日本郵政の「西川社長の続投問題」が「ガバナンス」と「郵政民営化」の対抗軸に変容し、所管大臣の更迭・政権支持率を悪化させるまで問題になっています。
何故、現行の郵政民営化路線が当初の計画に対して、達成しているのか?、国民への利便性はどうなったか?、当初の目標自体が妥当だったか?、などを、政府も、日本郵政自体も、メディアも見直し検証作業をせずに、既定路線順守(郵政民営化)が第一で、表層部で論評しあうという風潮は、「郷原 信郎氏」のいう「思考停止社会」を見る思いですね。
当方は、この度の「西川社長の続投問題」は、鳩山前総務相のいう「正義」が正論という立場ですが、郵政改革は賛成しますが、現在の郵政民営化路線には批判の人間です。
当初は、小泉・竹中郵政改革は、自分の生活に直接関係しないので、傍観者の立場で、「何か、違和感」を感じる程度でした。
竹中チームメンバーであった高橋洋一著の『さらば財務省!』を読み、当時の大蔵省が抱えていた巨大なリスクと財政投融資の破綻危機の回避策として橋本内閣の財投改革で、郵貯は自主運用になり、運用利回りは劇的に低下は確実で、簡保も同様な構造であり、郵便も電子メールでジリ貧となり、郵政民営化は必然性があったという民営化の経済的、経営的なバックボーンは理解できました。
高橋洋一氏は、自らの経済的な観点で、宇田左近氏(当時 マッキンゼー社、現在 日本郵政の執行役員?)の経営的な観点からも現行の4分社化を最適案と自画自賛されていますが、郵政民営化から1年半経過し、果たして、社会的にベスト案であったか疑問をもっていました。
民間企業に、お世話になった身から思った事は、小泉・竹中郵政改革は、「小さな政府」であり、「官から民へ」ということでしたが、現実の郵政民営化は、「官が民で」であり、大規模な国民の経営資産を保有し、民業に変容するだけでは、民業圧迫になるだけとの思いはしていました。
民業に変容する契機に、高齢少子社会の現状に、郵政事業がもつ経営資産を活用した何らかな新たな社会サービス(社会保障分野など))を創出されていないことに、現行の郵政民営化路線には、「漠然した違和感」を感じてしました。
確かに、将来の財務負担を回避には、郵政民営化の必然性は理解できますが、郵政改革に、郵便局という地域密着した全国ネットワークを社会保障分野でも活用した社会サービスを創出する知恵がなかったことが心情的な反対の背景でした。
経済的(財務省)・経営的な立場での郵政民営化スキームだけでなく、何故、高齢少子社会において、地域生活者、環境保全、安心・安全社会への実現にむけた郵便局ネットワークの資源を活用した郵政改革しないのかということでした。
その後、現在の郵政民営化に批判者になったのは、経済学という学問の特質を認識したからです。
それは、本ブログ「中谷 巌氏の新自由主義にもとづく構造改革の懺悔のついて」でも、書きましたが、「経済学は人間の営みを考慮していない学問」であることで認識したことです。
特に、中谷 巌氏の発言で、印象を持ったのは、
中谷:「経済学は価値観を入れてはいけないという学問。
歴史とか文化などの価値は議論に入れてはいけない
学問なんですよ。
だから、すごくロジカルで分かりやすい。
だから、世界に普及してしまう。
例えば、竹中平蔵さんはどんな問題にもきちっと
答えられるでしょう。
経済学の知識が体系立てて頭に入っている人は、
どんな問題でも必ず答えられる
の内容で、経済学には、社会という人間の営みを考慮していないことがわかり、竹中平蔵氏の話は、全てロジカルですが、何か「そうかなー?」という残存感がありましたが、中谷氏の言葉で、成る程と納得した次第です。
現行の郵政民営化は、経済学からの観点での郵政改革であり、経済・経営からの観点での4分社化であり、人間の営みという社会が考慮されていないと認識し、「漠然した違和感」から「批判者」になりました。
そこに、「かんぽの宿」の一括売却事案で、新旧の郵政利権争いを知り、更に、西川社長の郵政私物化の動きをネットで知り、鳩山前総務相のいう「正義」を支持の立場になりましたね。
現行の郵政民営化路線の批判については、続きのブログに書きます。