奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

何のための夢なのか? 交通事故、脳梗塞、老衰、急性膵炎、大動脈解離

2018年11月14日 12時47分23秒 | 宇宙・幻想の終わり
私たちは、何のために夢を見ているのか?



「何のために夢を見ているのか?」というと

ほとんどの場合 私たちは

「夢見の維持のために見ている」



何のために夢見の維持をしている?

「真の自己を自覚しないため」

「完全なる神との一体性を忘れ去るため」

「そして、この夢が消えないため」


この夢は

夢のための夢だった。



分離が可能であると思い続けたい

小さな狂った願望と

分離の決断がたったひとつの問題であり

世界の原因だった。



何のために、これ以上

夢見の維持をする必要があるのだろう?



私たちは、間違いなく

今日と似たり寄ったりの毎日が

明日以降も続く。と信じている。



なぜにそんなに信じているのだろう?



何か大きな出来事が起きてからでも良いのだけど

何か大きな出来事が起きる前から

いくらでも夢見を終わらせる決断をして良いと思う。




何でそんなに待つのだろう?

素直に そう思う。



自分自身の本当の望みに耳を傾けたなら答えは一目瞭然以上のことだ。。




私の場合、2012年7月旦那さんが突然の交通事故で脳に打撃を受けて

数時間後に肉体が死亡した。(けどあの肉体は、全くもって彼では無かった)

その2年後、2014年6月 何度も脳梗塞の発作を繰り返していた父の肉体が終わった。

その後、兄の急性膵炎やあらゆる疾患により兄は完全に人生をストップさせた。

昨年8月母が老衰で肉体を横たえた。

そして数日前、もう一人の兄が大動脈解離で倒れた。




人生というストーリーは、始まりと終わりがある。


必ず始まりがあり、

必ず終わりがある。




その人生の終わりは、

たいていの場合

次の「夢の始まり」のために終わってゆく。


始まること(分離維持)を前提に終わらせている。



何のために、このロールプレイングゲームを続けるのか?

あまりにも無意味すぎるのに。



私は、もう、

完全なる終了のために、毎瞬間を生きたい。




遠い将来に達成させる何かなんて必要ない。


ただ、今、この瞬間に

この夢見の無意味性を見渡し

聖霊に、この人生の舵取りの全てを明け渡したい。



もう、一切のドラマが必要ない。

演劇は空っぽの劇場の中で展開するだろう。

しかし、もうそこに力を与え続けるのは終わらせて良いと思う。


もう、イエスの支配下でよいと思う。






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