我は無なので、本当に選択できる選択肢は聖霊のみ。ということ)

ということに気が付く日も、必ず来るはずです。
実際そうだからです^^


☆  ☆  ☆


このようなメッセージのやり取りがありました。

この記事の、Nさんのご質問は学びの初期の頃よく疑問に思うことの一つです。
私も確かに2013年の頃は特に、、陥っていた部分です。

「レベルの混同」

という言葉を、ワプニックさんが講義の中で使っていらっしゃったようです。
奇跡講座のテキスト(T-2.IV.2:2 )で教えられている「レベルの混同」とは
また違ったニュアンスでワプニックさんが「レベルの混同」
という言葉を使って受講生の皆さんに説明なさっていました。




☆JACIM本館での、レベルの混同についての解説
http://www.jacim.com/acim/?p=166

☆JACIM別館での、レベルの混同についての解説
http://www.jacim.com/jcm/?s=%E3%83%AC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%B7%B7%E5%90%8C&searchsubmit=
↑こちらのページで、JACIMサイトの管理者(加藤さん、澤井さん)が
⬇︎以下のように説明してくださっています。

*なお、ここで述べられている「レベル1」と「レベル2」の区別と両者の混同とは、
ワプニック博士がコース解説の中で長年 使ってきた概念であり、
テキストの第二章(T-2.IV.2:2 )などに出てくる「レベルの混同」と
同じものではありませんので、ご注意ください。

※(以上、JACIMサイトより引用させていただきました)



今となっては、ほほ笑みながらこのあたりを復習しつつ、学び実践をできるようになってきましたが
それがわからない当時は、レベルの混同の中にいますから(!)
何がどう違って何をどう混同させているのかがわからないのですが。。

今日開いた書籍に、このように書かれていて
「ああ、、奇跡講座あるある。だなあ。」と、思わず笑ってしまいました。
(バリバリ、そう考えがちであった自分の姿の何とも言えない愛おしさの笑い)

「奇跡の原理/中央アート出版社」P81

質問:
これは私にとってかなり難しいことだと感じます。
私は看護婦なので、苦痛や苦しみに対応しなければなりません。
緊急事態の時には、自分が正しく行動できるようにいつも祈っています。

回答:
それがまさに、私が話していたことです。
けれども、これは、看護婦であるあなたの前に、誰かが血まみれで死にそうになって担ぎ込まれてきたときに、
あなたが、「あっ、ちょっと待ってください。これから瞑想して何をすればいいかを聞いてきますから」
と言わなければいけないということではありません。
そんなことをするなら、それは愛ある行為ではありません。

(以上P81より引用)

日常の動機・目的を明確にすると良いのだと思うのです。
これも、その時その時の段階に応じてだんだんと深まってくるところなのですが

「今日、私は自分ひとりでは何も決断しない。」(T-30.1.2:2/奇跡講座テキスト編/中央アート出版社)
「あなたに決断していただいて、あなたの決断・判断に従い、自分は退きます。」
「どうぞよろしくお願いします。」

という心持ちの中で、日常を過ごしてゆくと
ともすると退くことを忘れ(忘れる気満々)、聖霊の前を堂々と歩いてゆこうとする自分のあり方に
だんだんと気が付いてゆくものなんですね。

そういうことを認識しながら
もう一度決断しなおす、もう一度、もう一度、、、、
という繰り返しのレッスンの中、正しい心の状態に一致しながら
愛ある行為をすることができるようになってくるものだと学んでいます。

学び実践の通過点では、いろいろな混乱が生じるものですから
クリアでいて、きちんとそのようにできない自分自身を咎める必要がないんだよ。
また選びなおしてゆく意欲を持ってゆこうね。

ということなんですね☆






.


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。