奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

心臓破裂もいとわない

2017年03月17日 21時12分44秒 | ACIM奇跡のコースという生き方
今現在、量子的な見方が強化されていってる期間なのか?

それとも、もしかしたらこの見方が持続するのか?

わかりませんが、、、

いろいろと心の変容が起きています。


昨日、執筆に関連して原稿の用意をしていたこと

数日前に、Hちゃんにメッセージしたこと

昨日、Hちゃんにメッセージしたことをブログで公開したこと



これは、導きに従うことを選び、自分の損得ではなくただシンプルに

心をオープンにして、導きのままに従う(自分の解釈を取り入れない)

その心の状態の結果としての行動だったのですが


「導きのままに従う」とは、正しい心の状態であると同時に

相当、自我の思考体系にとっては脅威と見なされます。

だからその心に、恐れ(自我の思考)が入り込みます。


昨夜から久しぶりに、みぞおちがキシミはじめていました。

神からの分離を信じているのだな~。即座にそれを信じるのだな~。

それが防衛と思っているのだな~。。。

と、私の反応を見ていました。



そして、深夜ベッドに入りまどろみの中で

みぞおちの痛みは激痛になってゆきました。

サレンダーしかありません。



レッスン136
病気は真理に対抗する防衛である。

私は、自分が心ではなく肉体であると信じることこそが、自分にとっての救済であって
脅威である神の御国を思い出さずに済む!と、本気で思っているのだな~。
そう信じたくて仕方がないんだな~。

それこそが病気だな~。

もう、こんな病気を継続したくはない。
痛かろうが、何だろうが、私は正気に戻りたい。



ひたすら、これを思い出し続けていました。


この状態をやめさせるためなのか、この段階の通過点なのか、
心臓(と思っている部分・設定の知覚)が、ありえない動きをします。

心臓のあたりで暴れ馬が粗暮れているような
巨大な和太鼓が高速でドシンドシン破れんばかりにたたかれ続けているような体感です。


肉体的に見れば、心臓破裂寸前という感覚。

どのくらい続いたでしょうか。
数時間か、数十分なのか、、



この、みぞおちの痛みという知覚と格闘するのでもなく
その知覚を自分のものとするでもなく


自分は真理を思い出すことの方を選ぶ。
それ以外はしない!
もう、ごめんなんだ!という決断のもと

みぞおちの痛みが現れては通り過ぎ続け、
心臓が破裂しそうな激しい動悸もそのままにして

「御心のままになさしめ給え、我が天命を完うせしめ給え」
「病気は真理に対抗する防衛である」
を唱え続けていました。


そして、聖霊に
このように伝えました。


「もしも、この心臓がここで破裂してダメになった。
という設定があったとしても、それでいいです。

何がどうであれ、あなたは私のことを必ず導き続けてくれるはずです。
どうぞ、善きようにお導きください」と。





その時、イメージがやってきました。


私の身体が、このシーンで心臓破裂したとしても
私の心が認識するその次のシーンでは、
私にとって必要な学びのシーンに移行している。

もしもまだ、肉体を脱ぐというシナリオが相応しくないのであれば
さっき心臓破裂したことも、無かったことになっている。

そういうパラレルの移行が、聖霊主導の中でいくらでも執り行われるのだ。
そうやって、聖霊は時間と空間を調整するんだ。


そういう確信が起きて、


「ああ。善きように。善きように。」
「御心のままになさしめ給え、我が天命を完うせしめ給え」
「病気は真理に対抗する防衛である」
「病気が何を支えるのに役立っているのか?病気は分離を維持するのに役立っている。私はそれを望まない」

と、唱え続けていました。


朝になっていたと思うけど
いつの間にか、心臓もみぞおちも静かになって眠りにつきました。



とても、とても、量子的で、仮想的で、ゆるゆるな夢の時空間です。

私たちは、身体ではない。

私たちは、心です。


脳も、身体も、何もしていないしできない。

心が、世界を投影している。

そして世界では、本当には何一つ起きていない。




だから、善きように。善きように。

「御心のままになさしめ給え、我が天命を完うせしめ給え」

「病気は真理に対抗する防衛である」

「世界とは、私が私を神に還らせないための防衛ツールだった」








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