「長崎街道レトロコースまち歩き」続き~その4
今回、宮若市での「筑豊の近代化遺産講座」や、直方市の「長崎街道レトロコースまち歩き」に
参加して、色々と認識を新たにすることが出来ました。
その一つとして、地元の炭坑王であり、炭鉱の大規模開発や豪邸等では良く知っている
貝島家は創業者の太助以来、さまざまな形で、多くの足跡や施設遺産を残し、
地域の公益などの為に多額の寄付や寄進をしていることを知りました。
例えば、今まで、私は幼い頃から、多賀神社の風格を備えた鳥居や灯篭のある
風景については、春祭りや秋祭りに出掛けて頭には入っていましたが、郷土史的な
見地からその建立の年代や寄進者については、全く考えてもいませんでした。
そういう観点から鉱業家との関係を見てみようと思って、多賀神社に足をのばしてみました。
(1)御館橋からみた多賀神社です。平成ちくほう鉄道の車両が走っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/5b/395c5d74b0d9119bbc7322fe5d11df63.jpg)
(2)右手にイチョウが黄葉している多賀神社北側の大鳥居や灯篭に注目しました。
1
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/86/8ecc655b2010d2ec11d06639354498cb.jpg)
大鳥居は、「明治35年12月建立 貝島太助」となっています。
2、2
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/82/290e23f92702236deccbff787ba4dc70.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/3d/bc6bd440e4eeb9a1326739c00b4706ac.jpg)
その背後の1対の灯篭は「明治36年3月 麻生太吉」となっています。背景は御館橋です。
3、3
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/e1/a77106cc4da6f80c446a17b73c46ac27.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/97/887ab3aa66733f517c0e54379db0a460.jpg)
(3)次に東側の多賀町通り(長崎街道側)の一対の大灯篭です。
一対の大灯篭は、石工は「直方町 山本源三」で、寄進者は「貝島家一族9名」の
連名になっています。
1、2
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/d2/fc7b2cc686efbee0a97d47b0e0555210.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/b3/17f45cabb418704ab57772e430c2c548.jpg)
その他「多賀神社保存」ということで、貝島太助、貝島六太郎、貝島嘉造・・・・
また、許斐鷹助、堀三太郎などの著名な鉱業家の名前も見えます。
さらに、三菱合資会社、九州鉄道などの昔の企業名も出ています。
3
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/99/fed7a352887741f1b14199a7e32e5ad1.jpg)
4
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/a8/856e840d1b85f59f6a89eece4fc90779.jpg)
多賀神社側から、多賀町通り(長崎街道)を見ます。
右手は野口ギャラリーへ続き、長崎街道の道筋です。
背景の山並みは福智山系で福智山は右手に直方市庁舎と並んでいます。
4
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/65/8ff87d24d339b11a7bc58776cd861c5e.jpg)
この多賀町通りは、かって繁華街のにぎわいもあったとのことです。
(→多賀町通りの多賀神社祭りの賑わい;昭和10年頃=1935年頃、
直方文化連盟「直方物語」より引用)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/4e/2d7609c52ddcc348b218f7103ed16e12.jpg)
今回、宮若市での「筑豊の近代化遺産講座」や、直方市の「長崎街道レトロコースまち歩き」に
参加して、色々と認識を新たにすることが出来ました。
その一つとして、地元の炭坑王であり、炭鉱の大規模開発や豪邸等では良く知っている
貝島家は創業者の太助以来、さまざまな形で、多くの足跡や施設遺産を残し、
地域の公益などの為に多額の寄付や寄進をしていることを知りました。
例えば、今まで、私は幼い頃から、多賀神社の風格を備えた鳥居や灯篭のある
風景については、春祭りや秋祭りに出掛けて頭には入っていましたが、郷土史的な
見地からその建立の年代や寄進者については、全く考えてもいませんでした。
そういう観点から鉱業家との関係を見てみようと思って、多賀神社に足をのばしてみました。
(1)御館橋からみた多賀神社です。平成ちくほう鉄道の車両が走っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/5b/395c5d74b0d9119bbc7322fe5d11df63.jpg)
(2)右手にイチョウが黄葉している多賀神社北側の大鳥居や灯篭に注目しました。
1
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/86/8ecc655b2010d2ec11d06639354498cb.jpg)
大鳥居は、「明治35年12月建立 貝島太助」となっています。
2、2
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/82/290e23f92702236deccbff787ba4dc70.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/3d/bc6bd440e4eeb9a1326739c00b4706ac.jpg)
その背後の1対の灯篭は「明治36年3月 麻生太吉」となっています。背景は御館橋です。
3、3
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/e1/a77106cc4da6f80c446a17b73c46ac27.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/97/887ab3aa66733f517c0e54379db0a460.jpg)
(3)次に東側の多賀町通り(長崎街道側)の一対の大灯篭です。
一対の大灯篭は、石工は「直方町 山本源三」で、寄進者は「貝島家一族9名」の
連名になっています。
1、2
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/d2/fc7b2cc686efbee0a97d47b0e0555210.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/b3/17f45cabb418704ab57772e430c2c548.jpg)
その他「多賀神社保存」ということで、貝島太助、貝島六太郎、貝島嘉造・・・・
また、許斐鷹助、堀三太郎などの著名な鉱業家の名前も見えます。
さらに、三菱合資会社、九州鉄道などの昔の企業名も出ています。
3
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/99/fed7a352887741f1b14199a7e32e5ad1.jpg)
4
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/a8/856e840d1b85f59f6a89eece4fc90779.jpg)
多賀神社側から、多賀町通り(長崎街道)を見ます。
右手は野口ギャラリーへ続き、長崎街道の道筋です。
背景の山並みは福智山系で福智山は右手に直方市庁舎と並んでいます。
4
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/65/8ff87d24d339b11a7bc58776cd861c5e.jpg)
この多賀町通りは、かって繁華街のにぎわいもあったとのことです。
(→多賀町通りの多賀神社祭りの賑わい;昭和10年頃=1935年頃、
直方文化連盟「直方物語」より引用)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/4e/2d7609c52ddcc348b218f7103ed16e12.jpg)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます